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1. ライバルって どういうものですか?

2. 敵ですか? 友達ですか? 並び立つものですか?

3. 邪魔にならないですか?

4. 変な見方をすれば 共依存の関係に落ち入ることはないですか?

5. 互いにコネとなって 仕事やちょっとした口利きのときに便宜を図る
といったこともあるのですか?

6. 固い絆があるのですか?

7. 相手を蹴落としてしまったという場合は ライバルではないのですか?

8. ライバルどうしが〔首尾よく共に出世できて〕 同じ立ち場に立って 
ほかの人たちを下に見るといったことはありませんか?

質問者からの補足コメント

  • ★ 4.共依存? もともとそれぞれが個人として優れた才能を持っている人
    同士の競い合いですから、彼ら個々人は誰に依存する必然性も持ちません。
    ☆ 依存する必然性がないとすれば ライバルとして意識することはない。

    あっ あいつと俺は いま横並びしているようだと気づきこれをライバルとし
    て意識するにしても それは ただおのれの余裕の範囲内でそうするに過ぎな
    い。

    才能をよりよく発揮するためにライバルを求めこれを意識するというのは 明
    らかにその意識に≪依存している≫。

    たとえライバル関係にあったとしても それは それぞれが自分のチカラを自
    分のやり方で発揮しようとしているそのわが道が基本としてあって そこに余
    裕があれば ライバルのことについても知ろうとしたり あるいは 話をする
    ことさえある。
    というのではないかと。

    ≪同志・友≫は 別です。もともと何でも話し合います。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/07 07:26
  • ご質問:
    【Q:ニンゲンには何故ワルモノが必要なのですか】
    のわが回答№39ですが そこでの≪ライバル≫という言葉は いまこのわたし
    の質問のやり取りで分かって来たように わたし独自の捉え方で使っていたよ
    うです。

    それを扱うには あらためて定義をし直して話をすすめる必要があるようです。




    ひとつ 念のためにおしえてください。

    ライバルどうしが 相手を蹴落とそうとすることは あるということですね?

    G_Rさんにも尋ねなければなりません。ないだろうというご見解のように見受
    けられます。

    つまり ≪対立・敵対≫の要素は ないのかどうか。≪信頼関係にある≫と規定し
    たその上でです。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/07 07:34
  • (α) ☆☆(№4お礼欄) 対抗意識ではなく 同志である・隣近所の親
    しくしている人がいる・相手のわざを盗む これらが 推進力であるのでは
    ないですか?
    ☆ このとき ≪相手のわざを盗む≫というのなら ≪対抗意識≫があるので
    はないか? と反論され得ます。

    ですが よきわざを盗むことは 何もライバル関係になくても できますし
    あり得ます。

    つまり たとえば師匠と弟子の関係においてです。

    あるいはつまり 世の中でふと見かけた見知らぬ人の振る舞いを見て 何か
    よきアイディアがひらめいたということもあり得ます。≪ラッキーだった≫
    わけです。

    ≪ライバル関係=原動力≫説は きわめて狭い見方に立っているし その狭い
    領域においても 成り立たない場合もある。

    成功例とて ≪対抗意識=推進力≫説は 違うのではないか。つまり (α)。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/08 04:49
  • HAPPY

    ▲ (萩野公介「報われた」苦悩の3年) ~~~
    http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/20160807000 …

    競泳は確かに個人競技だが、スタート台に立つまでには多くの人の支えがある。水の
    中に入ったら一人で戦うしかないからこそ、そうした支えが勝敗を分ける最後の要因
    にもなり得るのだ。萩野は平井コーチの問いかけでそのことに気づき、以降は自らの
    弱みも見せるようになった。
    ~~~~
    ☆ 萩野は ≪また〔瀬戸〕大也と競りたい≫と言ったように ライバル関係を持って
    います。

    けれども その対抗意識からチカラを出すことが出来たのでしょうか?

    好敵手であることと対抗意識を持つこととは 別です。
    対抗意識を持つこととそれを原動力とすることとは 別です。

    勝負にこだわる行き方を乗り越えられた。互いに同志や仲間であることが 推進力とな
    った。

      補足日時:2016/08/08 08:27
  • HAPPY

    ~~~
    でも:
    ★ 「ライバル」というキーワード
    ☆ なんてあるんですかね。

    主観ゲームをおもしろくしたいという或る主観がはたらいたのか そ
    のゲームに余分な≪意味≫を飾りつけただけだとは思います。

    だから 社会性にもとづく競争が 社会分断性を帯びて来て――格差
    がなければ あほらしいというヘンな主観が生まれ(ライヴァルどう
    しが共に お二階にアマアガリし そこで一階との違いを≪享受する≫
    ようになる)――社会が社会ではなくなる。

    この世界観としての一主観をぶつけたい。

    そういう趣旨の問い求めであるのではないのですか?



    勝ち負けというものが 二次的・三次的に派生した上っ面の≪意味づ
    け≫とその飽くなき追求に成り下がってしまった。――こう言いたい
    ということではないのですか?

    勝ち負け自体は 基礎の――人間の条件としての――社会性につきも
    のです。
    ~~~

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/08 16:30
  • HAPPY

    つまり いかにも政治家の言いぐさですよね。

    いつから そう成ってしまったのですか?

    (誕生日のあたりですよね)

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/08 16:55
  • どう思う?

    補足欄に引いて来た水泳選手の萩野の場合の事例。

    これについては いかがでしょう。

    別建ての質問のほうでも それについて直接にコメントする回答は
    ありません。

    よい参考例だと考えるのですが。よろしかったら お考えをのべて
    ください。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/08/09 04:33

A 回答 (10件)

>というご自身の主観真実が 真理である・または真理に近い。


と思って そのように述べておられるのですよね?

他ならぬ「わたしにとっての」=「わたしだけの」真理です。他の誰にも当てはまらない個人的真理です。
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この回答へのお礼

★★(回答№6) ~~~~~~~~~~
結論ー

 >そういう≪人格としての我が道とその過程におけるライバル発見≫説
 に立てば ライバルというのは いてもいいのですが そのライバル
 との対抗意識によって 自己の才能を開花したという事実は ない。

 >対抗意識ではなく 同志である・隣近所の親しくしている人がいる・
 相手のわざを盗む これらが 推進力であるのではないですか?

 >ライバル説は おかしい。

で、いいのではないですか。
~~~~~~~~~~~~~
☆ は 舌がすべったもので 本意でもなければ≪個人的真理≫でもない
と言い添えていただければ すべて完璧です。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/09 04:15

>つまり いかにも政治家の言いぐさですよね。



>いつから そう成ってしまったのですか?

>(誕生日のあたりですよね)

わたしは、(そして多分瀬里香さんも、)

No.8回答 

>僕には【ライヴァル】を普遍的に定義することができませんのでこれで退席いたします。

同 >【ライヴァル関係】もお互いを知ろうとするところからしか始まらないのぢゃないかな。始まった後、そのライヴァル関係をいつどこでどのやうに活かすかあるひは殺すかあるひは逃げるかなどは、人それぞれ、ということでよろしいのではないでせうか。

ライバル関係とはこういうものであるという一般化には関心がないのです。(瀬里香さんを巻き込むつもりはありませんので、これはわたし個人の意見です)

個人的にはライバル関係っていいもんだなと単純に思っています。それは先の「戦うとは「勝敗」をつけることか?」での、あほなさんの回答に寄せた通りです。

で、わたしはわたしの思うライバル観を述べただけです。

それにぶらじゅろーぬさんが、「それは違うのではないか?」と思われるのは、それは自由ですと申し上げています。

わたしにはわたしの、瀬里香さんには瀬里香さんの、ぶらじゅろーぬさんにはぬらじゅろーぬさんの「ライバル観」がある。それで済むことで、ライバルの一元的定義づけをする必要はないと思っています。

>でも たしか≪ライバルを持てるといいんだけれど≫といった趣旨の発言をなさっていましたよね?

そう思っていますよ。

でもそれはあくまでも、あくまでも、「わたし個人の意見」でしかないのです。他の誰の意見でもありません。

わたしが述べることができるのはあくまでもわたし個人の意見であって、「真理」ではありません。
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この回答へのお礼

というご自身の主観真実が 真理である・または真理に近い。

と思って そのように述べておられるのですよね?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/09 00:10

何度も失敬。






blueさんの【エロス】の質問にも書いたのだけどね、【ライヴァル関係】もお互いを知ろうとするところからしか始まらないのぢゃないかな。始まった後、そのライヴァル関係をいつどこでどのやうに活かすかあるひは殺すかあるひは逃げるかなどは、人それぞれ、ということでよろしいのではないでせうか。
僕には【ライヴァル】を普遍的に定義することができませんのでこれで退席いたします。



>ライバルって いいもんなんですかねぇ
:僕は善いか悪いかとかぢゃなくて、いや僕には善いものなのかどうか正直すみません分かりません。でもライヴァルが存在するということ自体を喜びます感謝します。念のため彼らは【敵】ではありません【対戦相手】です。



なんか書き忘れているような気がするのだけど、とりあへず送信します。僕の回答に明らかな間違いや矛盾があればご指摘をいただけると喜びます。


ちなみにぶらじゅろ~ぬさんも、勝手ながら僕のライヴァルです。
 
 
↑謝りません、はい。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

競技の場合におけるライバル論。これは 前回(№7)でやりました。


人間どうしの関係として ライバル視することはある。とも書かれて
います。

そうですね。人は 個人としてよく生きるということがありますし
共生においては 他人(ひと)を見てその印象や感想をわが身に引き
移して捉えようとしたりします。

つまり 好みに順序をつけますし その中からよいものをえらびます。

ここには ≪対戦≫しているという要素があります。
という感じですかね。



あと問題は ライバル関係よりも そこで持つことがある≪対抗意識≫
これのほうにあるかと考えます。

更には対抗意識が 原動力になるかどうか。

だいたいの答えを得つつありますが はっきりとしたかたちで問い求
めたい。こう思います。

お礼日時:2016/08/08 21:35

こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん。




今回のぶらじゅろ~ぬさんのご質問は、【ライヴァル】というものは【引力なのか斥力なのか】ということにこだわっているように感じます。僕は6年前にも【引力であり同時に斥力である】と答えました。今も僕の意見は変わりません。自ら【平衡状態】を破る場合がある、という点では賛同するという僕の答えも6年前と変わりません。

蹴落とすことがあるのは当然です。【あいつのやうになりたい!】と感じるのはライヴァルではありません。ドラえもんになりたい?スーパーマンになりたい?アンパンマンになりたい?そんなのはライヴァルとは呼びません。ただの願望です一方通行的な。ライヴァルになれるのは、【あいつを・超・え・た・い!】と望み悔し涙を流して地団太を踏んだときです。ですから【蹴落とす】ことは【あり得る】どころかむしろ【前提】です。ただししつこくて申し訳ないのですがそれは【枠の中で】に限ってです。ある枠の中でライヴァルに勝ったからといって【僕の対戦相手】という人間自体を見下すことはないでせう。誰でもそうでせう?もしかして僕だけがおかしいですか?

対立?敵対?もちろん行われますよ。火花が散ります。うかつに第三者が近寄ると火傷します。しかしライヴァル関係にある当人同士は火傷とか怪我とか鼻血とか骨折とかわりとどうでもいいんです。(ある枠の中における)対戦相手を越えることができるなら、そんなちっぽけなことはどうでもよろしい。僕は相手を超えたいと思っているときに、他のことを気にかけるほど器用ではありません。器用な人たちが存在するのだとしたら、祝福はしないけど、いいんぢゃね?って思います。



ご質問にもどります。 
>1. ライバルって どういうものですか?
:戦争や喧嘩と違って【敵】とは呼びません。あくまで【対戦相手】です。僕は俊寛湯沸かし器ですから【対戦相手】に対してこっそり地団太を踏んだり悔し涙を流したり腹を立てたり凹んだりすることはありますが、ライヴァルを【敵】と呼ぶことは今までもなかったしこれからもない。ライヴァルには感謝することができるだけです。



補足要求に対する回答になっていますか。回答になっているとしてどこがどのやうになぜ間違っていますか?僕が話せることはこれぐらいなんだけど。
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この回答へのお礼

ということは どうもゲーム・試合などルールのもとに競技を
おこなう場合における好敵手のことであるようです。

そういうライバルに限定して言っているようです。

ご回答をありがとうございます。

人格全体の問題は まづはゲームの外のこととする。というん
でしょうね。

勝負をするのが試合ですから そうなるのでしょうね。


という一般論は 成り立つのでしょう。



何か引っかかるかと言えば たとえば柔道などは その稽古や
試合における競技じたいについて 人間性が問われるかとも思
われました。

そもそも 人間を磨くために柔道という修行をやる。というこ
とをよく聞きますね。

高校野球だって 生徒たちの人格形成が主目的であると言って
いるかも分かりません。

だとすると ライバル関係・つまり特に対戦相手としてのそれ 
の場合にも 案外この人格修行の問題がからんで来るかも分か
りません。別と出来るかも分かりません。

つまり 言いたいことは その場合でも ≪対抗意識≫の問題
さらには その意識が才能を伸ばすかの問題 これがなお議論
の余地を残すのではないか。これです。

この問題は 別建てでも質問しています。

お礼日時:2016/08/08 21:26

結論ー



>そういう≪人格としての我が道とその過程におけるライバル発見≫説に立てば ライバルというのは いてもいいのですが そのライバルとの対抗意識によって 自己の才能を開花したという事実は ない。

>対抗意識ではなく 同志である・隣近所の親しくしている人がいる・相手のわざを盗む これらが 推進力であるのではないですか?

>ライバル説は おかしい。

で、いいのではないですか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

でも たしか≪ライバルを持てるといいんだけれど≫といった趣旨の
発言をなさっていましたよね?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/08 16:16

>≪ライバル関係=原動力≫説は きわめて狭い見方に立っているし その狭い領域においても 成り立たない場合もある。



>成功例とて ≪対抗意識=推進力≫説は 違うのではないか。つまり (α)。

回答にも記したように、わたしはビートルズと彼らと同時代に周囲にいた一部のポップスターたちのお話を、「ライバル関係とみられる一例」としてお話ししました。ですから当然のことながら、彼らのエピソードはひとつの事例であって、それを一般化して話す必要はないと思います。

ライバルをどうとらえるかは人それぞれでいいのではないでしょうか?

少なくともわたしは「説」も「論」も持ってはいませんし、ぶらじゅろーぬさんが、わたしの回答が、一般化され得る「ライバルの定義」のように思われているのなら、それはわたしの本意ではありません。

ライバル関係をどのように定義しようと、それはぶらじゅろーぬさんの自由ではないですか?

わたしは当質問中のわたしの回答へのお礼及び補足、そして新たな質問に挙げられた回答へのお礼及び補足内容について、何らの反論も持ってはいません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

疑問を湧かすほうが おかしい。・・・ということでしょうか。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/08/08 16:14

こんばんは。



質問の趣旨はあくまでも一般社会でのライバル関係ということで、わたしの挙げた、ポップスターたちの例では参考になりませんね。

そのうえで、更に「彼ら」の関係について考えてみると、一方が一方を蹴り落とすということについては、もともと強い個性を持った人たちですから、バンド内での確執や軋轢が生じる場合はあるようです。ですからときにバンドの主導権争いというものも生じますし、ギャラの多寡の問題で諍いが起きることも。
けれども、そういう関係を「ライバル」と呼べるかどうかは疑問です。
ライバルの関係の土台には相手をリスペクトする感情があります。

>この≪仲間・同志≫のことを ライバルと言うのだとは思っていませんでした。

ビートルズのジョンとポール、ストーンズのミックとキースは、明らかにそういう関係だと思います。

>そのライバルというのは 人としての存在を言うのではなく 音楽なら音楽というひとつの事柄について言う、となります。

彼らはバンドを通じての仲間であり友ですから、ジョンは、イコールジョンの作る曲であり、ポールはジョンの音楽的才能を認めることで、友であり、仲間であり、同時にライバルなのだと思います。
ですからビートルズの中で、「ジョン・レノン<マイナス>彼の音楽」ということは考えられません。
つまり音楽は彼らを結びつけている媒体ということです。

>ライバル関係になくても 好敵手がどこかに存在するのを知ったなら 対抗意識を持ち 向上心をより強く持ち得ると見られます。

例に挙げたイプセンとストリンドベリの場合は、友でもなければ同士でもない、けれども、イプセンは彼の戯曲家としての才能を知っているので、彼を好敵手と見做しています。実際に会いまみえたことはなくとも、同じフィールドの誰かを好敵手と見做すことは、よくあることだと思います。

>☆ プロになれなかった≪他のバンドを見下す≫ことはなかったのですか?

リンゴ・スターは、ビートルズ時代を振り返って、「ぼくは本当にラッキー・ガイだった」と言っています。
彼らは、自分たちの幸運を神に感謝することはあっても、彼らのように成れなかった人たちを見下すというようなことは聞いたことはないし、アカデミー賞の授賞式でも、壇上で際限もなく誰某へ感謝を繰り返すようなひとたちですから、それが音楽の世界であっても、映画の世界であっても、自分たちは幸運だったという意識がとても強いように感じます。負けず嫌いでライバル意識は人一倍強くても、それと、幸運に恵まれなかった人を見下すということには関係はありません。

>☆ ≪才能が枯渇した≫という場合があるのではないでしょうか? そういう場合には 相手がこけたら こちらもこけたという事例が出て来ませんか?

例えばビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、60年代後半に精神を病み、バンドを離れますが、他のメンバーは(もちろんブライアンがほとんどの曲を作っていたのですが)彼の曲を、彼がいなくても抜群のコーラスワークで演奏し、人気を保ち続けました。

ジョイ・ディヴィジョンというバンドの中心的存在だったイアン・カーティスが自殺したのち、残されたメンバーが、ニュー・オーダーというバンドを作って、ニュー・オーダーはまた一個の優れたバンドとして、活躍しています。けれども、すべてがそういうケースばかりではありません。

けれども、例えばビートルズ解散後、それぞれが個別に活躍したように、ライバルに共依存という関係は成り立たず、共依存にならない関係だからこそライバル足りえるのだと思います。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

なお疑問が ふつふつと湧いて来ます。

ご回答をありがとうございます。

ライバルに巡り合えてその同志のような好敵手とのあいだにシナジー効果
がもたらされこそすれ 才能の発揮を相手に依り縋ったり敵対心が同志ご
ころを凌駕したりすることはない。あり得ない。

こういった感じでしょうか。

★ ライバルに共依存という関係は成り立たず、共依存にならない関係だ
からこそライバル足りえるのだと思います。
☆ だとすれば 自己のチカラを伸ばし才能をよりよく発揮し得たという
のは ライバル関係がなくても 自分の努力の成果である。と成りません
か?

ライバルであるあいつには負けられないという対抗意識で 自己の向上心
を保つというのなら 明らかに依存していませんか?

自己の能力と努力という一本の我が道を行くところに好敵手を見つけたと
いうのであって ライバル関係が原動力になるのではない。
と見られませんか?

★ リンゴ・スターは、ビートルズ時代を振り返って、「ぼくは本当にラ
ッキー・ガイだった」と言っています。
☆ だとすれば 世の中の人みんなと ≪ライバル関係にあった≫と言って
います。そうなります。

そういう意味づけは――感謝することを別として―― ヘンですから 好
敵手と見た相手とライバル関係に成るということも 特別に取り上げるこ
ともない。

取り上げるとすれば 人格としてではなく 音楽の才能という一面におい
てなのでは? そしてそれは あくまで≪我が道≫を行く過程で見つけた好
敵手だったと言うに過ぎないのでは?

そういう見方で 次のライバル説に対抗し得ませんか?
★ ですからビートルズの中で、「ジョン・レノン<マイナス>彼の音楽」
ということは考えられません。 / つまり音楽は彼らを結びつけている媒体
ということです。
☆ ≪「ジョン・レノン<マイナス>彼の音楽」≫が成り立ってこそ その
分野でのライバル関係が成り立つ。

そういう≪人格としての我が道とその過程におけるライバル発見≫説に立て
ば ライバルというのは いてもいいのですが そのライバルとの対抗意
識によって 自己の才能を開花したという事実は ない。

対抗意識ではなく 同志である・隣近所の親しくしている人がいる・相手
のわざを盗む これらが 推進力であるのではないですか?

ライバル説は おかしい。

お礼日時:2016/08/08 04:35

>1. ライバルって どういうものですか?



当人がどう思っているかはわかりませんが、一般にライバルのような関係と呼ばれている人たちがいます。
例えばビートルズの、ジョン・レノンとポール・マッカートニー、そして、ビートルズと同時代に活躍していたローリング・ストーンズはビートルズのライバルと見做されていたし、アメリカのビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンも明らかにビートルズを意識していました。

>2. 敵ですか? 友達ですか? 並び立つものですか?

強いて言えば、並び立つ関係でしょうか。

>3. 邪魔にならないですか?

邪魔になるどころか、彼らはライバルの存在を常に意識し、対抗意識を持ち、あいつよりいい曲(作品)を作りたいという向上心を持ち続けることができます。例えばイプセンが、机の前にストリンドベリの写真を飾っていたことはよく知られています。「こいつには負けられない!」という対抗意識です。

>4. 変な見方をすれば 共依存の関係に落ち入ることはないですか?

共依存? もともとそれぞれが個人として優れた才能を持っている人同士の競い合いですから、彼ら個々人は誰に依存する必然性も持ちません。

>6. 固い絆があるのですか?

ジョンとポール、ストーンズのキース・リチャーズとミック・ジャガー、固い絆というよりも、ビートルズといい、ストーンズというバンドの仲間、同志という感じでしょうか?

>7. 相手を蹴落としてしまったという場合は ライバルではないのですか?

皆それぞれが才能あふれる人たちですから、蹴落とされるということは考えられません。

>8. ライバルどうしが〔首尾よく共に出世できて〕 同じ立ち場に立ってほかの人たちを下に見るといったことはありませんか?

ビートルズやストーンズ、ビーチ・ボーイズが仰ぎ見られる存在であっても、彼らが他のバンドを見下すというようなことは聞いたことがありません。

ちょっと例が特殊すぎましたね。一般社会のことについてはよくわかりません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 一般社会のこと
☆ と見なして考えてまいります。

★ 7. 皆それぞれが才能あふれる人たちですから、蹴落とされる
ということは考えられません。
☆ 蹴落とされることはないけれど 蹴落とそうとすることはある。
と解釈できますか?

★ 6. 固い絆というよりも、・・・バンドの仲間、同志という感
じでしょうか?
☆ この≪仲間・同志≫のことを ライバルと言うのだとは思っていま
せんでした。

≪友だち≫の中でも 学業で互いに≪好敵手≫だという場合があり得ます。
もしこういう事例でしたら ≪あいつは友でありそして数学では好敵手
つまりライバルだ≫という使い方になるようなのです。

ライバルは 人間関係の中の部分や一面を捉えた言い方なのでは?

ビートルズのメンバーは 四人組の≪仲間・同志≫であり ミュージシ
ャンとして好敵手である。と言えるとしたら そのライバルというの
は 人としての存在を言うのではなく 音楽なら音楽というひとつの
事柄について言うとなります。

さらに広げるなら ライバル関係になくても 好敵手がどこかに存在
するのを知ったなら 対抗意識を持ち 向上心をより強く持ち得ると
見られます。

ライバル関係になくても〔つまり 本人がそう意識しなくても第三者
から見て〕 並び立つ関係にあり得ます。

★ 8. ビートルズやストーンズ、ビーチ・ボーイズが仰ぎ見られ
る存在であっても、彼らが他のバンドを見下すというようなことは聞
いたことがありません。
☆ プロになれなかった≪他のバンドを見下す≫ことはなかったのです
か?

ちなみに
★ 「こいつには負けられない!」という対抗意識です。
☆ ということは ≪勝ち負け≫はある のですね。

★ 4. 共依存? もともとそれぞれが個人として優れた才能を持
っている人同士の競い合いですから、彼ら個々人は誰に依存する必然
性も持ちません。
☆ ≪才能が枯渇した≫という場合があるのではないでしょうか? そ
ういう場合には 相手がこけたら こちらもこけたという事例が出て
来ませんか?

つまり ライバル視したりライバル関係に共に入ったりすることは 
その人の人格や能力の余裕としてあり得ても そのことが才能を伸ば
す原動力になるのかどうか? まだ疑問です。ならない場合もあるの
では?

お礼日時:2016/08/07 04:17

人類は社会生命であり、他人が優れているという事は、


自分にとっても利益になることである。
ライバルというのであれば、自分の方がより相手のため
になる=互いに協力するという意味においてだ。
(そうであれば、「蹴落とす」という優越はあり得ない)
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こんばんは。

ぶらじゅろ~ぬさん。



6年前、僕の質問に対する回答としてライヴァルについての話がありました。僕は39番様にお礼と補足を書きました。今読み返すと恥ずかしいのですが。僕のお礼や補足が。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5921871.html



>1. ライバルって どういうものですか?
:ともに同じ目標を目指し励まし合う仲間。

>2. 敵ですか? 友達ですか? 並び立つものですか?
:横に並んでいます。だって後ろから追いかけるだとか先を行くという状況だとお互いの顔を観ることができないでしょう。師弟関係と違って横に並んでいます。さうしてお互い笑い合ったりこっそり悔し涙を流したりこっそり地団太を踏んだりします。

>3. 邪魔にならないですか?
:ムカツクことはあるし嫉妬したり羨望したり凹んだりすることはあるけど【邪魔】というのはちょっと違うかな。営業・販売・開発・接客などをするサラリーマンはもちろん、水商売でも化粧品のセールスレディでもそうだしコンビニやスーパーでもそうなんだけど、どこでも厳しいノルマがあるからねえ。グラフが壁に貼ってあるんですよたいてい。視覚的に分かりやすい棒グラフ。僕がライヴァルより線が短いときは単純に悔しい(?)です。悔しい(?)から布団にこもることもあるし、悔しい(?)からもっと張り切るときもあります。でも【邪魔】というのとはちょっと違います。お互い、自ら望んでライヴァル関係に【入った】からです。邪魔になるなら初めから【入る】ことをしなければよいのだし、【契約解除】なんてのはいつでもできます。邪魔になったらいつだって自分から降りればよいのだから。まれにライヴァルの成功を心から祝福できる人間がいます。僕には無理ですけどね。僕は【あいつの仕合せ】を心から祝福する能力が欠如していることを残念に思ひます。

>4. 変な見方をすれば 共依存の関係に落ち入ることはないですか?
:牽制球の投げ合いのことでせうか。それともライヴァルが居ないと張り合いがなくモチベーションを保つことができないということでせうか。

>5. 互いにコネとなって 仕事やちょっとした口利きのときに便宜を図る
といったこともあるのですか?
:あるだろうね。一緒に戦った仲間を【活かす】という意味なら。

>6. 固い絆があるのですか?
:そりゃもちろんあるでしょう。信頼関係の無いところにライヴァル関係は生まれません。そもそもこれが【1.】なのでは?順番として。

>7. 相手を蹴落としてしまったという場合は ライバルではないのですか?
:わざと蹴落としたのか、結果的に蹴落としてしまったのか、どちらのことを言っていますか。いえ、どちらでもよい。もともとライヴァルなのだからどちらかが蹴落とされるのは当たり前ですので。その後も交流が続くかどうかのほうが問題だと思いますが?

>8. ライバルどうしが〔首尾よく共に出世できて〕 同じ立ち場に立って 
ほかの人たちを下に見るといったことはありませんか?
:本当に競い合った仲間同士なら、競い合う人たちを一緒に見守ることができると思いますけどね。どろどろ昵懇して、密室でラブラブなお二階さんと違って。




ちっともまとまっていない、やへがきのまま送信します。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★1.ともに同じ目標を目指し励まし合う仲間。
☆ これって ≪ともだち≫ではないのですか?

★2.横に並んでいます。・・・
☆ これも ともだちや仲間のことであるように思えるのですが?

その中で 学業や能力が互いに同じ程度だとみとめあっている場合
を特にライバルどうしと言うのでしょうか?

でも それだと ≪対立≫も≪敵対関係≫もないということですよね?

それでいいのかなぁ。

★3. お互い、自ら望んでライヴァル関係に【入った】からです
☆ そうなんですか。一定の約束とか取り決めをするのですか。

★3. 邪魔になるなら・・・【契約解除】なんてのはいつでもで
きます。
☆ そういうしきたりがあるとは 精確には知らなかったと告白せ
ざるを得ません。

共依存は:
★4.ライヴァルが居ないと張り合いがなくモチベーションを保つ
ことができないということ
☆ です。

★5.一緒に戦った仲間を【活かす】という意味
☆ で互いにコネを持った関係になる。ですか。わたしの感覚では
ライバルというより 自然の・および義理の友だちや仲間であるよ
うに思います。

★6. 固い絆がある / 信頼関係〔がある〕
☆ そして それゆえに(1)のライバルの定義が成り立つという
ことですか。

どうも≪ライバル≫という言葉の問題でわたしは 迷っていたのかも
知れません。昔なら≪同志≫とかあるいは≪悪友≫と言っていたと思い
ます。

つまり:
★7. もともとライヴァルなのだからどちらかが蹴落とされるの
は当たり前ですので。その後も交流が続くかどうかのほうが問題だ
と思いますが?
☆ これは 悪友のことですね。同志の場合には 訳を言い含めて
蹴落とすのだと思います。

★8. 本当に競い合った仲間同士なら、競い合う人たちを一緒に
見守ることができると思いますけどね。
☆ でも蹴落とすことはあるんですよね。だとしたら:
★ どろどろ昵懇して、密室でラブラブなお二階さんと違って。
☆ というよりは そういう場合のほうが――首尾よく出世した場
合には――多いのではないでしょうか? そういう気がしますが。

★ やへがき
☆ って何ですか?

単純な感想だけをつらねたようになりましたが。

お礼日時:2016/08/06 22:32

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