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日本の天皇が、戦没者慰霊式とかの公式行事でも和服を何故着ないのですか。

A 回答 (4件)

結局のところ、明治維新後の新政府の流れがあるからでしょう。



現在の天皇の地位は「立憲君主制」と呼ばれるものになります。立憲君主制の最初の国はイギリスです。

この立憲君主制を選んだのは、明治維新で江戸幕府から大政奉還された新しい政府になります。いわゆる明治政府と呼ばれているものですが、彼らは「西洋に負けない、ちゃんとした国家」を造らなければなりませんでした。そうしないとアヘン戦争に負けて半植民地になってしまった中国と同じ道をたどることになるからです。

ですので、明治政府は「富国強兵」「産業勃興」などと「西洋化」を推し進めます。鹿鳴館などで西洋式の服を着てダンスを踊り、西洋料理を出して「日本も文明開化した国」とアピールしたのと同時に、軍隊も「西洋式」で進めました。
このときに天皇をはじめとした政府要人用の制服が作られたのです。これを「大礼服」と呼びます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A4%BC …

一説によると、天皇制に戻ったので武家式を嫌い「神武・神功の頃の姿」にかえろう、として「筒袖・細袴」である洋服を選んだと言われていますが、実際には国民を徴兵して軍服を着せるのに、元帥である天皇が和服(というか古い宮中のしきたりのまま)では具合がわるかったのだろう、とおもいます。

このようにして、日本の政府の公式行事の際の服装は「洋服」になっていったわけです。

戦後は大礼服も軍服もなくなりますが、昭和天皇は各地に積極的に御幸する際にモーニングを着用するようになります。背広のときもありました。

理由のひとつは、礼装にあたる和服が定められていなかったこと(もしするなら、皇室行事のような神主装束になってしまう)、ひとつは洋服のほうが便利だったからでしょう。
 また、昭和天皇は洋服を好み、和服はほとんど着なかった、という話もあります。

国には「外国の賓客を招いたときの服装や食事(晩餐会など)の決まり」があります。戦後の日本はイギリス式にモーニングにしました。欧米のスタンダードなものにあわせたのです。これにより、皇室の正装は現在でも洋服、ということになります。
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この回答へのお礼

詳しい解説有難うございました。

天皇がモーニングで皇后が和服の合わせを見ましたので質問してみました。

お礼日時:2016/08/22 20:44

皇室の正装は洋装だからです。



現在の和服の正装つまり黒紋付袴というのは武家文化から発したものです。
それを天皇が着るのはいかにも陳腐です。
婚礼等の宮中行事では公家文化発祥の束帯を着ます。
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この回答へのお礼

深夜のご返事有難うございます。

お礼日時:2016/08/22 20:37

日本の皇室は、イギリス王室を見習った要素が大きいのです。


服装は特にそうで、皇后や皇太子妃殿下などは公式の場で帽子を
かぶっておられますが、それはイギリス王室に見習ったものです。

それに引き換え、和服は日本本来のものではなく中国から伝わりました。
呉服とも言いますが、これは呉の国の服という意味です。呉越同舟の呉ですね。
日本人は、中国などのアジアの国を見下して、欧米にあこがれる傾向があります。
国賓を招いての宮中晩さん会ではフランス料理を出します

日本国民の象徴である皇室が、中国よりもイギリスを模倣しようとしても
不思議ではありません
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この回答へのお礼

ご返事有難うございます。

お礼日時:2016/08/22 20:36

和服が必ずしも正装ではない行事もあるからでは?

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この回答へのお礼

ご返事有難うございます。

お礼日時:2016/08/22 20:34

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