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最近、東国に関する歴史の中で蝦夷が挙げられることがありますが、彼らは遊牧民の末裔で、モンゴルのように組織的に騎馬弓兵を展開する戦闘能力があり、機内や九州の兵を圧倒し、後に彼らの武器や甲冑、馬具が武士の装備になったというのは本当ですか? また九州の阿蘇や宮崎の霧島等は蝦夷が移住してから馬産地になったのでしょうか?いろいろ知りたいので教えて下さい。

A 回答 (2件)

最近のDNAや骨格の研究から、研究者間で諸説あっても、概ね北方から島伝いに遣って来たと言うのは共通。


DNA研究でも明らかに大陸系のDNAではありません。
また、縄文時代には既に北海道に人が定住していた事も分かってきています。

となると、狩猟の民である縄文人は北から遣ってきて、農耕の民である弥生人は大陸から遣って来たと考えるのが自然ではないでしょうか。
実際、韓国人と日本人では、韓国人の方が漢民族のDNAを持つ比率が高いとの研究結果もあります。
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モンゴル人が馬を扱いだしたのは、北海道あたりに人々が移住してから、はるか後のことですので、モンゴル人が馬に乗って北海道に移住してきたわけではありません。


ただ言語学的には、西からトルコ人、モンゴル人、そこから北東のツングース系に原アイヌ人、南東に朝鮮・日本人、が大雑把な1グループだと考えられています。
モンゴル人に近いというなら、日本人のほうが近いのかもしれません。蒙古斑もありますしね。

日本刀は、東北から見つかる蕨手(わらびて)刀というものが、反りがあるなど日本刀の原型が見られ、これから発展したのではないかと言われているようです。ただ初期から刀の名産地は吉備(岡山)だったりしますから、この辺りのつながりは私はよく分かりません。
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