昔、だいぶ前のことだから昔、週刊朝日の連載記事で「日本語相談」と云うのがあって、読者の投稿してきた質問に4名の回答者が答えてました。
回答者は大野 晋・丸谷才一・大岡 信・井上ひさし、の各氏です。
この連載記事を朝日新聞社がペーパーバックで5巻にして発行したのが1992年の11月だから、大昔です。
その第5巻には67の質問と回答が有り、その中の一つがこの質問のタイトルに取り上げたものです。
「うれしかったです」は間違いか
この疑問の投稿者は小学生の娘を持つ親で、娘の学校に提出する作文や日記の、「とてもうれしかったです」や「とてもおいしかったです」などの表現が、かならず、「とてもうれしいでした」や「とてもおいしいでした」と訂正されてくるから、と云うものでした。
そして、この質問の回答者となった井上ひさし氏は、幾つかの形容詞を取り上げて例文とし、そして比較してなじみのある云い方も厳密にいえば会話体なので、文章では「うれしいと思いました」と書けばだれからも訂正されないと思います、と結論されてました。
この結論に不満を持ったからでしょうか、遠い昔のことで、それに記憶力の乏しい私は眠気も加わって、今はっきりとは思い出せませんが、この疑問だか不満だかを投書したのです。
この書籍には、こうした記事に5名の投稿があると云うことは異例だとありました。本文の下に投稿者はどこの誰それと名前が載っていて、だから私の名前も載っちゃっていて、その時は「やばい」なんて思ったものです。
皆さまならどのような回答をしますか。
形容詞と形容動詞との違いなどを含めた意見が聞けるといいと思っていますが。
「うれしい」が「うれしかった」になると形容詞が形容動詞になるのかな?
よろしくお願いいたします。
No.20ベストアンサー
- 回答日時:
★(補足欄) ~~~~~~~
客観的と主観的、な表現。
うれしかったです、は主観をそのまま表現している。
うれしいと思いました、は自身の気持ちを客観視している。
うれしいでした、も客観視している。
なぜか、文法には「主観・客観」という表現が見当たりません。
~~~~~~~~~~~
☆ 《主観・客観》という切り口は あまり馴染みません。と思います。
どなたかの回答にあったと記憶していますが
・ うれしいと思いました
は 感性での表情のほかに理性による認識を加えているというものです。
《~~と思う》というのですから それも話し手の《主観》の表明です
よ。
★ 関西方言の文章語・会話体
☆ 関西語圏で育ったのですが 関東語圏との境界でもあったせいか
関西弁について細かく訊かれると たちまち詳しくは分からないとなり
ます。
アクセントの問題で分かれて 関西圏に属すといった程度だったのかも
知れません。
《方言の問題》と言えばそうなのでしょうが この《うれしいでした》
については 特に文章語ですし どの地方の方言の中から出て来たとし
てもおかしくない。
どこにでもそれを初めに言い出したという可能性があると考えられます。
関西弁で《うれしくあります》は 次のように言うらしい。
・ うれしうおます。
▲ (三省堂 大辞林:おます) ~~~~~~~~~~
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%81%BE% …
△ おま・す ~~~~~~~~~~~~~~~
( 動サ特活 )
① ある,いる,の意の丁寧語。ございます。あります。
「おつれでも-・すかいな/滑稽本・膝栗毛 5」
② (補助動詞) 形容詞の連用形,助動詞「で」などに付いて,丁寧
の意を表す。…(で)ございます。
「そりやおうれしう-・すわいな/滑稽本・膝栗毛 8」
△ おます、おま(っ) ~~~~~~~~~~~~
大阪弁: おます、おま(っ)
訳語: あります、;おります、;ございます
解説: 「暑いです」のように形容詞に直接「です」が続くものは、
「暑うおます」と連用形でつなげる。
終止形では「おま」と縮むこともある。過去形は「おました」。
京都では「おす」、奈良で「はす」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
《おます・おす・はす》の成り立ちについては まづ 《います》から
来ています。
▲ (三省堂 大辞林:います) ~~~~~~~~~~~
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%84%E3%81%BE% …
い ま・す 【在す・坐す】
一 ( 動サ四 )
① 「ある」「いる」の尊敬語。いらっしゃる。おありになる。
「万代に-・し給ひて天の下申し給はね朝廷(みかど)去らずて
/万葉集 879」
・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 次の経過だと見られます。
1. います:いらっしゃる。おありになる。
☆ 語源・語根不明。すでに尊敬語となったかたちである。
2. おほ‐います(大⇒御)‐います:いらっしゃる。おありになる。
☆ さらに《おほ(大)⇒お(御)》をつけて尊敬をかさねた。
3. おほいます > おおぃます > おおます > おます
> おす
4. おほいます > おほーます > おほーあす > おほあす
> おはす > はす / おす
☆ 参照:
▲ おわす; おはす 【御座す】 ~~~~~~
http://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E3%82%8F% …
( 動サ変 )
① 「ある」「いる」の尊敬語。おいでになる。いらっしゃる。おあり
になる。
・「故上-・せましかば…と思しながらも罪を隠い給はまし/源氏 夕霧」
~~~~~~~~~~~~~~
お粗末でした。
お粗末、どころかここ哲学カテならではのマンツーマン型式でのご教授、とても有り難く思っています。
これだけの知識をアッと云う間に仕入れることができるのですから。
いや、ほんとにおもしろいです。
みんな日本列島人、なんですね。
No.19
- 回答日時:
No.15の1つめのお話は素敵でした。
特に例外「でしょう」の存在に触れた部分が気に入りました。
リンク先の該当部分も引用しておきたいので再掲:
Q07「美しいです」「大きいです」は正しい言い方か - 教育出版
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/ko …
>それまでの文法書や国定教科書『中等文法』などでは,「です」は体言と
>助詞「の」にのみ接続し,動詞・形容詞にはつかないと説明していた。
>(ただし,「です」の未然形に推量の助動詞「う」のついて「でしょう」の場合は
>例外とされ,「美しいでしょう」「大きいでしょう」は認められていた。)
同様に「うれしいだ」とは言わないものの、
「うれしいだろう」とは言えました。
いま私の考え方は、およそ機械的に現代の文法構造から入って、
印象その他については後回しで検討させてもらってますが、
この比較的伝統的な用法「形容詞(+た)+でしょう」を根拠として、
これを例外扱いしないで「でしょう」→「です」の復元を可能と考えれば、
シンプルに「形容詞(+た)+です」を導けると思いました。
★「うれしかったでしょう」→「うれしかったです」
これで「うれしいでした」はどうでもよくなります。
この理屈で「動詞(+た)+です」も受け入れられそうです。
★「行ったでしょう」→「行ったです」
こう考えてくると、あとは使う人の習慣の問題です。
私達が慣れるのは難しいかもしれませんが。
なお「うれしいでした」が間違い扱いされることについて、
私関西人ですが、聞いたことないので特に抵抗感はないですね。
「うれしくあります」→「うれしかります」<No.18
これは画期的ですね。
「うれしがります」と紛らわしいきらいはありますが。
是非使ってみたい気がします。通じるでしょうか?
いっそ、形容詞の活用語尾をこう改めればいいと思います。
現状=「かろ|かつ・く(う)|い|い|けれ」
改訂=「かろ|かつ・く(う)|かる|かる|けれ」
ちょっと古風な響きになります。
「うれしい」は廃止して「うれしかる」と改めます。
敬体は「うれしかります」「うれしかりました」。
例外「うれしいでしょう」は廃止して「うれしかりましょう」。
使われにくい未然形「うれしかろう」も積極的に使いましょう。
かえって意味不明なことになって混乱しそう(笑)。
文法。
面白いです。
今は、どなたの回答も"間違い"では無いと思っています。
それにしても、学問と云うのは私なんぞ入り込む余地がないほど、緻密で詳細に分析・研究されているんですね。
一旦は、言葉が自然に文法を作るなんて思ってはみたのですが、文法に即した適切な表現を模索して好ましい言い方を広めようとする事は、教育やマスコミを通して行われているんですね。
そう思うと言葉の乱れ、が現実にあるならば当事者の努力不足では?なんて思ったりもしました。
大衆に迎合するマスコミの悪いところ、でしょうか。
また、うれしい・楽しいと云った形容詞と、それに籠る主観と客観。
これを、補足欄でちょっと触れてみようと思います。
有り難うございました。
No.18
- 回答日時:
★(№1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
形容詞としての「うれしい、美しい」をそのままで使うことはあるのでしょ
うか。
もしあれば「形容名詞」とでも言いたくなります。
形容詞は活用させて使うから、言葉としての役目が働き始めるのでは、なん
て思ったりしました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この問題は
☆☆ (え) ? うれしくありました。
☆ の問題ですね。そしてこれについては №6 oozora2000 さんがおしえ
てくれた別の質問へのベストアンサーが 答えています。
◆ 【Q:嬉しいでした、楽しいでした、悲しいでした・・・この日本語はお
かしい?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4265690.html
(その回答№7) ~~~~~~~~~~~~
本来「楽しくありました」という形を共通語に定着させるべきだっだのです。
・・・
する/します/なさいます
ある/あります/ございます
楽しい/(楽しくあります)/楽しゅうございます
この「楽しくあります」は二昔前の兵隊さんの言葉のようで、共通語の中で
使うことができません。
先人が形容詞に動詞並みに助動詞が接続できるように「カリ活用」(補助活用)
を生み出したのですが、口語確立時に「楽しかろう」の未然形、「楽しかっ
た」の連用形促音便しか継承されませんでした。
「背は高からず低からず」、「一言あってもよかりそうなものだ」、「楽し
かるべき修学旅行が…」、「幸多かれと祈る」などの言い回しに生きながら
えているだけです。
「楽しかります」が無理なら、一段階溯って「楽しくあります」の形を活か
すべきでした。
否定文では「楽しくありません」が共通語として通用するので、「楽しくな
いです」という誤形を回避できます。
・・・
副助詞が挿入されるときも「嬉しくはありますが、恥ずかしくもあります」
のように言うことができます。
肝腎の基本形のみ「嬉しくあります」が共通語としては使えないのです。
その結果、日常会話においては「嬉しいです」を“平明簡素”な敬語表現とし
て容認せざるを得ないというのが現状です。
~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この解説が 簡潔明瞭だと思います。
そしてさらに ひと言付け加えるとすれば 次のような変則的な解釈が出来
るかどうか・・・なのですが。
(え-past) ? うれしくありました。/ うれしくあった。
(え-present)? うれしくあります。 / うれしくある。
↓
(え‐past 話し言葉化) うれしかった。
(え‐その丁寧語法) うれしかったです。/ うれしかりました。
(え‐present; colloq.) うれしかぁ。(九州方言?)/ うれしかぁです。
No.17
- 回答日時:
「うれしくなりました」がありましたね。
<No.10丁寧過ぎて使うに使えない「うれしゅうございました」ですが、
受け入れやすいという意味ではこれが一番のように思います。
そこでこれを平易に戻すようにして、
「うれしくあります」「うれしくありました」
これNo.1でも挙げられていましたね。あらためてどうでしょうか。
「高くあります」「おいしくありました」「軽くあります」「重くありました」
面倒くさい言い方(笑)。
でも「うれしくありません」と言うこともできるんですよね。
ところでNo.7のお答えの「うれしいだ」なんですが、
確かに「だ・である調」を考えれば、何も付ける必要なくて、
そのまま結んでいいわけですよね。
★作文例(だ・である調)
現在:今日は運動会だ。とてもうれしい。
過去:リレーで1位になった。とてもうれしかった。
ここから、形容詞の結びに「です・ます」は不要じゃないか。
という考え方もできるのかもしれません。
No.9のお答えの「生の感じ」も、このことが視野にありますか?
これ考え方として一定の妥当性を認めてもよさそうで、
悪くないと思うんですが、ただ実践してみると、
直感的にアンバランスな印象を拭えないんですよね。
★作文例(です・ます調)
現在:今日は運動会です。とてもうれしい。
過去:リレーで1位になりました。とてもうれしかった。
私も小学生のころ、遠足なんかの後に作文を書かされると、
何時に起きてトイレに行って顔を洗って・・・と、
時系列で無駄な情報を書き並べてました(笑)。
日記の場合は、その日の事実を記録する目的もあるので、
あまり否定する必要のない記述様式だとは思います。
面白く盛り上がった質問になりました。
私は特にはお礼を必要としませんので、よろしくお願いします。
No.16
- 回答日時:
№11を継ぎます。
(α) うれしいです。
: 《いまわたしには うれしさがある》と伝えようとしている。
(α-1) うれしかったです。
: 《あの時わたしにはうれしさがあった》といま伝えようとしている。
(α-2) うれしいでした。
: 《わたしにうれしさが起きる》ことが過去にありましたといま言っている。
・・・ですかね。
《です》による現在時における断定は 《うれしい》という認識あるいは知覚そ
のものを相手にも共有して欲しいというまでの余韻が語気にある。か。
これが 《でした》と過去形になると 伝えようとしている中身――《うれしい》
――が その断定の語気としては・いま現在時のこととしては 消える。か。
《あなたのおかげで わたしはそのことが出来て うれしいでした》と満面に笑
みを浮かべて感謝の気持ちを込めて言ったとしたら どうなのか?
《そのいま うれしいと思っているかどうか》が分からないままではないであろ
うか。
どうなんでしょうね。
しかるべき当局が決めるのではなく――指針を出してもかまいませんが―― わ
れわれ一人が〔文法などは 後追いで追認してくるものだと見るくらいに自由に〕
決めて行ってよいと考えます。
ことばは そのようにして 変遷して来ているものと思います。
No.15
- 回答日時:
一部、他の方と重複するかもしれませんがご容赦を。
1.
まず、話を進めるための前提として、ご存知でもありましょうが、昭和27年4月14日までは「うれしいです」のような【形容詞+「です」】という表現は不可とされていました。
それまで、「です」は体言と助詞「の」のみに接続するものと限定されていて、「うれしい」という形容詞の場合「うつくしいのです」ならOKだった。
ただ、「うつくしいでしょう」【「うつくしい(終止形)」+「でしょ」(「です」の未然形)+推量の助動詞「う」】という表現は元から例外的に認められていた。
しかし、「うつくしいです」が人口に広く膾炙するようになった結果、文化庁国語審議会でも、これを認めて、正式に学校教育にも導入されることとなったわけですが、ここまでは下記サイトの説明のほうがわかりやすいと思いますので、ご参考に。
http://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/ko …
現在でも違和感を申し立てる方もおられますが、それもまったく根拠のないことではないということになりそうです。
2.
さて、「うれしいです」が認められている以上、「うれしかったです」も当然認められます。
丁寧の助動詞「です」は<体言、副詞、形容詞、一部の助動詞の連体形、助詞「の」に付く。>と大辞泉にも記されている。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/151501/meaning/m1 …
念のため品詞分解しておきますと次のようになります。
【「うつくしかっ」(「うつくしい」の連用形)+「た」(丁寧の助動詞「た」の連体形)+です】
ということで、助動詞の連体形に接続しており問題ありません。
ですので、「とてもうれしかったです」を、わざわざ「とてもうれしいでした」に訂正する方の意図が全く理解できない、というのがわたしの率直な感想です。
3.
逆に「とてもうれしいでした」こそ(感覚的には)間違いだとわたしなら断言したいぐらいの気持ちなのですが、闇雲に間違いだと主張しても意味がないので、両者の差異について考えてみることにしました。
2では
<「うれしい です」が認められている以上、「うれしかった です」も当然認められます。>
と述べたわけですが、では、
<「うれしい です」が認められている以上、「うれしい でした」も当然認められます。>
と言って良いのかどうか、ということです。
感覚表現の「うれしい」という形容詞を過去形にするのか、丁寧表現の「です」を過去形にするのか、ということでもある。
丁寧表現というのは、相手(聞き手・読み手)がいてはじめて使用する意味のある言葉ですが、このことも念頭に比較してみますと、概ね、次のようなことが言えるのではないかと思います。
A.「とてもうれしかったです」⇒過去を振り返って「(あの時)わたしはうれしかった」と相手に伝えようとしている。
これは、話者が現時点に立っていればこその視点です。現時点に立って相手に報告している状況。
B.「とてもうれしいでした」⇒過去の感覚を再現させて「わたしはうれしい とあのとき感じました」と相手に伝えようとしている。
こちらの場合、話者は過去の時点に立っている(言ってみればワープしている)ことになります。つまり、B の場合「とてもうれしい」と言う時点で自分だけの世界に没入してしまっているわけです。たとえば、「とてもうれしい出来事でした」のように「出来事」を修飾しているのであれば違和感は生じないはずですが、「感覚それ自体」が一人歩きしてしまっているため、そこに丁寧の助動詞を付加されても唐突な印象を与えてしまう。
しかも、自分の感覚を過去形にしなかった、という理由で、聞き手に対する丁寧語を過去形にする必要性を生じさせているわけで、言ってみれば聞き手に対して失礼な話。
ここで前掲いたしました大辞泉の例文をひとつお示ししてみたいと思います。
「その少女 (むすめ) はなかなかの美人でした」〈独歩・牛肉と馬鈴薯〉
これは、B のパターンですね。
こちらの場合は逆に「美人」という過去の事実を再現させて聞き手と共有しようという意図があることになるでしょう。
仮に、これを、
「その少女 (むすめ) はなかなかの美人だったです」
としたらどうでしょうか。
A のパターンなわけですが、過去を振り返って「美人だった」という自身の感覚を独り占めしようとするニュアンスになることでしょう。
このように、丁寧語も時と場合に応じて使い分ける必要があるわけですが、そもそも「うれしい」という(特に自身の)感覚は「美人」という事実とは異なり時制が絡む言葉です。
「です」という相手への丁寧語を過去形に追いやってまで「うれしい」という過去の時点での自らの感覚を再現させようとしている点が違和感を与えてしまう最大の要因なのかもしれません。
No.13
- 回答日時:
No.6です。
色んなことを言う方がいるようですが、NHKで検索してみました。
最近気になる放送用語:
「楽しいです」「大きいです」という言い方には、やや違和感を持ちますが、正しいのでしょうか?
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term …
ここに書いてあるように、かつては「楽しい」などの形容詞に「です」を付けることはなく、「楽しゅうございます」などの言い方をしていたが、長すぎるので、現在は許容されているし、過去形にしても、「楽しいでした」より、「楽しかったです」のほうが、普通の言い方だということです。
大体、今時、「楽しゅうございます」なんて馬鹿丁寧だし、「楽しく思います」も持って回った言い方!
「楽しかったです」、「うれしかったです」で何が悪い?
子供達や大人だって、どんどん使えばよい!
ただ、飲食店などで、「よろしかったですか?」と過去形の疑問形で聞かれるのには、どうにも我慢がならない!
「よろしいですか?」とどうして言えない?
今後、「よろしかったですか?」と聞かれても返事をしたくない!
正常な感覚、だと思います。
ただ、返事をしたくない"文句"は、未来形と過去形と言う違いがあるように思います。
有り難うございました。
No.12
- 回答日時:
ご質問を読んで、小学校の頃に娘が書いた、夏休みの日記を思い出しました。
彼女の日記は、”今日は八時に起きて、朝ご飯を食べて、あれをして、ここに行って、帰ってきました。”といった、文才のかけらもないものでした。そして、最後の決まり文句が”It was fun."。。。この、決まり文句が、ご質問の”嬉しかったです。”に匹敵するように思いました。
もし現在形であれば、”It is fun."となり、”嬉しいです”と構文が似ることになります。Be動詞+形容詞ですね。日本語ですと、形容詞+Be動詞に働きが似ているように見える”です”を足して文章を作ってしまう。This is a pen. I am a nurse.で育った世代には、違和感を感じろ、というのは、難しいかもしれません。
嬉しいが、嬉しかった、になると、何かしら、動詞的に聞こえるように、私には思われます。英語に耳慣れているかもしれませんが。
もし、嬉しいです、を添削するのなら、”一人でゆっくりと温泉に入るのは、格別、嬉しいものです。あたりかもしれませんが、会話文であれば、”嬉しかったです”が、十分市民権を得ているように思われます。文章にするならば、”かったです”の部分が未熟なので、文脈に気を付けて、もう少し滑らかにしてあげたいですね。
私には、”半端ない”や、”真逆”のほうが、どうしても耳慣れない感じがします。
No.11
- 回答日時:
(α) うれしいです。
_________________________________
1. 〔もちろん 話し手が そのいま みづからについて言っている〕
2. 状態の内容:うれしい
3. 状態の時点:いま(話している時)
4. 断定の時点:いま(話している時)
☆ この文の過去形は 次のどっちか?
(α-1) うれしかったです。
(α-2) うれしいでした。
☆ 互いに違いがあるように思われました。
・・・・・(α-1) うれしかったです。// (α-2) うれしいでした。
____________________________________
2.状態の内容:うれしい・・・・・・// うれしい
3.状態の時点:過去の或る時・・・・// 特定せず文脈や他の語句で特定する⇒過去の或る時
4.断定の時点:いま・・・・・・・・// 過去の或る時〔としてその現在 断定している〕
☆ 項目(4)の違いで 意味合いが異なるか?
(α-1)も(α-2)も いづれも過去の或る時点で《うれしい》状態であったことに変わりない。
そして(α-2)は 話し手がいま表明しているその現在における判断の中身として 《うれしい》
についての時点は 《過去》だと重ねて認定するかたちになっている。
《いま》は もううれしくなくなったとは言っていないが その可能性を否定してもいない。
(α-1)は 現在時における断定をえらんでいることにおいて ぎゃくに過去のうれしい経験が
いまにまで続いているという可能性を 含みにおいて持つ。
ただし (α-2)と同じく 現在ではうれしくなくなったという可能性を否定したわけではない。
《現在では うれしくなくなった》というとき
(ⅰ) 現在では ふつうの気持ちでいる
(ⅱ) 現在では――じつは逆の事態が起きてしまって――うれしくなくなっているし いやな
気持ちを持つようになっている。
の二つの可能性があると思われます。
☆ こう考えるとき どちらかと言えば《(α-1) うれしかったです。 》のほうが推奨される。
こういった問題は 社会言語学が扱うものと思いますが これまで腰を据えて取り組んだことは
なかったものですから わたしは今回ぶっつけ本番です。
先にも感想を述べましたが、方言対標準語、ではないかと思い始めています。
方言には方言の文法があるように思うのです。
有り難うございました。
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まさかこんなにたくさんの回答と、多彩な意見をいただけるとは思ってもいませんでした。
とてもうれしい・・・・、
うれしかったです、と云うと過去のことになるなぁ。
うれしいでした、と云っても過去形だよねぇ。
ここはやっぱり、うれしい・・です。
・・・と、現在形、或いは進行形で云いたいですね。
少しでも多く今日のうちに、それぞれいただいた回答にお礼をしたいと思ったのですが、どうやら私には手に余る事柄になってきたようで、安易には出来なくなりました。
回答者の皆さんにとっては私の感想などより、他の回答の方に魅力を感じているのではないでしょうか。
そう思うので私自身は、いただいた回答を通してこの件に付いて、もう少し考えてみたいと思います。
ありがとうございます。(←現在進行形のつもりです)
今は、皆さんの沢山の回答を見て猛勉強❓しています。
回答者さん同士の意見交換があると、もっと刺激を受けられるような気がするのですが、無理かなぁ。
もっとも今のままでも、十分に幸せですが。
有り難うございます。
今、まさに勉強中、です。
いただいた回答に、コメントを寄せながら。
関西の方々に問いたい。
うれしいでした、が文法として間違っていると見られているとしたら、このまま黙っていて見過ごしていてもいいんでしょうか?
うれしかったです。と、うれしいでした。
うれしかったです、は標準語。うれしいでした、は方言。と結論します。
方言としての"うれしいでした"を、標準語文法で扱っているのが皆さま。
質問に登場する学校の先生は、たぶん関西出身の人だったのでしょう。
今、思うところはうれしかった、は会話体をそのまま文章にしたもの。
うれしいでした、はたぶん関西の文章用語。
関西の人は文章用語として使う"うれしいでした"という表現にあたる会話体はどう表現するんでしょうか。
客観的と主観的、な表現。
うれしかったです、は主観をそのまま表現している。
うれしいと思いました、は自身の気持ちを客観視している。
うれしいでした、も客観視している。
なぜか、文法には「主観・客観」という表現が見当たりません。
今日、締め切らせていただきます。とても勉強になりました。
私の結論に意見をいただけるとさらにうれしい、です。
品詞の中でも形容詞は結構"問題詞"のようですね。
とても面白いです。
古文とのつながりとか、方言との関係とかを知ってみたくなりました。
まあ、どこまで勉強できるか分かりませんが、趣味として生涯学習的なものにしてみようかな、と思います。
れる、られる、の問題とかも。
食べれる、と、食べられる。
私は食べれる、が云えないですね。
有り難うございました。