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次のような文でtemporalといった場合、どういった意味なのかうまく日本語に概念化できないでいます。
・It is lived duration that is thoroughly "temporal".
・Memory thus can never be a simple representation of the past but should be viewed temporally.
単に「時間的」でいいのかなと思ったりするのですが、「かつての自然科学の時間はnon-temporalだった」などという表現もあり、ベルクソンの「持続」に通じる何らかのニュアンスがありそうなのですが、うまく日本語にならないものでしょうか。
時間論についてのとある訳書では、temporalが「継起的」と訳されていたのですが、それだと一つ一つの分割可能な時間が継起するみたいでいまいちな感じがするのですがどうでしょうか。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
示唆に富むお礼欄と補足欄の文章、どうもありがとうございました。
読んでない本ばかりで、大変興味深かったです(ただ、ハイデガーの『現象学と…』の訳は、もう少し日本語で書いてください、と訳者の方にお願いしたくなりましたが…。一応『存在と時間』も買ってるんですよね。背表紙眺めてたら、そのうち頭に入ってくるんじゃないか、と儚い期待をしているのですが…そんなわけはないか)。
さて、『意識に直接与えられたものについての試論 ――時間と自由』を読みました。
で、ですねぇ。内容について誤解してたんです。
#1の回答も違ってます。ごめんなさい。
まず、ずっとこの本はベルクソンの時間論だとばかり思っていたのですが、違ってた。
冒頭、いきなり
「われわれは、自分の考えを表現するのに必ず言葉を用いるし、また、大抵は空間のなかで思考する。言い換えるなら、言語は、われわれの抱く諸観念のあいだに、物質的諸対象のあいだに見られるのと同じ鮮明ではっきりした区別、同じ不連続性をうち立てることを要請する」(『意識に直接与えられたものについての試論 ――時間と自由』ちくま文庫)
という文章から始まります。
言葉によって、つまり空間化してとらえることは、たとえば科学にとっては必要だけれど、空間を占めないものについても(つまり「自由」などの抽象的な概念)空間の中に併置しようとすることで、結局は誤った議論を引き起こすことになっているのではないか、という。
たとえば、本来、感覚の「質」として理解すべきところを、ある感覚がほかの感覚の「二倍」強い、という具合に、「量」として理解しようとしている。
同じように、本来、空間的な拡がりをもたない「持続」を、「同時性」や「並置性」に置き換え、時間は空間に、精神は物質に、自由は必然に。
つまり、ベルクソンはこの著作で、本来的には空間を占めないものごとが、言葉であらわされることによって、私たちの意識に直接与えられているものごとの姿と異なったものになっていることを明らかにしようとするものだったんです。最終的には、「自由」というものを明らかにするために。
とくにベルクソンは「持続」ということを、ことさらに一章を設けて、丁寧に考察します(時間についてではないことに注意)。
私たちは空間の観念に、あまりに慣れ親しんでいるので、「持続」ということを考えるときも、不断に「空間」の意識を紛れ込ませたまま考えてしまう。
けれども、外在的なできごとは、空間を占めるけれども、意識のうちにおこることがらは、「時間のうちで展開される」のです。
時間のうちで展開される、というのはどういうことか。
「持続」ということを理解するために、ベルクソンは「継起」ということを引っ張ってくる。
継起(=succession)には二種類の相がある。
純粋な継起というのは、おこったできごととできごとのあいだに、分離が生じず、順番もない。点と点のように並置されるものではなく、融合し、有機的な連関を持ったものです。
それに対して、事象のあいだに順序が設けられ、並置されているのは、空間化された継起です。
ところが、あらゆるものごとっていうのは、引き続き起こるんです。
「一連の出来事」というような括りで理解できるのは過ぎ去ったことだけ。
また、このできごと、あのできごと、と区別できるのは、ひとつのできごとをほかのことから切り分けているから。つまり、過去のことなんです。
過ぎ去ったものごとはこのように、順序をもち、個々別々に認識される。
けれども、いまを含む未来は、このような認識のされ方では意識されない。
あんなこと、こんなこと、なんて、想定することもできず、ただ漠然とある。
起こる順序もつけられないし、渾然一体としています。
つまり「継起」というのは、ものごとが起こる、というただそれだけの意味なんです。
ただ、「ものごとが起こる」と言ってしまうと、なんとなく一回きり、みたいになっていくでしょう?
あらゆるものごとは「継起」として起こってるんです(ヘンな日本語か)。
そして、過去において理解されるのではない、「純粋な継起」とは、すなわち、持続にほかならないんです。
というわけで、#1では、「継起」と「持続」は異なる概念である、と回答してしまいましたが、ちゃんと読んでみたら、全然違ってることがわかりました。ごめんなさい。
さて、このサイトでは英訳版が読めるので、日本語訳と対比させて見たんですが、
http://spartan.ac.brocku.ca/~lward/Bergson/Bergs …
"temporal"もしくは"temporally"は英訳者のPogsonさんは使っていませんでした。
「鍵語」ではないので、比較的自由に訳すことができるのではないかと思います。
一方、successionはやはり「鍵語」で、ほかの人の文章ならともかく、ベルクソンの文章の中では慎重に扱う必要のある言葉だと思います。
「継起」を広辞苑で見てみると、
【継起】(succession) 引き続いて起ること。時間的に前後の順を追って現れること。
とありますから、最初からこういう日本語があったというより、successionの訳語として作られた日本語であるようです(もうちょっと大きい辞書で見てみると、もっと細かいところまでわかるのでしょうが、いま手元にこれしかないので)。
ただこの言葉じたい、「何とかならんか」と言いたくなる気もしないのではないのですが……。
以下付け足しとして。
>Zeitlichkeit
ドイツ語は全然わからないんですが、松岡正剛の『存在と時間』の書評を見ていたら、こんなことが書いてあった(終わりのあたり)。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0916.html
>このZeitlichkeitの“Zeitlich”というドイツ語には、そもそもが「はかない」とか「無常の」という意味をもっているということには、もうすこし注目が集まっていい。
やはり哲学にあっては、用語の問題は大きい。しかも用語には、それぞれの国の歴史的な背景を背負っている側面があります(だからむずかしい哲学用語は、英語にしてみたらイイ、という考え方には、私は反対。英訳の段階ですでに翻訳者の解釈が入り込んでいるし、さらに英語国民と同じように、歴史的文脈でその英単語を理解できるわけでもないから)。
おそらくベルクソンもフランス語で読んだら、たぶん、また違う発見があるんだと思います。
ううん……。語学の勉強しなくちゃ。
最後にベルクソンの本を読む機会を与えてくださって、ほんとにありがとうございました。
いろんな意味で教えられる部分が多かったです。
読まなくちゃ、と思ってても、なかなか読めないんですよね…。
懇切丁寧な解説を頂きありがとうございます。お礼が遅れ申し訳ありません。
さて、「継起」を均質な時間単位が継起するとイメージしたこと自体、「空間化」の罠にはまっていたというわけですね。澤瀉先生の書にも、この場合の「継起」は「並置」と対比させられ扱われていました。納得です。
ghostbusterさんは前言を撤回なさって、『試論』は時間論ではないとおっしゃっていますが、単純に持続=真の時間ということでは駄目なんでしょうか。
いずれにせよ、若輩者の立場に降り立ってお付き合いくださりありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
すいません、横から失礼いたします。
ハイデガーのZeitlilchkeitとTemporalitaetの使い分けにつきましては、木田さんの『ハイデガー「存在と時間」の構築』(岩波現代文庫)にも適切な解説が見られます。
どちらにしても意味は、「時間性」で、それによって示される事態も同じなのですが、それが「現存在の存在構造の分析」の場面では前者のドイツ語で、反対に、「存在の意味」を究明する場面では後者のラテン語由来の言葉で呼ばれる、ということです。
言葉を使い分けることによって、何を問題としているかの違いを示そうとしているらしいということです。
いつも勉強になります☆
それでは
興味深いご指摘ありがとうございまいた。ハイデガーは常に存在と現存在の相互性を頭にいれて読まなければならないのですね。少し読んでみましたが、なぜハイデガーがラテン語由来の言葉を充てたのか考えてみたいところです。
No.1
- 回答日時:
ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論 ―時間と自由』(合田正人・平井靖史訳 ちくま文庫)を見てみました。
一部分パラパラと眺めただけですが、継起はsuccessionの訳語ではないでしょうか。英文と対比させたわけではないので、ただそんな感じがするだけ、間違っていたらごめんなさい。
duration「持続」はベルクソンの時間論にとって最重要のタームですね。
生命とは持続するもの、「真の時間を生きる存在」です。
時間はベルクソンにとって、「主体の自由の根拠」です。
「持続」の定義づけをめぐっては、『意識に…』の中でも、相当なページ数が費やされていますが、繰り返し、「継起」の観念とは異なるものであることが強調されています。
“持続は計測可能か”という章においても、
「たしかに、われわれは持続の景気的な諸瞬間を数えるし、これらの瞬間と数との連関ゆえに、時間はまず、計測可能で空間に酷似した量としてあらわれる」
もちろんこれは最終的に否定されるのですが。
この使い方を見ても明らかなように、「継起的」"successional"とdurationはまったく相容れない概念であることを念頭に置いておかなければならないと思います。
・It is lived duration that is thoroughly "temporal".
"lived duration"をどう訳すかも相当な難問ですが、temporalはあくまでもtime、とくに、ベルクソンのいう「時間」の形容詞と考えるべきだと思います。
(試訳)真の意味で『時間』といえるのは、なまの持続である。(う、トホホな日本語ですね、lived duration、いい日本語が浮かびません)。
・Memory thus can never be a simple representation of the past but should be viewed temporally.
(試訳)このように、記憶は過去の単純な表象ではありえず、時間のうちに考察されなければならない。
とまぁ、こんなふうに考えてみました。
「時間的」と処理できるところはしちゃっていいと思います。
英文解釈の方はともかく、たぶんこのtemporalの解釈は、ハズしてないと思うのですが(hopefully)、これを機にもうちょっとこの本、読んでみますので、とくにお急ぎでなければもう少し締め切らないでおいてください。
この回答への補足
ありがとうございます!しっかり拝読させていただきました。
まず、「継起」という訳語ですが、これは哲学書の訳ではなく、社会学の邦訳文献で「テンポラル」というルビつきで訳されていたものです。はじめてこれを見たとき、私も「継起はsuccessionの訳であって、全然意味が違うのではないか」と思ったのですが、今回、具体的な根拠まで示していただいて意を強くいたしました。ウェブに出ている原典で確認しましたところ、「継起」と訳されているところは、successionで間違いないようです。
わざわざカッコつきでtemporalとあるのだから、「ベルクソンのいう『時間』の形容詞」と考えればよいというご指摘に、私は大いにうなずきました(ベルクソン自身temporaireを「時間的」の意味でしか使っていませんしね)。
さて、私も一つご恩返しを。
「lived」ですが、『物質と記憶』の中でこれに当たる仏語を、白水社全集の田島訳では「生きられる」、駿河台の岡部訳では「具体的に経験される」と訳されていたと思います(岡部訳の方はうろ覚えです)。(すでにご存知でしたら申し訳ありません)
ただ私の分野では、これを「生きられる」「生きられた」と訳すのが定訳となっているので、不本意ながらこれに従わなければなりません・・・本当は別の訳を考えたいところなんですけどね。
思えば、つたない質問にもかかわらずここまで親身になって答えていただいてもらっておきながら、私のほうでなにもしないといのも間違っていると思い、御礼とともに補足させていただきたいと思います。
以下、『時間と社会理論』(バーバラ・アダム著、1990年)からの「temporal」にかかわる引用です。
・〔ギデンズがシュッツから引き出している〕持続は、記憶と目的によって超越される現在経験の継起性(temporality)であると同時に、ルーティン化された
毎日の生活の方向性を持つ流れである。……社会的再生産は、時間経過を伴う実践の反復模倣に関わる。ギデンズはこの反復的側面こそ継起性(temporality)であると概念化しているのだ。(44-46頁)
・〔ハイデガーの〕現存在の一過性(temporality)は誕生と死に意味を与え、一方で、一過性は誕生と死によって意味が与えられる。(53頁)←これは明らかに現存在の時間性では?と思うのですが、後で見ますように現存在の時間性はTemporalitaetではなく、Zeitlichkeitなので、英語圏のハイデッガー受容がどうなっているのかよくわからないところでもあります。
・〔ジョージ・ハーバート・〕ミードの理論は、時間の継起性(temporality)の理論であり…(63頁)
ところで、ハイデガーの『現象学の根本諸問題』に興味深い記述を見つけました。
時性は有の理解一般[有一般の理解]の可能性の条件であるということ、有は時から理解され、概念把握されるということである。時性がそのような条件として機能する場合に、われわれはそれをテンポラリテートと名づける。有についての理解、それとともにオントロギーにおけるこの理解の形成、そしてそれとともに学的な哲学は、それらのテンポラールな可能性において明示されるべきである。(397頁)
文脈は違うもののやはりTemporalitaetは訳しずらいようです。こうしてみるとtemporalityのニュアンスは分かるのですが、この共通して見られる概念的イメージを何とか「時間性」以外の日本語にするということが鍵なのかもしれません。どうでしょうか。
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