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こんにちは。
バカな質問で済みません。
ふと、ある本を見ていたら各年の出生率のグラフがあって、
「ひのえうま」の年だけ、出生率が少なく、そのグラフの上に
わざわざ「ひのえうま」と書いてあります。
その原因を簡単で結構ですので教えて下さい!
よろしく御願いいたします!

A 回答 (8件)

『この年には火災が多いとか、この年に生まれた女性は夫を殺す、気が強いという迷信』によります。

(参考URL)

参考URL:http://www.jinken-net.com/old/tisiki/gozonji/199 …
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この回答へのお礼

お早い返答ありがとうございます。
参考URLもありがとうございました。
早速拝見させていただきました。
確かこの「ひのえうま」は高校の時も教科書のグラフにも書いてあって、
全く根拠がわからず、気にかかっていました。
やっぱり迷信なのでしょうね。
2番さんが補足をお待ちですので、まだ締め切らないでおこうと思っています。
☆ありがとうございました☆

お礼日時:2001/06/27 16:51

その昔、仏教で僧侶が女性と交わること(「女犯(にょぼん)」)を戒めるために"編み出された"妖怪を「飛縁魔(ヒノエンマ)」あるいは「縁障女」と呼びました。

外面は菩薩、内心は夜叉。一度、「飛縁魔」に魅入られると全てを失い、果ては命まで無くすといいます。水木しげるによれば、夏の桀王の妹喜(マッキ)、殷の紂王の妲妃(ダッキ)、周の幽王の褒似(ホウジ/ただし「ジ」の字は、女偏に「以」が正しい、字が出ませんでした)などが「飛縁魔」なのだそうです。「男をたぶらかす女」という言い方が、今でもされることがありますが、それの妖怪化でしょう。男の言いわけですね。「傾国の美女」なんていう言葉もありますが、それも似たようなものでしょう。

因みに「ヒノエンマ」の語源は、皆さんがおっしゃっているように「丙午」のことだと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。
仏教も関わってくるんですね。
ちょっと私には難しいですが(スミマセン。オバカです)、
みなさんにも大変興味深い話だと思います。
ちょっと怖かったですが、私なりに勉強になりました。
本当にお詳しく回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/29 02:06

 既におおよその回答は出ているのですが、私なりに補足致します。



 皆さんがおっしゃっているように、「丙(ひのえ)」というのは「火の兄」を表わします。
 「え」というのは「兄」の意味です。
 「大化の改新」を実行した「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)〔後の天智天皇〕」に見られるように、「兄」という字は「え」と読みました。ちなみに、「弟」を「と」と読みます。
 十干は次の通りです。

  甲(きのえ)=木の兄
  乙(きのと)=木の弟
  丙(ひのえ)=火の兄
  丁(ひのと)=火の弟
  戊(つちのえ)=土の兄
  己(つちのと)=土の弟
  庚(かのえ)=金の兄〔この「金」は、金属という意味です〕
  辛(かのと)=金の弟
  壬(みずのえ)=水の兄
  癸(みずのと)=水の弟

 「丙」=「火の兄」とは、太陽のような激しく熱せられたエネルギーの非常に強い物を表わします。
 「丁」=「火の弟」とは、焚き火とかロウソクの炎のようなものを表わします。

 昔は、方角を12に分けて、十二支でも表わしました。最初の「子(ね)」が「真北」で、順番に並べて「午(うま)」は「真南」にあたります。

 つまり、「真南」の最も熱くエネルギーの強い方角を表わすわけです。

 上記のように、「丙午」とは、「火の兄」と「真南」という最もエネルギーの強いものが合わさった性質を持つものであるため、そういう性格を持って生まれた女性に対しては、並みの男では太刀打ちできないと考えられて、避けられるようになり、親も女の子が生まれた場合に世間から嫌われることを慮って、その年に子供を産むのをためらったのです。

 また、hederaさんのおっしゃる通り、民衆の間で広くその考えが広まったのが「八百屋お七事件」のようです。


 それから、これは余談ですが、生年月日時の干支を元にその人を占う「四柱推命」においては、「丙午」の干支が「日」とそれ以外の場所にもある場合には、「陰錯陽差」「寡鵠孤鶯」と称し、それぞれ「結婚生活が不安定になる。相手の家族との折り合いが悪くなる。」「再婚の星」と言われており、その上「月」の十二支が「子」か「亥」の場合は「四廃」と称し、これも「結婚生活を破壊するもの」と言われております。

 あくまで占いですから、どこまで当たるのかは分かりません。shizunotさん、別に気にしないで下さい。私は、気の強い女性は好きです。
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この回答へのお礼

こんばんは。
ご丁寧にありがとうございます。
以前古典の先生が授業の日の十干を黒板に書いていたのを思い出しました。
ちょっと、自分を四柱推命でみてみようかなぁと。
でも、占いは見てもすぐ忘れてしまうタイプなので、
まぁ、HPなどであったらしてみたいと思います。
本当にどうもありがとうございました。
とても勉強になりました!!!

お礼日時:2001/06/29 02:00

『丙午』生まれの女性です。

正確には昭和42年の1月なので未年なのですが、節分前は前年に属するらしいので学年的にもそのグラフのガクッっと下がった年です。物心ついた時から私達の学年は他の学年よりクラス数が少ないと思ってました。学生時代の同級生は当たり前ですが、社会人になって同い年に出会ったりすると『私達の学年って貴重だよねぇ~』なんて盛り上がったりもしてます。でも、気が強いなんていうのはその人の性格だと思うのですが・・・ごめんなさい。回答になってないですよね。ただ『丙午』の女性を差別しないで欲しいという事です。
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この回答へのお礼

こんばんは。
貴重なアドバイスありがとうございます。
なんか差別するような質問をしてしまって済みません。
でも、私の質問通り気になっていたので、許して下さい。
どうもご丁寧にありがとうございました☆彡

お礼日時:2001/06/29 01:51

陰陽五行説では、巳・午・未は火気を表します。


http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index15.html
http://www.people.or.jp/~seimei/gogyo.html

丙は、五行と十干を組み合わせて、「ひのえ」(火の兄)
http://www.nmt.ne.jp/~misao/diary/19971204/2.html
http://www.urban.ne.jp/home/higa/junishij/junish …

丙午は「火」を表すものが二重になったことで、火災が多く起こると信じられた俗信で、江戸時代には、丙午の年に生まれた女は亭主を殺すといって忌避されるという迷信に変化しています。1686年(寛文6年)丙午生まれの八百屋お七の事件が、西鶴の《好色五人女》や浄瑠璃,歌舞伎で取りあげられたことで、より広まったようです。

陰陽五行では、木火土金水で宇宙を説明しようとし、ギリシャでもアリストテレスの四元素説など、発生当時は最新の知識情報であったものでしょうが、人の運命にまで援用するのは迷信に過ぎません。
前回の丙午(昭和41年)1966年当時、もうそんな迷信からは逃れられると思いましたが、却ってマスコミが煽ったような形で、出生率が減りました。
その前の丙午(明治39年)では特に目立って出生率が低いという事はなかったそうです。
http://www08.u-page.so-net.ne.jp/wc4/a0300947/um …
次の2026年には、こんなことがないように願いたいものです。
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こんにちは。

昔聞いた話ですけど・・・。
『八百屋お七』ってお話ありますよね。あの話しの火事を起こしてしまった「お七」が丙午生まれだとか・・・。後、阿部 貞(好きな人が浮気しないように大事なものを切ってしまったという)が丙午生まれだとか・・・。
激しい性格の女性が多いという事も影響して、迷信深い日本人は丙午に子供を産まないように考えた人が多かったとか???
でも、丙午って昭和44年ですか?私の産まれた年ですけど・・・。確かその3年前が丙午だったと思うのですが???
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この回答へのお礼

こんばんは。
まず、初めにすみません。
丙午は昭和41年でした。大変申し訳ないです。
激しい性格は生まれつきなのか、丙午生まれと言われて育ったからそうなるのか?
と、またひねくれ者になってきてしまいました。
41年生まれの女の知り合いもいないし・・・
確かに日本人は迷信、信じる人多いですね。私も結構信じるかも・・・
関係ないですが、ご存じだったら失礼ですけど、
血液型による性格判断をするのは世界では日本と韓国だけと、
あるHPに書いてありました。
日本人はいろいろ信じやすい性格?もちろんその人によるでしょうけど、
逆に考えると、他の年生まれでも激しい性格の人はたくさんいますよね。
やっぱり迷信、言い伝えと受け止めた方がいいのでしょうか・・・
なんか現実(八百屋お七など)のお話をきくと、複雑な気持ちになっちゃいました。
でも★アドバイス★ご丁寧にありがとうございました!!!

お礼日時:2001/06/27 19:22

丙と午とがどちらも「火」を表すために、「その年は火災が多い」という俗信が、中国から伝わって、それが江戸時代になって「丙午の女は必ず男を食えると世に伝えし」(燕石雑志)などという風に変化し、丙午に子供を産むことを忌避する習慣が生まれたと考えられます。

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この回答へのお礼

こんにちは。
回答ありがとうございます。
「ひのえ」と「うま」は両方火を表すのですね。
初耳です。
江戸時代からの言い伝えなんですね。
この歴史が浅いのか古いのかちょっと微妙です・・・
1番さんの参考URLによると60年に一回丙午の年が来るらしく、
以前は昭和44年だそうですので、約30年後にまた恐怖?の丙午がやってくると
いうことのようです。
時代は変わって来ましたが、まだこの習慣は続くのでしょうかねぇ・・・
中国は私的には神秘(?)の国ですので、私は信じてしまいますが、
とても勉強になりました。
どうもありがとうございました☆彡

お礼日時:2001/06/27 17:14

1番さんにもの申します。


丙午の年に火事が多いから出生率が少ない、というのはちとわかりません。
補足してもらえると。僕も興味を持っていますので。

それはわかりませんが、でも女性を産みたくない、というのがあるのは確かですね。
昔は産みわけなどできませんでしたから、そういうことになるんでしょうね。
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この回答へのお礼

こんにちは。
私の変な質問に興味を示して下さって、ちょっとうれしいです。
1番さんの参考URLはご覧になりましたか?
どうやら、迷信のようですが、迷信を高校の教科書の
出生率のグラフの極端に出生率が少ない所にわざわざ「ひのえうま」と
書くということは迷信をずっと信じろ!と教えられているのか?
根拠は書かれていないし・・・
ちょっと、ひねくれ者になってしまいました。。
一応、補足を待つことにしますので、ある程度締め切らないことにします。
ありがとうございました♪

お礼日時:2001/06/27 17:02

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