プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

どれだけ努力しても、認められず
ほかの方々が認められることがおおいのです。

なにがわたしの原因なんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    必要とされる人になりたい!

    あらゆるどれだけ努力しても、間が抜けてると、いわれたり、
    まだまだ完全ではないなぁ

    ほんとに、こんなことも言わないといけないの?とか、いわれます。

    そこで、何をしたら、
           いいのですか?


    特に恋人がわたしに会ってたくなるような必要とされるような
    家族から

    職場では、絶えないくらい名前を呼ばれるくらい必要とされたいのです!

    どうか、お願い

      補足日時:2017/04/05 19:16

A 回答 (8件)

他人に認められるよりことより、まずはあなた自身が自分を認めることです。


そうすればあまり他人など気にならなくなりますよ。
努力すれば必ず報われるものでも認められるものでもありませんよ。
しかし、自分がやるべきことをしていればあなただけは自分を認めることが出来るはずです。
他人と比べても意味はありませんよ。
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この回答へのお礼

恋人に会ってくれらような立派な女性にるには?、?

お礼日時:2017/04/05 19:23

評価するのはあなたではなく、その立場にいる人です。


家族から、上司から、仲間から何を求められているか見直し、
望まれていることに対応しましょう。
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私は、生涯を通じてあまり、努力をしたことがありません。


さほど認められる人格では、有りませんでしたが、会社を定年まで勤め、更に再雇用して貰いました。
私にも、原因は、分かりません。
さして、努力もせず、現在の状態に有るのは、ラッキーなのかしょうか。
結論は、分かりません。
解決策は、自分に有ります。
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努力するところが間違っているのかもしれませんね。


じゃあ次はここか?!
と挑戦し続けてみてください。
指摘や注意はヒントです。
もしそういう何かを言われたら
そこから考えていきましょう。
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辛いと感じる状態が長く続く場合は、何かの罰を受けているだと私は考えます。



(例えば、体に無理をさせたので、メンタルが弱っており、

 色んな事を悲観して考えてしまい、辛くなっていると言う場合でも、

 罪と罰の関係にあてはまります。体に無理をさせた罰を受けています。)


ここでは、

社会貢献や人間関係に相当するものを対象として説明してみますね。



さて、罰がある以上、罪に相当するものがあるはずです。

この罪と言う概念は法律で定められている罪の概念ではなく、

もっと広く、日常に存在するものを指しています。


そうですね・・・。

もっとも近い言い換えでは、損とか無駄とか言う感覚でしょうか。


自分、他人、組織、対象がはっきりしている場合は、損失と言う言葉を使えます。

また、原因がはっきりしている場合は無駄と言う言葉も使えます。

例えば、

他に良い方法があったのに、性急に考えて、効率が悪い手段を取った場合、

これも損失を招いたわけです。

こういうときに罪が生じていると考えるわけです。



自分の行動が原因で、対象と原因がはっきりと分らずとも、

損失が生じていることはあるでしょうね。

これは避けられませんし、致し方ありません。

ただし、大丈夫であると自信をもちすぎることは危険だということです。

曰く、

「僕は悪くない。だって取り立てて悪人じゃないし。もっと悪い奴を知っているよ。

 あいつが普通に生きられるなら、僕はもっと幸せになっていいはずだよ。」

こういう発想ですね。

この説明では、

「本人が鈍感であればあるほど本人が正義に近づく」と言う論法になってしまいます。

実際は、現実に生じているものは生じているのであり、

個人が知ろうと知るまいと消えるものではありません。



罪と言うのは、

その人本人の損得ではなく、

他者や社会・世界など、自分が以外の対象に生じた損失であると思います。

特に本人が認知できない場合が多く、

本人が納得できないまま、問答無用で罰が与えられる場合が多いでしょう。

自然法則や因果関係、確率的に生じる縁によって、(偶然に見える形で)損害が本人に

戻って来るものです。

そのため、裁く(状況を良く説明し、道理をもって、損失の原因を作った

ことを本人に理解させ、償いの方法を教える)必要があるのです。

そうしませんと、(自然の法則みたいなものですから)ずっと罰が生じ続けます。


さて前提はこのくらいにして、ご質問のケースについて原因を想像してみます。

色んなケースで紐解いて考える事も出来ると思いますが、

総じて(大体の場合において)上手く行かないと感じる場合に、

(自分では気がつかない)いつも当てはまる原因があるんです。


私の経験からですが、

根底の論理(生物、人が生きるためのルール)に背信している場合が多いと思います。

私たちが忘れがちなその本質的なルールは、

競争原理です。


全ての生物が競争と淘汰を繰り返しています。

私たち人間がどんなに豊かになったとしても、これに背く事は許されないでしょう。

もし考えたくないと感じてこれを無視したら、そこに罪が生じます。

例えば、

「争いを避けて、強いものの機嫌をとった。」

これは消耗(損失)を避けていますから、この選択は正しいとなります。

しかしもし、先ほど述べた「競争と淘汰」を忘れていたらどうなるでしょうか。

「俺は逃げてばかりいる。もうこんな自分は嫌だ。戦うぞ。」

と、いつかは我慢が出来なくなり、

どうでも良いときに余計な事をしてしまうでしょう。

全ての生き物が淘汰の対象と成っています。

簡単に消え去るのだと、常々意識していれば、この様な考えには至りません。

つまり、自分の儚さを忘れたという罪を犯したわけです。


また、

誰かと仲良くすること、協力することは良いことだと言われますが、

先ほどの淘汰の発想があれば、

これらは「消耗を防ぎ共闘をする戦略」だと言い換えられますよね。

この自覚が無いとどうなるでしょうか?

どこかで

「充分に良い事をしたので、少しくらいはいいじゃないか?」

と言う発想に至り、やはり、どこかでボロを出し、罰を受けるでしょう。


また、対立する選択があったとします。

Aを取ればBを捨てる事になるような状況(に思えるケース)です。

このとき、

「誰かが決めなければ成らない。苦渋の選択をしなければならない。

 そのために私が居るのだ。」

と自分に酔ってしまう場合があります。

しかし大概において、

「何で悩む、AもBも実施できる方法があるのに?」

と言う競争者がいるんです。

常に、そうした未知の競争者を警戒していれば、簡単に出し抜かれはしないでしょう。


一見美しく見える言葉。こんな場合も答えが出ます。

「時には厳しく接することも大事だよ?」

とかですね。

「だがしかし、優しく接して、その上で物事を解決する同格の競争者がいたら、

 君は恐らく淘汰されるよ。」

これは本当でしょう。

人に優しく接し、物事の効率をあげ、損失を防げる人がいた場合、

人に厳しく接し、物事の効率をあげ、損失を防げる人は、いない方が良いのです。

勿論、

人に優しく接し、物事の効率をあげれず、損失を出す人しかいない場合は、

(競争ですから)人に厳しく接し、物事の効率をあげれる人が生き残れます。

その人の個人の努力や絶対的な力は全く関係ありません。

すべては他者との比較にあるんです。


例えば、

自分の責任の範囲を定義し、それをマットウしていたとします。

「自分は何も悪くないのに・・・」

しかし、その範囲を超えて他者を利したり、損失を防ぐ人が存在していた場合は、

間違いなく淘汰されます。

自分は悪くない、自分は正しいと言う論法は、未知の競争者を想定していません。

競争と淘汰から目を背けるという罪を犯しているんです。



逆に、この罪を犯していない人は、どんなにその時点では劣っていても、

批判を受けいれて適応し、

更に進化し、逆に淘汰を仕掛けてくるでしょう。

自分に自信があると言う事は良いことですが、競争者を想定しなければ危険です。


今度は更にその逆に、

「他人が慢心していると批判する人」も危険だとわかります。

その対象の相手が競争者を意識し、

対抗する要素(競争者)を特定して、排除している場合があるからです。

そんな相手を批判した場合、

代替手段を手に入れる事が出来なくなりますよね。

しかも、誰も味方をしなくなります。



もし、

批判をするだけではなく、批判をしたい相手と競争しようとしていたならば?

その過程で、同じだけの知識と情報が集まっているでしょうから、

そんな部の悪い選択はしないでしょう。

思いとどまることが出来、更に、自由度の高い戦略を発想できるはずです。

相手にも一目おかれて、対立そのものが無かったんじゃないでしょうか?

共闘を持ちかけたり、持ちかけられる可能性が出てきますよね。


この様に、競争と淘汰を考えずに、

闇雲に努力をしたり、良い行いをしようとしたり、悪者を見つけて批判しようと

考えることは、

罪と成り、必ず罰を受けます。



次に冒頭に立ち返り、見えない損失が罪であるという事を思い出しましょう。

もし、自分の努力の成果を、競争を前提にしない人に提供したらどうなるでしょう?

これは損失に成りますよね。

なので罪と成ります。

例えば、わが子に競争を教えずに、養育したらどうなるでしょう?

この罪に相当する罰を必ず受けるはずです。

また、その子供は、必ず悩みます。

「私の何が間違っているのでしょうか?」

これは親にとっても辛い話でしょう。


私たちは淘汰に対抗するために、消耗を防ぎ、楽に生きなければ行けません。

必要なことだけをして、休息をとり、余暇を楽しむべきです。

しかし、「何が必要なことなのか?」と限定するときに悩むでしょう。

こういうときに、競争を意識し、「この程度」と決めるわけです。


競争と淘汰を受けいれることで、無駄な努力を防ぐことが出来ます。

そういうセンスが育っていませんと、

何か良いことをして、ご褒美を貰おうとする衝動に囚われます。

ここには作戦もありませんから、程度や度合い、どこまで我慢するか?

のしきいも、条件もないでしょう。

「こんなに辛いんだから、誰も自分を責めないよね?」

これでは見通しが立ちません。

もう少しで成功すると言うときに諦めてしまうかもしれませんよね。


まずはどの様な競争があり、どの様な淘汰があり、

どういう方法論が使われており、

誰がどういう戦略の過程にあるのか? を知る。

ここから誰に対して何を提供すべきか? 限定し楽な道を選ぶ。

自分の努力についても冷静に評価できるはずです。



いかがでしょうか?

罪と言う概念は、色々と広く応用できます。

そして、競争と淘汰、消耗・損失、無駄の排除を念頭に置くと、

全ての道理が綺麗に収まります。

「単なる良いこと」から一歩先の発想ができます。


この考え方に馴染むと、悩みが減ります。

そして最初の一歩は、

そういうものだと知っておくことです。

自分は悪くなくとも、競争者はもっと良いかもしれない。

これに対して、無防備である人が多いのではないでしょうか。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ほかにも話がきけたら、聞きたいです

お礼日時:2017/04/05 21:43

「努力」は認められませんよ。


認められるのは「結果」です。
下手な努力ならむしろ見せない方がいいです。
「これだけやって、この結果?」となりますよ。

また「必要とされたい」と願っている人は、必要とはされませんよ。
逆に言えば、必要とされている人は「必要とされたい」という気持ちの有無とは関係がありません。
質問者さまの周りで、必要とされている人は何人いるでしょう?
おそらくは片手で十分なはずです。
必要とされている人は知識や経験、想像力に判断力、体力や財力、人脈に権力、免許に資格、人的魅力に聞く力など、ありとあらゆる力を持っています。
でないと他の人は必要とはしませんし、能ナシに頼るほど悲惨なことはありません。
またこれらを持つ人は、うざったいほど周りから必要とされます。

努力を認めてくれと下手に出ている人を必要とする人はいません。
本気で必要とされる人を目指すのなら、そんなことを言っていてはいけません。
あと今一度、自分が一握りの優れた人間かを考えた方がいいです。
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この回答へのお礼

よく考えたら、確かに必要とされることは、ないですね

ほかの方々が多いです。
下手に努力しても、なかなか信頼してもらえません
思い当たるのはこのくらいです。

ありがとうございます。

これらを改善するのにどうすればよいのかが知りたいです

お礼日時:2017/04/06 09:44

#6です。


回答に書いたつもりなのですが…
必要とされるほどの能力を身に付ける、これだけです。
ただし必要とされている人は「プロ並みのことをタダ(もしくは安すぎる報酬)でやってあげている」のが実情であって、要は利用される人間になるということです。

また回答の最後にも書きましたが、必要とされたい欲求の人は往々にして自分を過大評価しすぎです。
自分にそこまでの才能や能力があるのかを見つめ直すべきです。
でないとブサイクがアイドルを目指すのと一緒になります。
そもそも「必要とされたい」欲求が自分に相応なのかを考えてみましょう。
ちなみにほとんどの人は「必要とされる」側ではありません。

そして#6の冒頭でも書きましたが、下手な努力は信頼を失います。
よって「必要とされる」人からどんどん遠のきます。
下手な努力は隠す工夫も必要です。
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この回答へのお礼

必要とされたいと考えること自体、おかしいなぁと気が付いたんです。
ありがとうございます。
身丈のあったことをしながら、少しずつ確実にやっています。

仕事をしてて、身丈のあった努力を惜しみ出さず、どんなに辛くても見せないようにしてました。
ときは、相談もしようと
声をかけた矢先に

上司からどんなに努力をしようと努力がみられない。
逸れが努力というのか?
やってあたりまえ
できてあたりまえ。
気づいができて、あたりまえ。
ありがとうございます。と言うのがあたりまえ。
お前がやっていることは、なんのためにもならない。
もっと努力してるのか?足りないのではないのか?
もっと努力して、、もっと周りに気を遣え。
何を与えても、初めての仕事に説明なしでも、できるのがあたりまえだ!
みるのが初めてでも、やれ!


お前みたいなのは、要らないと言われたのをきっかけに心が蝕まわれました
そんな上司の下にいたことが原因だっただと思います。

家にいるときくらい、のんびり暮らします。

お礼日時:2017/04/06 22:21

No.5のものです。



なんと言うか、昔の私の部下が同じことを言っていました。

恐らく原因も同じでしょう。

No.6の方が指摘している内容も、職場で他の方が言っている内容も同じです。



競争原理の話をしましたが、

どうして競争が成立するかと言うと、

他の人が自分と同じくらい弱い、儚い存在であるからです。

誰もが弱く幸せでないのが本当なのに、

「恵まれている」と決め付けて、逆恨みをしていませんか?

これをやったら、(当たり前ですが)ボコボコに苛められますよ。



もし、他の人を

「強く才能に溢れ、苦労を知らず、恵まれている」

と感じていたなら、

その人は決して成果を得られず、どんな努力も無駄に成ります。



他の人が弱いから、必要とされるんですよ?

他の人が強かったら、どうして必要とされるんでしょうか?

漫画じゃありませんよ。


では、自分が弱いことを告白する人が本当に居るでしょうか?

いませんよね。

「そこんとこは辛くて話せないよ。汲み取ってくれよ?

 俺だって格好つけているけど、

 いっぱいいっぱいって、どうして良いかわからないんだよ?」

と皆が思っていると気がついてますか?


もし、誰かが自分の弱さに気がついてくれて、

「自分の名誉を傷つけない形」でサポートしてくたら嬉しくありませんか?

そういう人がどれだけ必要とされるかわかりますよね。


以下のA)B)を考えてみてください。

A)自分の名誉は傷つくが、素晴らしいサポートをしてくれる人物

B)自分の名誉を傷つけず、こっそりとサポートしてくれる人物

あなたが必要とする人物はどちらなんでしょうか?


では、

B)の人が全ての人に対して、同じように接したらどうなるでしょう?

ほとんど全ての人は、

「まあ、順当で言えばA)だが、俺はB)のほうがいいや。」

と言うでしょう。

一人一人は、

「自分だけはB)を選んだ。」

と思い込んでいるはずです。



しかし、稀にA)でもB)でもないC)と言う存在がいます。

C)自分の名誉ばかりが気になり、他の人ばかりが得をしていると態度に示す人物


C)の人は、他人に対して下手に出ることが多いです。

ですので、最初は良い奴だとみんなが思ってくれます。

しかし、最後は、嫌われてしまいます。

この人の本当の気持ちは、

多くの人を見返したいだけだからです。

そんな怖い考えを隠している人物は、気持ちが悪いでしょう?

しかし、油断すると自分がそうなってしまうんです。注意が必要です。


いつだったか、そういう悩みを持った人に、

「うーん。多分、やってみると分かるけど、他の人を思いやって、

 心配してみたらどうかな?」

これを言ったときでした。

その人は、険しい顔をして、頑なに拒絶するんですね。

「どうして、自分より恵まれている奴の心配をしないとけない?!

 それだけは、切なくて出来ない。

 自分が可哀想過ぎる。

 誰かを見返せないのだとしたら、成功しても何の意味も無い。

 そういうアイデアしかあんたが出せないなら、

 いままで下手に出たのは本当に無駄だった。

 機嫌をとって損をした。がっかりだよ。」

と言われました。

次に、

「いや嘘嘘、実はあるんだ。良い手が。」

といいましたら、

「なんだ辞めてください。いやだなもう。で・・・なんなんでしょう。

 その良い手と言うのは?」

といきなり態度が変わります。

これを見て、この人は本当にダメだと思いました。

さきほどの失礼な態度はすっかり忘れているんです。

病気じゃないかと思いました。

都合の悪い事を考えないようにし続け、怒りを希望に変えて耐え続けてきたため、

虫の良い本心、そういう汚い部分がバレたこと、

この記憶を瞬時に消したんです。

本当に記憶に無いそうです。怖いですね。


それくらい、切ないくらい、誰かを見返したいと祈ってきたんですね。

「チャンスがあったら、岩にかじりついてでも・・・」

と言われて、怖いと思いました。


恐らくですが、

質問者さんの悩みと言うのは、ある種のパターンであり、

かなり多くの人が同じ経験をしていると思いますよ。

大分酷いというだけです。

切っ掛けは大したことじゃなかったはずです。


例えば、

誰かに叱られている最中というのは苦痛ですし恥ずかしいでしょう。

そういうとき、

「ああまた失敗をした。どうして自分はこうなるんだ。

 俺はどこか、他の人とは違うんだろう。コンチキショウ。

 ここで諦めたらダメだ、ワンモアチャンス!

 くじけてどうする。」

と考えてしまった。

これでは、必ずまた失敗をします。最も良くない考え方です。


普通の人は、

「大丈夫でしたか、すぐに直しますね。」

と言って、一秒でそのシーンをおえます。

何度失敗しても、すぐに直せばいいんですよ。

ところが、失敗とか成功とか、名誉のことばかりを考えているわけですから、

すぐに直すという態度を示せません。

「失敗をしたから怒るのは当然だろう、ココは下手に出て我慢だ。」

とやってしまうんですね。

これでは普通の人が叱られる以上に長い時間叱られます。



相手の方は、

「すぐに直しますね。」

と言う言葉を待っているからです。



何時までたっても出てこないんですから、ずっと苦情を言うでしょう。

例え軽微な失敗であっても、必要以上に辛い思いをしてしまいますよね。

こんな経験を沢山してしまえば、余計に、

「他の人は一秒で許されるのに、どうして私はこんなに叱られるんだろう?」

と思ってしまいますよ。

「ああ、誰かに大事にされたい。」

と感じるでしょう。

こうやって並べて書いてみれば、面白すぎる話ですが、

本人にとっては、何が悪いのか分らないので、深刻な悩みになります。


簡単に言えば、謝ったとしても、直さなければ苦情が続きますよね。

それが原因なのに中々気がつけない。

「ああ、自分はゾンザイに扱われている。

 だって、他の人はこんなに叱られないもん。

 ああ、きっと必要とされる人物に成れば、待遇も変わるんだろう。」

と変換してしまいます。これは最もダメな考え方です。



本来ならば、相手の苦情をさえぎってでも、

「すぐに直さないと大変なことになります。

 少し黙っててください。」

と言うくらいが丁度いいのです。


しかし、うっかりするとこれらが繰り返さます。

最後は力尽きて、自分を何とかしたいと言いはじめます。

もし、そうやって今に至っているのだとすると、

誰かに、

「うーん。自分も同じ経験があるけど。

 そういうときは、相手の立場を思いやると気がつくことがあるよ。」

と助言をもらっているはずです。


いかがですか、私が書いた経緯を読み返してみてください。

意外と妥当な助言でしょう?

ところが、辛い思いばかりをしていると、違う解釈になります。


「人が失敗したと思って、どこまでも上から言うんだな、あんたらは。

 やることなすこと上手く行かない。

 もう嫌だと思っても、・・・頑張っているんだ俺は。

 それを誰もが気がつかない。

 確かに、自分が悪い以上、頑張りを主張するのは筋違いだよ。

 だけど、あんたらは自分の立場が良いからといって、偉そうに言いすぎる。

 最後は、俺に心が無いような言い方までするんだな?

 あんたらは上から言うけど、

 どう考えたって、そんなに威張り散らすほど、凄い人に見えないよ。

 俺と変わらない凡人なのに、どうして大人物みたいな態度で俺に接する?

 チキショウ。成功して見返したい。

 そうすれば、能力とかじゃなくて、そういう状況なんだとお前らもわかるはず。

 そのときに、俺と同じように気を取り直してやり直せるのか?

 そういう根性がお前らにあるのか?」

となりますよ。全くもって、自己完結ですよね。

単に、

「相手の立場で想像すれば、深刻になるような失敗を君はしていないし、

 なんていえば、許してもらえるか分かるはずだよ。」

と相手の方は言いたかっただけなんですけど。

そういう風に伝わらないんです。

一人相撲と良く言いますが、少し落ち着くことですよ。

自分以外の一人一人を識別できなくなれば、余計に状況が悪くなります。



まずは、成功や失敗と言う概念を捨てることです。そういうものはありません。

目の前に居る一人一人に対して丁寧に接し、

誰かに損失を与えたときは、

謝って済まそうとしたり、怒りが退くのを待ってはいけません。

手早く直す。代替手段を提供する。



そして誰かが別の人に怒っている時は、機嫌をとるように同調しない。

別の敵を作るだけです。これは馬鹿らしいですよ。

「辛かったね」と、短く完結に収めてあげることです。



これらを意識すれば、何時も以上に早く相手の方の怒りが収まります。

まずはここから体験しましょう。

そういう成功体験をしないと乗り越えられません。


普段の考え方としては、凡人と凄い人を差別してはいけません。

誰に対しても、あなたと私と考えましょう。

地に足をつけて、自分の味方を一人一人増やしていくようにしましょう。

プラスの特技で人の羨望を集めて、損失を誤魔化すような発想はいけませんよ。


以上、ご参考になれば。
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