【南京大虐殺の不思議】南京大虐殺の時の中国の総書記は蒋介石だったが蒋介石は日本軍の日本側のスパイだったはず。

なぜ日本軍側の蒋介石が制圧している中国で日本軍は南京大虐殺を実行しなければならなかったのか?

蒋介石は現在の中国共産党に追いやられ台湾に逃げ込んだ。

そして中国は蒋介石を戦犯者で裏切り者で売国奴だと言っている。

蒋介石が日本側に願えった日本側のスパイで売国奴なのは間違いないが、当時、日本側の蒋介石がいる中国で日本軍が大虐殺をする必要性が分からない。

なぜ日本は南京大虐殺を実施せざる負えなかったのでしょうか?

殺す必要がなぜあったのか教えてください。

殺したのは現在の蒋介石を追いやった中国共産党なのでは?

それだと辻褄が合う。

蒋介石を追い出すためにゲリラ戦をやって南京大虐殺によって南京を奪還した。

で勢力を拡大させて蒋介石を台湾に追いやって中国人が中国の主権を取り戻した。

ハッピーエンド。

このハッピーエンドだと何が悪いのでしょう?

南京にいる日本人か中国人か分からないので中国共産党が南京にいる人間を全員中国人日本人関係なく抹殺した。

で、中国共産党が中国人によって中国の政権を取り戻すまでに中国共産党がゲリラで抹殺した総数がいま言っている南京大虐殺の人数なのでは?

当時はゲリラで何十万人も殺したので殺した数がゲリラの中国共産党の誇りだったが、政権を持ったところでその殺害した人数の多さが誇りではないと気付いたがその数字はカウントしていたので捨てることが出来ずにその殺害者数のカウントを日本軍が殺した数にすり替えた。

で南京で日本軍が中国人を殺した数として歴史に残そうと決まったが月日が経って外国が再検証する者が現れて当時の南京にはそれほど人口が居らず南京大虐殺の殺害人数と辻褄が合わなくなっている。

だが中国共産党は発表してしまった手間、当時は中国共産党がゲリラで殺した日本人と中国人と合算した総数が歴史に載せるときはカッコ良くしようとして日本軍が殺した数字にすり替えたが歴史検証されてボロが出ている状態になっているという認識で良いですか?

質問者からの補足コメント

  • 検索されると自国民にボロがバレるので閲覧禁止にしている。

    別に中国共産党が日本の売国奴の蒋介石から中国を取り戻すために南京でゲリラをやって盛った数字だと言えば中国人も良くやったと言うと思うけどなぜ言えないのだろう。

      補足日時:2017/04/15 09:06

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A 回答 (4件)

これと同じような質問、別のサイトでも見たような気がしますけど…



1937年の日本軍による南京占領の際に、日本軍による少なくとも万の単位の中国軍人(捕虜、投降兵など)、民間人に対する「虐殺」が存在した、というのは、すでに史実として確定しています。

有名な事例としては「幕府山事件」と呼ばれる、第十三師団山田支隊による南京城北部で行われた、大量の投降兵(当時の公式発表で1万4千人余り)に対する「裁判抜きの大量処刑」があります。

この他にも、数多くの中小規模の「事件」の存在が知られており、いわゆる「南京事件」というのは、その総称です。

いわゆる「南京事件」の「否定派」の方々は、日本軍の公文書をはじめとする日本側史料、被害者側である中国側史料、第三者的存在である欧米諸国などの史料を、十分な根拠もないまま根こそぎ「否定」し、どうしても「否定しようのない事例」については、国際法上の「合法」を主張したりしていますが、専門家である「歴史学者」に、そうした主張を支持する方はいません。

一部の国際法学者による「合法説」も、当時の南京の実情について、きちんと検証がなされていないように思われます。

第一次安倍政権により着手された「日中歴史共同研究」では、日中双方の主張がそれぞれの学術論文としてまとめられ、PDFファイルによりネット上でも公開されています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_k …

日本語論文のPDFから一部抜粋。

>12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。翌13日、南京を占領した。

この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた21。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた22。
しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた23。

中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。
しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。

日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している


一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している25。

(引用終了)

犠牲者数については様々な議論があり、上記「日中歴史共同研究」の日本側論文では、上限で「20万人」、一番少ない数字として「2万人」が取り上げられています。

実は「なかった」、あるいは数百人などのきわめて少ない数字だった、という説は、相手にされていません。

犠牲者数について少なく見積もる研究者の代表は秦郁彦氏で約4万、大きく見積もる研究者の代表は笠原十九司氏で、10数万から約20万との見解です。

「仮にこの状況を覆すというなら歴史学界での検証に耐えうるだけの仮説を用意する必要があります。」

具体的には、例えば「学術論文」等を日本学術会議に参加する「歴史学会」に提出して評価を受ける、などの方法が考えられます。

それを実行する方はいないみたいですが。

「南京事件」については、様々な思惑により、史実を無視した見解が横行していますが、実際にはしかるべき大学の歴史学の研究室ですら「事件はなかった」という主張は相手にされないのが現実です。

「南京事件」関連の写真には確かにおかしなものも存在しますが、同時代にマギー牧師が撮影したフィルムはもとより、村瀬守保氏、不動健治氏などの撮影した写真は本物と認定されています。

事件についての詳細は、ゆうさんの下記サイトもご参照いただければと思います。

「南京事件−日中戦争 小さな資料集」
http://www.geocities.jp/yu77799/

「事件はなかった」という主張は「俗説」です。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2017/04/15 23:31

すべて君の妄想の世界の話ですからどうでも良いです。


ただしこういったところに書かない方が身のためです。
君の世界なら中国共産党に狙われますし現実世界なら馬○にされます。
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面白いですね。

自国民に閲覧禁止の極秘書類を君が見た!なぜ嘘を言うんだ。
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本人じゃなくて側近が

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第一次第二次ノモンハン事件とも日ソ両軍の戦力差はあらゆる面において大きく、唯一緒戦では優勢だった航空部隊も、後にはソ連軍による日本戦闘機部隊の戦術の研究と自軍の戦闘機の改良によってその優位も崩れていったことは周知の事実です。このことから見ても確かにあなたのおっしゃるように、この戦いで日本軍が自軍の損害を上回る損害をソ連に強いたことは驚きであり、単純に軍事学的見地から言っても大いに評価できるものともいえます。

 ただ詳細を見れば日本軍側の戦術の稚拙さや迷走ぶりはお粗末の一言なのですが、今回は日本軍の戦法という質問ですので、ノモンハンでの日本軍の戦術に絞ってお答えしたいと思います。少し本題から外れるかもしれませんが、その際は温かい心で眼をつぶってください(^_^;)。

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 さらに言えば戦闘が行われたノモンハンの地理的な特徴です。砂漠と草原だけしか眼に入らない大波状地と呼ばれたノモンハンは遮蔽物に乏しく、突進してくるソ連戦車はよく目立ち、これを迎え撃つ速射砲、連隊砲部隊にとっては射的場のように撃破したということです。これらを突破した戦車を今度は歩兵が火炎瓶で迎え撃ったということです。また主力のBT戦車の意外な弱点にその装甲がありました。というと、え?思われるかもしれませんね。BT戦車の装甲は野砲はなんとか撃破できても、日本戦車の主砲の57ミリ短身砲では撃破できなかったことが通説ですからね。たしかに装甲は日本戦車より厚く、容易に撃破できませんでしたが、それなのに動きを止めてしまったBT戦車が多くあったのです。

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 最後に夜襲と白兵戦です。これは日本軍のお家芸ですが、日露戦争時の203高地における惨憺たる戦闘とはちがって、平地での夜襲は兵に負担をかけさせず、十分な余力を持って敵に強襲をかけることが出来、相当な損害を与えています。またこれは意外なことですが、ノモンハンでの日ソの機関銃の保有数は日本軍が上回っていたということですので、これらの火力も無視できない効果を生んだものと思われます。

 ノモンハン事件は日本軍部の確固たる信念の上で行われた戦闘(本当は立派な戦争ですが)ではなく関東軍の増長による場当たり的な戦闘といってもよいものであったため、明確な戦闘計画のないままうやむやに終わってしまいましたが、この戦闘を象徴する言葉が敵であるソ連軍の将官の言葉が残っています。
「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」

 少しでも参考になればよいのですが、あまりにも長くなってしまいました。お許しください。

 

第一次第二次ノモンハン事件とも日ソ両軍の戦力差はあらゆる面において大きく、唯一緒戦では優勢だった航空部隊も、後にはソ連軍による日本戦闘機部隊の戦術の研究と自軍の戦闘機の改良によってその優位も崩れていったことは周知の事実です。このことから見ても確かにあなたのおっしゃるように、この戦いで日本軍が自軍の損害を上回る損害をソ連に強いたことは驚きであり、単純に軍事学的見地から言っても大いに評価できるものともいえます。

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