
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
時代によって意味が違うけど、多分、江戸幕府時代での大名の事を言ってると思うので、江戸時代について。
江戸幕府(将軍)から任命されて、主に石高(こくだか)1万石以上の領地(藩)を幕府から禄(ろく:給料)として与えられ、その領地を治めた藩主。
諸大名は2人以上の大名を纏めて言う時の言い方。
日本には、領地が250以上に細分されていたから、藩主も250人以上いた。
実際には藩と言う呼び名は、明治政府が付けた。
明治政府が「県」と言う行政区分を整理する際、それまでの行政区分を便宜的に「藩」と名付けた。
だから江戸時代には藩、藩主と言う言い方は無かった。
No.4
- 回答日時:
大名ってなんですか?
↑
検索すれば出て来ます。
もともと地方で勢力をふるう者のことを言った。そのうち、武家社会において、
多くの所領や部下を所有する武士を意味する語となった。
室町時代には守護職が領国支配を強め、守護大名となった。
戦国時代には、さらに強固な領国支配を確立した大身領主が現れ、
大名分の国人や戦国大名と呼ばれている。
江戸時代には主に石高1万石以上の所領を幕府から禄として与えられた藩主を
指す言葉となった。
1万石未満の武士のうち幕府直属の武士を直参という。
ただし大名の対義語である小名がその間に存在するため、
この定義には曖昧な面がある。
江戸時代の大名はその封建領主と性格が中国の諸侯と性格を
共有することから、諸侯に準えて大名諸侯とも称された。
また歴史学上の用語としては、近世大名とも称する。
諸大名と大名の違いとは⁇
↑
多くの大名”、あるいは”多くの大名全体” を指して
使われるものだと思います。
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