痛みがあればケガを治す。苦しみがあればそれから脱出するために努力する。

それはそれで尤もですが 世の中には怪我でもないのに痛みだけ激しい

苦しみから逃れられない程の苦しみ。まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?

必要でもない悪です。どう考えればいいのでしょうか?

私は攻撃性についての質問をしながら、酷い痛みで長文が読めずに苦しんでいます。

私に限らずおよそ必要以上の痛みや苦しみに苛まれてる人は多いです。

人間にとって痛みとは何なんでしょう?どう考えればいいのでしょうか?

短文で教えてくださると助かりますm(_ _)m

A 回答 (27件中11~20件)

haruさんは、どんな時に愛を感じるのか。


あるいは、どんな愛を求めているのか。

教えてもらえますか。
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この回答へのお礼

ありがとう

最近は愛を感じなくなって来ました。死にかかっています。

お礼日時:2017/05/21 12:00

★(№13お礼欄) 何か間違ってるんでしょうね 不健康なのでしょか。



☆ わたしのこの問いについての回答は あくまで 質問者の発言に即し

て その文章にもとづくなら こうではないかと考えたところを述べてい

ます。いぢわるを通り越して 大幅に悪辣な人間として 回答しています。

そんなこと あるわけないではないか。という反応なのでしたら 無視し

てください。

お考えになるところがありましたら それに沿って お進みくださいませ。

少しでも 交通整理をおこなえるかと思っての この悪役ぶりです。
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ペインクリニックは、主として疼痛を主訴とする疾患の診療部門であり、神経ブロックによる治療を中心に行う[1]。

基本的には麻酔科医が行う。
日本にペインクリニックが誕生したのは、1962年8月1日に東京大学の麻酔科学教室にペインクリニック外来が設立されたのが最初である[1]。現在は普及し開業の医院も各地に存在する。また「日本ペインクリニック学会」と称される学会組織も存在する[1]。一方で日本最初のペインクリニックは、奈良県立医科大学整形外科学教室初代教授 恩地裕(おんじ ゆたか)先生が米国ユタ大学で麻酔を学んだ後、1961年、同大学附属病院で週一度外来に開設したものだとする文献もある。また、1961年当時東京大学麻酔科講師だった若林文吉先生が奈良県立医大のペインクリニックを見学し、翌1962年、東京大学にて設立したとされている。
ただし、ペインクリニック科という標榜科は存在しない[2]。というのは、標榜科の規則として、内科または外科の診療方法の名称属性としての標榜しか認められていないため、「内科(ペインクリニック)」などの形が求められ、ペインクリニック科での単独標榜はできないからである[3]。このような事情のため、「麻酔科外来」がペインクリニックを意味していることもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペインクリニック


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ウィキペディアのペインクリニックの記事ですけれど、
わざわざ先生と付けていますね。
それはともかく


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

麻酔科学(ますいかがく、英語: anesthesiology)は、手術などの麻酔を中心とした医学一分野のひとつ。最近[いつ?]では生命維持全般を扱うにまで発展している。
概要[編集]
麻酔科学は、歴史的には外科手術を円滑に行うために登場した医学・医療の一分野で、疾患・手術操作・薬剤に対する生理的反応をコントロールし、患者の安全と快適を目指す。現在は手術の麻酔のみならず、救急・集中治療、慢性疼痛治療(ペインクリニック)、終末期医療など応用分野が広がっている。

診療内容[編集]
手術管理
集中治療(ICU)
救急医療
ペインクリニック
終末期医療

https://ja.wikipedia.org/wiki/麻酔科学

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


思想としては麻酔と関係しているのかもしれませんね。
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神仏を怨んでいいと思います。

なぜならば神仏がこの世の生みの親なのだから。
大いに怨むべきなのです。なぜこんなに私を苦しめるのだと。
でも、自身の怨み心には注意が必要です。

どう注意するかと言うと、好ましくない方の心、悪心による“怨み心”は働かせないと言う事です。好ましい方の心の欲求を神仏に投げかけるのです。
そうすれば神仏は聞いてくれます。

悪心は悪魔が聞き、良心は神仏の心に届きます。

神に祈り、仏を念じてみて下さい。
きっと涙、するはずです。

その涙は神仏の流す涙。

なぜ神仏は泣くのでしょう。
それは自身が生み出したこの世の、生き物の苦しみを救ってやれないからです。
神仏の懺悔の気持ち。
この気持ちが祈る人の心に現れるのです。

神の博愛。仏の慈悲。
神仏の流す涙に接すれば、なぜか人は慰められるものです。
体の痛みも少しは和らぎます。
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この回答へのお礼

ありがとう

生まれた時から無宗教で 今も無宗教なので 神仏を感じません

怨み様がないです。

人の愛があればいいのですが・・・・

お礼日時:2017/05/18 22:37

★(№9お礼欄) そう上手く行きますかねえ?



☆ 不必要な苦しみと言うなら 何らかの間違いから来ているはずです。

間違いがないのなら――その原因は にわかには分かりませんが――

必要な苦しみを伴なう場合が多い。

ですから 単純にですが 間違いがあるぶん 必要以上に苦しみが増す

ということになりましょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

何か間違ってるんでしょうね 不健康なのでしょか。

お礼日時:2017/05/18 17:58

痛みを感じる生き物にとって、その痛みは「苦」でしかありません。

特に人間が体験する痛みは、他の動物よりも強いものがあるように思います。それは人間の体が高度に、そして複雑に出来ているからでしょう。

生物の生きるという営みは「苦」との闘いでもある、と言えると思います。

望んでもいなかった命を与え、さらに自分自身で生きろとこの世に放り出しておいて、なおかつ何の根拠もなく体の痛みにも耐えろとは理不尽な事、甚だしいと思います。
必然、神仏を怨むことになります。

、、、あとでまた。
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この回答へのお礼

ありがとう

怨む神仏さえ居ないのですから この世は苦だと 四苦八苦だと言わざるを得ません

生きてる内に出来る事をするだけです。

お礼日時:2017/05/20 12:05

「痛みがあればケガを治す。

苦しみがあればそれから脱出するために努力する」
⇒その通りですね。

「世の中には怪我でもないのに痛みだけ激しい苦しみから逃れられない程の苦しみ。まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?」
⇒病による痛み、こればかりは誰も答えられないのですね~。

私はいつも思っています。
健康が全てに勝ると。
何故ならば、健康以外の自分の問題はいくらでも解決できるからです。

受験、いじめ、就職、失恋、お金といった悩み、これらはどうにでもなります。
考え方、生き方だけの問題だからです。
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この回答へのお礼

Thank you

健康は大事ですね 健康がなかったら何も出来ません

宮沢賢治や正岡虚子も肺病で死んだ様ですが

惜しい人を亡くしたと思います。

お礼日時:2017/05/18 22:34

人間にとって痛みとは何なんでしょう?


どう考えればいいのでしょうか?
  ↑
生存において、環境が適合していれば快楽を感じ、
適合していなければ、不快、苦痛を感じます。

動物の情動神経系はそう出来ています。

どうしてか、といえば、不快、苦痛を感じれば
そこが、その状態が環境に適合していないことを示し、
そういう環境から脱するか、対策を採るか
を促す必要があるからです。

不快、苦痛を感じなければ、適合していない環境に
何時までも留まっていることになり、それは
生存に不利になるからです。
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この回答へのお礼

それは分かっているのです

問題は適合や必要とは関係なく痛い、病気の事を言っているのです

リウマチや癌の患者の痛みを適応していないからだと言えるでしょうか?

その辺を酌んでい頂けると有難いです。

お礼日時:2017/05/18 19:52

★ まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?



☆ ということは 必要な苦しみは その理由が分かっている

ということでしょうか。

ならば 必要以上の苦しみは あなたの思想が未熟であること

を 早く知りなさいと言っているのです。

その自覚が出来れば 必要なだけの苦しみにおさまります。
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この回答へのお礼

そう上手く行きますかねえ?

お礼日時:2017/05/18 15:44

1.生物としての人類は、自然淘汰の結果として生きる事を


  目的とし、それに反すると感じられる感受を、回避すべき
  作用として苦痛に感じる。

2.社会生命としての人類は、その社会的ニーズ=助け合い
  の必要としての愛において、それに反すると認識される
  環境において苦痛を感じる。

3.社会生命としての分業化において、それを自覚できない
  自己中心性を他律的にコントロールすべく、お金や出世
  といった“馬車馬の目の前のニンジン”や、法規やモラル
  といったムチを発達させ、他律=苦痛による生となった。
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この回答へのお礼

うーん・・・

先生のお話はわかるのですが そういう意味じゃないんです

必要以上の苦痛というものが得てしてあるものなのです

死ねば楽になるでしょうけど そんなに苦しまなければならないのかと思う程の苦痛は

どう考えて受け止めればいいかという 救いはないかという事を書いているのです。

お礼日時:2017/05/18 16:54

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