痛みがあればケガを治す。苦しみがあればそれから脱出するために努力する。

それはそれで尤もですが 世の中には怪我でもないのに痛みだけ激しい

苦しみから逃れられない程の苦しみ。まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?

必要でもない悪です。どう考えればいいのでしょうか?

私は攻撃性についての質問をしながら、酷い痛みで長文が読めずに苦しんでいます。

私に限らずおよそ必要以上の痛みや苦しみに苛まれてる人は多いです。

人間にとって痛みとは何なんでしょう?どう考えればいいのでしょうか?

短文で教えてくださると助かりますm(_ _)m

A 回答 (27件中11~20件)

haruさんは、どんな時に愛を感じるのか。


あるいは、どんな愛を求めているのか。

教えてもらえますか。
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この回答へのお礼

ありがとう

最近は愛を感じなくなって来ました。死にかかっています。

お礼日時:2017/05/21 12:00

★(№13お礼欄) 何か間違ってるんでしょうね 不健康なのでしょか。



☆ わたしのこの問いについての回答は あくまで 質問者の発言に即し

て その文章にもとづくなら こうではないかと考えたところを述べてい

ます。いぢわるを通り越して 大幅に悪辣な人間として 回答しています。

そんなこと あるわけないではないか。という反応なのでしたら 無視し

てください。

お考えになるところがありましたら それに沿って お進みくださいませ。

少しでも 交通整理をおこなえるかと思っての この悪役ぶりです。
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ペインクリニックは、主として疼痛を主訴とする疾患の診療部門であり、神経ブロックによる治療を中心に行う[1]。

基本的には麻酔科医が行う。
日本にペインクリニックが誕生したのは、1962年8月1日に東京大学の麻酔科学教室にペインクリニック外来が設立されたのが最初である[1]。現在は普及し開業の医院も各地に存在する。また「日本ペインクリニック学会」と称される学会組織も存在する[1]。一方で日本最初のペインクリニックは、奈良県立医科大学整形外科学教室初代教授 恩地裕(おんじ ゆたか)先生が米国ユタ大学で麻酔を学んだ後、1961年、同大学附属病院で週一度外来に開設したものだとする文献もある。また、1961年当時東京大学麻酔科講師だった若林文吉先生が奈良県立医大のペインクリニックを見学し、翌1962年、東京大学にて設立したとされている。
ただし、ペインクリニック科という標榜科は存在しない[2]。というのは、標榜科の規則として、内科または外科の診療方法の名称属性としての標榜しか認められていないため、「内科(ペインクリニック)」などの形が求められ、ペインクリニック科での単独標榜はできないからである[3]。このような事情のため、「麻酔科外来」がペインクリニックを意味していることもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ペインクリニック


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ウィキペディアのペインクリニックの記事ですけれど、
わざわざ先生と付けていますね。
それはともかく


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

麻酔科学(ますいかがく、英語: anesthesiology)は、手術などの麻酔を中心とした医学一分野のひとつ。最近[いつ?]では生命維持全般を扱うにまで発展している。
概要[編集]
麻酔科学は、歴史的には外科手術を円滑に行うために登場した医学・医療の一分野で、疾患・手術操作・薬剤に対する生理的反応をコントロールし、患者の安全と快適を目指す。現在は手術の麻酔のみならず、救急・集中治療、慢性疼痛治療(ペインクリニック)、終末期医療など応用分野が広がっている。

診療内容[編集]
手術管理
集中治療(ICU)
救急医療
ペインクリニック
終末期医療

https://ja.wikipedia.org/wiki/麻酔科学

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


思想としては麻酔と関係しているのかもしれませんね。
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神仏を怨んでいいと思います。

なぜならば神仏がこの世の生みの親なのだから。
大いに怨むべきなのです。なぜこんなに私を苦しめるのだと。
でも、自身の怨み心には注意が必要です。

どう注意するかと言うと、好ましくない方の心、悪心による“怨み心”は働かせないと言う事です。好ましい方の心の欲求を神仏に投げかけるのです。
そうすれば神仏は聞いてくれます。

悪心は悪魔が聞き、良心は神仏の心に届きます。

神に祈り、仏を念じてみて下さい。
きっと涙、するはずです。

その涙は神仏の流す涙。

なぜ神仏は泣くのでしょう。
それは自身が生み出したこの世の、生き物の苦しみを救ってやれないからです。
神仏の懺悔の気持ち。
この気持ちが祈る人の心に現れるのです。

神の博愛。仏の慈悲。
神仏の流す涙に接すれば、なぜか人は慰められるものです。
体の痛みも少しは和らぎます。
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この回答へのお礼

ありがとう

生まれた時から無宗教で 今も無宗教なので 神仏を感じません

怨み様がないです。

人の愛があればいいのですが・・・・

お礼日時:2017/05/18 22:37

★(№9お礼欄) そう上手く行きますかねえ?



☆ 不必要な苦しみと言うなら 何らかの間違いから来ているはずです。

間違いがないのなら――その原因は にわかには分かりませんが――

必要な苦しみを伴なう場合が多い。

ですから 単純にですが 間違いがあるぶん 必要以上に苦しみが増す

ということになりましょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

何か間違ってるんでしょうね 不健康なのでしょか。

お礼日時:2017/05/18 17:58

痛みを感じる生き物にとって、その痛みは「苦」でしかありません。

特に人間が体験する痛みは、他の動物よりも強いものがあるように思います。それは人間の体が高度に、そして複雑に出来ているからでしょう。

生物の生きるという営みは「苦」との闘いでもある、と言えると思います。

望んでもいなかった命を与え、さらに自分自身で生きろとこの世に放り出しておいて、なおかつ何の根拠もなく体の痛みにも耐えろとは理不尽な事、甚だしいと思います。
必然、神仏を怨むことになります。

、、、あとでまた。
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この回答へのお礼

ありがとう

怨む神仏さえ居ないのですから この世は苦だと 四苦八苦だと言わざるを得ません

生きてる内に出来る事をするだけです。

お礼日時:2017/05/20 12:05

「痛みがあればケガを治す。

苦しみがあればそれから脱出するために努力する」
⇒その通りですね。

「世の中には怪我でもないのに痛みだけ激しい苦しみから逃れられない程の苦しみ。まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?」
⇒病による痛み、こればかりは誰も答えられないのですね~。

私はいつも思っています。
健康が全てに勝ると。
何故ならば、健康以外の自分の問題はいくらでも解決できるからです。

受験、いじめ、就職、失恋、お金といった悩み、これらはどうにでもなります。
考え方、生き方だけの問題だからです。
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この回答へのお礼

Thank you

健康は大事ですね 健康がなかったら何も出来ません

宮沢賢治や正岡虚子も肺病で死んだ様ですが

惜しい人を亡くしたと思います。

お礼日時:2017/05/18 22:34

人間にとって痛みとは何なんでしょう?


どう考えればいいのでしょうか?
  ↑
生存において、環境が適合していれば快楽を感じ、
適合していなければ、不快、苦痛を感じます。

動物の情動神経系はそう出来ています。

どうしてか、といえば、不快、苦痛を感じれば
そこが、その状態が環境に適合していないことを示し、
そういう環境から脱するか、対策を採るか
を促す必要があるからです。

不快、苦痛を感じなければ、適合していない環境に
何時までも留まっていることになり、それは
生存に不利になるからです。
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この回答へのお礼

それは分かっているのです

問題は適合や必要とは関係なく痛い、病気の事を言っているのです

リウマチや癌の患者の痛みを適応していないからだと言えるでしょうか?

その辺を酌んでい頂けると有難いです。

お礼日時:2017/05/18 19:52

★ まるで必要以上の苦しみは何の為にあるのでしょうか?



☆ ということは 必要な苦しみは その理由が分かっている

ということでしょうか。

ならば 必要以上の苦しみは あなたの思想が未熟であること

を 早く知りなさいと言っているのです。

その自覚が出来れば 必要なだけの苦しみにおさまります。
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この回答へのお礼

そう上手く行きますかねえ?

お礼日時:2017/05/18 15:44

1.生物としての人類は、自然淘汰の結果として生きる事を


  目的とし、それに反すると感じられる感受を、回避すべき
  作用として苦痛に感じる。

2.社会生命としての人類は、その社会的ニーズ=助け合い
  の必要としての愛において、それに反すると認識される
  環境において苦痛を感じる。

3.社会生命としての分業化において、それを自覚できない
  自己中心性を他律的にコントロールすべく、お金や出世
  といった“馬車馬の目の前のニンジン”や、法規やモラル
  といったムチを発達させ、他律=苦痛による生となった。
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この回答へのお礼

うーん・・・

先生のお話はわかるのですが そういう意味じゃないんです

必要以上の苦痛というものが得てしてあるものなのです

死ねば楽になるでしょうけど そんなに苦しまなければならないのかと思う程の苦痛は

どう考えて受け止めればいいかという 救いはないかという事を書いているのです。

お礼日時:2017/05/18 16:54

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すでに学問の領域として存在していたことを知りました。

現代の日本において教育は、実利のみを動機とし、目的としていると思い
ます。これは、教育が欲望達成のための道具に成り下がっているというこ
とで、あるべき姿ではないと考えます。

教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?
また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

Aベストアンサー

>教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?

食糧の調達と保存と加工方法、それに栄養学、あとは哲学を教えるべきです。
上記を無償の義務教育として、それ以外は有料の選択科目とすればよいでしょう。

>また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

教師の収入・生活を確保するための議論は排除して、個人が自由に教育を買えるようにすることが重要です。
教育を買うだけのカネがない人達には、食糧の調達と保存と加工方法、栄養学、哲学だけは無料で(税金んで)教えるようにしましょう。

Q善悪の判断基準

私は、このような人間とか社会の基本的なことを、過去の哲人たちの思索を
手掛かりに、一般大衆がよくよく考えるべきであると思います。
もはや、我々一般大衆が、力を持っていることを自覚するようになった、そ
ういう時代になったと思うからです。

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わる状況の中で、その都度おこってくる問題との関連で、一人一人がどう生
きるのが最も善の生き方であるかを選択する以外にないという「状況倫理」
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もはや、我々一般大衆が、力を持っていることを自覚するようになった、そ
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その文章は、多くの方が簡単に理解できそうですよ。
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量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
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これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
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お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、...続きを読む

Qどうしてみんな働きますか

女性なら結婚出来ない男性がかなり余っててその中に高収入の人も少なくありません
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Aベストアンサー

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Q不可知を 未知と分けて――哲学なら――用いなければいけない

不可知も まだ知られていないこととしては 未知でしょう。

では わざわざ不可知と言うのは どうしてでしょうか?

定義してください。

Aベストアンサー

#76です。

1.
>☆☆ 非知
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそうだと言おうとしています。

了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
に関しては、
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
といった謙虚なるご見解は不要で、
むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
少なくともわたしはそう認めています。
ただし、人間存在の最終原因とか、神とか、摂理とかいったように、その思考の対象がすでに定まったものに対して適用するのは妥当とは思われない。
つまり、
『 過去、人間は、未知・既知といった経験事象としての概念の他、知り得ないと判断する思考現象としての不可知という概念を操ってきた。しかし世界には、知り得るか知り得ないかが知り得ない、と言わざるを得ないような [ 何か ] は常に存在しているのであり、それは 非知 とでも呼ぶべき対象なのである。』
といった脈絡で採用されるべき視点ではないか、と思う次第。

2.
そのあとの記述も精査しましたが、
>★ つまり、連続説の場合も、(ⅲ)の内容については大いに同意するものです
が、
 ☆’《とはいえ、経験事象が そうしたナゾの影響を受けていることもまた事実
 である》
★ といった続きがあるわけです。
☆ この《続き》は 一たん非連続(つまり 淵があって超えねばならなかった)
を認めたあとの《手続き》としてなのです。さもなければ 《無限》が 有限世
界と地続きだとなります。

☆超えねばならなかった
ものではなく、あくまで、当初から並立しているもの です。
こういった内容に象徴されるように、すべてが 非知を大前提にした論理展開 となっていますよね。
なぜ、非知でなければならないのか?
ここが示されない以上、弱いのではありませんか?

3.[ おまけ ]
>☆ というのは 《絶対の隔たりが 〈無限〉と人知とのあいだに ある》と認
めた上でそのあと それでも わたしは連続説に立つのだという宣言なのです。

違います。
あくまで「宇宙の摂理の象徴としての神」の場合にはですが、
☆絶対の隔たり
は当初から認めていません。
よって、
>★ ここで〔☆ こそ〕また連続・非連続の論議に舞い戻ってしまうわけで〔☆
それに関しては〕やはり見解の相違と判定するのが妥当じゃないですかね。

といった甘言に篭絡されるいわれもありません、ということになりそうです。

>★ むろん、この場合の「直接」は、一般の経験事象同士における直接とは意味
が異なることは、128回ほど申し上げているので、すでにご承知のはずでしょ
うけど。
☆ 鯉の滝登りではありませんが 一たん有限から無限の夢幻境へと論理で駆け
上ったからには その《精神の軌跡》を抜きにして この《直接》の意味内容を
考えるわけには行きません。でしょう?

★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうので、最終原因は永遠に不可知と言わざるを得ません。
という言及に関して、
・原因=有限での経験事象
・最終原因=無限の夢幻境での事象
のように分けてお考えなのだと思います。
しかし、
★原因が分かったとしても
という表現は、
「あ、これだ!」のように
★原因が分かったとしても
といった意味ではありません。
★原因に対する原因が永遠に付きまとう
というのは、論理的合理性に基づいて、つまり、これだけで成立している命題なわけです。
説明上、例として挙げることはありますが、経験事象としての原因を必須の要素として必要としているわけではない、という点にご留意いただければと思います。

#76です。

1.
>☆☆ 非知
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそうだと言おうとしています。

了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
に関しては、
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
といった謙虚なるご見解は不要で、
むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
少なくともわたしはそう認めていま...続きを読む

Q悪人の願い

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われると、素直にうなづけません。
さすがに永遠に生きたいとまでは思いませんが、長く若くいたいくらいには思います。
この、生存の執著は誰しも持っているであろうものですが、これが昂じて悪人の願うところの様になってしまった時、彼は何かを見失っている様にも思えます。生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?
逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
と言う事でもあります。

この悪人の願いとその盲点について、思うところがあればどうぞよろしくお願いします。
お気軽にどうぞ。

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われ...続きを読む

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永遠の命をさずかったら
たぶんだれも勉強をしないだろう
恋愛というものもなくなるだろう
食料もいらなくなり、地には木も植えなくなるだろう
貿易もする必要もなくなり、海の外への興味もなくなるだろう
現在のような世界ではなくなるだろう
なにもない世界になるだろう

永遠の命のなかで
人は今、なにかをしようとは思わないだろう
なにかをしなければとは思わないだろう

今日が終わるという感覚もなくなるだろう

Q人の心は脳の自然現象でしょうか? 死後は無なのでしょうか?

人の心は脳の自然現象でしょうか? 死後は無なのでしょうか?

Aベストアンサー

人間は物質的な肉体以外に、霊体という体が重複的に存在していて、その霊体の方に心が存在しているそうです。

↓スピリチュアリズム入門
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sp-introduction1/index.htm

ここの第2部のところを読んで下されば、人間の魂がどこにあるのか書かれてあります。

Qネアンデルタール人よりわずかながら小さい脳を持つ人類は、誰に・何に飼われている、のでしょうか?

マイケル・コーバリス著の”意識と無意識のあいだ”を読んでいます。
次のような興味ある説明に出会いました。

<奇妙なことに、家畜化されると動物の脳は小さくなるらしい。イヌは同程度の大きさの体をもつオオカミより脳が小さく、ボノボはチンパンジーより脳が小さい。人類も、現在は絶滅してしまったが自分にいちばん近いネアンデルタール人よりわずかながら小さい脳をもつ。>

人生相談ばかりには飽いているであろう、哲学カテの常連様に、次の質問をさせてもらいます。
“人類は誰に・何に飼われている?”のでしょうか。

Aベストアンサー

多細胞生物の細胞は、単細胞生物の細胞より単純です。
単細胞生物は、単体で環境を甘受し、運動して捕食、
消化、生殖する必要があるのに対し、多細胞生物の
細胞は、環境との相互作用を神経やホルモンによる
反射的なものに退化させ、それによりシングルアク
ションするだけになってしまっているからだ。
(大量生産の工場では、生産ラインの一か所で単純
労働するだけになるのと同じ)

人類は本来、脳の発達により環境と自律的に対応し、
単体で複雑な行動をとれるのが特長であったが、
分業化・組織化する中で、単一行動化し、お金や
出世といった“馬車馬の目の前のニンジン(社会的
二次情報)”に対して、反射的に行動するようになっ
た=本来助け合っている社会で競争し、他律的に
社会行動をとらされる(お金をもらうためにイヤ
イヤ働かされる)ようになってしまったのだ。
人を操っているのは、「誰か」ではなく社会常識
(法規や教育、常識といったミーム)、即ち単細胞
生物が集合して多細胞生物になったように、個体の
集合の上に、超個体的な生命体を形成しつつある。

Q人間とは 何でしょうか?

そもそも人間とは何でしょうか?

実存とか精神とか 性善説とか性悪説とかありますが

人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

Aベストアンサー

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に発生しただけの生物であって、いずれは死滅する存在じゃないかと。
そんな生物であれば、「人間とは?」などと大上段に考察する必要もなく、多少の知性などはあるものの、本質的にはアメーバーなどと大差は無い生物ってことで良さそうです。

一方、近年の宇宙科学とかでは、「ホンマかいな?」と言う様な発見や研究が多いのですよ。
たとえば、「重力は小さすぎる」なんてのが証明されて、「その力はどこに消えてるのか?」などが研究されるたり、「未知なる『第5の力』がある!」なんてことも言い出しました。
そうなると、高名な学者が「宇宙は少なくとも5次元以上で構成されているが、人間の脳は、まだ3次元までしか感知,認識し得ない」みたいな説を唱えたりもしています。

何か「言いたい放題」みたいな感じなのですが、1つのことが判れば、謎は深まるばかりと言う様相で。
ご質問も、それこそパスカルの時代から存在しつつ、誰も明確に正解を答えられない問いですが。
結局のところ、「人類はまだ、何も判っていない」に等しい状況と言えそうです。

もう一つ、興味深い説があって、宇宙には人類以外の知的生命体がいる存在は、否定されつつあります。
これはちょっと寂しい気もする説ですが、これが事実なら、冒頭の「真理を突き止められる可能性がある、宇宙で唯一の生物」と言うことになります。

また、上でも少し触れましたが、宇宙と脳には各種の関連性が指摘されていて、まあ人類も宇宙の子ですから、関連があって当然ながら、何らか「宇宙の意思」的なものがあって、その様に作られているのかも知れません。

いずれにせよ、人類は未だ「人間とは何か?」に対し、明確な答えを得ておらず。
その答えを得るためには、まだ戦争などの愚かしい行為も繰り返しながら、もっと科学技術などを高める必要性はありそうだし。
戦争などとは無関係に、宇宙や生命科学の真理を探求できる状態になる頃には、完全なる平和なども手に入れねばならないです。

現代に生きる我々に出来ることは、我々の子孫が真理を解き明かすことを願い、我々の時代を少しでも良くする努力をすることではないか?と思います。
また、もし真理に到達すれば、それが「宇宙の意思」そのものと言えそうで。
「人類こそが、宇宙の意思であった」と言えるのかも知れません。
あるいは、人類の産物であるAIなどが、人類の意思を引き継いで、それを実現するのかも知れませんが。
出来れば、私のDNAもちょっとは受け継いだ、人類であって欲しいです。

> 人間と言う者は 一体何なんでしょうか?

それを探求し続け、現時点では、その末にすべてを解明する可能性がある、宇宙で唯一の生物・・と言うところじゃないですかね?

もし仮に、「神」とか「宇宙の意思」なんてのが存在し、その意思のもと、人類が何らかの目的とか、何らかの使命を帯びて誕生した生物であれば、宇宙や生命科学の真理に到達するか?
たとえ到達せずとも、その手前くらいまでは辿り着くと思いますが。

やっぱり神などはおらず、人類は特に目的なども無い生物なら、地球と言う惑星に偶発的に...続きを読む


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