とっておきの手土産を教えて

知らせて悔やむ恋
わが恋は三島が沖に漕ぎ出でてなごろわづらふ海士の釣船
という和歌について

訳を
恋心を伝えて後悔する恋の歌
私の恋は強風の名残の高い波にもまれる三島の沖の海士の釣り船のようだ
と訳してみました

西行にそのような恋心を伝える相手はいて、
実際に伝えたのでしょうか

そしてなぜ海士の釣り船に例えたのでしょうか
後悔=航海で釣り船に例えていたり…?

なにか考え方のアドバイスなどありましたら教えていただきたいです

A 回答 (1件)

源平盛衰記に、西行が、ある高貴な上臈と一度契り、またの逢瀬を、と問いかけたところ、”阿漕の浦ぞ”と、はねつけられたと、記述があるそうです。

このお相手は、待賢門院璋子であるというのが通説です。崇徳上皇の母に当たります。西行が恋や桜を詠むときに、心の中にあったのは、高貴な生まれでしかも、奔放な、彼女だったということです。

歌合せなどで、題詠をすることも盛んでしたが、西行の歌が現代人の心を打つのは、悲しい恋に身を焦がし、煩悩を鎮めるために詠んだ、祈りのような歌だったからだと思います。

なぜ、海士の釣り船に例えたかといえば、阿漕の浦に微妙に響き合うからでしょう。

「逢ふことを阿漕の浦に引く網のたび重ならば人も知りなむ」《古今和歌六 帖》

伊勢の禁漁区で、何度も釣りを繰り返した漁師が、捕らえられた故事にちなむ和歌だそうです。
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