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神社に行ってお賽銭してる最中に時計の電池が切れた。

そしたら今日は休みだから良かった。試験のときに切れてスマホが見れない環境で時計が止まるのを神様が助けてくれたんだよ。って言われて、最初は時計の電池が遊んでるときに切れて不吉だと思ったけど神様が電池を早めに切ってくれたんだと思えば電池が切れても不吉じゃない気持ちになっていた。

で、帰り際に棒が2本刺さっていて枯木の間にお賽銭を突っ込んでいる人がいた。

あんな無意味な木にお金を突き刺しても神社が儲かるだけと私は思ったが、前者の電池の成人は「あの枯木は元々鳥居だったんだよ。私たちの身がわりになって燃えてくれた。だからきっと守ってくれる」と言ってビックリした。

私は鳥居の癖に落雷か放火にあって神の力など鳥居に宿ってないじゃないかとしか思えない目の前にある火事で燃え尽きた鳥居が代わりに守ってくれたという発想はなかった。

みなさんはどちらの立ち位置ですか?

彼女の考え方は合ってるの?

神の力があれば落雷も放火も落ちないように出来るでしょ?

私がおかしいの?

A 回答 (1件)

日本の神様は、全能の神じゃないですから、身代わりになってくれる氏神様もいるんじゃないですかね?


神社が儲かると言うのは、別に悪い事じゃないですよ。
それで、神社の普請とかができるわけですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/07/15 20:26

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