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日本で活躍している歌手、または、カラオケバトルなどを見ていましても、子供から大人まで日本の歌手などのレベルが著しく低い様な気がしてなりません。勿論、音楽につきましては、客観的にうまい下手を決めるのは難しいです。けれども、色々な国の歌手と比べてみましても、日本の歌手を聴いていて何か訴えてくるものが少なすぎるというのが、感想です。とにかく、せかせかしていると感じるのと、ゆったりした曲を歌っていても、音楽性はほとんど感じず、「音程をはずさないように、気をつける。」「それらしい声の音色が出せるよう、そして発音に気をつける」というのばかりが聴こえてきて、とても「うわぁ、酔っちゃうほど、心地いいなぁ。」とはなりません。なんだか、せこせこした印象で、上辺だけをなぞっているように聴こえてしまいます。あくまで個人的な感想なのかもしれませんんが。
 じゃあ、他の国の歌手が音程をはずしているかというと、全然そんなことはなく、むしろ日本人の方が音程をはずしているのが目立ちます。音程をはずさないようにと意識しているのが見えるし、それに努力しているのかもしれませんが、逆に日本人のほうが音程をはずしているのが見える。。。。っていうのは、何だか滑稽ですし、理不尽でなりません。その上、芸術性レベルが著しく低いので、何も残らない感じです。それと、他国の歌手は、もっと大らかで、音楽のフレーズが全体的につながっていて、聴いてて心地良いですが、日本の歌手は、なんだか、ところどころにいちいちアクセントがついているように聴こえ、ブチブチ切れてしまっている感じがします。不思議なのは、日本にいるときは、こういうことに一切気付かなかったことです。ふつうに、「いいなぁ。」と思ってきいていました。
 
 勿論、日本には日本独特の感性があり、それがだんだんと評価されつつありますので、いいとか悪いとかは分かりません。ただ、町並みやテレビなどで自然に流れている音楽が身体に染み付いて、たまに日本に帰ったときに、「え??????」って、すべてが下手に聴こえるんです。それは、それで、外国人はそういう印象受けているのかな、と興味もあります。アニソンが好きな人などは、別でしょうが。

 それと似ていると思いましたのが、キムヨナがオリンピックで優勝した時の事などです。競技的にみると、点数が異様に高く、不正があったのだろうかと疑問に思えます。ただ、そういう専門的な事を知らない場合、あの時の日本人一般的には、「やっぱりキムヨナすごかったねぇ。きれいだったねぇ。しかも全然くずれないし。」という印象だったのを覚えています。それと似ているんです。こまかーーーーい事を分析すれば、くずれていたのかもしれないし、何か足りない点はあったのかもしれませんが、見ている側には、そういうのは見えないし、とても綺麗にスムーズに、見ていてはらはらドキドキすることもなく、うつくしいと感動してしまう程に見えました。それは、表現しようとしているもの、芸術レベルが関係しているのは、確かです。
 日本人は、テクニック的な事にこだわりすぎてしまい、皮肉にも逆にテクニックのアラが目立ってしまうのかなぁ。どうしてこういう現象が起こるのでしょうか?
 是非、外国の方の意見も聞きたいです。

 他国→主にアメリカ、カナダ、ロシア、モンゴル、トルコ、アゼルバイジャン、中国などの歌手など。ヨーロッパの歌手については、詳しくありません。

A 回答 (4件)

御指摘の通りだと思います。



相対的に、日本の歌謡界は、技術のレベルが低いと
思います。

素人に毛の生えた程度、いや素人以下の歌手などが
目立ちますね。

素人のど自慢の優勝者の方がよほど優れていたり
することも多々あります。

ワタシには中国人の知人が多いので、その関係で
中国の唄を聞くことも多いのですが、日本人よりは
上ですね。技術的に。

少なくとも、素人みたいな歌手などいません。

中国では、専門の学校があって、政府が国を挙げて
育成している、という面があるので、下手な歌手は
出て来れないのです。

日本の場合は違いますね。
可愛ければ、儲かれば、それが一時的で有れ何でアレ、何でも
出す、という感じです。

だから芸能人に対する評価も違います。
中国では芸能人は文化人の一種です。

日本は落ちこぼれが芸能人になる、という感じです。

芸能人は河原乞食だ、と言われてきた歴史の
せいでしょうか。
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日本人で、海外で活躍するオペラ歌手などはたくさんいますので、身体的な部分が問題なのではないと思います。



問題なのは「人々が求める芸術レベル」なのだと思います。

逆の例をあげましょう。たとえば「なぜ、海外では日本のようなアニメが製作されないのか」などです。

海外にも素晴らしいアニメはたくさんありますが、商業レベルのアニメでハリウッドの実写などに影響を与え、支持されるアニメは日本のモノ以外にありません。アメリカでジャパニメーションと呼ばれるほど、日本のアニメは別格のものとして支持されています。

海外ではなぜそういうものが作られないのでしょうか?
アニメの技術はそれほど難しいものではありません(真似をするならすぐにできる、という意味です)、しかし、ストーリー性や映像のアングルやカット割りなど、日本のアニメーターの発想は群を抜いていると言われています。
なぜ、外国ではそういうアニメーターがでてこないのでしょうか?

それは一言でいえば「人々がそれを求めていないから」でしょう。
ディズニーアニメは日本でもヒットしますが、世界中で受け入れられるように作るため、限界が低く設定され、日本のアニメのようなスト―リーにはなりにくいでしょう。

逆に日本ではたくさんのアニメが作られ、海外輸出はそれほど重要視されず、目の肥えた日本のアニメファン向けに作っているから、海外でも評価されるものができるのだともいえます。

翻って日本の音楽業界を見た時に、海外の人々と日本の人々の「歌手」に求めるニーズに違いがあるのが分かると思います。

日本の、特にテレビ番組に出てくるような「歌手」は歌手ではなく、アイドルだったりビジュアルを売りにするようなバンドだったりするわけです。ですからAKBのようなアイドルは歌の上手いヘタではなく「見た目とテレビに露出していること」自体が目的ですし、ビジュアルバンドなども「見た目重視」で人気がある、といえます。

また、カラオケバトルは「歌唱力」とは関係ないところにあります。歌唱力の本質は「歌の世界観を表現し、聞き手に感動を与えるもの」のはずですが、カラオケバトルはその部分を無視して、機械の点数を追求するものだからです。

それ自体が悪いことではありませんが「歌」の本質的なところから言えば、必ずしも「人を感動させるレベルの歌唱力がなくてもよい」ということなのでしょう。

諸外国ではそうはいきません。アメリカの例を考えれば、あれほど多様な人種がいて多様な価値観がある社会で「人々が共通して賛同できるような歌手」であるためには、様々な価値観を超えたところにある「人間の本質を揺さぶるような歌唱力」が必要になるのではないでしょうか。

そういう点でアメリカ、カナダ、ロシア、モンゴル、トルコ、アゼルバイジャン、中国はいずれも多民族国家ですので「本質的に人間を感動させる歌唱力」が必要なのだと思います。
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ズバリ!質問者さんが見聞きしているのは所謂、一般的に目にする事の多い、聴く事の多い作品の事ですよね?どんなに素晴らしい能力を持って居ても表舞台に出ない限り皆さんは知り得ない。

私も日本の芸術レベル、私なりの言い方したら日本人の美的センスは世界の国々と比較したら恐ろしく低いと思います。では、それは何故か?島国で黄色人種だからです。しかも、敗戦国故に物欲主義にならざるをえない。つまり、芸術性や美的感覚よりも金に成るのか成らないのかが第一優先なんです。では、そんな土壌で能力の有る人が活躍したいと思いますか?本物の美しさを島国が故に知らない人達に自分の高い能力と血の滲む様な努力の結果を見せたいと思いますか?また、日本国内市場に売り出す側にしても本物の美しさを知らない客に本物を売ろうと思いますか?客は本物の価値を知らないから、かなりの安値を付けてくるでしょう。これが日本の現実です。周りを海で囲まれ僅かな土地の島で構成された一言語一民族の日本ならではの応えです。仕方がないっ!
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声楽については、スポーツと同じです。


しっかり筋肉がついている方が大きな音が出せます。
声量が豊かな方が、表現力に勝ります。

日本人は体型的に西洋人に負けますから、技術レベルが同じなら日本人の負けです。

とすれば技術レベルで勝てれば良いかというとそうではありません。
いくら技術レベルが高くても、声量が貧弱ではどうしようもないのです。

日本の音楽大学声楽科で「筋トレを必修にしている」など聞いたことがありません。

つい最近まで芸大の発声がベストなどと金科玉条のごとく言われていたのですから。

圧倒的な声量がないことを技術でごまかそうとするからなかなか感動は得られないのです。

スポーツに関しては、美を採点基準とするスポーツは西洋発祥なのです。

ここでも、体型的に劣る日本人は最初から不利なのです。

今後の日本人が体つきとしてどこまで西洋人に肉薄できるのかが鍵でしょうね。
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