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キリスト教、回教、仏教と三大宗教がありますが、仏教だけ違うところがありますね。キリスト教にも回教にも神様がいますが、仏教には神様がいません。仏教では誰でも修行によって仏になれるのです。それは宮沢賢治の雨にも負けずを読めばわかります。そういう人に私はなりたいとの一節です。彼の中では、そういう人が仏の姿だと思いますが、どうでしょうか?

A 回答 (9件)

宮沢賢治は法華経に帰依してくださいと父にたのんだんですよね。法華経というのは天国も地獄も自分が作り出すと、我が心の中にあるとの教え

です。ひとつの事にたいして怒りを覚える人、又可哀想だと思える人、さまざまですがどちらが仏のような人なのかー。単純に考えて分かりますよね?
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>それは宮沢賢治の雨にも負けずを読めばわかります。

そういう人に私はなりたいとの一節です。彼の中では、そういう人が仏の姿だと思いますが、どうでしょうか?
そうなのでしょうか?
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宮沢賢治がいいのかは分からん、本を読む像は絵になる、

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No4です。

誤字がありました
・ブッダは、ある時に木の下で座禅を組んで、側貌を捨ててしまうと、安らぎが来る事を知ります。

・ブッダは、ある時に木の下で座禅を組んで、欲望を捨ててしまうと、安らぎが来る事を知ります。
バラモンの司祭者が最高の位になりますが、そこでも争いがあります。より上に立ちたい。
その為の修行者が沢山いました。
その様な修行も含めて煩悩、欲望として捨てるべきとバラモンへ反論
因果応報で悪い事をしても、一生が良いまま終わる事例に対して・輪廻の思想で反論
何が良いことで、何が悪いのか、・利他 と ・利己 で説明します。キリスト教の 愛 ですね。
バラモンのカースト制度を無くして、新しい社会を期待したと思いますが
数千年たった今でも、インドではカースト制度が支配しています。
私たち近代日本人には驚きですね。
中国、日本に伝わった教えは、ブッダの思想に神様が加わっています。
御釈迦様の考えた通りには世界はなりませんでした。
産業や経済の発展は、人間の欲望があったからともいえます。
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キリスト教にも回教にも神様がいますが、仏教には神様がいません。


  ↑
仏教にも十二神将などの神様がいますが、
あれは後生の人間が勝手に創ったものです。



仏教では誰でも修行によって仏になれるのです。
   ↑
本来はそうなんでしょうが、現実には無理、という
ことで、お経さえ唱えていればとか、偉い坊さんの
衣に触れれば、なんて便宜的手法が開発され、
それが宗派に別れた一因にもなっています。



それは宮沢賢治の雨にも負けずを読めばわかります。
そういう人に私はなりたいとの一節です。
彼の中では、そういう人が仏の姿だと思いますが、どうでしょうか?
   ↑
仏とは我欲を捨て去ることが出来た人の
ことだと理解しています。
だから、宮沢賢治は少し違うと思っています。

そもそもですが、我欲を捨て去る、なんてのは
不可能だと思いませんか。

アドラーのように、自己に執着するな、程度が
現実ではないでしょうか。
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>仏教では誰でも修行によって仏になれるのです。


これも一概に言えない、難しいです。
仏教の流れですが
・ゴータマブッダ(後の御釈迦様)がインド西北の釈迦国の王子として生まれる。
・当時のインド(今も同じですが)、カースト制度で有名なバラモン教(現在のヒンズー教)の時代です。
 バラモン(司祭階級)・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラに産まれながら決まっていて
 カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない。
 バラモンが支配するにとっておきの宗教です。しかし、戦争をはじめ、物盗りや人殺しが当たり前の日常でした。
 実は転生輪廻の教えが既にあり、生前にカルマが“因”となり、次の世で“果”を結ぶ とあります。
・ブッダは、このバラモン界に疑問を持ち王族の家を出て、色々な修行を行います。
 行先々では、争いで亡くなった遺体などの惨状を目にします。
・ブッダは、ある時に木の下で座禅を組んで、側貌を捨ててしまうと、安らぎが来る事を知ります。
 これが悟りでした。
・ブッダは、残りの人生を、この悟りを広げる布教活動に身を捧げます。
・多くの弟子たちの前で、ブッダは涅槃の域に入り亡くなります。
・弟子たちが各地に散らばり、ブッダの人生と説いて回ります。
・中国大陸で、上座部仏教 と 大乗仏教 に分かれます。
  上座部仏教とは、オリジナルの仏教に近い考えです。自分が修行し悟りを得るというもの。
  大乗仏教とは、もっと悩みをもった大勢の人々を救うべきであるという考え。
  多くの人々を救済しながらも自らも悟りを得る為に修行している人のことを「菩薩」といいます。
・古代に日本に伝わってきたのは、大乗仏教です。
  ブッダ(釈迦如来)は地上で悟りを開かれます。悟りを開いたのはブッダが最初ではありません。
  阿弥陀如来様、御釈迦様より何億年も前に悟りを開かれ、今は天国の中央に座って、多くの菩薩たちに説法されています。
  その前には、大日如来様、天地創造の神様です。
・鎌倉新仏教の時代、日本最大宗派 浄土真宗、浄土宗などが布教して広がります。
 ご本尊様は阿弥陀如来で、「南無阿弥陀仏」と唱える事で、菩薩様が迎えに来て下さり、阿弥陀如来様の元(天国)へ
 導いてくれます。

確かに、御釈迦様は神様とは違いますが、仏様である大日如来、阿弥陀如来様の信仰は既に神様の信仰の域になると思います。

キリスト教の場合も
時代は、ローマ帝王支配の時代で、幾度も争いがあり、宗教はユダヤ経がありました。
思想、哲学の分野でもプラトンなど多数の哲学がありますが、神がかりストーリーもあり哲学なのか宗教なのか?
キリストは「愛」を唱えてキリスト教の布教をしますが、ヨーロッパは近代まで戦争の繰り返しの歴史を歩んでいます。

最初は思想や哲学が始まりでも、多くの信者を抱える様になり、全ての人を救済するとかなると
どうしても神様の存在を使うようになるのではないでしょうか。
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先程ちょい間違いあった


こっちだった

仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm
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その通りだと思います  一つ手前の菩薩かな


仏教でも神は出てきますが神は 働き ととらえます
仏は極楽は地獄は 自分の中にあると説きます
キリスト教は自分以外の所にあります

違いは沢山あります
最大の違いは 原因と結果を自分の中に求めるか 
自分の外に求めるかです

まあ 西洋哲学も 仏教に近いです

同じところ 共通点も沢山あります

仏教 キリスト http://rokusann.sakura.ne.jp/newpag27.htm


菩薩の法則  http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
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仏教は輪廻転生の考え方です。

正しく行きて一歩でも仏に近づき、生まれ変わりたい。来世でも仏に近づきたい。
キリスト教やその他の宗教は、偉大な神の教えに添い、地獄ではなく天国に行きたい という考え方。
どの宗教でも、正しく行きて行かなければならないという教えになりますが、「そういう人に私もなりたい」を現世の自分だけでなく来世の自分にもつなげて表現しているなら、宮沢賢治さんは仏教の教えに影響されているのだと思います。
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この回答へのお礼

戦前、日蓮が注目された時代がありました。日蓮主義などという言葉もありました。国柱会などという宗教団体があり、あたかも今の創価学会と同じことを言っていました。宮沢賢治もこの日蓮主義に触発された一人です。彼の手帳には創価学会が御本尊とする曼荼羅が描いてあります。

お礼日時:2017/08/27 12:55

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