1つだけ過去を変えられるとしたら?

佐藤圭‏記者が『加戸氏の発言があまり報道されなかったのは、報道する価値がなかったからにすぎない』というツイートをしました。(https://twitter.com/tokyo_satokei/status/9009875 …

もちろんテレビであろうと新聞であろうと情報を掲載できる量に限界がある以上、取捨選択が必要であることは理解できます。
たとえ情報量にほぼ制限のないネット記事であっても、ありとあらゆる情報すべてを記載することは無理であることも理解できます。
テレビ局も新聞社も基本的には営利企業である以上、「”価値(利益・視聴率)のある”高校野球は多く報道するが、”価値のない”高校サッカーはほぼ報道しない」ということも確かにあるでしょう。
しかし、果たして情報の価値をマスコミが決めるということに危険性はないのでしょうか?

たとえばXという番組はこのような報道をしたとします。
アナ「政党Aの党首が不倫していました」
視聴者「なんだって!?じゃあ次の選挙は政党Bに入れよう」
アナ「政党Bは政党Aを糾弾し、A党首の辞任を迫りました。しかし、B党首も不倫していたのです」
視聴者「はぁ!?じゃあCに入れるか……それとも……うーん……」
アナ「情報はすべて出しました。これをどう受け取り、どう考えるかは視聴者の皆さんにお任せします」

一方、Yという番組は次のように報道をしたとします。
アナ「政党Aの党首が不倫していました」
視聴者「なんだって!?じゃあ次の選挙は政党Bに入れよう」
アナ「政党Bは政党Aを糾弾し、A党首の辞任を迫りました」
視聴者「不倫のA党首と比べてB党首はかっこいいな!次の選挙はここで決まりだ!」
アナ「では次のニュースです」
プロデューサー(B党首の不倫は「報道する価値」がないからな、言わなくてもいいんだよ)

もちろんこれは極端な例でもあるとは思います。
しかし、マスコミ側に「報道する価値」を決めさせる、情報の取捨選択を委ねるということは、Yの番組のようなモノを増やし続けることになるだろうということは想像に難くありません。
記者・ジャーナリストの多くは「国民の知る権利を守れ」と口癖のように言っていたにもかかわらず、実際のところは「俺が無価値と思った情報は国民に知らせなくてもいい」というホンネを持っていたのだろうということも考えられるでしょう。


情報の価値を決めるのはマスコミがやるべきことだと思いますか?
また、国民の知る情報はマスコミが決めるべきだと思いますか?

A 回答 (8件)

これはニュースではなくて、番組も初めに付ける言葉が必要だ。


私たちはこう思う!!
でなければ嘘、捏造の類になってしまうだろう。
本人たちも分かってやってることだけど、偏向編集はいかがなものか?
もしも反対に悪い事をしてても、この報道は偏向だからと思われても仕方ないんですよ。
そう、オオカミ少年の話です。
自社のカラーはいいけれど、あの人はこう言ってるけど私はこう思うと何故言えない。
それが嘘くさいっていう事です。
それがまた、ほとんどの局で遣らかしてるもんだから戦時中のインチキな放送としか思えない。
誰がどの様にこんな事してるんですか、陰謀以外ないし問題です。
こんなこと言ってると、頭がおかしくなったぐらいに言われるけど悲しいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/27 12:38

2018年に出る統計で、世界のネット広告費が、世界のテレビ広告費を抜くそうです。


この予測がネットニュースになっていました。
これをニュースを読んで、私はテレビの時代は終わったと思いました。
今後は、テレビの影響力は年々落ちていくと私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 21:42

マスコミは権力です。

信じるも信じないもあなた次第です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/30 17:53

報道されているのであれば、問題ないのでは?


だから誰も訴えないのでは?

選挙前の政治家の露出とは違いますよ。
全ての情報に置いて、国民に一定の周知をさせないとならない。

無茶ですよ。
あなたも言っているじゃないですか。
ソレを言い始めたら・・・
報道量が少ない情報などゴマンと有りますよ。

その中で「加戸氏」の情報に限っては、国民全員に周知させなければならないんですか?
特別に?
その情報に限っては、特別に優遇して?

マスコミに一体何をさせたいのかな?
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マスコミを、常に「A」とそれに対する「B」の情報を掲載させる公平な機関にしたいという事ですか?



じゃあ、国民が税金を支払って、「マスコミ庁」なるものなりを国家で制定し、運営するしかないのではないでしょうか?


営利企業の形態ではそれは実現できませんから、まずは公共機関として整備しないとその前提は成立しないと思いますが。


マスコミ以外にも無数の「民間企業」の情報が世の中にはあふれていますが、当然ほしいと思っている人が多い情報が売れる、価値が高くなるのは自由主義国家では当然の成り行きです。
それを逆行させたいなら、共産主義体系に学ぶしかない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに仰ることもある程度は理解できますが、しかしながら日本には放送法が存在します。
この話題の原点は「テレビメディアは前川氏の証言を取り上げる一方、加戸氏の発言はあまりに取り上げなさすぎるのではないか?」というものであり、それは
放送法第2章第4条第2項:政治的に公平であること。
同第4項:意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
などの違反ではないかという声もあります。

まして「加戸氏の発言を報道しない」というのはある意味では「国民の知る権利」を脅かす行為であり、その権利を守れと主張していた人たちが率先して「知らせない権利」を振り回すことに私は疑問を覚えるところでもあります。

まぁ”自由主義国家”を目指すのであれば、今現在およそ独占状態にある電波(テレビ局)を解放し、その放送権をオークションにでもかける必要もあるのかもしれませんが。

お礼日時:2017/08/28 21:47

情報の価値はマスコミが決めるべきでは無いと思いますよ。




実際に価値のある情報は国が取りまとめており、

教育機関へ(間接的にでも)提供しているはずです。

これらが教科書となり、教師が学校で生徒に教えているはずです。

価値の高いものから順番に教えているため、

小学校で習うものがもっとも価値が高いとされています。

さらに義務教育と言って、法と行政機関の強制力の元で、

これらは国民全てが知ることになります。



また、

その情報の真偽については社会問題になるほど重要に扱われています。

マスコミが得た情報でも価値が高ければ、教科書に載ります。

マスコミには情報の価値を吟味する力がありませんから、

情報を伝えるスピードで補っています。

国が補助をしてくるわけではありませんので、

独自の配信ルートを確保することで、サービスとして成立させているんです。


情報を作り出す人は研究機関に所属しております。

発表にあたっては、厳しい精査を受けています。

精査を受けたものが論文誌に載ります。それまで1年から2年かかります。

これらが5年ほどたつと、大学などで扱う専門書になります。

海外のものが翻訳されるまで10年くらいはかかります。

更に、国家を代表する研究者(昔で言うところの長老ですね)が集まり、

国を思って取りまとめるのが小学校・中学校の教科書です。

ここまで大分掛かりますが、大変価値のあるものが集積されています。



昨今、論文を捏造した事件が大きく報道されました。

情報の価値を保障する大切な機構にほころびが生じたんですから、

大きな事件と成ります。

これらがちゃんと報道されているんですから、健全であると思います。



情報の価値を精査するためには、大変時間が掛かります。

ですので、

なるべく早く知らせ、利用する人個人の判断に任せる機構も必要になります。

インターネット(の元の仕組み)がそうした用途で研究者によって作られたのは、

ご存知でしょうか?

マスコミの役割も同じですが、ビジネスとして第三者が統制をしていますから、

利用する側にとって危険でもあります。

情報の真偽も、情報の価値も利用者任せですし、

拡散力だけが売りです。

簡単に言えば、無責任であるわけです。

しかし、これについて心配している人が少ないのが現実的な問題でしょう。



民間放送がTVで行われるようになって、

大人達を口をそろえて子供達にいっていたのが、

「TVを見すぎると●●になる。」

と言うことです。

うちの父も大分悩んでTV番組を選んでいました。

同時にこうもいっていました。

「うちの先生が良く言っていたなあ。

 『お前らみたいな●●が大人になって、子供に教えるんだから、

 ●●ばっかになる。』」

(これの変化パターンとして、お前らみたいな●●が先生になって・・)


これは、

「人間と言うのは、相手が見えず、権威に隠れると、

 『自分が自分よりも●●な人に学んでいるかもしれない。』

 という可能性を見過ごしてしまい、その相手よりも能力が下がってしまうことに

 気がつかない。」

(※ ●●には、愚か者であると言う漢字2文字をあって読んでください。)

と言う大事な教えです。

何かを教える側、伝える側にはそれなりの実力(知識と経験)や

資格(義務と責任、社会の承認)が必要です。

ここに精査が無ければ、信頼ができません。

政治家や教師に関しては、精査がありますが、マスコミに関しては無いんですよ。

構造として既に怪しい。

これを愛用する人は、どうかしています。

大衆の味方であると言うスタンスを取っていますが、どこにも保障がありません。

鵜呑みにするほうが愚かでしょう。

マスコミを信じて、教師や政治家に不信を持つ人は、面白い人だと思います。

手に入りやすい、楽であると言う甘えから気持ちが負けていると言う事ですね。

そういう人が多いというのが本当の問題なんです。

「情報価値が無いモノを取り扱って、責任を回避する。」

これがマスコミが生きている場所であり、住み分けです。


マスコミも不適当な情報を配信したときに謝罪をしますが、

役割としてはサービスにあたるものです。謝る理由が存在意義の中にありません。

個人の発言であるか、組織の発言であるかは意味をなしません。

構成メンバ、配信内容について専門的な第三者組織が精査をしていない場合は、

必ず信用できないものに成ります。


こうした精査のない情報に触れるときは、

情報を発信する相手が

「どうやって身を守っているか?」

を考えることです。

非常に簡単な話です。

情報を得ても、社会的に影響を及ぼさない人を選びます。

社会的な影響があれば、ライバルの報道機関が喜んで報道するでしょう。

これは確かに後味が悪いでしょう。

そこで、情報を配信する価値が無い人を選び、価値のない情報を配信するんですよ。

これにより無害と成ります。


私たち一人一人が、精査されない情報に触れたいと思ったとき、

「自分が知っても、社会に何の影響も及ぼさない人だとして選ばれた。」

と自覚するべきです。

「偽情報を得たと怒ったとしても、

 誰にも相手にされない人として、巧妙に選ばれている。」

これを良く考えることで、情弱(などと最近言われていますが)に対抗できます。


例えば、

同じ人間でも、同業や専門家に情報を伝えるときは緊張します。

受け取る人の社会的な価値により、情報も変わると言うことです。


応用としては、

そうした社会的に価値ある専門家に向けて配信している情報を信用し、

そうでない人達を意図的に選んでいる情報源は利用しないことです。


情報は自分で精査するのではなく、

情報を発信している人の緊張感を測る事で精査ができます。


同じマスコミであっても、同じ企業であっても、同じ記者であっても、

専門家に情報を伝えるときと、

どうでも良いと思う相手に伝えるときでは、情報価値を変えてきます。

これは皆さんも同じではないでしょうか?


総じて言うならば、人が触れあって、あーだこーだ言っているだけです。

その関係があることが微笑ましく、賑やかであり、有りがたいものなんです。

情報源をマスコミ一つに絞らず、

また、相手の責任感や緊張感を想像する。

その上で、自分が情報を得ても意味をなさないことも自覚し、

「この情報伝達自体に一体どんな価値があるのか?」

と冷静に考えて、どんなシーンなのかを想像する。


そのあとで相手を思いやって、

「せっかく取材をしてくれたんだから、話してください。聞いてみたいです。

 私なんかに伝えても、世の中何も変わりませんが、

 あなたが作成した情報も、国が保障しているもっと価値のある情報と比べたら、

 どうでも良いものだと思います。

 どうせ、専門家には相手にされないんでしょうし、出すところがないでしょう。

 なので、どうでも良い私たちくらいしか発信先がないはずです。 

 このどうでも良いもの同士の情報の伝達でも、生きているよすがにはなると

 思うんです。無駄かもしれませんがお願いします。

 嘘があったりしたら、個人的に怒ります。

 それでもまあ、辞めないでください。寂しいですから。」

と言う姿勢でつきあうのが妥当じゃないでしょうか。


情報価値がない情報に触れてしまうのは、

そういう相手を相手が選んでいると言う事です。

ここに気をつけて、情報を取り扱うと良いと思います。


価値が高く、正確な情報を得るためには、

それなりの地位が必要であると言うこと。


万人に向けての優しい情報は、義務教育にて国が配信しています。

この情報を活用した人が、高い知識を得て、高い地位についています。

人生の始まりにおいて、公平に(幼少の頃に)分け与えられているんです。

そこで情報から外れてしまった場合は、

今更もとめても手に入らないと諦めるべきでしょう。

それでも専門分野を極めれば、そのジャンルに関しては正しい情報が手に入ります。


この前提を置いたとき、

マスコミに情報を頼ると言うのは、姿勢として変だとおもいます。

彼らは情報を売っているのではなく、娯楽を売っているのです。

私は、マスコミを利用していません。

全く困りませんよ。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても興味深く、面白く、考えさせられる内容だと感じます。

お礼日時:2017/08/27 13:24

いわゆる”編集権の自由”というものです。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/27 12:32

それをべき論で考えても意味がありません。


マスコミというか、情報の価値は発信者が決めるしかない、のですよ。

質問者様はこの質問を発信するにあたって誰かの価値判断を仰ぎましたか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は誰の判断も仰いでいませんが、私はメディアの人間ではなく、ここはマスコミと呼べる場所ではなく、まして放送法が関わる状況でもありません。

私は「情報の価値を決めるのは視聴者・受け手」だと思いますが、『情報の価値は発信者が決めるしかない』という考え方があることは理解しました。

お礼日時:2017/08/27 12:31

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