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通説では、日本は集団主義の国だそうです。
ところで、サッカーや野球のような集団競技が、なぜ、発生しなかったのでしょうか?

A 回答 (7件)

目の付け所が違うと思います。



そもそも「集団競技」というか「競技=スポーツ」が発生したのはヨーロッパだけです。

「集団主義」そのものはどこの国でもそれなりにあります。なぜなら「戦争」は集団行動だからです。
重要なのは「戦争のような集団行動を、集団競技という形に転嫁し、一定の精神性を持たせたスポーツと言う形に昇華できたのはなぜヨーロッパだけなのか」ということです。

逆をいえば、集団競技が発生したのはヨーロッパだけであり、他の地域では戦争という集団行動は古来からあったのに、どこの国・地域でも発生しなかった、ということになります。

日本においては、戦争の行動体系を「一定の精神性を持たせた形」を一応持っています。禅などの精神修養、剣道や柔道などの武道などです。しかし、集団競技の形態は生まれませんでした。

中国などの多くの地域では「精神修養」の形態ですら生まれていないのです。少林寺拳法などはありますが、一般的なレベルのものではなく「仏僧」などの特別な階層の人々だけおこなうものでありました。

ヨーロッパでなぜスポーツが起きたのか、それには「貴族社会と精神修養」の関係があります。ヨーロッパ社会の戦争形態では騎士階級が重要な役割を果たしたからです。

騎士階級は日本の武士にも似た「精神修養」性をもっていました。騎士道の発展には、キリスト教の友愛精神と、領民に対する奉仕精神(ノブレス・オブリージュ)が必要でした。

このノブレス・オブリージュをより具現化したのが「イギリス紳士:Gentleman」であり、Gentlemanを育成するために生まれた精神修養・精神鍛錬の方法が「スポーツ」と呼ばれる集団競技であったわけです。
また、スポーツにしても武道にしても「これらの精神修養法が生まれたのは、近代化して古来からの武装集団の方式が無くなった後」であることにも注意が必要です。
つまり「戦闘集団で本当の戦闘を行っていた時代」には、このような団体競技は必要ない、というか「そんなことよりも実際の戦争での生き死にで十分」であったからです。

つまり、集団競技が生まれるためには以下の要素が必要であったといえます。
・戦闘を行う古来からの男子の集団
・その中で特に重要な地位を占める特権集団(騎士や武士)
・特権集団が特権的な地位を保持するための社会的義務(ノブレス・オブリージュ)
・古来からの戦争方法は廃れた時代性
です。

これにより、特権的な地位にいる若者に「ノブレス・オブリージュ」を教えるため、実際の戦闘に変わって集団競技が発達したのがヨーロッパであり、特にイギリスの役割は大きかった、といえます。現在行われている集団競技の殆どがイギリスか、イギリス的価値を重んじていたアメリカ(特に北東部)であることに注目してください。

逆に他の地域でこのような集団競技が生まれなかった背景は
・騎士階級に相当する階級とノブレス・オブリージュが生まれなかったこと
・中世以後、西洋列強の植民地支配に置かれたこと
などが上げられると思います。中国に関しては、集団行動を重んじる騎士よりも、科挙で選抜される士大夫のほうが重要な地位を占めたため、集団競技どころか「スポーツ」自体生まれる素地がほとんどありませんでした。


日本は植民地支配はうけていませんが、日本の場合「ノブレス・オブリージュ」は存在しません。なぜなら農民は武士と並ぶ重要な階級であったからです。日本は統治の都合上、武士が農民の上に立っていることになっていましたが、それは「租税権と警察権」が主因であり、土地や地域社会の運営は農民の自治でした。
 貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)というのは、社会の殆どを占める農民たちが貴族や王族に帰属する農奴か、もしくは貴族や王族の持つ土地に寄宿して小作を行う農民だからこそ必要なものです。
 日本の農民は租税権や警察権は武士に委ねていましたが、土地所有は個人・地域社会の運営は村や町などの自治単位だったので、貴族の義務は事実上存在しませんでした。

そのためイギリス的な「紳士」が育つ余地はなく、それを教育する「集団競技」も発生しなかった、といえるのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
古今東西にわたっての、ご説明、有意義でした。
集団競技は、単なる競技ではなく、人を磨く(<「ノブレス・オブリージュ」を教える>)ための教育として推奨された、のですね。これは、イギリスような社会に相応しいが、日本では、その必要がないから、集団競技は発生しなかったのですね。
このご説明を拝見すると、豊かな・消化した学識を身に付けておられるのだな、と感服しております、

お礼日時:2017/10/23 17:19

サッカーや野球のように、敵味方に分かれたり体を使ったりはしませんが、集団競技として連歌があります。



お祭りなどが、敵味方に分かれて体を使う集団競技だったりするのではないでしょうか。けんか神輿とか。
https://www.youtube.com/watch?v=bxoCizPkEmI

また、下記によると欧米人より日本人のほうが集団主義の傾向が強いとはいえないそうです。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_200930_ …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
日本でも、団体競技に似た、連歌、町内対抗のお祭り、けんか神輿、綱引きがありますね。
<日本人のほうが集団主義の傾向が強いとはいえない>
ですね。アンケートなどではなく、実験により、上記は確かめられている、という研究発表もありますね。ただし、日本は集団主義の国だ、という通説は依然として強いですね。

お礼日時:2017/10/24 15:39

日本の歴史は古いです。

蹴鞠もごく限られた人しかしません。

つまりスポーツといいものは余裕のある人がやるのです。

石蹴りや缶蹴り、鬼ごっこ等は子供の頃暇があるから出来るのです。

庶民は食べていくのに精一杯でサッカーとか野球とかしてる暇はありません

武士は剣道や柔道をしたのでしょう。集団社会で息苦しいので 集団スポーツとか

上下関係があって出来ません。スポーツという感覚がなかったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.<スポーツといいものは余裕のある人がやる>
のですね。
2.団体競技は、<上下関係があって出来ません。>ですね。上級生と下級生とはまるで違う、身分制のしがらみの下では、楽しみが見付けられないでしょうね。

お礼日時:2017/10/23 19:12

通説では、日本は集団主義の国だそうです。


  ↑
これは間違いです。
米国、日本で、こうした調査が何百も実施
されていますが、日本が集団主義である、という結果は
皆無です。
調査では、米国の方が集団主義であることが
実証されています。
(放送大学 認知心理学)




ところで、サッカーや野球のような集団競技が、なぜ、
発生しなかったのでしょうか?
   ↑
日本が集団主義の国では無いからです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
以前にもご指摘して頂いたように、
<日本が集団主義である、という結果は皆無です。>
については、私もそうかもしれない、と考えています。
集団主義と団体競技とは、密接な関係がある、ということですね。

お礼日時:2017/10/23 08:50

日本の集団主義は、学業と仕事なのです。



そもそも、貧しかった日本ではスポーツは見向きもしなかったのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
日本の集団主義の対象・目的は、<学業と仕事>のみなのですね。
そして、スポーツができる経済的な余裕は、なかったのですね。

お礼日時:2017/10/23 08:43

ところで東京都江戸川区で歩道橋や自転車にくそガキ殺すと脅迫して逮捕された男がいます。


どうして狂っているが当たり前なのですか。
証拠に公園を目指して闊歩している幼稚園児がいます。
幼稚園で大声を出すと近隣住民がそれに釣られて大声を出すからです。
どうして狂っているのですか。
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この回答へのお礼

お礼日時:2017/10/28 15:51

稲刈りのあとで、鬼ごっこ、押し競まんじゅうをするからです。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
懐かしいですね、<鬼ごっこ、押し競まんじゅう>。
土地に相応しく、時期に合わせ、集団遊びがあるものですね。

お礼日時:2017/10/22 19:48

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