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日本史について
1859年に横浜、長崎、箱館で貿易開始されましたが、その前に1854年に日米和親条約、1856年に日米修好通商条約で、貿易開始されたのではないのですか?
なぜ、1859年になるのかがわかりません。
どなたか教えてください!!

A 回答 (3件)

横浜港が正式に開港されたのが1859年7月1日(安政6年6月2日)


長崎港は1571年
函館港も横浜港と同じ1859年です。
長崎港はもともと日本で唯一海外と接していた港でした。
しかし、他の2港と合わせる必要があったのでしょうね。
質問者さんは日米修好通商条約を1856年にと書かれていますが、ウィキペディアによると
「安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である」とあるので、条約が結ばれてから1年後に開港するということだったのでしょう。
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日米和親条約では貿易するとは決められていません。



日米修好通商条約では、それぞれの港で開港の時期が決められていました。
条約締結が1858年、そこで貿易すると決められた最初の開港が1859年。
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1854年の日米和親条約の内容は



・なかよくしようね!
・アメリカの船が日本の近くで困ってたら助けてね!
・石炭や食料のお金はちゃんと払うよ、値段は日本の役人が決めていいよ!

という内容です。値段を役人が決めてる取引なので
貿易ではなく、補給していいよ、という内容ですね。




実際の貿易開始は1856年と質問者さんが書かれている
日米修好通商条約からですね。ただしこれにしても
調印は1858年7月、効力発行は1859年7月です。


じゃあ1856年ってなあに?というと『ハリスが来日して条約交渉を始めた年』
ですね。当時のアメリカ全権大使ハリスさんはすぐ日本の代表と
調印して帰ろうとしていたようなのですが、当時の幕府は

『事前に聞いてないから入国不可でござる』
『江戸に聞いてきたら怒られたので下田で待つでござる』
『そう、日本の代表は将軍でござる』
『将軍に会うには手続きが必要でござる(この後1年後に謁見)』
『交渉はするが日本のトップは天皇でござる』
『えっ、天皇に会わせろ?京に聞いてくるのでちょっと待つでござる』
『ダメって言われたでござる。えっ、自分で行く?ちょ、ちょ待って』
『あっ、将軍死んだでござる。喪に服すからちょっと待つでござる』

というようなことをしていて、最終的な調印が遅くなってしまったようですね。
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