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ドラマ「篤姫」をご覧になってない方には申し訳ないですが、私のつたない説明で。

ドラマでは背の丈6尺にもなるハリスを見下ろすように、畳を何枚も敷き重ね、そして家定がうつけのふりをして、歌舞伎の見得を切るかのような振る舞いで応じたとしています。

これは史実とどのように合致OR違いがあるのですか?

A 回答 (1件)

ハリスは滞在記を書いており、日本でも岩波文庫で出版されています。

それを読むと、

1.畳を何枚も敷き重ね、
これは事実のようです。「大君は床から二呎(フィート)ばかり高くなっている席に設けられた椅子にかけていた」となっています。もちろん篤姫が考えたということはないでしょうが、日本側の記録では、「御上段へ七重の御厚畳、錦を以て之を包む。四方の角江紅の大総飾を附く。」となっています。椅子、というのは私達が想像する椅子ではなく、坊さんが座る曲録のようなものだったそうです。つまり、戦場で使う床机が少し豪華になったようなものです。
そうすると、畳の高さが60cm+曲録が50cm+座高70cm(当時の男性の平均身長は155cm程度)として、およそ180cm程度になりますから、立っているハリスと同等か、やや上から見下ろす感じになったでしょう。

2.そして家定がうつけのふりをして、
これはどうなのでしょうか? 同じくハリスの記録には「短い沈黙ののち、大君は自分の頭を、その左肩をこえて、後方へぐいっと反らしはじめた。同時に右足をふみ鳴らした。これが三、四回くりかえされた。それから彼は、よく聞える、気持ちのよい、しっかりした声で、次のような意味のことを言った。」とあります。

ハリスは徳川家に利害関係がありませんから、彼の記録は信用できるでしょう。したがって、奇妙な素振りをしたことは確かですが、この部分については、色々な説があります。

比較的主流なのは「アテトーゼの人が緊張してことばを話そうとした際に生じる不随意運動」(篠田達明『徳川将軍家十五代のカルテ』〔新潮新書〕148頁)とする説です。アテトーゼ自体の原因については、何とも言えませんが、病弱ということと併せると何らかの障害があったのは事実だと思います。

けれども、後段で「よく聞える、気持ちのよい、しっかりした声」とありますから、何らかの障害はあったとしても、執務自体は一生懸命にやる人だったのではないでしょうか。そもそもこのような席での将軍の言葉というのは、天皇の「お言葉」と同じで、その場で勝手に自分の判断で話すものではありません。老中が文案を作成し「このように話して下さい」とするものですから(その文案自体が残っています)、その奏上を理解し、その通りに執務するくらいの知性はあった人だと思います。

>歌舞伎の見得を切るかのような振る舞い

ですから、この部分は、NHKの好意的な?解釈でしょう。
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この回答へのお礼

とても詳しいお話をうかがえとても嬉しいです。

これは今日にでも、一緒にドラマを見たうちの女房にウンチクを語らなければ(笑)

本当にありがとうございました
勉強になりました

お礼日時:2008/06/23 13:25

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