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城にいる武士の警備の配属場所について質問があります。
江戸時代などの史実な日本の城の警備には必ず門番はいると思うのですが、その他に、主にどういったところに武士を配属しておりましたか?
できれば具体的に施設名を言ってくださるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

江戸城の警備について主たるものは老中支配の次の


三者である。
1.大番    城の警備等   (門、玄関等) 
2.書院番   将軍の警護等   殿中
3.小姓番     〃      〃
今の大手町から大手門を入り、下乗橋で下馬して中の門
をくぐると、下乗橋脇番所があり入門者の警戒をする。
少し離れその左脇に百人番所があり、大番の鉄砲百人組
(同心)が交代で勤めている。
その奥に大番所があり組頭、番士、与力、同心が詰めて
いる。
   今でもこれ等は二の丸へ行くと再建された建物
   が見られる。
大手門は特に重要な門であり、鉄砲30挺、弓10張り
槍50本もの準備があった。(慶応3年)
大手門のような、櫓門の上の階は、詰め所に使っていた
だろう。
大きな他の門も類似していたが、小さい門には大番所
はなかった。
城内には各所にこの他の多くの同心番所が設けられ、
昼夜警戒した。

他方宝蔵の警備は、勘定奉行配下の番士が担当し同心を
従え番所に詰めた。

御殿内の警戒は書院番が担当した。
万治2年の江戸城再建本丸御殿表向(政務担当)間取図
の場合
玄関を入ると遠侍(とおさむらい)の間があり、大番の
番士が詰め警戒に当たる。
その先の虎の間には、書院番の番士が控えて、殿中の見
張り役である。
将軍の直々の警護役の小姓番は、中央西の老中、奉行等
重役の詰所脇の、小姓詰所に控えている。
菊の間には、大番頭、書院番頭、小姓組番頭の諸番の長
が詰めている。
その下の各組頭は躑躅(つつじ)の間に詰めている。

これ等は「表」だが、将軍の居住区郭の「中」では
小姓組が昼夜の警護に当たる。

大番頭、書院番頭、小姓組番頭は大身の旗本で(初期は
大名のこともあった)組頭、番士は良い身分の旗本しか
なれなかった。 
番士の格は小姓国、書院番、大番の順で出世もその順と
いう。

「奥」(俗に大奥)については老中支配だが、大番では
なく留守居役支配の、広敷番の担当である。
大奥の入り口(玄関入ってすぐの間)の広敷に詰めて
大奥の警備も担当する。   広敷の間と大奥御殿の境
には鍵のかかった扉があり、御殿内には入れない。

大奥御殿内は、将軍以外男子禁制(医師等例外はある
が)で、非常事態以外は、奥女中が警戒担当である。

このほか小十人組、新番等があるが、将軍の外出時の
警護などなので省略。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

大老・・・政務を統括し、将軍の補佐。

老中・・・大老がいない場合は、政務の統括、将軍補佐。

御側用人---将軍側近第一の立場で将軍補佐役。(以下はその配下)

*御側御用取次・・・御側衆3人の内から選ばれ宿直はなし。毎日登城して、将軍と御用部屋の老中との取次役。

*御側衆・・・御側御用人の下に8人おり、そのうち3人が御側御用取次を行う。将軍側近の役で約5,000石の旗本から選ばれた。

御庭番---8代将軍吉宗が紀州から連れてきた家臣で、吹上の宿直をし、内庭の巡察を行う。しかし、将軍より内偵の命があると、隠密御用をつとめた。

留守居---老中に属し「留守居年寄」とも呼ばれ、定員5人。将軍不在の時の城の責任者で城門の守備にもあたった。この下に留守居与力と留守居同心がいた。(以下は全て留守居支配下です)。

*具足奉行・・・定員2名。甲冑の製造保管であったが、平和になると修理保管業務に替わった。この下に組頭と同心がいた。

*鉄砲玉薬奉行・・・定員2名。火薬の製造と監理にあたった。この下に組頭と同心、掃除の者がいた。

*鉄砲箪笥(たんす)奉行・・・定員2名。鉄砲の製造と修理、保管整備。この下に組頭と同心がいた。

*弓矢槍奉行・・・定員2名。弓矢や槍の修理補修、監理、製造。この下に組頭と同心がいた。

*幕奉行・・・定員2名。野戦の陣幕、平時の幕を保管調進。この下に同心と中間がいた。

*富士見宝蔵番頭・・・定員4人。徳川氏歴代の宝物を収納してある富士見宝蔵の守備。この下に番頭と番衆がいた。

*天主番頭・・・定員4人。本丸北の西桔橋門の突き当たりにある天主台の守備。この下に番頭と番衆。

*裏門切手番頭・・・定員6人。裏門を守備し通行を監査する。この下に同心。

*御台様広敷番頭および御簾中様広敷番頭・・・定員2組14人。大奥出入りの関門で内外の諸事を受け付ける。この下に番衆と伊賀者、進上番。

*進物取次番頭・・・定員3人。御三家御三卿、その他の家からの献上進物を受け取ったりする。この下に取次番と取次下番。

*伊賀衆組・・・定員30人位。大奥の風紀取締り役。大奥出入りの医者等の刀などを預かった。また、大奥上級者の外出時の警護役。この下に広敷添番と伊賀者。

*明屋敷番伊賀者組頭・・・定員3人。江戸府内で大名旗本が屋敷替えや改易等で無人となった屋敷を監理する。この下に伊賀者。

*奥火之番・・・定員31人。大奥の火の番をつとめる。

*中間頭・・・定員3人。旗指役、持槍役、馬髪巻役。この下に組頭と中間。

大番頭---千代田城二の丸の警衛および京都、大阪の在番をつとめ、江戸府内を巡行した。12組に分かれていた。

*大番組頭・・・1人の組頭に4人の部下がおり48名いた。番衆を指揮し、大番頭を補佐する。また、番衆の進退、出欠を監視する。

*大番衆・・・大番頭の下にあって46人計600人。1日3交替で城内の警護。

*大番頭与力・・・1組に10騎。計480騎。二の丸銅門や各門の警護。

*大番頭同心・・・1組に20人。計960人。与力と同じく二の丸銅門や各門の警護。

大坂定番---大坂城代の支配下ではあったが、実質的には老中支配であった。京橋口と玉造口の2ヶ所があり各1人ずつ。大坂城の警備、行政の補佐。

*大坂破損並材木奉行・・・定員東西各1人計2人。大坂城内外の諸建造物の造営修繕、川崎材木蔵の管理。この下に手代各5人計10人。

*大坂具足奉行・・・東西各1人計2人。大坂城中の具足や馬験、旗、旗竿の修理、整備。この下に同心各6人計12人。

*大坂鉄砲方・・・東西各1人計2人。大坂城中の鉄砲の整備、保管。この下に同心各10人計20人。

*大坂弓矢奉行・・・東西各1人計2人。城中の弓矢と弦、やじりの修繕整備。この下に同心各10人計20人。

*大坂鉄砲奉行・・・東西各1人計2人。鉄砲火薬の火薬庫の管理、鉄砲の修理、整備と硝薬の製造。この下に同心各20人計40人。

大坂城目付---老中支配下。定員2人。大阪城に勤務する武士の監察と老中との連絡役。

大坂船手---老中支配下。定員2人。大坂に駐在して関西の公私の船舶、貨物の監査。この下に与力6騎。水主(かこ)50人。

ここまでが、千代田城の主務役ですが、ご存知の通り、他にも、勘定奉行、町奉行、寺社奉行などがいました。
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江戸幕府の軍制の一つに先手組(さきてぐみ)があります。

職制上は若年寄に属してまして、治安維持の役割を担いました。先手とは先陣或いは先鋒という意味であり、戦闘時には徳川家の先鋒足軽隊を勤めました。徳川家創成期には弓・鉄砲足軽を編制した部隊として合戦に参加しました。

ところが江戸時代に入ってからは戦乱があまり起こらなかったので、平時は

・江戸城に配置されている各門の警護 = 60の門がありますのでそこに2人づつ配置したとしても120人の門番がいたわけです。有名所で言えば「桜田門」「大手門」「半蔵門」等があります。

・将軍外出時 = 将軍が外出する際には将軍警護に当たりました。今で言うシークレットサービスに当たる、のかな?

・江戸城下の治安維持 = 「火事と喧嘩は江戸の華」、そういった事由に関する警護、見回りもやっていた様です。

・時代により組数に変動があり、一例として弓組約10組と筒組(鉄砲組)約20組の計30組で、各組には組頭1騎、与力が10騎、同心が30から50人程配置されていました。

・同じく江戸城下の治安を預かる町奉行が役方(文官)であり、その部下である町与力や町同心とは対照的に、御先手組は番方であり、その部下である組与力・組同心の取り締まり方は極めて荒っぽく、江戸の民衆から恐れられたといいます。それにしても庶民から怒られる武士って一体・・・


すいません、これ位しか分かりません。
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