
No.4
- 回答日時:
支那王朝の概念では、臣下で一番偉い人は「皇帝の師」です。
李鴻章だったか袁世凱だったか、清朝の末期の高官で、肩書きの中に、宰相を意味する官職に加えて「たいふ」(文字を忘れました。天子の師のこと)が入っている人がいました。これは、宰相より「皇帝の師」の方が立場が上だからです。映画「ラスト・エンペラー」で、溥儀の家庭教師のイギリス人がとんでもない優遇を受けていましたが、これは彼が「たいふ」と看做されていたからです。新井白石は、老中といった幕府の役職につかず、従五位下陸奥守といった朝廷の官位官職も持たない「地下人」でした。ですが、「将軍徳川家宣の師」として、政治に影響力を与えた人です。日本史上恐らく唯一の例です。

No.3
- 回答日時:
中学校で社会科を教えています。
江戸時代に政治の中枢を担った人物のほとんどが大老や老中、側用人などを務めています。
しかし、新井白石は目立った役職に就いていません。
そこで、新井白石については、分かりやすさを重視して老中と教えました。
やはり、分かりやすさよりも事実を教えるべきだったと、あなたの質問を見て感じました。明日にでも、生徒に訂正をしたいと思います。
この回答へのお礼
お礼日時:2006/06/15 22:37
学習塾をやっています。
生徒がそう習ってきて、
質問されたのですが、
確信が持てず、ここで質問いたしました。
ありがとうございました。
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