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徳川家、八代将軍吉宗が設置した目安箱って、どのくらいの期間、運用していたのでしょうか。また最後は廃止したのでしょうが、どういう経緯でなくなったのでしょうか

A 回答 (2件)

回答No.1です。



気になったのでネットで調べてみたのですが、2年ほど前に徳川宗家の目安箱に関する文書が発見されたようです。

それによると「安政5年分の225通を分析したところ、同じ内容の再投書をのぞくと1年間の総数は84件にのぼった」とあります。

さらに「幕末の1858年(安政5年)から1864年(元治元年)までの訴状留の存在を確認した」とあるので、14代将軍・徳川家茂の時代も目安箱は設置されていたようですね。

http://blog.goo.ne.jp/ryouma1026/e/32fd810f1d670 …
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下記URLのサイトの天保13(1842)年の項に、「元旦 日本橋に目安箱が再現される」とあるので「再現」と言う文字は気になりますが、少なくとも家慶の代までは設置されていたのではないかと思います。



http://to4roh.nobody.jp/who0242.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。けっこうな期間、実施されていたんですね。採用された事例はいくつか目にしますが、年間でどのくらいの投書があったんでしょうね。

お礼日時:2010/03/15 14:27

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