これ何て呼びますか

自殺してはいけない根拠を教えてください。
自殺しようとしているわけでも、自殺をすすめているのでもありません。皆さんの意見をお聞きしたいです。

世間では自殺はいけないと漠然と考えられているように私は感じます。しかし、その根拠はどこにあるのでしょうか。自分自身の身体や生命に関して争う余地のの権利を持っているものは、この世に自分自身以外ないということは明白に思えます。

下に反論とそれに対する意見を書きます。上記の問いや反論に対する意見を教えてください。

反論 親や友人が悲しむからいけない

答え 何人にも職業選択の自由があるように、たとえ、親でも子供の生命に対して制限する権利は有していない。また、職業選択と生命では程度が違う言うかもしれないが、ここで言っているのは自由の権利であって程度の問題ではない。親や友人が悲しむからと言う理由を認めれば、個人の生命は親や友人が持っていることになる。


反論 自殺の方法として公共の福祉に反しないものがない(他人に迷惑をかけない自殺方法がない)

答え 確かに、死体の処理や戸籍処理などを考えると、他人に迷惑をいっさいかけない自殺方法は無いように思える。しかし、他人に迷惑(苦労や労働)をかけない死に方があるだろうか?事故死や病死、老衰などどのような死に方なら、他人に迷惑をいっさいかけず
死ねるだろうか?つまり、この理由を認めると人間は死ぬことができなくなる。


反論 宗教上の立場から(一神教の即ちユダヤ系の宗教)

答え しかし、旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する禁令はなんら出ていないし、それを否定する言葉さえ見いだされない。そして、神学者たちが自殺を非難するのに用いるのは自殺に対する憎悪の表現のみであり、哲学的講義の基礎はない。


反論 刑法の立場から(自殺幇助や自殺教唆は罪とされるのだから、自殺は罪に問えないが悪いことであるから)また、自分に対する殺人と考える場合

答え タバコと同じように(タバコの場合は未成年だが)他人に強要するのは罪になるが、個人の自由において認められる。また、自殺の性質からして罪に問えないと言うかもしれない。しかし、殺人未遂と同様に自殺未遂を罪と考えても、自殺未遂の罪は自殺をヘマしたことによる罪になってしまう。


反論 自殺を認めれば自殺が蔓延して、社会全体に悪影響を及ぼす。

答え これを認めると個人の自由を損なうことになる。なぜなら、節約や自給自足を促すと市場経済が停滞し、社会全体に悪影響を及ぼすから、節約や自給自足を禁止すること同様だからだ。また、社会全体に悪影響を及ぼすというのは自殺の間接的な影響である。例を出すと、殺人やテロは目的として直接的に社会に悪影響を及ぼす。これに対して、自殺は間接的であり、社会に影響を及ぼすことを目的としていない。


反論 自分の生命は自分だけのものではない

答え では、自分の生命は何が有しているのだろうか?
社会や国家か、家族や友人か、または、先祖から受け継いだ血脈か?どれも当てはまらない。


上記以外にも、反論はありますが省略しました。ご指摘があればその都度意見を出したいと思います。

A 回答 (25件中1~10件)

してはいけないということはないですし、罰も与えられないです。


ただその人がそのように感じた苦しみや辛さは真実なので、あとから時間差でやってくるだけです。
すべての人は平等です。不公平などないのです。だから、個々の感情によって感じた感情が、時間差で同じ苦しみが来るだけです。それをカルマといったりしています。
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私は不治の病で苦しんでいます。

何れは自殺するでしょう。自殺することは淘汰されるということでもあります

淘汰されないように生きる。淘汰されないような世界を創る その様な努力が人間には必要でしょうね。
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人間の存在意義はエントロピー減少に対する寄与です。


種としても社会としても個人としても
エントロピー増大に逆らうのが
人間の宿命です。

自殺はそれに反します。
人を自殺へと追い詰めるのも同様です。
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「自殺してはいけない根拠を教えてください」


⇒不治の病で苦しんでいるなど、誰が見ても、生きている意味がない人は自殺してもいいと思いますよ。

それを、いけないとは誰も言っていないでしょ?
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死骸の処理が面倒だから。

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お礼ありがとうございます。



しかし・・「自殺が起こっているのだからそれは摂理のうちみたいな。」なんてのは、メチャクチャですよ。
摂理は物理法則とかではないんだから、「物理に反す事象は起きない」とは言えても、「摂理に反す事象は起きない」なんてことは言えません。
あるいは、「殺人」も起っているのだから「摂理」ですかね?

摂理とは自然発生的に起きる事象であって、人工的,人為的なものを摂理とは言いません。
自殺が自然発生するものなら別ですが、むしろ正反対で、極めて人為的、甚だ人間的な行為です。

そこら辺りは判った上で、「みたいな」とお茶を濁しているのでは?
質問者さんが、そこまで頑張って「自殺してはいけないと言う根拠が無い」と主張したい意図は、何ですかね?

ついでに言えば、「自殺の本質」を見落としてますよ。
自殺の最大の特徴は、「被害者=加害者」と言う点。
更に言えば、「死」と言う、生物にとって最大級の被害であり、「最大の被害者=最大の加害者」です。

長々とは書きませんが、要は「最大の被害者」と言う方向に焦点を当てれば、自殺はあらゆることを容認し得ますし、容認せざるを得ないのです。
基本的に質問者さんは、こちらの観点で、自殺を肯定しているワケで、それには「反論」も難しく、反論しても水掛け論。

一方、一見、被害と加害が相殺される様にも見えますが・・。
でも、あえて「最大の加害者」のみに焦点を当てればどうか?
こちらの観点では、自殺とは殺人行為,加害行為に他ならず、自殺は「全て」が否定されるのですよ。

「自殺者は天国へは行けない」みたいな宗教観も、言わば「自殺を罪」と看做している形かと。
仮に自殺者に処罰が可能だとすれば、刑事,民事で訴追対象になると言う、法概念と近いのかも知れません。

しかし実際には死者に対する処罰は不可能なので、これを「法律」で解決するのは難しい。
天国,地獄などあるかどうかも不明なので、万人を「宗教律」で律することも不能。
「道徳律」などでも同じ様なことが言え、結局のところ、人為的な「律(ルール?)」では、自殺を拘束や定義するのは賛否があり、ここら辺りの「議論」「反論」は、不毛な議論に陥ります。
私自身、「究極の自然権行使」と言う認識で、そこには何人たりとも不可侵でしょう。
とは言え、「自然権」と言う概念も人為的なもの。

唯一、自然法則(自然律)に照らした場合、「自殺は自然ではない」が、万人が共感し得る概念,共有すべき概念と思いますが、いかが?
それでも「自殺は自然」「自然淘汰」と主張し続けますか?

それに何の意味があるのか、私には理解できませんが、恐らく自殺者の概ねも、「自殺を自然な行為」などと認識していないと思いますよ。
そもそも自殺の動機も、自然界に見られる物理的な単なる「逃避」ではなくて、人智をも超える世界への精神的な「逃避」でもあります。
「超人為的」くらいの方が、しっくり来ません?
もし可能なら、どこに「自然」的な要素が存在するのか、是非、ご教示ください。

基本、質問者さんは論理的な思考と思うので、「自殺は摂理に反す」が理解できないとも思いませんけど。
自殺を否定する根拠が知りたいだけなら、自分の本能に照らせば済む話です。
その上で、自殺を肯定するなら、サイコパスに分類される恐れもありますが。
もし自殺を否定する根拠を理解したくないなら・・理解させる術もありません。
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個々が幸せをつかむために生まれさせられているから。


逆らうと不幸になる。不幸を体験してみたら。この言葉に責任は負わない。
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例え話をします。


あなたが羊毛用に羊を
たくさん飼っていたとして、
そのうちの一匹が勝手に
自殺したら得られるはずだった
利益を失いますね。
あなたは羊には死んでほしく
ないと思うし何とか羊が自殺
しないようにと行動しないで
しょうか。
私達国民は国にとってその
羊のようなものだと私は考え
ています。死なれるとその人が
経済、福祉に与えるはずだった
利益を失う。損だ。だから自殺は
いけない。どうでしょうか。
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自殺を避けてほしい根拠は、生まれてから今まで、両親や社会から受けて来た有形無形の恩を返していないからです。



逆に60歳以上になるまでの長きに渡って社会に貢献し、納税し、子供も成人させた方などは、自決権を行使しても誰も文句は言いません。
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>これも例の整合性を聞いているわけではありません。



全般的に例が不適切だと言われても、別の趣旨があるので、揚げ足取りにしかならないということ仰りたいようですね。
しかし例で説明している以上は、例が的確ではないと反論として崩れてしまう。
別の例をお考えになるほかないでしょう。

>費用や死後の処理を必要とする自然死は認められない

程度ってものがありますからねえ。法律なども、程度で量刑を判断しています。
金額で、200万円と、1億円とだと全く違う。
つまりわかりやすく言えば、200万円ほどの損失ならば、カバー不可能ではないから許容されるということです。
例えば保険金。孤立死をカバーするための保険が多く売り出されています。自殺でも保険金がおりるケースはありますが、これは自殺の損害をカバーすることが目的のものではありません。そもそも1億円をカバーできる保険など、そう簡単にありません。
ここら辺を分けて考えずに、何でも一概に「費用・手間」とくくっても、説得力がでないのではないですか?

>自分自身の身体や生命に関して争う余地のの権利を持っているものは、この世に自分自身以外ないということは明白に思えます。

もしこれをお考えになりたいのなら、各国の法律と日本の法律を比較してみると、自分の国の通念の位置付けがお分かりになるでしょう。積極的な自殺・安楽死を認めている国もあります。そうした国では、おっしゃることが根拠になっているようですよ。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。
例をより明確に区別し、理解していただけるように程度を離しました。

お礼日時:2017/12/06 22:30

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