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僕は大学生です。しかし、自分にかなりの幼さと未熟さを痛感し、努力せねば人生に苦痛しかないと知りました。非常に偉そうに言っていますが、それほど未熟とも言えます。これから就職活動です。仕方なくです。人生に無常さと自分への絶望を感じているので、就職出来る可能性は低いと思います(すいません)なぜそんなことしてまで生きなくては・・・幸せを感じなくても良い、もう十分感じました!という感じです。

しかし、この弱い叫びも試練を乗り越えた立派な皆さんには、「馬鹿げてる」を超えて「かわいい」とさえ感じるかもしれません。自分のような人間は、こういうネガを改善し(全てを変えるのは無理でしょう)一人前の人間になることなしでは、健全な生活を出来ないのでしょう。とは言っても、大人になれば大人なりの次元の悩みを持つと思います。今現在僕は自分に対する悩みを持っていますが、社会人にもしなれた場合社会に対する悩みを持つのでしょう。

もしここに悶々と自分の中で悩み考え込んでしまうような、僕と似たような方がいらっしゃいましたら、生きるのつらくないですか?どんな風に人生を、生活を送られてますか?教えてください

A 回答 (8件)

yourvoiceさんと同じような悩みを持っていた


過去の偉人にガウタマ・シッダールタという人がいますね。
ガウタマ・シッダールタは35歳のときに「悟り」を開き
「仏陀」となりました。

別に「仏教」の教えを語るつもりはないのですが
私も40歳になってようやく仏陀の悟りが
何となく自分なりに分かってきたような気がしてきた、なんて
最近思っていたものだから
あなたの質問を読んで「おお、若き日のシッダールタみたい」
などと思ってしまいました。

話のついでに仏教に触れておくと
仏教は基本的に「生きていくことは苦である」と考えます。
苦であるから、少しでも苦の原因を取り除けば
健やかに生きることが出来るのではと考えます。
なんて話に興味を持ったら、例えばこんな本はお薦めです。
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no …
(とはいえ、現代の宗教には気をつけてね・・・)

さて、ご質問文にツッコミを入れていくとします。
>幸せを感じなくても良い、もう十分感じました!
じゃあ、別にこれからの人生、辛くてもイイんじゃないですか?
>なぜそんなことしてまで生きなくては・・・
その答を探して生きていけばイイんじゃないですか?
>これから就職活動です。仕方なくです。
じゃあ、就職しなくたってイイんじゃないですか?

何となくご質問文を読む限り
yourvoice さんには「かくあらねばならない」みたいな
思いが強すぎるように感じます。
それは、気力が充実しているときには「向上心」に結びつくのですが
気力が衰えているときには「束縛」になります。
息苦しくなります。現に息苦しそうだし。

かくあらねばならない、つまり「思い通りでありたい」。
でも、人生は決して「思い通り」にはならない。
だから人生は苦しい。
思い通りにならないこと「苦」であるなら
基となる「思い」を断ち切ればイイ。
仕方なく就職活動をする、というのは
何か他の思いを引きずっている感じを強く受ける。
私がアドバイスするとすれば
就職活動をするなら、今はもっと就職活動に集中すれば?
要するに、アサッテの方向ばかり見てないで、現実を見据えれば?
ということです。

再び仏教を持ち出せば、悶々とした悩みを「煩悩」などと呼びます。
煩悩は人を苦しめます。
yourvoiceさんも、例えば幼い頃
無我夢中で遊んだり
無我夢中で好きなことに没頭したり
無我夢中で好きなものを食べたりして
幸せな気分を味わったことがあると思います。
(もう十分感じました!ってぐらいですものね)

無我夢中なとき、人間は幸せではありませんか?
人間は無我の時、人生が「苦」であることを忘れませんか?
もっと、就職活動なら就職活動に、無我で取り組めばイイ筈です。
結果を恐れる暇があったら、今出来ることをひとつでも多くやる。
万事を尽くす。
万事を尽くせた、というレベルまで自分の行動に満足できれば
後は天命を待つか、という気になる筈です。
将来を悩む暇があったら、明日出来ることを考えれば
と、いうことです。
悩んでも何も解決しませんが、行動は結果を伴います。
望んだ結果であれ/望まぬ結果であれ
結果が出れば、次の行動を考える礎になります。
下手な行動も数打てば当たるでしょう。
何回が当たるようになれば、少しは自信が生まれるでしょう。
自信が生まれれば、次の行動を考えるのが少しは楽しくなるでしょう。

かくあられねばならない、といった
多分に先入観に縛られているであろう「思い」は
実体を伴いません。
実体を伴わない「妄想」のようなものです。
そんな妄想で「現実」が濁ってしか見えないのは
馬鹿らしいと思いませんか?

この回答への補足

字数大丈夫かなと思ってボタンを押していったら、お礼をしてしまいました。途中で申し訳ありません。

参考になるお答えありがとうございました!

補足日時:2004/09/24 23:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

仏陀については、自分も関心がありました。ちょっとだけ、自分が仏陀に似てると思ったりもしました汗
教えて頂いた本、とても勉強になりそうなので、是非読んでみたいと思います!

人生は苦しいものだというのを僕は受け入れなくてはいけないのでしょうか?少なくとも、僕は今そこから目を背けています。いきなりは無理ですが、それを理解した上で生きていける強さを僕は持ちたいです。僕の中で、それがまず一つの大人への道だと思います。今は「辛いのいやだ~」と泣いてる子供のように自分を思います。

ご指摘のようにいつからか「~であらねばならない」という思いを強く思っている人間になっていました。自分にプレッシャーを与えているのです。そして、「そうせねばこの世は乗り越えられないよ」と誰かに囁かれているかのように、いつもいつも不安な心をどう安定さすべきかで悩んでいました。今も少し。
自分で考える原因は。まず自分は弱い、幼いと感じた。それを改善するために、様々な人生論的書物を読んだ。そこには、~であると良い、幸せな人は~だよという風にかかれてあった。そのため、自分をそういう人間に変えれば、自分も幸せになる、と思った。それが今こういう状況になってしまったのかと一つ考えられます。他にあるかもしれませんが。このことから、最近自分が情報を上手く取捨選択できる力がなくなったと感じていました。

自分では、今この自分をまずきちんと見つめることなしで、誰かが考えた解決法に頼ろうとしたのだと思います。書物から知恵をもらって、それを使い自分の考える参考とはせずに、まず自分に当てはめようとしたのだと。非常に短絡的な発想です。
僕には現実を見て、そして行動することが必要だと思いました。それが、これからの就職活動なんですね。
今までは集中せずに、そこから逃げようとしていた。自分の中で今すべきことというのは、分かっていたのかもしれない。でも、見ないようにしていた。そんな気がしてなりません。

お礼日時:2004/09/24 23:25

>>試練を乗り越えた人間



というのは、おそらく居ないです。(いや、確実に・・)

現実に自殺者の大多数が中高年以上の高齢者です。
人生経験豊富なハズな高齢者の自殺が多いんです。

つまり、質問者さまは、自分=劣等、他者=優位、の発想下にあると思うんです。キツク言えば子どもの発想です。

人生は最期まで辛いです。
それを「どんな風に誤魔化すか?」にかかっていると言えるかも知れません。

昨今話題の起業家のように、買収、買収で、社会的活動で誤魔化す人もいますし、酒で誤魔化す人もいますし、達観したように誤魔化す人もいますし、宗教で誤魔化す人もいますし・・・いろいろです。


しかし、いずれにしても生きることの本質、真実というのは知ることは出来ないんです。我々の腸の中にいる細菌のようなものです。自分達がなんで存在しているのかを知る手立ても、能力も無いんです。

ですから、ただ「今、この時、この瞬間」に生きるしか無いんです。

これは非常に難しい実践です。
何故ならば、人間も動物ですから妄想(イメージ)によって動いているからです。

危険を察知するイメージ力がないと自然界では生きていけませんから、我々もイメージ(妄想)に躍らされているんです。(無意識で。。。。)

悶々と悩むというのも妄想です。

必要なのは「今、ここの自分」です。
それ以外は、無価値だと思って間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今この時、瞬間を生きる

そうすると時間の有り難み、自分の至らなさを痛感します。今ここの自分をしばしば振り返って、自律していこうと思います。

お礼日時:2004/10/03 23:04

こんにちは


悩みとは、いったいなんだろう?、と考えるとこれ自体がひとつの悩みになりますね?
これは冗談半分本気半分です。

昔読んだサルトルの本の中で、「われわれは二つのうちのどちらかを選ばなければならない、たとえばリンゴかナシか。」というような感じの選択に関する文節があったように思います。(はっきり覚えてないので間違っているかもしれません)

サルトルなら迷わず選べたでしょうが、私たちには、その時々の状況状況で、すんなりと選択していく事はなかなか難しいですよね。というのもリンゴを選んだことによって、あるいはナシを選んだ事によってその後の人生が変わっていくのじゃないだろうかと言う不安が常に付き纏うからだと思います。そしてしゃがみこんでしまう。やはりこの辺に悩みの住家があるのだろうと考えます。

もしサルトルの言葉が本質であるなら、私たちは一瞬一瞬絶えず選択を迫られ、質問者さんの言葉で言えば「悶々」として一生を過ごさねばなりません。

しかし私はサルトルの言葉は正しいような気がします。
人は「自由」を手に入れると、どのように行使すればよいか迷うと言いますが、おそらく質問者さんは今その自由を手に入れている状態ではないかと考えます。(悩みの世界での自由でしようか)
一歩を踏み出そうとするとき、そうした自由の世界からあるものを選択し、それと同時にまた悩みを背負う訳ですが
よく考えてみればその行為でしか「今在るところ」から
「今在るところ以外」へは、移れないような気がします。

私たちが生を受けた瞬間から、サルトルの言葉で言えば
「サイは投げられた」と言う事になるのだろうと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

>一歩を踏み出そうとするとき、そうした自由の世界からあるものを選択し、それと同時にまた悩みを背負う訳ですがよく考えてみればその行為でしか「今在るところ」から
「今在るところ以外」へは、移れないような気がします。

一つ一つの瞬間に、自分の決定が下され、私は実行しているのですね。その行動の選択という面で、良いものを選べたらと思います。良い悪いという物差しは、自分の中の何か目標とか信念とかだったりすると思います。
僕には、それがまだ確立されていないような気がします。それが確立されるとより自律した行動をとることが出来るのでは?と思います。そういう人間を目指したいです。

お礼日時:2004/09/30 08:55

こんにちは。


みんな悩んで大きくなった~♪って、CMソングが
あったと思いますが「悩む」というか「常に疑問を
持っている状態」なのかもしれません。

それか「ひとつのことにこだわっている」状態かも
しれません。

「どうしてなんだろう?」は、人間の一生に常に
あるものだと思います。

楽に答えを出そうと、怪しいものにすがるよりは
ずっと人間らしいと思います。
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この回答へのお礼

遅くなりました!ありがとうございます。

楽に答えだすとその一時の安心に浸かるだけで、また同じように悩みだすと思います。なので、今は大学生で時間もあるので、真正面からぶつかって見ようと思います。

お礼日時:2004/09/30 08:45

いいかげんなことを言うようですが・・・


(そして僕自身も偉そうなことは言える人間ではありませんが)

もんもんしてれば、いつかキッカケが勝手にやってきて、
一皮むけます。たぶん・・。

もんもんしなければ・・・つまり「まあいっか」と割切ったなら人間家畜としての一生をおくることになるやもしれません。

「幸せを感じなくて良い!」
ってのはイイですね。いい感覚だとおもいます。
これが言いたくて書き込みますた。

たいていの人間は「幸せの奴隷」ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

なぜ「幸せを感じなくてよい」と言うのか。それは、今の悶々とした悩みを続ける辛さを味わいたくないからです。悩まなければ、この辛さを感じないだろうということです。
悩む事はつらいことですが、ただ辛いだけではないですよね。何か解決したい問題を考えて、それを解決すれば今よりも良い状態になると思っているからなのでしょう。
そう見れば、この悩むことでの辛さもしかたのないものなのかもしれません。(なぜ悩む事につらさが伴うのか。そうではなく、なかなか解決しないから辛いと思うのかもしれません)また、今まで本気でそれを解決しようとしていなかったと思います。冷静に物事を見、逃げずに立ち向かうことが僕には必要かと思いました。

今僕は学生ですが、社会人になると自分のことよりも社会に貢献するための問題を扱うことになるでしょう。自分のことばかり悩んではいられない。そうなると、今の自分に関する悩みも次第に薄れていくのかな。そういうしていくうちに、「なんて馬鹿なこと悩んでたんだ、若いな」となるのでしょうか、分かりませんが。

長くなりました、回答ありがとうございました!

お礼日時:2004/09/27 16:52

私も悶々と悩んだ時期もあったし、今だって悩み続けている。


まあ、しかし、その悩んでいる自分の状態をどうするか?っていうメタ的視点から自分の心的状態を眺めれば、結局、悩み続けるか、悩み続けないか(ひらきなおるか)のどちらかしかないでしょう?どちらが良いかを選択するのはあなたです。

そして、私は、意思決定理論、合理的思考の専門家なので、そちらの観点から、naver の「知識プラス」というここの競合サイトでいろいろ悩みについても言及させていただいている。もし良かったら参考 URL の私(decidrophob)の回答を参考にしてみてください。
このほかにも、いくつも関連する回答を書いています。もし興味があったら、上記の回答の decidrophob っていうリンクをクリックしていただいて、回答、アドバイス履歴を見ていただければ、私の回答がわかります。

で、これらで書いたことを、本当に一言で要約すれば、
悩み方にもテクニックがあり、正しい悩み方は人生にプラスだということ。

がんばってね。

参考URL:http://plus.naver.co.jp/browse/db_detail.php?dir …
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

僕は今正しい悩み方をしていないです。自分の中で、ナルシスト的であるのが原因かと思えてきました。
本当に悩みを解決したければ、本気でそれに集中し行動すべきかと思いました。今はあれも悩んで途中で放棄するから、同じことを何度も繰り返すだけだと感じます。

お礼日時:2004/09/27 16:43

社会人になっても自分自身の至らなさで悩みの絶えない


私です。
でも、逆に考えると今の自分に満足してないからまだ
成長できるのです。
生きているのはつらくありません。もちろん辛い事も多い
のですが、楽しい事があるから耐えられます。
私はいつも目の前に人参をぶらさげて走っています(^^)

私が一番今後悔していることは、若いうちに自分の道をしっかり
決めておくべきだったということ。
趣味でも仕事でも自分が一生続けることが出来るものを
作っておきたかった。
今は仕事と育児で多忙でそれどころではありません・・・
気が付くのが遅すぎました。
vourvoiceさんは大学生の今悩んでいる。
この事は無意味ではないはず。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

僕は今まで楽しいことはないと思っていた。でも思い返せば、楽しいことはあったし、現に今も恵まれた環境で生きて、また生かされていると気づきつつあります。大学の間に、自分というものをもっと見て、出来る限り洗練していきたいです。ありがとうございました!

お礼日時:2004/09/24 23:03

こんにちは。


お若いのに共感を持ている文章で、どうしてもアドバイスを書きたくなりました。

人生にもし「努力」や「苦労」がなかったらどうでしょうか?それは「甘く・楽ですばらしい生活」かもしれませんが、人間的な成長はのぞめません。

また、人生とは競争だとおもいます。果たして競争のない社会で、人は成長するのでしょうか?もちろん、人生はつらい物です。正直、時に投げ出したくもなりますが、お互いに成長しようではありませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

先日死のうと思い誰もいないダムへ向かいました。徒歩とバスで向かったのですが、途中徐々に自分が明るくなり、何だか馬鹿げてきて、笑ってしまいました。そして、死とは恐いもので、自分には出来ないことだと分かりました。今まで、死ねば楽になると考えてきました。しかし、その肝心の死ぬことは楽ではないと分かり、自分にとってとても大きな発見をしたと思います。

さて、人生は競争だと言われると、やっぱりか、と思う自分がいます。そこから目を背けようとしていたのだと思います。人生はつらいものです、という箇所も。逃げずに、今こそ現実を直視していこうかと思いました。

お礼日時:2004/09/24 22:58

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