初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

うつ病で会社を休だりして治療した方で、現在社会復帰された方に質問です。

①精神科・心療内科・カウンセリングを受けた方は、
治療の中でどんな気付きを得たり、
医師やカウンセラーの忘れられない言葉がありましたら、どんな言葉ですか?
また、医師やカウンセラーから不適切に感じた言葉もありましたら、教えてください。

②自身で、どんな事に取り組みましたか?(○○療法・生活改善・対人関係などなど)

③社会復帰されて、今は何を人生の指針に生きてますか?(目標や目的、家族、恋人、趣味などなど)

④うつ病によって、様々なものを犠牲にされたと思う方や、うつ病によって様々な恩恵を受けた方がいらっしゃいましたら、エピソードを添えて教えてください。

その他、プライベートな事になりますが、何がきっかけでうつ病になってしまいましたか?
また幼少期に受けたトラウマ・死別・家庭環境なども関係してましたら、教えてください。

A 回答 (1件)

私は自殺未遂で鬱病と診断されました。


きっかけは、一人っ子で父母がほぼ同時に脳梗塞で介護が必要になり、人に頼る事が苦手で、市の制度や援助を詳しく調べる時間もなく、なんでも一人でやってしまった上で、父の莫大な借金がみつかり、私の友人や彼にまで迷惑がかかるに及び、母が亡くなった事で首つり自殺未遂をしてしまいました。
プラス一昨年、運悪く電車への飛び込み自殺をモロに目撃してしまい、PTSDを患い、結局、今は障がい者手帳を取得しております。

幼少期…父が私が幼稚園の時に「躁鬱病」にかかり、あまり良い環境ではなかったかなぁ。父母の喧嘩、母の私への八つ当たり…。いとこに「よくグレなかったね」と言われましたが、学校の友人達が私の支えでした。

私は、アパートの屋上に紐を結び、首をつり、飛び降りましたが、紐が切れ、右半身が粉砕骨折になったために、総合病院へ入院したので、その病院の精神科の先生と出会いました。あれから7年。よきカウンセラーとして良い関係をたもてています。噂では薬だけ出してポイの先生もいると聞くなか、私はセカンドオピニオンも受けずに最初に理解でき合う主治医に恵まれた事に感謝しています。

「とにかく焦らずゆっくりね。だるま落としみたいに、一つ弾いてもまた上に何か乗っかるかもしれない。でも、それを繰り返してゆけば、必ずいずれ最後のだるまも弾く事ができるから。とことん自分を甘やかして、悲しい物語とか観たり読んだりして思いっきり泣くのも案外、気分転換になるよ。貴女は我慢したり頑張りすぎる傾向があるから、無理だと思ったら、出来ない、無理ですと言えるようになさい。そして、一日一つだけでも良いから、楽しいと思える事や、好きだなと思えるモノ(人)をみつけてごらん。」
いっぺんに言われた事ではないですが主治医が私に言ってくれた言葉の印象に残っているものをまとめた言葉です。

あと、私の彼が、自殺未遂で入院していた時にプロポーズしてくれたのも心の支えになりました。

もう誰にも自殺はススメませんし、そんな意味もあって「教えてgoo」で「死にたい」と言っている方には私の反省を含めて懺悔を込めて「自殺はダメです。悲しみ、苦しみの連鎖を生んでしまう自分を殺す殺人者にならないで!」と回答しています。ここでの同じ悩みを抱えた人に回答するのも、私にとってはヤル気を起させることの一つです。

心の支えは彼だけでなく中学時代からの友人がわざわざ遠い海外(親友たちは皆、国際結婚で…)から、私の見舞いの為に、戻ってきてくれて、「もっと色々気付いてあげたらよかったね」と、こんな私に謝るのです…心から反省しました。私は彼と、このかけがえのない友人達にトラウマを残してしまったのだ…と。

ほとんどの友人を無くしましたし、大好きだった仕事もやめましたが、でも、ゆっくりと新しい出会いがあり、新しい趣味ができ、新しい(もともとやっていた好きで得意な仕事に近い)仕事に巡り合えました。

5年くらいかかったでしょうか?

それより厄介な事はPTSDの方で、やっと鬱病のお薬も減ってきたところでの出来事だったので、なおさらショックでした。
未だに電車には一人では乗れず、目撃した最寄駅にはまだ近づけません。スーパーの人混みや、救急車の音、色々な騒音でたまに自分の意志とは裏腹に(コレが困る!)パニック状態に陥ったりします。
「こればっかりはねえ…人間の本能だから。危険から身を守るという遺伝子だから。マンモスに向かって行って大怪我したら、次は近づかない、怖い、気を付けようと思うっていうね。外科の先生だって、研修で解剖とかやると軽いPTSDになるんだよ。」
と言われました。
気分のしっかりした時は、彼に付き添ってもらって、色んな駅の近くに挑戦したりしています。
とにかく、「出来ることからゆっくり、焦らず」が、基本なんですね。

でも、日本は海外に比べて日本はまだまだカウンセリングというものの重要性、精神病への理解度が足りなくて残念です。
先日、また運が悪い事に私の無くした通帳が悪用されました。健常者でもビクビクする刑事さんとの会話、障がい者だと手帳を見せても高圧的なしゃべり方、確かに無くした私も悪いけれど、私は被害者なのに…で、寝込んでしまう程でした。
国や国民の為に働いてる方々(役所も含め)の精神病患者への対応も考えて欲しいと思います。

でも、最近できた赤に白十字の「私は支援が必要です」札はとても役に立っています。いまもリハビリのためになるべく自転車に乗る様にしていますが、前かご、後ろかごに付けたお陰で、注意して貰える様になりました。
かばんにも付けているとパニック状態の時に説明が楽です。

結局のところ、精神病は、目にみえないものだから、なかなか難しいとは感じています。

一番の夢は彼と結婚すること。日本にいる友人のお母様達と出来るだけ会うことも好きな恩返し、とりあえずの目標は電車に乗れるようになることで、最大の目標は、好きな仕事に復帰できる事。いろいろなアプローチから挑戦しているところです。道は一つではないと勉強した気がします。

長文で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとございます。
幾多もの困難の中から、「いろいろなアプローチから挑戦」の行動力。「道は1つではないと勉強した」の気付きに到着されるまで、本当にいろいろありましたね。
幼少期の体験でtiukanさんなりに適応してきた結果、責任感ある真面目で、我慢強い頑張りすぎて、甘えられい性格を作り上げてしまったのでしょうね。
脳梗塞から、人生が大きく変化し、誰にも頼らずに独りでやり、相当辛かったですね。限界の心の叫びが、お母さまの死によって、張り裂けてしまったのですね。
大変でしたね。でも、生きてくれてありがとう。
主治医は、とても素晴らしい言葉をかけてくださるのですね。だるま落としの言葉他も、心のブレーキをかけてくれる先生ですね。
彼氏さんは、心から愛しているのですね。結婚のゴールまで、二人三脚して一歩一歩、歩んでくれる方でしょうね。
お友達が取った行動も愛の証ですね。
友達は本気で守ろうと気付きになったと思います。トラウマより愛が先にあると思いますよ。
飛び込みを見てしまったのは、心を破るショックですよね。
パニックに不快や過敏は、本能が守ってくれていると、私も思います。
tiukanさんには「出来ることからゆっくり、焦らず」が一番ですね。既に行動されている「教えてgoo」へは「真実の言葉」だと思いますよ。
確かに、日本のカウンセリングや精神疾患者への偏見や障がい者差別は他国より劣っていると思います。
国の為に就いている人の意識低下ですね。
自転車に乗っているtiukanさんは、生き生きしてそうですね。
tiukanさんは、自身を分析する能力や人の為に生きる姿は、脱帽です。
素晴らしいです。
自身の経験を克服しようとする前向きな姿勢、応援してます。
PTSDもゆっくり改善と悪化を繰り返しながら少しずつ乗り越える力をtiukanさんは持っていると思います。
お母さん方への恩返し友達は嬉しいと思いますよ。
夢の結婚、実現できると、私は思いますよ。
ありがとうございました。
【ご回答さまの皆様、一人一人の人生の歴史は、唯一無二の貴重な歩みです。その中から、私の
見解で一人を決めてベストアンサーを付けられません。皆様の一人一人がベストアンサーです。よって、ご了承ください。】

お礼日時:2017/12/21 15:52

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