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「情報」を定義してみてください。
情報はなかなか定義が確立されていないようで。
分野によって定義もまちまちといった感じなので、
なるべく普遍的な回答が望ましいですが、
固い回答でも軽い回答でもOKなので、お待ちしております。

A 回答 (30件中1~10件)

分野を越えて「情報」というものの本質を定義することは、いささか暴挙の感が否めませんが、強いて述べるなら「意味」とほぼ同義になってしまうのではないでしょうか。


ただ「意味」が静的であるのに対し、「情報」は動的なニュアンスを含んでいるという差はありそうです。

「意味」は留まった属性のままであり続けるかもしれない。
「情報」は、発信され送信され受信される対象であり、その指し示すものは「意味」に他ならないが、意味に所有主を持つという考えが加わり、その所有可能者の視座で「意味」なるものを捉えているところが、単なる「意味」とは異なる。いわば「意味」の所有格的な言葉とも言える。この辺りから「情報」の定義を考えると、

★「情報」とは、所有主に解されることを期待された「意味」のことである

と言えましょうか。
(「意味」は既に誰かが定義済みでしょう)

幾つか考察を足しますと、
#2お礼の「意志が介在していない情報」は(私に言わせれば)情報ではなく意味です。リンゴが赤いことも情報とはしません。せいぜいが、緑の中で目立って実を食ってもらい種を遠くへ運んでもらいたいという意味どまりです。

「イルカは超音波で前方の『情報』をキャッチしている」という使い方から、情報を扱うのは人間に限らない、情報の扱い手は複数である必要はない、という見解に賛成です。

「宇宙から届く電波に異星人からの『情報』がないかを探すSETIプロジェクト」という使い方から、人間がどうこうは関係ないように思います。異星人同士が情報交換してるかもしれないし。また、受け手が実在するかも関係ないといえます。

「人類も素数やオイラー定数を宇宙の彼方へ『情報』発信した」という使い方から、受け手の認識を経なくても情報として扱うことに賛成です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご意見を拝読した最初の印象では「意味」は「情報」より上位にあり、より原始的なように感じました。「情報」は「意味」というカテゴリに内包されるようにも感じました。

意味=静的な情報 と解釈しましたが、いかがでしょうか? 「赤いリンゴ」も、わざわざ「静的な情報」と言わなくても、単純に「情報」と呼ぶことは言語的に自然なように感じますが・・・。しかし、「意味」ととらえても問題はないようですね。うーん。難しいです。

ただ、意味と情報には相違点が多々あると思っています。私の情報に関する研究は、定義だけではなく、信頼度や性質や特徴といった側面からもアプローチしているので、意味が情報とほぼ同意であること、意味が静的で、情報が動的であることを示唆して頂いたことは今後の研究に役立つかもしれません。ありがとうございます。

お礼日時:2004/10/03 20:00

>>『「情報」とは「自然」に付加された意味のことである』




↑コレいいですね!
付加された時点から、を「情報」と見なすわけですね。
「次の受け手」がいなくても、それなりの「意味」は備わってる気がしなくもありません。
選択肢は規定されますし。
これは、とても納得です。


↓↓注!これ以降は完全に余計です↓↓
しかし、「あくまでたまたま派」として、最後に抵抗させてください(>_<)!!そして言わせてください!


『「情報」とは、「自然」に意味がたまたま付加された瞬間のことである』


もう、即パクリました・・しかもシツコイ・・_| ̄|○ 本当にスイマセン。

僕は「元来の意味などドコにもイツもいつまでも無い!」と固く信じています(←これがイカンのか?)。ええ。情報などもってのほかです。
あるとすれば、ソレが持つ独自の「システム」ですが、それは「システム」であり、情報とは違うとおもいます。
意味は無いとはいっても、これはあるだろうなと思えるものは「神の法則」ですかね(←もちろん、一介の生物の脳の理解を余裕で超えたものという意味ですので、あってもなくても同じようなもん?)。
ほんと妥協できなくてすいませんm( _ _)m

たとえば人間が考えた自然淘汰説によると、
「眼」は世界を見るために進化し、おかげでいろんな情報が受け取れますが、その製作過程はたまたまの積み重ねでしかないということですし・・。

僕らは日々、まったく意味のないものに意味をつけ、「意味のあるふり」をしてるのかもしれません。

なんつってー。

た、たわごとでしたね。最後のほうはとくに・・(恥)。若気の痛りということで・・ご勘弁。

この回答への補足

(04-10-12 01:40)
回答を締め切らさせて頂きます。

有意義な意見交換ができたと思っております。
なかなか、こういった話をできる場がないので。

哲学的な回答に辿り着きましたが、情報が自然として存在することを考えると、これも必然だったのかもしれません。

こうした知的探求をすることに無上の喜びを感じる自分としては、意見交換を続けることに異存はないのですが、情報に関する研究課題が山積していることもあり、定義だけに長く時間をとっているわけにもいかないので、ここらへんで回答を締め切らさせて頂きます。

回答者の方々とは、また何かの機会、質問を通じて再会できることを楽しみにしています。

質問者になるといつも思うんですが、ポイントをもうちょっと自由に振り分けられるような柔軟性がほしいと思っているのは、私だけでしょうか?
20ptと10ptを1つずつだけって・・・
まあ、それは管理者に直接言ったほうがいいですね(^^;)
そういったわけで、定義するうえで、これはポイントになったんじゃないかと私が感じた回答にポイントを差し上げます。ご了承下さい。

今回、意見を寄せてくださったすべての回答者の方々に感謝します。では。

補足日時:2004/10/12 01:37
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この回答へのお礼

(04-10-11 13:13)
回答ありがとうございます。
長いこと付き合って頂き感謝です。

私の方こそしつこいですが、反論することを気にする必要はありませんので。
「たまたま」となると、いつから・どこから意味が付加されたのか? ということが問題になるので、私はわかりやすく元来持っているとした次第です。

この「元来、備えている情報」というのが問題でして、まったく新しい言語で表現するか、新しい概念を導入するか、しないといけないものなのかもしれません。なので、現時点では即、結論を急ぐことはしません。したくありません、というのが本音です。確かに「システム」とでも呼ぶべきものを「情報」という言葉で片付けてしまっていいのか? という疑問には考慮する必要があるとは思うのですが、違うものとしてしまうと、上手いこと定義が収まらないといったところです。そして、神の領域という扱いの難しい側面に入っていくことになり、ますます混迷しそうなので・・・(^^;) すいません。

(#29の方への返答時間を書くのを忘れてました。だいたい 04-10-11 06:00 ぐらいです)

お礼日時:2004/10/11 13:17

「『情報」』は元来備わっているものであり、受け手の存在を考慮しない」


のような定義をするのが最初の目的だったのですか?
たとえば、それだとエネルギーを議論する際も同様の定義が通用しますよね(広義の意味で)
それだと情報自体を定義したことにはならないのではないかと思いますが、その点に関してはどう思われますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

はい。そうです。そういった定義を試みるのが目的でした。
エネルギーの定義にも通用するか? と言われれば、通用しますね。

情報を定義すること自体、実験的であることは否めません。
今回の定義が良いものかどうかはわかりません。すでに誰かがより良い定義を考え出しているかもしれませんし、今後考え出されるという可能性もあります。しかし、こういった話題は一般的ではないし、自分で考え、意見交換する中で、考えを咀嚼し、昇華させていったうえで得られた結論ですから、恥じるつもりもありません。

私は最初から完成されたインスピレーションを得られるほど天才的なアイデアをもっているわけではないので、試行錯誤が必要なのです。また、一般的でないことを考えること自体、素晴らしいことだと思います。それが、今まで誰も考えたことがないものなら、尚更です。

すでに書きこんでいますが、もし、この定義に納得いかないようであれば、自ら考え、新しいものを生み出されるのがよいでしょう。その際、その考えをここで提示して頂けるとありがたいです。

お礼日時:2004/10/11 06:50

No.25の意見について、考えたことを書かせてもらいます。



>人間が認識するか否かに関わりなく、「遺伝情報」は「媒介によって作用」し続けているものであり、これを人間が認識した場合だけ「情報」と定義するのは無理があるのではないでしょうか。

人間が認識しなくても、「遺伝情報」は「情報」です。ただし、それは遺伝子の塩基配列が示すものが、それを受け取る受容体に作用する限りにおいてです。つまり、人が認識しようとしまいと、遺伝子は「受容体にとって」(「人間」にとってではなく)情報である、ということです。ただ、この「塩基配列が示すもの」が受容体に作用していない状態でも、日常に使われている意味での「情報」に含まれるとは思います。その点で、受け手が受け取ったものだけを情報とするのは無理があるかもしれません。しかし、やはり人が「情報」という言葉を使うとき、受け手の存在を配慮していると思います。ゆえに、「情報は受け手がそれを認知する可能性をもっているもの」とするのはどうでしょうか。
もともと、日常的に使われている「情報」という言葉は、受け手がそれを受け取る前と後のもの両方を指しており、この「受け取った後」の方は、受け手が特定されないと、かなりあいまいになってしまいます。ですので、より普遍的な「受け手が受け取る前の情報」を論じたいのであれば、「情報」を定義するのではなく、「情報」を成立させるものの要素を挙げて定義する方が建設的だと思います。
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この回答へのお礼

(04-10-08 19:59)
度々、回答ありがとうございます。

おっしゃりたいこと、非常~に、よくわかっているつもりです。

しかし、ここで問題にしているのはあくまで「情報」というものに限定した場合ですので、「受け手が受け取る前の情報」に焦点を当てて論じるのは非常に困難です。

また、現時点で、「『情報」』は元来備わっているものであり、受け手の存在を考慮しない」という考え方を提示しています。このへんを妥協点にして頂けるとありがたいです。もし、それでも納得して頂けない場合は、自らが新たな問題の提示者・質問者となってください。すいません。


さて、そろそろ節目かなと感じているので、04-10-12 01:00までに、もうちょっと続けてほしいという要望がない場合、「この点についてどうなの?」といった問題の提示やきっかけが得られなかったと感じた場合、回答を締め切らさせて頂きます。その際、最後の回答者の方への補足説明の欄に最後のコメントを書き込むことで終了とさせて頂きます。ご了承ください。

「これぐらいで勘弁してやるか」と感じている方は特に回答する必要はありません。もちろん、しても結構です。よろしくお願い致します。

お礼日時:2004/10/08 20:03

 こんにちわ。

NO6、10、18、21、24のDORAGOTEETHです。長くてすみません!

 NO26のmoumougooさんの言われている事は、たとえば、生物と言える存在がまったくない物質オンリーの宇宙空間で情報を定義する場合や、しっかりした知覚をもった生物等の存在がある世界で情報を定義する場合、かなり違ってくるのでは?と言う感じでしょうかね?

 まぁ私は大筋スレ主さんの感じに近く、生物がいない空間で情報を定義すれば後はその拡張定義で扱えると思います。そもそも普遍的な定義を知りたいという筋でしたので方向性的に悪くないと思います。その上でうまく拡張して扱えるか検証してみるのもいいかと思います。 

 また、生物なり生物的なものが存在しない世界を考える場合すなわち、計算の中の世界や仮想的に現象を考える場合ですが、その世界には生物的な存在がいない為、実は世界自体が存在する事をその世界に存在しているモノは認知していません。しかし、我々の世界に情報をフィードバックして有効に活用されています。そのような世界での情報の取り扱いを考えるのも同様で、現実的ではないとの理由で簡単に切り離せないと思います。そのような世界はまた我々の情報認知力で作られているので、マジで思考すればいやでも切り離せないものでもありますが…。

>「情報」とは「自然」に付加された意味のことである
>「情報」とは物事に付加する二義的次元(二義的な状態)
 
 あくまで付加というイメージですね。主体への橋渡しを残している感じですね。”付加され得る”ということは、もともと持っていると言えるのでは?と言う点が焦点ですかな…。

 ちょっと別の角度からになりますが、例えば人や生物ががなぜ何かを認知できるのか?と考えるときその機能は初めっから世界に存在していたんじゃないかと私は思います。この宇宙ではさまざまな階層で類似の現象が観察されますよね。原子構造と惑星の構造とか、社会構造と人間の体の構造とか、そんな感じで認知のしくみも宇宙にあらかじめ存在しているのだろうと私は思います。フラクタル構造とかいいますか…、固体、液体、気体しか存在しない世界や宇宙がプラズマのみの頃を考えるとどこに?って感じもしますが、それこそある種の情報という認知しずらい形で内在してあるのではないかと思います。そして、物質が存在していないレベルまでさかのぼればそこには情報のみの存在する世界があるのでは?と思う次第です。現在ビックバン以前の世界は虚数で扱われ考察されていて、まさに情報のみの世界に見えます。そこには我々の知ることはすべてあるのではなかろうか!ということですな、”この世に新しいものはなにもない”と言った故人がいましたが、案外そのとうりかもしれません。
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この回答へのお礼

(04-10-08 19:56)
回答ありがとうございます。
お世話になっております(謝)。

#28でも返答しているのですが、「情報」を更に分割して論じるのは非常に困難です。そんな中、妥協点を探った結果、#25で返答させて頂いたような結論に達した次第です。

私としては、情報は元来備わっているものというイメージを持っています。物質間でも情報の受け渡しが行われている故ですね。

認知・認識そのものを考えるのも面白いかもしれませんね。また、大きな地雷が待っていそうな感じもしますが・・・(^^;) まあ、それも後の課題としてとっておくことにします。

お礼日時:2004/10/08 19:59

No.20のmoumougooです。



情報の定義の基本はたとえば以下のような感じではないでしょうか?

サイコロがあってある目が出ました。
もし、サイコロがあってある目が出たことを知っている人がいるとその人にとっては、ここまでは単なる事実です。そのときもし、その目が「1」であったことがわかると情報が得られたことになります。
サイコロの目の取りうる状態は6個あります。
そのうちどれかを特定できる事柄を情報といいましょう。
ということです。これは、もちろん、算数の時間に習った確率の言葉で記述できますよね。

さてそこで、世の中のありとあらゆことを確率のことばで書いてしまえ、と考えます。
いや、一度、確率の言葉で書いてしまえば、もともとの事柄と関係なく
普遍的な性質を記述すればよいので、もともとの付帯的なことは捨ててしまって、
確率の言葉で情報の性質を語ればよい!

これが情報理論だと思います。
このときの実際の事象と確率でいうところの事象を対応付けることを
マッピングといっています。ビット列といっているのは
binary-digitの列(2値列)つまり1001110・・・0110などの列です。
つまり、数ですが、ひとつ、ひとつ区別できるもの総体とその要素を取り扱いたいときの
その代表例としてビット列が使われます。

このようなことを考えると基本的に人間がいようがいまいが情報はあります。
もちろん物理的にも人間とは関係なしに情報が定義され、物理現象として確認されています。
(たとえば、お湯が冷めるなど)

しかしながら、人間の認識と情報を考える場合、
人間の認識の仕方が情報に対して決定的な意味を持つということを主張したいです。
それが「異なる状態の弁別はだれがやるのか?空間全体の範囲はどのように決めるのか?」(★)です。
というのは、たった一つの言葉だって、その人がどんな風に生きてきたかでぜんぜん違いますよね。
もちろん突き詰めれば、その人を構成する物質の状態を完全に特定できればおそらく、
いろいろな意味のあるその言葉の中からただひとつの意味を特定できるので
それを上のような情報理論であつかえばいいのでしょうが、現実的ではないし、
私たちの認識(普通に感じていること)とちがうので意味がないように思います。

そこで、やっぱり(★)をきちんとかんがえないとだめなのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

(04-10-07 14:07)
回答ありがとうございます。

改めて説明し直してくれてありがとうございますm(_)m

つまり、情報を確率のような数的なものでとらえた場合は客観的な確証を得られるが、人間が情報を扱う場合を考えると、個人差が問題になるから、そのへんをはっきり条件付け・限定する必要があるのでは? ということですね。

ここで一旦、#25で私が返答したコメントを見てください。

物理的現象をあらわす情報も、人間が認識して扱っている情報も、元は「自然」だと思います。個人差は情報を定義する上では問題にはならないと思いますが、いかがでしょうか? 情報を人間が加工していく過程で、初めて個人差が生じるわけです。そこで必要になる定義が、いわゆる「各分野」ごとの定義、心理学・物理学・経済学・数学...etc につながっていくと考えるのですが、いかがでしょうか?

お礼日時:2004/10/07 14:16

No.23へのお礼


>現状では人間だけが受け取ったものを情報とするのがもっとも安定した定義が得られるかと思うのですが、いかがでしょうか?

以前は拡大解釈しすぎ、今度は矮小化と感じます。

No.11で取り上げた「遺伝情報」などは、生化学的分野に「情報」概念を導入することで、学問的に大きな可能性を切り開いたと考えます。

人間が認識するか否かに関わりなく、「遺伝情報」は「媒介によって作用」し続けているものであり、これを人間が認識した場合だけ「情報」と定義するのは無理があるのではないでしょうか。

そもそもNo.23にある次のような素朴な事実にも反します。
>情報って人間だけが受け取るものではないと思います。
>たとえば、犬だって五感から得た情報によって行動しています。

出発点に立ち返って議論の推移を見直し、整理してみてはいかがでしょうか。

1 何のために「情報」を定義しようとしているのか。
2 これまでに出た論点はいくつあるか。
3 1に照らして重要な論点は何か。

個人的には、「期待してます!」。
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この回答へのお礼

(04-10-07 01:20)
回答ありがとうございます。

人間の思考を経由せずに元来、存在している情報と、人間の(または何らかの)主体の意志・認識を介したものが情報となるという、一見、矛盾していて相反する点にどう折り合いをつけるかということがもっとも私を悩ませたものでした。
ここで、私は、一時記憶(RAM)を消去することなくいったんリセットし、論理の再構築を試みることにしました。まあ、簡単に言えば、行き詰まったからやり直しってことですね(^^;) その結果得られたのは、

「情報」とは「自然」に付加された意味のことである

ということです。
ここでいう「自然」というのは[naturally]ではなく[nature]のことです。折り合いはついていると思うのですが、いかがでしょうか? 誰が意味を与えているのかについては、誰でもかまわないと思います。感情や意志を介さない純粋な「データ」も、また情報であることは疑いようがない事実だと思う故です。感情・意志・思考・認識はデータ(許されるならば「素形相」ということもできる)という情報を元に、それを加工して、利用している。という解釈です。

これに合わせて、

「情報」とは物事に付加する二義的次元(二義的な状態)のようなもの

という補足説明を加えておきます。

お礼日時:2004/10/07 01:22

 NO6、10、18、21のDRAGONTEETHです。


>当初は「情報」全体を定義しようとしていたのですが、これまでの意見交換を通じて、情報の各状態別に定義する方向へと転換しています。

 おおっと、僕とMATTEWさんの意見がそっくり入れ替わったわけですね^^まぁ、各状態別に定義していったとして多分、より統一的な定義ずけは可能だと思いますよ!

>「情報」とは主体が受け取る「素形相」である。
> 「情報」とは人間が受け取る「素形相」である。

 NO23さんも反応してますが、あえてこの線で行くなら前者でよいと思います。これだと最初の僕の意見に戻ってしまいますが… この辺りはちょっと様子を見ます。

 又、伝播情報についてですが、これは例えばカテゴリーが生じる時を考えた場合、2つ以上の情報から共通項が認識されることを意味します。他の方も言われているこの共通項(構造)ですが、これは後から生まれた情報でカテゴリー化をくりかえせば情報の変遷を体現することになります。ところが実は元の2つの情報源に内在していた情報を抽出しているわけですので、情報が増えていくわけではないのです。新しい情報が作られる様を考える時は、ほぼ似たように考える事が出来ると思います。(実は新しい情報ではないのですね。)そういう考え方で、情報の源を探ると、被自己情報と伝播情報は統一できるかと思います。さらには、素形相に統合可能ということですが…

 
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この回答へのお礼

(04-10-07 00:44)
回答ありがとうございます。
返答した日時を書くことにしました。そのほうが、わかりやすいかなといったところです。そもそも、なぜ自動で表示するようなシステムにしてく・・・(本筋とは関係ないので割愛)

これぞ哲学マジックの成せる技か、不思議なことに入れ替わってしまいましたね。まだ、不安定さを感じているので、今後は何とも言えませんが、#25で現在の心境を書きこみます。よろしくお願いします。

被自己情報と伝播情報は同じようなものだと私も思っています。ただ、違いをわかりやすくするために、説明上、分けたというだけですので。

お礼日時:2004/10/07 00:45

情報って人間だけが受け取るものではないと思います。


たとえば、犬だって五感から得た情報によって行動しています。

また、情報には必ずしも受け手は必要ないとも思えます。
それは、
「誰もいない空間にある物体があったとしても、その物体は形状や質量などの情報を何らかの媒体(光とか)を介して発し続けている。」
とは考えられないでしょうか?
そして、
「その媒体に載っている情報を受け取る側がセンシングデバイス(目とか秤とか)によって、受け取る側に利用しやすいように加工して受け取っている」
と。

なので、私は情報は常に情報であり、伝えられていく間に受け手が自分に利用しやすいように加工しているだけだと考えます。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

私が質問を開始した当初は同じような見解でした。しかし、回答者の方々と意見を交換していく中で、人間は思考というフィルターを通したものだけを情報としてあつかっている、ということに気づきました。

また、受け手が無い状態や人間以外が認識しないものも情報としてしまうと定義として不安定だということにも気づきました。つまり、情報以前のものは、情報になり得るものという設定にして、素形相としてあつかうわけです。もし、この素形相を含めてすべて情報とすると、不確定要素や「仮に~」という想像を含むので、情報とはまったく違った概念が必要になり、定義として不安定になってしまうのでは、と思います。

素形相も含めて強引に定義することは、私にもできないことはないのですが、やはり現状では人間だけが受け取ったものを情報とするのがもっとも安定した定義が得られるかと思うのですが、いかがでしょうか?

お礼日時:2004/10/04 21:55

お礼拝見しました。

補足も含めて、再度回答させていただきます。

>つまり、情報になりうるものが、情報になったのかなっていないのか、がはっきりしないので完全に否定することができないと思うのですが、いかがでしょうか?

はっきりしないのは、受け手となる主体が何であるかを想定しないからです。

>どのような主体も感じ取ることができないものは「認識外」あるいは(真の)「無」と呼ぶべきものだと思います。

とあるので、「情報」には必ずそれを受け取る主体があるということは共通了解ですね。
その主体が何なのか、それがはっきりすれば、「情報」になったかどうかは、ある程度はっきりします。

暗闇の中に、ごく微量の光がある場合、目の細胞はそれに反応していても、その人の意識ではそれを全く感じていないということはありえるかもしれませんが、この場合、ごく微量の光は、目にとっては「情報」であり、人の意識にとっては「情報」ではない。ただ、「全く感じていない」とする意識にあいまいな部分があるのは否めません。「本当に真っ暗?」と聞かれて、「たぶん」と答える人もいるでしょうし、弟3者が人の意識を客観的に判断することもできないので。

話がそれましたが、おそらく、お互いが頭の中でイメージしているものは同じで、「どこからが情報なのか」という線引きがづれているだけですね。求められている回答は、私にとって「情報になりうるもの」(=「素情報」)がもつ共通の性質だと思うので、それは「媒体を伝うエネルギー」だと思います。漠然として、捉えどころがないですが、それは主体が何であるか想定しないから、そうなってしまうのだと思います。

この回答への補足

すいません。間違えました。#18ではなく、#19での返答を参照してください、です。まあ、「素形相」は「情報になり得るもの」ですね。

補足日時:2004/10/04 11:12
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

主体が必要という点で共通しているのは、その通りです。

確かに主体が不安定だと、定義も不安定で漠然としてしまうことに納得しました。それをふまえて、

「情報」とは人間が受け取る「素形相」である

としてみましたが、いかがでしょうか?(「素形相」については#18での返答を参照してください)
どこから「情報」といえるか? となると、人間が受け取って初めて、情報となると思われます。「情報」という概念が安定するのはあくまで主体が人間であることに限定した場合だから、という考え方からです。

お礼日時:2004/10/04 10:45

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