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王貞治と長嶋茂雄の時の巨人は、なぜ3番王貞治、4番長嶋茂雄だったんですか?
自分は、逆だと思ってました!

A 回答 (2件)

まず、王貞治が巨人に入団した時点で二人の年齢差(学年差)は5年です。


ただ、入団した年は1年長嶋が早いだけです。大卒高卒の差ってことですね。
しかも長嶋は入団初年度ですでに打点王本塁打王、打率も.305と申し分のないものでした。その後3年間連続でセリーグ最高打率です。
王貞治が初めて本塁打王をとったのが入団4年目です。その後はずっとホームラン王です。
さて、この時点(1962年)で長嶋は26歳(学年は27)王は22歳です。
王が本塁打王をとった1962年こそタイトルはありませんでしたが、4年間で打撃3部門12のうち半分の6とっています。
あまりにも格が違いすぎますね。
もっとも1962年以降は王が本格化することになりますが、やはり球団も世間も評価としては5学年も違う長嶋が4番で当然でしたね。
ON砲に関してはウィキに詳しく載っていますが、数字上では王のほうがずば抜けているのも事実です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ON%E7%A0%B2
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1番2番が塁に出て、チャンスメイク。

3番に、一発のある選手で、4番に、勝負強い選手がオーソドックスなオーダー。
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