
No.6
- 回答日時:
「主語」という言葉の認識の違いですね。
意味論においては、その動作なりを行う主体を主語としてとらえますが、
統語論においては、事態認識の中核を主語としてとらえるということでしょう。
「水がのみたい」という文章には、意味論としての主語はなく、
統語論としての主語「水」が存在するということじゃないでしょうか?

No.5
- 回答日時:
水が飲みたい…誰が?
私が…となると、
私は水が飲みたいになるので主語は私になります。
水を飲みたい…どこの?
コンビニの…だと、
コンビニの水を飲みたいとなるので、主語はコンビニになります。
つまり水が、水を…の場合は副詞の役割になります。
では、水を主語になる文法となると、
この水は美味しい。
水が流れている。
水にはミネラルが含まれているというのが、正しい使い方ですかね。
No.4
- 回答日時:
No.3
- 回答日時:
「飲みたい」というのは願望であって、
それを思っているのはたとえば「私」という主語なんじゃないでしょうか?
つまり「水が飲みたい」という文章は、主語の「私は」が省略された形だと考えます。
「水」が主語というのはちょっと理解できませんね。
No.2
- 回答日時:
その本や学者さんのことはしりませんが、思うことを書きます。
結局は、主語の定義による。
「水がのみたい」の「水」は確かに「のむ」の対象である。
しかし、「のみたい」が水の状態を表しているという点では、
「水が冷たい」や「水がきれいだ」の「水」と同じことである。
「水がのむ」という表現は不自然だが、「水がのみたい」という表現は自然である。
これは、「水がのみたい」が 「水がのむ + たい」ではなく、「水が + のみたい」という構造であることを意味している。
「のみたい」が「冷たい」や「きれいだ」と同様であることがわかる。
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英語について質問です
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1.意味論で考える場合、「飲みたい」を状態を表わす言葉と考えた場合、誰が飲みたいと思っても水の状態は変わらないので、「飲みたい」を水の状態と考えることはできません。では何の状態かというと「飲みたい」という状態にあるのは「私」なので、「飲みたい」という状態の属性主は「私」ということになります。この場合「水」は対象ということになります。
ただし、これは意味論で考える場合であって、統語論では別になります。
2.「日本語文法事典」(大修館書店)の統語論においては、事態認識の中核項を内実とし、「ガ格に立つ」ことを表面的な判断基準として、日本語の主語は規定できるとし、認識される事態内容の中心にあるモノ、事態の中のモノ的中核と言えるものも、別の意味で「事態認識」であるとし、主語(=事態認識の中核)というものの第二の側面として、事態の中のモノ的中核という側面を指摘することができるとされています。
その上で、「水がのみたい」の「水が」は第二の面でのみ事態認識の中核であると言えるが、これらもすべて主語であるとしています。
(私は意味論での定義は理解できますが、統語論は複雑でよくわかりません。どなたか解説をお願いします。)
「窓が開けてある」の場合も同様です。
1.意味論では、主語は動作主である「私などの人」で、「窓」は対象となりますが、この場合は誰が開けたのかは問題にしない文なので、主語は不特定人称文というべき表現だと思います。動作主を明示すると少し違和感が出てきます。
「私が窓を開けてあります。」(?)
「田中さんが窓を開けてあります。」(?)
2.統語論では、「窓が」が主語で、動作主は不明だそうです。
日本語の「主語」については、研究者によっても意見が違うし、文法書や辞書によっても違います。
主語不要論や主語廃止論もあります。学校で習う「学校文法」は間違っているという意見が少なくありません。その中でも、意味論の「動作主」という言葉には意見の違いがないと思います。
国立国語研究所の「日本語教育のための文法用語」では、主語は「述語が表す動作や変化・存在の主体、あるいは性質・状態の主体を表す」としています。この「述語が表す動作や変化の主体」が動作主、「状態の主体」が存在主、「性質・状態の主体」が属性主だと思います。
「象は鼻が長い」には、二重主語論、総主-主格論などいろいろな考え方がありますが、私は「象は」が主題で、「鼻が長い」は解説だと思います。その解説の中では、「鼻」が属性主、「長い」が形容詞述語だと思います。意味論的に言えば、「象は鼻が長い」では「鼻」が属性主で主語、「長い」が形容詞述語、「象は」は主題ではあるが、「象においては」という意味で「鼻が長い」が成立する範疇を示していると思います。つまり、「象は鼻が長い」=「象においては鼻が長い」ということだと思います。
意味論ですが、「水を飲みたい」の主語は動作主である「私」、水は直接目的、「飲みたい」は他動詞「飲む」に助動詞「たい」が付いたもの。
「水が飲みたい」の場合は、主語は「飲みたい」という状態主である「私」、「飲みたい」は他動詞+「たい」から作られた感情・欲求を表す複合形容詞で、「水」は対象となります。
他動詞+「たい」では複合形容詞と認識されにくい場合があり、この場合は「が」が使いにくい場合があります。この場合、「が」と「を」の置換は成立しないと考えます。
例えば、「彼を愛したい」(〇)、「彼が愛したい」(?)
「神を信じたい」(〇)、「神が信じたい」(?)
他動詞+「たい」の90%以上で「が」が使いにくいという結果になりました。
特定の対象を前提として引き起こされる感情や欲求、特定の語句と他動詞がペアになって表現される場合は複合形容詞とは認識されにくく、「が」が使いにくいと考えます。
非常に興味のあるコメントありがとうございます。
「今日は富士を見やすい」と「今日は富士が見やすい」の場合は両方成立すると思います。
ところが、「彼女は彼を信じやすい」と「彼女は彼が信じやすい」の場合は、後者の方は使いにくいと思います。
結論から言うと、他動詞+「やすい」は他動詞の活用形として「を」が使えるが、「信じやすい」のように特定の対象を持つ動詞から作られた場合は形容詞とは認識されにくいので「が」が使いにくいと思います。
なお、「花が好きだ」は統語論では、主語は「花」だと思いますが、意味論では「花」は「好きだ」という感情の状態主ではないので、感情の状態主の「話者」が主語で、「花」はその対象だと思います。
生田裕子(中部大学准教授)は、他動詞+「たい」文における「を」と「が」の交替について詳細に分析し、「日本語基本動詞用語辞典」のなかの和語245語、漢語89語及び三項動詞16語を分析し、「を」と「が」の両方がとれる動詞は圧倒的に少なく、「を」のみをとる動詞が圧倒的に多いとし、そして次のように結論付けました。
「対象の属するカテゴリーが・・・想定不可能な述語は、状態性の接尾語をともなうにもかかわらず、「が」をとりにくい。」
生田が「が」の取りにくいとした例としては次のようなものがあります:
「お金が借りたい。日本語が教えたい。人が信じたい。帰りが待ちたい。人が愛したい。明かりが消したい。仕事が見つけたい。」
なお、生田が抽出した動詞の中で「が」の取りにくいとしたものを計算すると90%以上になります。
生田先生が分析した表現は「言い切り」の表現だけです。念のため。
言い切りの形ではなく、文脈や文の中で使われる場合には、他動詞表現なのか自動詞表現なのかはたまた形容詞表現なのか判別しにくくなり、紛らわしくなるので助詞についての許容度が増えます。
例えば、ほとんどの辞書で自動詞と記載されている「分かる」の場合、「英語を分かる」(?)とは言いにくいと思います。でも、文中で使う場合には許容度が増します。例:「英語を分かるためにはどうしたらいいのか。」なお、「分かる」が自動詞だというのは、同根の言葉で「分かる」と「分ける」という自動詞と他動詞の対があるからです。
他動詞についてもいろいろな考え方があります。例えば「目的語を取る動詞」「他に動作の影響が及ぶ動詞」「ヲ格の対象をとる動詞」などです。
ここでは国立国語研究所の「文法用語」の定義「動作・作用の対象にヲ格をとる動詞」に基づいて使っています。
fxq11011 さん、あなたが自己満足的に何を考えても自由ですが、本題とずれている問題は別のところでやっていただきたいと思います。