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太平洋戦争

・日本は、アジアの指導的地位に着きたいだけだったのに、アメリカが経済的に孤立させようとして来たから、マレー半島に上陸しつつ、アメリカの海軍基地に攻撃したんですか?

・欧米植民地の地域を欧米の支配から解放したのは何故?欧米の支配力を弱めて、アジアを強くするためでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 中学校の教科書を読んでいて、疑問に思ったので、質問させていただきました。できれば、中学生でも分かりやすいように教えていただけると幸いです。

      補足日時:2018/05/03 00:40
  • 追加で失礼致します。

    第二次世界大戦について

    1.イタリアは何故ドイツについたのか?

    2.ドイツが独ソ不可侵条約を破ったのは何故ですか?ファシズム国のためですか?

    3.ローズベルト大統領とチャーチル首相が日独伊三国同盟に対抗したのは、ヨーロッパとアジアが取られる!と思ったからですか?

    4.アメリカは何故日本を経済的に孤立化させようとしたのですか?また、何故中国を満州事変前の状態に戻そうとしたのでしょうか?日本がアジアの中で指導的地位に着くのが嫌だったのでしょうか?そうであるならば、何故嫌なのでしょう?日本の勢力拡大が嫌だったのですか?

    教えていただけると幸いです。よろしくお願い致します。

      補足日時:2018/05/03 02:17
  • 追加で失礼致します。

    第二次世界大戦について

    5.アメリカが原爆を日本に落とすことで、戦争を早期終結させるとともにソ連に優位に立とうとした、と教科書にあるのですが、何故、原爆を日本に落とすことで、ソ連に対して優位に立つこのができるのですか?

    6.1945年の8月8日にソ連が日ソ中立条約を破って、満州や南樺太に攻め込んだのは何故でしょうか?また、何故、満州と南樺太に攻め込んだのでしょう?

    7.最初はポツダム宣言を黙殺していたのに、ポツダム宣言であれば、天皇制を維持できるとの理由で日本はポツダム宣言を受け入れたと教科書にあるのですが、それほどまでに天皇制は重要だったのでしょうか?ポツダム宣言を黙殺した理由は何故でしょう?

    教えていただけると幸いです。よろしくお願い致します。

      補足日時:2018/05/03 02:18

A 回答 (6件)

第二次世界大戦に至るには、明治維新から歴史の流れを見る必要があります。

そうすると現代の問題も見えてきます。

まず明治維新で日本が国際デビューをするとすぐに問題になったのが「中国(当時は清)」とシベリアまで進出してきた「ロシア」が「太平洋に進出したい」という野望をもっていたことです。

彼らが太平洋にでるためには、遼東半島から朝鮮半島を支配するのが一番いい方法で、それらを攻略したら日本を属国化すれば、太平洋に出れたわけです。これは今でも同じ構図です(日本列島が動けば別ですが)

ですから、日本はまず清と戦争してその野望を打ち砕きます。これが日清戦争で当時清の属国だった朝鮮を独立国化して「大陸と日本とのクッション」になってもらおうとしたのです。

清はおとなしくなったのですが、そのすきに今度はロシアが遼東半島を占領してしまったので、日本はロシアと戦争して遼東半島からロシアを追い出します。これが日露戦争なのですが、日本はこの時「朝鮮半島を支配しないとまた同じことが起こる」と考え、それが結局日朝併合につながっていきます。また日露戦争の前には「ロシアの膨張を大陸の東西から防ぐ」という目的で英国と同盟を結んでいます。これが日英同盟です。

日本はロシアに勝ったことと、その前に清国に勝ったことにより朝鮮半島から中国東北部いわゆる満州にかけての権益をえることになります。日清戦争の後、三国干渉で遼東半島を手放差ざるを得なかったため、朝鮮から満州に掛けて権益をえることで、日本本土の安全確保に努めたわけです。


そして第一次世界大戦がはじまります。日本はあまり関係なかったのですが、それでも日英同盟のために東南アジアから南太平洋にかけて参戦し、結果として勝利側につき、ドイツが敗戦で失った南太平洋初頭の委任統治を任されることになります。これにより、日本は朝鮮半島から中国大陸部への足掛かりと、のちに南洋庁の管轄となる南洋諸島への覇権をもち、後発ながら帝国というのに値する国家に成長するわけです。

そして日本は発言力を増した力を使って国際連盟の常任理事国になるのですが、このとき「西洋列強が帝国主義的な動きでアジアを蹂躙しようとしている」ことに気がつくのです。

さて、日清戦争にちょっと戻ると、清国が負けたことで西洋列強は中国大陸を「草刈り場」として各種の搾取を始めます。英国による香港の租借や上海における外国人居留地などでどんどんと中国大陸を事実上の植民地化していったのです。これにより1912年には清朝は滅び、第2次大戦まで続く内乱の時代になるわけですが、ロシアも内モンゴルを支配していき、日本はせっかく得た朝鮮や満州地域の権益にひどい圧迫を受けるようになります。

またロシアは1917年にソビエト革命で共産国となり、これまた共産勢力を広げるために中国大陸に進出し、太平洋にでる野望を強く持つようになりました。

これらの事から、当時の中国政府である国民党政府の力は中国大陸全体に及んでおらず、特に満州は軍部の実力者によって支配されていて、これを日本が奪取して満州国を作ってしまったのです。これが1931年の柳条湖事件から満州国への成立の要因になっています。

要するに日本は政府が承認した安全地帯である朝鮮半島のほかに、軍部が率先して作った満州国という足がかりで二重に西洋列強からの防衛をしようとしたのです。

しかし、満州国を成立させた関東軍(日本陸軍の中国関東地方(満州地域)に置く軍隊を関東軍と言った)は、さらに中国大陸全体の戦いに広げていきます。

これは日本から見れば「日本本土を守り、帝国主義国として西洋列強に伍して植民地を獲得する戦い」だったのですが、白人国家である西洋列強はこれを許すことができず、また満州国の成立は「その後のさらなる日本の膨張」の可能性があったため、イギリスを主体としたリットン調査団を派遣して「満州は国民党政府の支配地域であり、日本は不当に占拠している」と報告しました。

これにより、日本と西洋列挙の「植民地の争い」は対決する方向に動き始め、その結果ABCD包囲網などからハルノートに至って、第二次世界大戦が開始されるに至ります。

で、ようやく個別に答えます。
>・日本は、アジアの指導的地位に着きたいだけだった
いいえ、違います。当時のアジアでまともな国家は日本とせいぜいタイ王国ぐらいで後は名ばかりの政府か、植民地です。今のように指導的な地位についてもそれを支持してくれるアジアの国家はなかったのです。ですから、あくまでも日本は「自国の安全保障のために、大陸に拠点を置いて本国を保護しようとした」のです。

>マレー半島に上陸しつつ、アメリカの海軍基地に攻撃したんですか?
当時不幸にして陸軍の考える「国土防衛」と海軍の考える「本土防衛」は方向性が異なりました。陸軍は上記で説明してるように朝鮮を取られないために、さらに奥へ奥へと入っていったわけです。マレー攻略はABCD包囲網で石油が手に入らなくなったため、石油を得るために侵攻していったということになります。
 逆に海軍の敵は海の向こうのアメリカであり、アメリカは当時すでに巨大な軍事力を持っていましたので、日本本土を守るためにはアメリカの艦船を日本本土に近づけづけないようにすることが重要でした。ですから、ハワイ真珠湾攻撃・ミッドウエー海鮮・サイパンやガダルカナル島の戦い・沖縄戦・硫黄島戦というように、アメリカ軍に押されつつも本土の手前で常に前線を作っていたのです。

1.イタリアは第一世界大戦で戦勝国になったものの、賠償金も取れず領土の処理もうまくいっていなかったため、庶民は疲弊し、ソビエト革命で盛り上がっていた共産主義勢力が台頭たのですが、一時のブームで終わり、それを拾う形で全体主義的な考えを推し進めたのがムッソリーニであり、結果としてドイツと共闘することになっていったのです。

2.ドイツは当時世界でもっともすぐれた機械化師団を持っており、V2ロケットなどの革新的な兵器も所有していました。
ドイツの地理的な状況は西にフランスとイギリス、東にソ連(ロシア)であり、いずれにしても両方と戦って勝たないことには「戦勝国」にはなれなかったのです。ですから、ソ連がドイツに匹敵できる機械化かそれに劣るにしても準備が整う前に侵攻して撃破したかった、のですが、結局ナポレオンも攻略できなかったロシアの冬に阻まれて、撤退に至っています。

3.簡単にいえばそうですが、当時は「植民地の権益が取られる」と思ったでしょう。

4.上記に書いたように日本というアジアの子ザルが、力をもって白人に向かってくるのを許さなかった、ということです。

5.ドイツは日本と異なり東西に分割されてしまいましたが、これは連合国の分割管理の際にソ連が「ドイツを敗戦に追い込んだ理由の半分はロシア戦線でソ連軍がドイツを破ったからだ、だから管理区域は半分よこせ」と交渉されて断れなかったからです。
 1945年の8月にはすでに日本から内々に終戦の協議を呼びかけていたようですが、同時にソ連が日ソ共同宣言を破棄して侵攻してくるのも8月に迫っており(ドイツ敗戦後、シベリア鉄道で満州側に兵士や兵器を輸送するのに半年かかった)満州にソ連が侵攻すれば、同じ論理でソ連が日本の分割統治を主張する可能性が高かったからです。

すでにイギリスやアメリカはソ連を終戦後の仮想敵国と位置付けており、特にアメリカは日本列島にソ連が駐留することは太平洋の覇権のために絶対阻止するつもりでした。そのため「日本からの終戦の申し出を早めるには、新型爆弾(原爆)を落として効果を見せるのが良い」となり、広島・長崎に落としました。実は日本もドイツ式の原爆を何年も研究していて、8/6の翌日ぐらいには「あれは原爆」と理解していたようです。結局8/9の長崎投下の直後に天皇が御前会議を招集し、敗戦の決定を行うことになりました。アメリカの思い通り「日本が終戦を決めた」のです。その時の会議でも軍部は「まだできます」と続行を主張したと言われています。

6.ドイツとの戦争が終わったからですが、参戦し侵攻していれば領土を取れるので、早く参戦したかったのです。

7.軍部がまだできる、としていたからです。当時の日本は軍部と内閣が一体で、天皇は立憲民主制を堅持する立場だったので、国政に口を出さなかったからです。ですから政府と軍部はポツダム宣言を無視しました。
 結局長崎の原爆投下で天皇が慣例を破って「敗戦の勅旨」を宣言したため、終戦になったのです。

天皇の重要性はここでは書ききれませんが、当時の状況から天皇制を廃止すれば「社会主義勢力が共産国家を作る可能性が高い」と分析されGHQもせっかくソ連との分割統治を免れたのに、日本が共産国化するのは避けたい意向でした。そのためアメリカ本国は「天皇制は残すにしても裕仁は処刑」の意向だったのに、マッカーサーはそれを無視して昭和天皇を地位に着けたまま日本統治などを行いました。

どこの国でも「その国がその国であり、この領土である理由」があります。アメリカは独立戦争で勝ったからアメリカであり、中国共産党が一党支配できるのも「日本に勝ったから」です(これにはウソがあります)

日本は天皇の祖先が「島国の豪族を統一して国家にした」国であり、天皇制がなくなるなら別に民主国家でも共産国家でもいいことになってしまうのです。それに気がついたGHQは昭和天皇を処刑せず、日本を共産主義からの防波堤にしたのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!!

大変詳しく、分かりやすく、ありがとうございます。

お礼日時:2018/05/03 18:37

帝国日本は図に乗って中国大陸を侵略、大東亜共栄圏なるものをつくって白人に代わってアジア諸国を支配したかっただけ、野望を遂げるために日本帝国は孤軍奮闘、アジア諸国支持は皆無、圧倒的軍事力を持つ連合軍に負け戦を仕掛け敗北、広島長崎に原爆落として人体実験米国の強さをアピール、昭和天皇は現人神、国民に拝ませた大罪人、昭和天皇の号令で敗戦、国民を守るのは帝王学を学んだ昭和天皇の義務、国民を守らなかったのは怠慢、天皇家はく奪万死値する、死に恥は甘んじて受け続ける、律令制、律令国家、律令制度が今に至るまで優先されている、昭和天皇の号令で戦争を終わらせたら昭和天皇は死刑、言い訳をつらつら書いて命越え、日ソ不可侵条約?独ソ不可侵条約はどうゆうこと!弱い国を侵略するのは世の習い。

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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2018/05/04 19:28

・日本は、アジアの指導的地位に着きたいだけだったのに、


アメリカが経済的に孤立させようとして来たから、
マレー半島に上陸しつつ、アメリカの海軍基地に攻撃したんですか?
  ↑
日本は、アジアを統合して、欧米列強に対抗
しようとしたのです。
これは幕末から一環した、日本の戦略です。

上海に出かけた高杉晋作らが、奴隷化している
中国人を眼にし、日本もこうなる、との危機感を抱き
明治維新になったわけです。

明治になってからも、その危機感は継続され
日清日露戦争へと続きます。

日本一国で対抗するのは無理だから、アジア全体で
という戦略は、西鄕隆盛やその師である島津斉彬や
勝海舟も持っていました。




・欧米植民地の地域を欧米の支配から解放したのは何故?
欧米の支配力を弱めて、アジアを強くするためでしょうか?
   ↑
その通りです。
だから日本は、台湾、朝鮮を統合し、莫大な予算をつぎ込んで
国力増強に努めたのです。
欧米の植民地は、現地人を奴隷として資源などを強奪する
為に行われ、それが今の彼等の豊かな生活になって
いるわけですが、
日本は、これらを強化するために行われ
赤字になっています。



当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

流れが大変分かりやすく感動しました!ありがとうございます!

お礼日時:2018/05/03 12:20

アメリカが輸出制限をしたのは事実です。

いわゆる経済制裁です。
アメリカも最初はこれくらいやれば泣きついてくるだろうと過信していました。

マレー作戦の意味は日本軍の目的はマレー半島の南に浮かぶ小島のシンガポールでした。シンガポールは、イギリスにとって最も重要な植民地であるインドとアジアを結ぶ重要な地点で、ここに当時イギリス東洋艦隊の拠点が置かれていました。そのためイギリスはシンガポールに強力な要塞を築いたので、日本軍は海からの攻撃を諦め、比較的防御の弱いマレー半島から南下し、シンガポールに侵入することを計画し成功したことで、東南アジアの拠点を掌握することができました。

あとのは7つの質問は今日は遅いので明日、回答します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

そうだったのですね!大変分かりやすく、ありがとうございます!

お礼日時:2018/05/03 12:18

まず最初の質問ですが、アメリカをはじめとする連合国が孤立させたた結果と言われてますが、孤立をしたのは日本が国連を脱退し今の北朝鮮のように一部の国以外との国交を断絶してしまったから。


アメリカは経済制裁を続ければ日本みたいな小国は泣きを入れてくると思ったら、まさか東南アジアに進出してしまった。日本軍が東南アジアに進出した理由は①東南アジアの資源を確保して戦争に備えること。②アメリカなどの連合国の基地を攻撃し奪うことで新しい基地建設や空路を確保することにありました。
今で言うと経済制裁に疲弊した北朝鮮が活路を求めるために韓国や日本を攻撃し占領した…。
しかし、北朝鮮の将軍様はそれをしなかった。当時の日本の軍部や政治家の脳みそは北朝鮮より軽かったというわけです。

次の質問ですが、欧米の支配力を弱めた…までは正しい見解で、実際、当時東南アジアではタイ以外、アメリカ、イギリス、スペイン、フランス、オーストラリアの植民地化にさらされていました。
それを解放した日本は東南アジアの国からし今でもたらヒーローです。
ただ、そこに日本軍は漬け込んで大東亜共栄圏となのって東南アジア諸国を味方につけ、朝鮮半島を含む太平洋全土を国際法に反して日本の領土であると宣言したため、世界中から反発を買い、また、植民地を奪われた連合国の怒りの火に油を注いでしまいました。
そして、アメリカを本気にさせてしまった真珠湾攻撃に繋がります。
当時の日本軍司令長官、山本五十六はハワイのアメリカ基地と基地に停泊している軍艦を撃沈すれば、アメリカは体制を持ち直すのに時間もかかるから、その間に和平交渉をして戦争を終わらせる算段でした。
山本の誤算は当日、真珠湾に停泊していたのは一隻のみで被害にあったのは護衛艦ばかりで、攻撃にあった軍艦も大した被害を受けず、すぐに出航可能だったこと。
もう一つは山本が時差を忘れていたことです。山本は国際法にのっとって、ちゃんと国連に戦線布告、開戦の通達を大使に渡していましたが、ハワイとスイスの時差を忘れていたため、大使が国連に提出した時には真珠湾攻撃は行われており、つまり、日本は騙し撃ちをしたと批判されて、まだ当時はアメリカ以外は日本との戦争には自重すべきとの論調が、一転してアメリカ擁護に変わり、日本を占領化にしたくて、戦争の機会を伺っていたアメリカには絶好のチャンスとなり、戦争を回避するための真珠湾攻撃が、戦争を開始するためになってしまい、後は敗戦を続け、たくさんの戦死者を出す悲劇を生んだのがこの太平洋戦争になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!大変分かりやすかったです!

教科書には、東南アジアへ進出した後に、アメリカが日本への石油や鉄の輸出を制限した、とあるのですが実際は逆だったということでしょうか?

質問が分かりにくくて、すみません。1941年の12月8日に、日本軍がマレー半島に上陸し、その一方で、ハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を攻撃したのは何故かという意味でした。

アメリカ軍基地を攻撃したのは、戦争を終わらせるためということで理解しました。ありがとうございます。

何故マレー半島に上陸したのかをご存知でしたら、教えていただけると幸いです。

お礼日時:2018/05/03 02:07

海賊は海賊。


理由は後からついてくる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

すみません。理解力がなく、分かりません。もう少し詳しく教えていただけないでしょうか?お手数おかけしますが、お答えいただけると幸いです。

お礼日時:2018/05/03 00:40

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