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東京23区の西側の北と南の中間あたりと23区よりも西側(中野や井の頭公園などの地域)はなぜ学生の街だと言われているのですか?

質問者からの補足コメント

  • なぜ若い人が多いのですか?

      補足日時:2018/05/16 17:06

A 回答 (3件)

中野や井の頭公園などの地域が学生の街というのは聞いたことありませんね。

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家賃が安いからですね。

それと大学などのキャンパスが比較的土地の安い東京の西側に徐々に移動していったせいです。

「東京」と一口にいうと、現在では、江戸川が東の端、皇居が中心で、西は八王子まで伸びる長い地形を想像しますが、江戸時代の江戸と明治初期の東京は東は今の錦糸町付近まで、西は四谷・市ヶ谷付近まででした。

そもそも新宿は、宿とつくように「中仙道の最初の宿場町」であり、東京ではなかったのです。そして現在の中央線は地図を見れば「まっすぐ」なのが分かるように、明治中期まではなんにもない武蔵野平野だったのです。

それが戦時中に東京市から東京都になり、23区と多摩地域を含めた都の区域ができ、戦後の高度成長に合わせて発展していきます。

新宿も1965年までは西口の高層ビル群の付近は「淀橋浄水場」で広い水道設備が広がっていました。今都庁が立っている場所も浄水場の跡地です。

ですからこのあたりまでは「新宿から西なんて田舎」だったのです。

これが高度成長期になると、浄水場をつぶして高層ビルを作るようになり、新宿のオフィス街に通う人口が周辺に増えていきます。これにより山手線の内側は急速に人口が肥大化し、また大学受験ブームで学生が増えたものの、今度は山手線の内側に大学用地を確保することができなくなって、東京の西側にキャンパスを作る大学が増えていきます。

また新宿のすぐ南の代々木付近は元々大学予備門(今でいう予備校のようなもの)が多数あり、新制大学に変わっても予備校として生き残ったり、専門学校として生まれ変わったりして、新しい「学生の拠点」となっていきました。

これらの大学や専門学校、または予備校に通う学生は、家賃の高い山手線の内側に地域に住居を借りることができず、結果的に新宿に通いやすい、中央線沿線に流れて行ったのです。

さらに、1960年代になるとアングラ劇団などの学生劇団が隆盛し始め、これらに参加する貧乏劇団員などや、隆盛し始めたテレビに出たいタレントの卵なども家賃の安い中央線沿線に住むようになります。

これらのことから、中央沿線、特に中野を中心とした阿佐ヶ谷、吉祥寺ぐらいのエリアは「学生の街」として活気があったのです。
いまでも地方から来た若い人にとって、中野付近は非常に暮らしやすいようです。日常品は割と安く手に入りますし、昔ながらの惣菜店なども多くあるからです。今でも中央線沿線は安い家賃で快適な生活を求める若い人が多いのです。
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井の頭に住めばいいのがしら?

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