街中で見かけて「グッときた人」の思い出

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§ 1 長すぎる前口上――《蚊が刺しただけ》をめぐって――

1. フェミニズムというのは 昔の昔を思えば ただの野生の勢いによ
ってでも現われて不思議ではなかった時期がある・・・とも考えられます。

2. その過程で 屁理屈による運動は淘汰されたのではないかと思って
いたら 世の中には職場でのチカン行為から果てはコトにまで及ぶパワハ
ラかつセクハラが 人によってはそうとう日常茶飯事のごとく まかり通
って来ていたようですね。


3. これをどうするか?


4. そうとう苦労しているようですね。あるいは #MeToo 運動につら
なろうにも どうもその気が起こらないでやっぱしあきらめるといった情
況にあるのかも分からない。

5. 法律や職場での規則にかかわる問題は それとして すすめられる
でしょうが 人間の心や意志のあり方として微妙な行き違いやそれによる
泣き寝入りに甘んじなければならないといった生活がつづけば 心が晴れ
ない。



6. 一般に男も 地位の上下関係から来るアース役はつらいよ現象に甘
んじて来ているのだから ちょっとした(?)セクハラの慣習(?)にか
んしてくらいは 我慢せよという声が 大きいんでしょうかね。女性の心
の中においても。

7. 声のデカい理念派=正義派や チャラチャラした欧米追随派や 浮
遊する憂さ晴らし派などなどやに飽き足らず それらを掻い潜って いま
のひょっとしたら鬱屈さえしているかも分からないこの気持ちと心を す
がすがしき人間のものとしたい。

8. ――上っ面のうごきには満足しない言わば職場や社会にとって縁の
下の力持ちである多くの名も無き人びと。この人たちは 暗中模索してい
るんでしょうか。あるいは やはりあきらめているのでしょうか。



9. われわれは いやしくも心に期するところがあって哲学の門をくぐ
って来たからには これらの声を聞かなければならない。

10. われらが魂は ゆらいでいます。
わたしの骨が おののいています。
みづからのちからのよわきに うちのめされそうではないですか。





§ 2 エリザベス・スマートはなぜ回復したか。

11. 次の評論にもとづき 質問(☆)をして行きます。

▲ Tamaka Ogawa:性犯罪加害者は勝ち続けてきた 
https://note.mu/ogawatamaka/n/n931e8e9f3c0b

▲ (2)エリザベス・スマートはなぜ回復したか。 ~~~~~~~~

12. エリザベス・スマート誘拐事件
2002年、14歳だった彼女は自宅で就寝中に連れ出され、その後9カ月間、
家に戻れなかった。

13. ・・・彼女は男から繰り返し強姦被害に遭い、それを手記に全て
綴っている。その後のインタビューで「10%だけ書いてあとは砂糖をまぶ
して曖昧にするようなことをしたくなかった」と語っている。

14. エリザベスは運良く救出されてから数ヶ月後に、当時のブッシュ
大統領に招かれ、その横で家族とともに笑顔を見せていた。


☆ 15. なぜなら 蚊が刺しただけなのだから。と考えるがどうか?


16. 彼女が見つかったとき、両親は当たり前だけど心から喜び、それ
をテレビカメラの前で隠さなかった。一方で匿名掲示板・・・を覗いてみ
たら、「娘がレイプされてるのによく喜べるな」というような書き込みが
複数あった。これが偏見だ。


☆ 17. この T.Ogawa 説についてはどうか?


18. 恐らくエリザベスの両親には、「娘が人前に出せない恥ずかしい
目に遭った」「”キズモノ”にされた」という意識がほとんどなかったか、
むしろそのような偏見に立ち向かうことを良しとしたのだと思う。


☆ 19. この批評について見解を! 次の事項についても同じくどう
ぞ!


20. 性犯罪の被害者に「恥」のスティグマを押すのは加害者であり、
世間である。被害者は何も悪いことをしていないし、恥ずべきことでもな
い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


21. 資料:
▲ ヰキぺ:エリザベス・スマート誘拐事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA …

質問者からの補足コメント

  • つづき1

    ★ 一方で、強姦やセクハラによって酷く深く傷付いたと重く受け止め
    るのは、その犯罪が人間特有であり意味のあるものだと見るところから
    来るのだと思う。
    ☆ やはり人間性としては無効であるというとき とは言うものの も
    し被害者が心の中で《合意》をしてしまっていたなら 《人間特有で意
    味のあるもの》となります。

    それなら 《合意をしたけれど これを悔やむ》とき その人は心に傷
    を受けるかも知れません。

    心が傷つくのは みづからの思いと行動(合意)によってであるとわた
    しは考えます。

    つまり 他人の言動によっては わが心が傷つくことはあり得ないと。

    つづく

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/04 17:11
  • (№1)つづき2

    ★ 私はと言うと、そのどちらでもなく、それらの犯罪は欲求(動物的
    なもの)から来たものではなく、かと言って人間的(意味のあること)
    から来たのでもない、欲望(悪魔的なもの)から来たものであると見て
    いる。
    ☆ これは むつかしい。つまり よく《無意識〔なる独特の作用〕》
    が 引き合いに出されますが これは あり得ません。脳細胞にムイシ
    キなる独立した部位は見つかっていないからです。

    だとすると 《欲望(悪魔的なもの)》とは それでも《人間にそなわ
    った自然本性》のことであり それとしての自由意志のさらにその過剰
    な可能性としての自由度に属するといった捉え方が 提出されるのでは
    ないか。

    つまり――議論を端折りますが――この《欲望(悪魔的なもの)》をも 
    人間性の内におさめる。自治する。しかも ツイ関係は 特に単一(単
    独)性ではないからには 共同自治である。

      補足日時:2018/06/04 17:16
  • №7つづき1

    ★ 人間は、誰かに必要とされている限り、自分を励まして、強くなって
    ゆけるものです。
    ☆ それは 基礎ではなく 補助としてのチカラではないでしょうか。

    あたたかい心に接して力づけられ 科学のチカラによって希望の光を灯さ
    れ心が明るくなる。

    けれども わが心の奥のその燈心そのものが灯されるのでなければ 外か
    らの光だけでは 衰えぬ生きるチカラは得られない。

    問題は オシヘやそれにもとづく集まりではないのだと思います。

    ★ 親に愛されて育った彼女が、紆余曲折があったにせよ、事件の後、傷
    だらけでも、自尊感情を一から育ててゆく、基礎がきちんと形づくられて
    いたといえます。
    ☆ わたしの考え方は 自然本性にすでにそなわっている。です。

    無根拠にもとづく思想です。


    つづく

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/08 00:49
  • №7つづき2

    ★ ”傷物にされた”とは、なんと心無い言い方でしょう。親の言葉が、子供
    の心をいかに傷つけるか、知っておくべきです。(もちろん、これは、アメ
    リカでの話です。)
    ☆ 心が他人の言動によって傷つくことはないと考える者ですが 戸惑った
    りするでしょうね。

    ★ 日本は、日本。アメリカはアメリカで、似たように見えても、実際は、
    地球の裏側です。アメリカの統計をそのまま、日本の事件に結び付けて結論
    を出すには、無理があるし、研究者の怠慢です。キリスト教ベースのない、
    日本には、自然な国民感情があり、まず、口をつくのは、現実的には、”もう
    嫁にいけない”なので、アメリカの事例を一旦忘れて、”日本の被害者”の社会
    復帰を促すには、どうして行ったらよいのか、独自のリサーチを進めてほしい
    ものです。
    ☆ 《被害はなかった》 これが わたしの行き方です。無根拠です。

    つづく

      補足日時:2018/06/08 00:55
  • №7つづき3

    ★ 最期に、どこで読んだか忘れましたが。。。確か日本語でした。。。
    セクハラ親父は、若い女の子と話しているうちに、自分も若返った気にな
    り、そうこうしているうちに、若い女の子に好かれていると勘違いして、
    思い切った行動をとってしまう、と分析されていて、妙に納得したもので
    す。セクハラ親父には甘い分析ですが、一抹の真理があるかもしれません。
    ☆ そのような流れになってもおかしくないと思えるようなクウキ(雰囲
    気)がありますね。

    セクハラで心が傷つくことはない――これが浸透することを わたしとし
    ましては 祈っています。

      補足日時:2018/06/08 00:59
  • №8つづき1

    ☆ ええっと。
    ★ 非人間的なものである故に、結果加害者の人権をある程度無視して罰
    することができ
    ☆ 無効の意志行為は 人間のものではないへそ曲がり人間の意志行為だ
    から へその曲がりが直るように拘束する。では ダメですか?

    ★ 私の言う人間の意志とは、対関係においては他者を一個人間として認
    めることが基になっています。
    ☆ 同感です。つまり 一般の二角関係からツイ関係に入る。

    ★ その前提が失われている種々の犯罪の場面においては、対関係は成立
    しておらず無効であり、(ここまではブラジェさんと同じ見解だと思いま
    す)
    ☆ ええ。

    ★ また非人間的なその行為を、加害者の人間性が覆い包むという事もあ
    りません。(ここがブラジェさんと違う見解になっているでしょう)
    ☆ へそ曲がり人間は 容易にはそれが出来ないでしょう。出来るように
    なるのが 更生だと思います。

    つづく

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/06/09 17:44
  • №8つづき2

    ★ 人間は、自身が本能や悪意を持った複合体であるという事を自覚して、
    持つ人間性でもってそれらを無視してはならず、放置してもならないと思
    っています。
    ☆ はい。

    ★ このことによって、種々の犯罪やハラスメントの加害者になる事を未
    然に防ぎ、また、もし加害者になってしまった場合には、自己の内にある
    本能や悪意に自らの人間性が敗北したのであると見て、相応の報いを受け
    るものだと思います。
    ☆ 触れたことがあると思いますが 人間は自分がかわいい。ですからい
    くら反省すると言っても やがては自分を赦します。

    ならば 負のわざ(へそ曲がりによるあやまち)に対する報い(罰)を与
    えるというよりは 母親の愛情のように 自分の悪意を自分の中におさめ
    なさい・・・と言ってやったほうが 現実的なような気がします。


    つづく

      補足日時:2018/06/09 17:47
  • №8つづき3

    ★ 被害者的立場においては、人間がそのような複合体であると見て警戒
    を怠らず、
    ☆ ですから 加害者が心の広い人間になるかどうかを見守っていくほう
    が 楽な道なように思います。


    ★ 誰でも彼でも全人的に信用することなく、しかし相手の人間性を尊重
    してそれを助長するように、その人の人間性を信頼して、互いの関係をよ
    くするのが理想かなと思います。
    ☆ 裃をつけた気配が チャランポランなわたしには します。立派な倫
    理観だと思いますが。

      補足日時:2018/06/09 17:50
  • №8つづき4

    ★ また、もし被害者になったとしても、そのような自己の内部の本能や
    悪意に負けてしまった敗者の行為を人間的なものとは決して受け止めない
    ことによって、犬に噛まれたようなものと思って意に介さず、心に傷を受
    けることのないようにすることができるのではないでしょうか。
    ☆ ここで きさらぎさんのお説に整合性がつらぬかれているとはっきり
    感じました。

    やや・かすかに へそ曲がり敗者への排除の論理が見え隠れしているかも
    ・・・とも感じましたが その点どう思っておられますか?

    排除というよりは さげすみでしょうか。(それにあたいするというのも
    事実だろうと思いつつ)。



    お疲れさまでした。

      補足日時:2018/06/09 17:53

A 回答 (16件中1~10件)

悪意ある相手に対しての愚痴も聞いてもらったので、お礼も兼ねて少し回答してみたい。



性は特別、と言う意識が、人々の中に前提としてあるのではないかと思う。初めての性交は記念的なものであり、童貞や処女はある種の神聖さをもって人の意識を固定化する。性交は、本能的な欲求によって行われる只の動物的行為なのか、それとも人間らしい営みとしてあるべきと考えるのか、ここら辺で意見が分かれる。
食べ物に関して、栄養さえ取れれば良いと考えるのでは、それはこの意味では餌だろう。調理されて消化吸収に良いものとなっており、見かけは食事であっても、実質としては良く出来た餌に過ぎないと私は思う。
食べ物に接する時、生き物の命とか、それを供してくれた人の気持ちについて考えたり、自分の命を長らえる事の意味とかを少しでも考えるなら、その食べ物がたとえ未調理であり、獲ったままの野草や獲物であったとしても、それはやはり人の食事になるのだと思う。
精神論的な事を言ったが、この考え方で性被害やセクハラについて考えると、強姦が蚊に刺された程度と見るのは、その犯罪が人の為すところではない、只の動物的行為だと見ることから来るのかと思う。
一方で、強姦やセクハラによって酷く深く傷付いたと重く受け止めるのは、その犯罪が人間特有であり意味のあるものだと見るところから来るのだと思う。

私はと言うと、そのどちらでもなく、それらの犯罪は欲求(動物的なもの)から来たものではなく、かと言って人間的(意味のあること)から来たのでもない、欲望(悪魔的なもの)から来たものであると見ている。
食べ物で言うと、食えればなんでも良いと言うのが動物だとするなら、食べ物の有り難みを知るのが人間、美味を貪るのが悪魔と言う事になる。
強姦やセクハラで言うなら、異性なら誰でも良いと言うのが動物的、その人でなければダメと言うのが人間的、その犯罪に性的な欲動を禁じ得ずその虜になるのが悪魔的であり、大概の場合、これらの犯罪は悪魔的なものである事が多いのでは無いだろうか。
心に受ける傷としては、動物的な犯罪被害においては恐怖があると思うし、悪魔的な犯罪被害においては汚された感や自責の念があると思う。
また、人間的な相であっても、罪科の生まれることもあるだろう。その度に人は悲しんだり自由を失ったりするのだと思う。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 性は特別、と言う意識が、人々の中に前提としてあるのではないか
と思う。
☆ おそらく そのとおりでしょう。人間のことで 何ごともなおざり
にすることは出来ませんが 過剰に特別視するとなると 問題です。

つまり たとえば:
★ 初めての性交は記念的なものであり、童貞や処女はある種の神聖さ
をもって人の意識を固定化する。

★ 性交は、本能的な欲求によって行われる只の動物的行為なのか、そ
れとも人間らしい営みとしてあるべきと考えるのか、ここら辺で意見が
分かれる。
☆ いや 言ってしまいますが 人間性がみづからの内に動物性をおさ
める。のではないかと。

すなわち・つまり:
★ 食べ物に接する時、生き物の命とか、それを供してくれた人の気持
ちについて考えたり、自分の命を長らえる事の意味とかを少しでも考え
るなら、その食べ物がたとえ未調理であり、獲ったままの野草や獲物で
あったとしても、それはやはり人の食事になるのだと思う。


ただし そのあと最後までつづく本論については きわめて複雑である
とまづ感想を述べます。

考えましたが 一筋縄では行かず しかも全部述べるとなると 字数が
足りません。

箇条書きにして触れてみます。:
★ 精神論的な事を言ったが、
☆ 《人間性が動物性を覆い包む》というのは 《精神》のはたらきと
しては 意志行為なんです。しかもそれは ツイ(対)関係の双方の側
の意志です。つまり 合意の問題です。

となれば いわゆる観念論としての精神論ではなくなるはずです。


おそらく この《ツイ関係にあっては 双方の意志の合意から出発する》
という基礎が築ければ あとは だいじょうぶではないでしょうか。


したがって――わたしの側の意見をのべまくっていますが――:
★ 強姦が蚊に刺された程度と見る
☆ のではなく 《ただ蚊が刺しただけ》と見る。言いかえると 双方
の合意がない。一方が 相手の意志ないし心を無視し踏みにじっている。

つまり 無効の行為である。何もなかったことになる。

現象は起きたが 人間の意志行為としては 無効である。人間性に達し
ていない。その意味で:
★ その犯罪が人の為すところではない、只の動物的行為だと見ること
から来るのかと思う。

つづく

お礼日時:2018/06/04 17:07

初めから中々複雑な話で手に負えるかどうか分からないけど、取り敢えずお礼欄が足りてないみたいなので、一先ずその為に一つ投稿します。



対関係、合意、人間性が動物的なものや悪魔的なものを内におさめる、と言った事柄について理解が十分に及んでないので、これについて更なる説明をしてもらえますか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 合意
☆ は いいですよね。昼飯食いに行こう?――OK。というふうに互い
に意志の内容を同じくすること。

約束ならば――それをやぶることもあり得ますが―― 互いの行為をそ
れとして拘束します。そのように意志行為が 現実に規定されるなら観
念論から抜け出せます。

★ ツイ関係
☆ まづ人間にとっては 社会の単位形式は ふたりの人間どうしの二
角関係です。角というのは 動きをともなったベクトルにちなんだもの
です。

この二角関係の中で 異性関係は 子孫を残し得る婚姻関係を核とする
ゆえ ツイ関係と呼びます。ペア。連れ合い。

広義には 異性関係一般をもツイ関係と呼ぶとします。

狭義のツイ関係は 両性の――おつきあいの――合意に始まります。

ツイ関係における合意は 日本人ゆえかどうなのか 二角関係にくらべ
て あいまいです。セクハラ関係のあらそいでも 厄介ものだと思われ
ます。


★ 人間性が動物的なものや悪魔的なものを内におさめる
☆ 《おっぱい触ってもいい?》なる発言は 動物的なものであり そ
れだけに終われば かろうじて人間性――合意を重んじる――の内にお
さまっています。

さて 厄介なのが 《悪魔的なもの》です。デモーニッシュなどとも言
われます。

瀬戸際外交は ひょっとしたら このデモーニッシュな《身と心》の動
きであるかも分かりません。

でも テロ行為にまで到れば 人間性を逸脱していることは 明らかで
しょう。生きる・生命・存在をないがしろにするなら 動物性をも逸脱
した・しかも人間の意志行為です。

ナツィスの暴行も 煮詰めた議論としては 人間がやったとして おさ
めなくてはならないことになるのだと思います。

レープは テロや暴行に似ています。

そして 蚊が刺したそれとしての恐怖が・その感覚が いくらか残ると
しても 心に恥づべきやましさがなければ 傷を負ういわれはまったく
ないと思われます。

ナツィスを育てたのは 民衆であったらしく その虐殺行為の一部にで
も関係して行動したとするなら その何がしかの《合意》が あとに悔
いとして尾を引き 心の傷となり得ます。

ですが 心の傷は 反省するためのものであって 生まれつきそなわっ
た自然本性は みづからの治癒力を発揮するものと思います。

お礼日時:2018/06/04 18:40

なるほど、対関係、合意については理解できたと思います。


ただ、一つ疑問なのですが、性犯罪において、被害者がする内心における合意とは何でしょうか。ブラジェさんの説においては、合意が無ければその行為は一方的なものであり無効です。性犯罪が被害者の心を傷つける場合は、何かしらの内心の合意がある場合である、と、言っているように受け止められました。私の今の理解では、被害者が、加害者の振る舞いを許容しているのではなく、加害者をある程度は信頼していたのに、それを裏切られた、この、はじめにあった信頼の事を、内心の合意と言っているのかなと。そして、自分の甘さに関して自責の念を持つようになる。

人間性が動物的なものを包み込む話についてはこの後にできたらと思います。一つ一つ解消しましょう。

また、悪魔的なものが何については、余裕があれば話すこととしませんか。今のところ、本題(性犯罪と被害者の回復について)を話しする事にエネルギーを割いた方が良いと思いました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 性犯罪において、被害者がする内心における合意とは何でしょうか。
☆ つきあえと言われて 少しは心が動いた。そういう自己表現がわが
意志行為として生じた。――これが セクハラ一般における合意です。

★ ブラジェさんの説においては、合意が無ければその行為は一方的な
ものであり無効です。
☆ はい。そのとおりです。


★ 性犯罪が被害者の心を傷つける場合は、何かしらの内心の合意があ
る場合である、と、言っているように受け止められました。
☆ ええ。同じくそのとおりです。冒頭の説明のとおりです。


★ 私の今の理解では、被害者が、加害者の振る舞いを許容しているの
ではなく、加害者をある程度は信頼していたのに、それを裏切られた、
この、はじめにあった信頼の事を、内心の合意と言っているのかなと。
☆ いえ。それは 人物評価のことですよね。人柄をどう受け留めてい
るか。

これが 裏切られたのなら 自分の評価が間違っていたということです。
それだけになります。

人格者だと思って尊敬しています。ので 何でもわたしに言いつけてく
ださい。お役に立ちたいと思います。――というようなことを言ってい
たとしたなら 《合意》に近いものがあります。



★ そして、自分の甘さに関して自責の念を持つようになる。
☆ ここで悪魔のことばを差し挟みますと いかにまじめな人であって
も 自分がかわいい。ので 自分の過失については いづれ ゆるしま
す。




★ 人間性が動物的なものを包み込む話についてはこの後にできたらと
思います。一つ一つ解消しましょう。
☆ うけたまわりました。(前回は かんたんな事例を出しました)。


★ また、悪魔的なものが何については、余裕があれば話すこととしま
せんか。今のところ、本題(性犯罪と被害者の回復について)を話しす
る事にエネルギーを割いた方が良いと思いました。
☆ 両方とも 了解です。

もっとも わたしは《悪魔的なもの》については あまり知識がありま
せん。あるいは 苦手であって 聞き役にまわりがちになるかも分かり
ません。いづれにしましても ついて行きます。

お礼日時:2018/06/04 21:34

セクハラというのは、権力や立場、つまり上司とか顧客と言う立場からの暗黙の圧力によって、被害者がその言動や行為を受け入れざるを得なくなった、言わば、強制、強要によってなされるのであり、被害者が傷を負う場合というのは、そこに何かしら内心の合意があったのではないのだと思いますが、その点はいかがでしょうか。



対等な立場でのみ有効な関係が築かれるのだとしたら、セクハラは不対等な関係から生じたので、その事を被害者が心に病む必要はない、無効である、と言う論ならば納得もあるのですが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そうですね。先にわたしの方から定義をしてみます。(法律関係に不備
があるかも分かりません)。

1. 不法行為
相手の――そしてじつは 自分の――心や意志をないがしろにして自分
の思いを勝手に押し進め さらにことに及ぼうとする意志行為

かんたんには 人の心や意志を踏みにじること。あらゆるイヂメが入り
ます。

2. 違法行為
不法行為のうちすでに法律等によってそれを防ぐために規定が成されて
いるもの

強制わいせつや強姦ですね。不法行為のうち 《ことに及ぼうとする》
場合だと思います。

3. ことに及ぼうとする違法行為は 単純に暴力によるか 買収によ
るか あるいは 脅迫によるかだと思われます。


さて:
★ セクハラというのは、権力や立場、つまり上司とか顧客と言う立場
からの暗黙の圧力によって、被害者がその言動や行為を受け入れざるを
得なくなった、言わば、強制、強要によってなされるのであり、
☆ というのは 違法行為としても成立する不法行為だと思います。


★ 被害者が傷を負う場合というのは、そこに何かしら内心の合意があ
ったのではないのだと思いますが、その点はいかがでしょうか。
☆ 《チカラ関係による圧力》は それを断ると あとでその取引関係
などを切るぞといったかたちで脅迫になっている。

つまり いまの場合は その脅迫が 性関係を強要するということとつ
ながっているものです。

つまり 性行為に及ぶかどうかの問題よりも前にすでに 生活の糧が断
たれるといったおそれがあり これに屈した。ということならば 性的
関係への合意とは別だ。――という問題ですよね。

すなわち:
★ 対等な立場でのみ有効な関係が築かれるのだとしたら、〔この場合
の〕セクハラは不対等な関係から生じたので、その事を被害者が心に病
む必要はない、無効である、と言う論ならば納得もあるのですが。
☆ これは かんたんです。

脅迫も性的要求も 無効な行為です。心が傷つくことはありません。

ただしわづかに 強迫と込みになっていた性的要求に 心のどこかに合
意する気持ちがはたらいたなら その人は あとで悔やみ 傷ついたと
思うでしょうね。

お礼日時:2018/06/05 20:53

分かりました。


では、次の、人間的なものが動物的なものを覆い包むと表現された事について、話をしたいと思います。

一個人間としての存在を蔑ろにする種々のハラスメントやイジメなどは、つまりは動物的なものとここでは言っていますが、この、人間ならざる振る舞いを、人間的なるものが覆い包む、と言うところがイマイチ理解出来ていません。これは、被害者(人間)が、加害者(その時における間)の上に立つと言う意味で捉えれば良いのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人間ならざる振る舞いを、人間的なるものが覆い包む、・・・これは、
被害者(人間)が、加害者(その時における間)の上に立つと言う意
味で捉えれば良いのでしょうか。
☆ まづ 《人間的なる心と行為》というのは 相手の〔また自分の〕意
志や心をとうとぶことだと思います。

つまり 相手を巻き込むコトにかんしては 必ず相手の合意を得ることと
というのが 実際の内容です。

《人間ならざる振る舞いとしての動物的な動き》というのは 相手の意志
や心を無視することです。そのままコトにまで及ぶなら――無視だけでは
なく―― 意志を踏みにじったことになります。

意志や心を踏みにじること これが いわゆる人権の侵害だと考えます。



しかしながら この意志の踏みにじりという不法行為(かつ違法行為)に
ついても――動物的であり人間ならざる振る舞いだと規定しつつも――
なおかつこれを 人間がその意志によっておこなっているのだと見る。

これが 《人間ならざる振る舞いを、人間的なるものが覆い包む》ことだ
と考えます。

その振る舞いや行為にかんして それらを誰がおこなっているかに関係な
く 不法行為を――大きく広く人間の意志による行為だと捉えて―― 人
間性の内におさめる。誰もがそうする。



ですから 具体的に言えば セクハラ行為をおこなった人間に対して 被
害者を含めたこちらも その不法行為を人間性の内におさめ そのハラッ
サー本人も 同じくそのようにおさめるということ。

ハラッサーに対して そういう目と心と必要ならば対話とで 接する。


その余の法律関係のことは 司法や組織内で担当する委員会などの手によ
って処理されるものと思います。

こんな感じですかね。

お礼日時:2018/06/06 20:16

非人間的な行為が人間の意思によっているとするならば、種々のハラスメントなどを、蚊に刺された程度の事だと見ることが難しくなるように思うのですが、この点はどうでしょうか。



非人間的行為が、人間の意思によるのではなく、欲望やその他下劣な悪意によって行われるのだと言うならば、種々のハラスメントは蚊に刺された程度だと見ることも、この意味では可能かと思います。

人間の意思と呼ぶものの内容にもよると思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 非人間的な行為が人間の意思によっているとするならば、種々のハラ
スメントなどを、蚊に刺された程度の事だと見ることが難しくなるように
思うのですが、この点はどうでしょうか。
☆ まづ わたしの持論としては セクハラ行為は 《蚊が刺しただけ》
と見ます。そう表現します。

つまり 蚊が刺したようなものだとか その程度に思っておきなさいとか
ではありません。

文字どおり 蚊が刺しただけです。

なぜなら 意志を踏みにじる行為は 無効であるから。

つまり・しかも 意志を踏みにじる行為は 大きく人間の自由意志から出
ていると見る。となります。

人間の意志行為は 一般に有効な行為ですが 相手の意志を踏みにじる場
合には 無効となる。




★ 非人間的行為が、人間の意思によるのではなく、欲望やその他下劣な
悪意によって行われるのだと言うならば、種々のハラスメントは蚊に刺さ
れた程度だと見ることも、この意味では可能かと思います。
☆ 《蚊に刺された程度だと見る》場合には それは 多少なりとも 相
手が(相手も)その意志において合意しているので かろうじてでも有効
だという場合だと思います。

でも その場合も 《欲望やその他下劣な悪意〔を利用して 何を隠そう
人間の意志〕によって行なわれる》のだと見ます。

そのほかに 行為の源泉や主体は ありませんから。



言いかえると 人間の意志には 基礎として《自然本性の心が やましさ
を感じることなく恥ぢをおぼえることなく ものごとを志向する場合》と 
そして 《その上にあたかも思い上がりで膨れたまぼろしの意志としての
ごとく 身の感覚としてはやましさ反応をともなっているのにそれにさか
らってでも強行するという欲望や下劣な悪意〔を利用する意志の自由度〕
を発揮する場合》とがある。ことになるかと思います。

★ 人間の意思と呼ぶものの内容にもよると思いますが。
☆ の内容を 上のように捉えました。

お礼日時:2018/06/07 23:08

彼女が恢復したように見えるのは、アメリカ国民が、いかにキリスト教の原理にしたがって、生きているかの証明になるでしょう。



私見ですが、彼女のような経験をした女性は、一生、トラウマを抱えて生きてゆくし、カウンセリングは欠かせないし、薬剤も常用しているかもしれません。現在は、落ち着いているように見えても、何かの暴力沙汰が身の回りで起きたときに、非常に不安定な精神状態になります。それでも、社会は、温かく見守ります。

ご存じでしょうが、米国でのキリスト教の、第一義は、”私は、神によって生かされている。私が生きていることには、意味がある。自分は、小さいけれど、欠けてはならないパズル・ピースである”です。従って、生きて帰った時の、両親や家族の本当にうれしそうな顔、カウンセラーさんの”貴方には、何の罪もない”と言う励まし、そして、これからは、自分も、性犯罪の被害に遭った人たちとつながり、そして、被害者を助けて行けるというのが、彼女の心の支えになったでしょう。

人間は、誰かに必要とされている限り、自分を励まして、強くなってゆけるものです。親に愛されて育った彼女が、紆余曲折があったにせよ、事件の後、傷だらけでも、自尊感情を一から育ててゆく、基礎がきちんと形づくられていたといえます。

周りの人間がこぞって、”あの事件は、恐ろしいことだったけれど、これからの貴方の人生には、何の関係もない、蚊に刺されたのと同じことよ”、と繰り返し、繰り返し、言ってあげることが、本当に大切なのです。被害者の社会復帰を念頭に置いた言葉です。”傷物にされた”とは、なんと心無い言い方でしょう。親の言葉が、子供の心をいかに傷つけるか、知っておくべきです。(もちろん、これは、アメリカでの話です。)

日本は、日本。アメリカはアメリカで、似たように見えても、実際は、地球の裏側です。アメリカの統計をそのまま、日本の事件に結び付けて結論を出すには、無理があるし、研究者の怠慢です。キリスト教ベースのない、日本には、自然な国民感情があり、まず、口をつくのは、現実的には、”もう嫁にいけない”なので、アメリカの事例を一旦忘れて、”日本の被害者”の社会復帰を促すには、どうして行ったらよいのか、独自のリサーチを進めてほしいものです。

最期に、どこで読んだか忘れましたが。。。確か日本語でした。。。セクハラ親父は、若い女の子と話しているうちに、自分も若返った気になり、そうこうしているうちに、若い女の子に好かれていると勘違いして、思い切った行動をとってしまう、と分析されていて、妙に納得したものです。セクハラ親父には甘い分析ですが、一抹の真理があるかもしれません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 彼女が恢復したように見えるのは、アメリカ国民が、いかにキリスト
教の原理にしたがって、生きているかの証明になるでしょう。
☆ うーむ。偽善に落ち入らないほどに 人びとの建て前の善意につつま
れて 癒やされているし 世間との和解をも勝ち得ているのだと。こうい
った捉え方でしょうか。

★ 私見ですが、彼女のような経験をした女性は、一生、トラウマを抱え
て生きてゆくし、カウンセリングは欠かせないし、薬剤も常用しているか
もしれません。
☆ それは 実際のことでしょうか。

トラウマとよぶ後遺症が残るということは 一般的であり 分かりますが 
トラウマが一生消えないという見方は 精神分析の世界の狭い見方ではな
いかとは考えます。証明は どちらの側にも ないでしょうが。


★ 現在は、落ち着いているように見えても、何かの暴力沙汰が身の回り
で起きたときに、非常に不安定な精神状態になります。それでも、社会は、
温かく見守ります。
☆ これは 現在までの事実なのでしょうか? ふつうの健常者でも 暴
力沙汰や学校で銃の乱射事件が起これば 不安にかられます。

★ 米国でのキリスト教の、第一義は、”私は、神によって生かされている。
私が生きていることには、意味がある。自分は、小さいけれど、欠けては
ならないパズル・ピースである”です。従って、生きて帰った時の、両親や
家族の本当にうれしそうな顔、カウンセラーさんの”貴方には、何の罪もな
い”と言う励まし、そして、これからは、自分も、性犯罪の被害に遭った人
たちとつながり、そして、被害者を助けて行けるというのが、彼女の心の
支えになったでしょう。
☆ そういった社会性・つまり人びととのつながり それは あるでしょ
うね。その思想内容も然ることながら 絆というものは 疎外された社会
にあっても 持ち得るものと思われます。

ですが それは 和解や治癒のための情況としての要因ではないかとも考
えます。

基礎は・基本は ひとの生まれながらにそなわった自然本性としての自己
組織化といった治癒力ではないかと考えます。

われがわれに還るというそのチカラであり 作用です。その自然本性は外
から・つまり他人の言動によっては 傷つくことがない。その自己同一性
が 基礎ではないかと。

つづく

お礼日時:2018/06/08 00:38

なるほど。


私の場合は、本能や悪意と、人間の意志とは別のものだと考えていましたので、ブラジェさんとは違う見方をしていたという事になるのでしょう。つまり、非人間的行為は人間の意志からは生まれないし、選択もされないという事です。
 腹が減ったから飯を食う、これは本能的なことであり人間の意志によるところではありません。相手を苦しめて喜ぶ、これは悪意によるところであって人間の意志によるところではありません。つまり、非人間的なものを人間性が覆い包むという見方をしてはいません。人間とはコンプレックス(複合体)であって、「人間らしさ」を発揮する場面と言うのはむしろ限られていて、実際人間は生活実態の多くを本能にゆだねており、また時に悪意を起こすこともあるという見方です。つまり、人間における人間性とは部分的なものであり、全人格的な覆い包むものではないという見方です。

種々のハラスメントや性犯罪が、非人間的なものである故に、結果加害者の人権をある程度無視して罰することができ、しかもその行為を虫けら(蚊など)の所業であると見てそれを無効、被害者が精神的に傷つくものではないという見方をすることも可能かなと、そう考えるのです。

ですので、もし、非人間的行為が人間の意志によるところであるとすると矛盾をきたしてしまうのです。人間の意志と言うところの内容の違いですね。私の言う人間の意志とは、対関係においては他者を一個人間として認めることが基になっています。
 その前提が失われている種々の犯罪の場面においては、対関係は成立しておらず無効であり、(ここまではブラジェさんと同じ見解だと思います)また非人間的なその行為を、加害者の人間性が覆い包むという事もありません。(ここがブラジェさんと違う見解になっているでしょう)

人間は、自身が本能や悪意を持った複合体であるという事を自覚して、持つ人間性でもってそれらを無視してはならず、放置してもならないと思っています。このことによって、種々の犯罪やハラスメントの加害者になる事を未然に防ぎ、また、もし加害者になってしまった場合には、自己の内にある本能や悪意に自らの人間性が敗北したのであると見て、相応の報いを受けるものだと思います。

被害者的立場においては、人間がそのような複合体であると見て警戒を怠らず、誰でも彼でも全人的に信用することなく、しかし相手の人間性を尊重してそれを助長するように、その人の人間性を信頼して、互いの関係をよくするのが理想かなと思います。また、もし被害者になったとしても、そのような自己の内部の本能や悪意に負けてしまった敗者の行為を人間的なものとは決して受け止めないことによって、犬に噛まれたようなものと思って意に介さず、心に傷を受けることのないようにすることができるのではないでしょうか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

回答№7と言い わたしたちは よい問い求めをやっていますね。

★ なるほど。
私の場合は、本能や悪意と、人間の意志とは別のものだと考えていました
ので、ブラジェさんとは違う見方をしていたという事になるのでしょう。
つまり、非人間的行為は人間の意志からは生まれないし、選択もされない
という事です。
☆ では 悪魔か? マザコンの母親か? 上司の命令一下か?

ただ 悪魔もマザーもガミガミ役も その指令を受けてこれを実行に移す
わたしがいるんですよね。いやいやながらも自分の意志をやはり発揮して
いる。


★ 腹が減ったから飯を食う、これは本能的なことであり人間の意志によ
るところではありません。
☆ つまり 本能の欲求を受け留めて やはり自分の意志としておこなう。
のだと見るわけです。何を食うかは 思考して決めます。


★ 相手を苦しめて喜ぶ、これは悪意によるところであって人間の意志に
よるところではありません。
☆ へその曲がったやはりおのれの意志なんです・・・と言うと おかし
いですか?



★ つまり、非人間的なものを人間性が覆い包むという見方をしてはいま
せん。
☆ 覆い包まざるを得ない。なぜなら ほかに行為の主体がいないから。

★ 人間とはコンプレックス(複合体)であって、「人間らしさ」を発揮
する場面と言うのはむしろ限られていて、実際人間は生活実態の多くを本
能にゆだねており、また時に悪意を起こすこともあるという見方です。つ
まり、人間における人間性とは部分的なものであり、全人格的な覆い包む
ものではないという見方です。
☆ でも 母親は 子のあやまった行動を受け留めてやり そのへそ曲が
りの意志をも包容してやるように思います。

★ 種々のハラスメントや性犯罪が、非人間的なものである故に、結果加
害者の人権をある程度無視して罰することができ、しかもその行為を虫け
ら(蚊など)の所業であると見てそれを無効、被害者が精神的に傷つくも
のではないという見方をすることも可能かなと、そう考えるのです。
☆ あっ そこは同じような結論に到るんですね。

★ ですので、もし、非人間的行為が人間の意志によるところであるとす
ると矛盾をきたしてしまうのです。人間の意志と言うところの内容の違い
ですね。
☆ ええっと。

つづく

お礼日時:2018/06/09 17:40

HIVに感染させられることが無かったから。


シェリーン・エルフェキの『HIV ― 悪法の伝染といかに闘うか』
https://www.ted.com/talks/shereen_el_feki_how_to …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ HIVに感染させられ
☆ ていたとしても 《回復》は成る・・・場合があると思います。

病気が 人格に影響を与えることはあっても 人格を左右すること
はないのではないか? とは思います。

言いかえると どちらが正解かは分かりません。

つまり あなたの見解が ただしいかどうかも まだ分からないと
思います。

お礼日時:2018/06/10 16:10

頑張ってますね♪



社会から、ごうかん等の悪識
非道徳、


悲劇をなくそう!
彼女も、その希望を持てたから、今は立ち直り前を向くことができるのでしょうね


後はそれら心の構成に、割合あり、そのお陰で、回復したと呼べる。
どの程度かを周りの人は憶測する。
心の機微。デリケートな問題でもある

あまり、被害者のプライベート考察は、難易度が高く、
あえて敷居をあげておくべき点もあると思いますので。

皆さん発言には 鋭意、細心の注意を持ち、
紳士性ある、
社会人の発言を心がけましょう。

これは(主には) 回答ではないので返信は不要です。
\(_ _)
では失礼いたしました
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ これは(主には) 回答ではないので返信は不要です。
☆ では そうですね。そんな感じですね。――と応じることと
します。

お礼日時:2018/06/10 22:22

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