これ何て呼びますか Part2

最近、天理教に興味を持ち、先日近くにある教会を見学しに行ったのですが、

入信するときは、なにか手続きとかありますか?
また、教会に所属するのは自由ですか?

まだ悩んでいるのですが、もし分かる方いましたら、教えて頂けると嬉しいです

A 回答 (8件)

辞めとけ!


信者の上手い口には乗るな!
時間やお金を根こそぎ取られます。
天理教は大っ嫌いです!
宗教は大っ嫌いです!
悩むぐらいなら入るな!
あなたの人生どうなろうと関係ないが、不幸になる事が目に見えてるので本当に入らないで!!
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天理教の月例祭に参加した時に、ここは古き良きものを大切にしているなぁと思いました。


それだけに、時代にそぐわない部分もあり、大変かと思います。
でも天理教の教えは大好きですから、参考にさせていただいてます。
入会しなければ学べないということばかりではないと考えてます。
入会にはそれなりの覚悟がいると思うので、悩んでいるなら、時期が来るまでお待ちになってはいかがでしょうか?
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天理市に行けば広大な土地に使いもしない建物がいっぱいある、とゆうことは今は衰退の一途、拝殿も三つも建て無駄、何故か六角柱をありがたがる意味不明な宗教団体今ならボランティアで住み込みで活動ができる、300円でカレー食い放題、お進めはしない。

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ねぇねぇ1番儲かる仕事ってなんだと思う?それはね‥宗教を自分で作っちゃうことだよ!ちょっといい服着てしかめっ面すればミーんな私の金づる!気のいい奴らは貴重な金になる!だからあんな分厚い本無料で配れんの。

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洗脳の方法に「曖昧な問いかけをして、自発的に決めさせる」というものがあります。



天理教で言うと、
「人を助けて我が身助かる」
「生きる喜びを味わいます」
「貧に落ちきれ」
で例えましょう。

誰がどのように助けてどんな助かり方をするのか明確ではありません。
どのような感覚が生きる喜びなのかわかりません。
どれくらい金を手放せば貧に落ちきっているのか明確ではありません。

そして教義のすべてにおいて「主語」がありません。
明確な契約を交わしている訳でもないので目安もわかりません。
それなのに「あなたが」と言われているような説得力があります。

強制言語のない強制がありますね。
命令されてないのに命令されているような気がしてきます。

答えのわからない問いかけをされたら普通の人なら考えますよね。
何が正解なのか考えます。
全ての「論理」を働かせて考えます。
論理では答えが導き出せなくなります。
「論理」で答えが出せないのなら、「感性」に答えがあるのかもしれないと思います。

頭で考えてもわからないから、心で考えてみようと無意識が選択します。
この段階で洗脳の半分は終わっています。
そして心に問いかけます。
心に問いかけます。
心に問いかけます。
何度も心に問いかけます。

すると、、、

あー、これが助かるって感覚かー!
あー、これが生きる喜びなのかー!
あー、貧に落ちきっても幸せだー!
と、自分から思い始めます。

全ての曖昧な問いかけに対して、ハイ!そうします!になります。

外側から見れば命令されているのに、自分から見れば自分で選択したということになります。
洗脳完了です。

強制せずに意のままに操ることのできるロボットの完成です。
ロボットは「感性」によって答えを導き出しているので、他人からどういうこと?
と質問されても論理的に説明できません。

だからロボットは同じことを繰り返し発言することしかできません。

「人を助けて我が身助かる」
「生きる喜びを味わいます」
「貧に落ちきれ」

どういうこと?

そういうことだって!
いわれたとおりやってみなって!
やってみればわかるって!

曖昧な答えしか帰ってきません。

天理教に限らず宗教には極めて曖昧で抽象的な言葉が沢山出てきます。
その曖昧で抽象的な言葉の意味を考えさせることが洗脳の第一歩なのです。

天理教のみならず宗教信者全般に言えることですけど、宗教とは「理性」を越えて
「感性」の上に成り立っています。
つまり論理的思考を薄めて、イメージの上に成り立っています。
天理教の人間は言語能力が極めて低いのはそのためです。

論理的思考で考えてしまう悩みごとを放棄し、イメージで物事を捉えるユートピアを目指します。
イメージで「生きる喜びを味わいます」
説明しろと訴えてもイメージを第一にしていますので、説明できません。
論理的になることは洗脳を解くことになりますので自己抑制がかかります。
なので曖昧な言葉しか発しません。

それは外側から見たら、文字化不可能社会です。
知能指数の低い集団に見えます。
しかし本人たちの自覚はイメージ上のユートピアを実現しよう、
と洗脳されていますのである意味言語を必要としません。
こちら側が説明しろと訴えたところで説明しません。
説明できる脳では無くなっているのです。
彼らも精神障害の一部です。

宗教問題が戦争に発展しやすいのはそのためです。
言葉で解決できずに、いさかいが起こったらすぐ行動となるからです。

天理教教会本部や幹部が隠したい事があると思って金の流れや情報を公開しないのならまだマシです。
論理的思考がまだ残っているからです。
その意識すらなくイメージでユートピアを追い続ける団体なら、
そのような態度で社会に通用するはずがありません。
ユートピアとは言うまでもなく「陽気ぐらし」の実現ですよ。

「陽気ぐらし」とはなんぞや?と、問いかけても論理的ではなく曖昧な説明しかできない教団組織。
それが天理教なのです。

洗脳に関してはオウム信者の洗脳を解いた苫米地英人さんの著書を読んでみると良いと思います。
でも、一番のオススメは『洗脳の楽園‐ヤマギシ会という悲劇』米本和広さんのルポルタージュです。
ヤマギシ会というカルト宗教のリアルな物語です。
天理教が150年以上かけてたどっている悲劇の道を、わずか60年で駆け抜けたカルト教団のお話です。
本当に天理教のコンパクト版みたいで天理教に苦しめられた皆様なら
その苦しさや教団のおかしさが手に取るようにわかると思いますよ。
ひとつの事実としてもとても面白いです。
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大雑把に言ってしまうと、宗教とは人間の考えることを、ある程度神に肩替わりしてもらうということです。


かなり不健全な言い方をすれば、自分の悩みを神に押し付けるということです。
悩みのある人が入信し、悩みから解放されたとき、信仰に対して強いバイアスがかかります。

心理学者フロイトが提言した古典的な研究によると、脳には「意識の領域」と「無意識の領域」があります。

宗教全般に言えることですが一番最初は「意識の領域」において、物事を考えることが「是」、
考えないことが「否」とされます。
つまり最初の接点は、入信するように考えること「是」、入信するように考えないこと「否」となります。
そして、入信を決意したとき、「無意識の領域」で、自分は人生を変える努力をしたという達成感を脳に与え、
その脳が感じた快感が信仰に強いバイアスをかけます。

その瞬間思考の逆転現象が起こります。

考えないこと「是」、考えること「否」になるのです。

いわゆる洗脳ですね。

道一条、信じた道を忠実に進もう!つまり思考を捨てることが「是」、
教義に疑問を感じ、改革を考えること「否」になるのです。
第一世代は改心し入信した努力が無意識下にありますので信仰に強いバイアスがかかります。

私のような第二世代は、信仰は生まれたときから存在するものです。
生まれた瞬間から考えないことが「是」とされているのです。
それは人間が本来、脳に有する「自我」を押さえ付けられるということです。
悪く言えば、神が与えた能力を否定する行為なのです。
子供の思想の自由を奪い、未来と才能を型にはめる。
人権侵害の悪どい宗教が際立って見えてきますね。
天理教には分派が多い理由も納得できますね。

そのように育てられた人間は3種類のタイプに別れることになります。
「自我」を押さえ付けられ努力を放棄する、諦めタイプ。
「自我」を押さえ付けられ努力を不満に替える、反骨精神タイプ。
奇跡的に「自我」を信仰につなげることができた、教育成功タイプ。
後継者として教団に残るのは、信仰率50%の諦めタイプと、信仰率100%の教育成功タイプです。
信仰率0%の反骨精神タイプは毒物として社会に排出されます。

分かりやすく均等に3分割されたとして、この時点で信仰率は75%まで弱まります。
この辺は曖昧なんですが、同じ方法論だけでは第二世代は「必ず衰退する」ということだけは確実です。
新たに信仰に強いバイアスをかける新規入信者で補う必要があります。

しかも反骨精神タイプは社会に排出されますので、もちろん社会にマイナスの影響を与えます。
宗教に悪いイメージを少なからず社会にもたらします。
さらに宗教組織自体が閉鎖的空間にあるので、宗教が社会に対して正しさをアピールする方法は限られています。
なので現実的信仰率は世代を越えるたびに弱まっていきます。

ですので現在、宗教組織全般に弱体化現象が起こっています。

経営の世界ではよく「ゼロからイチを生み出すのが一番難しい」と言います。
しかし抜本的改革というのは「完成済みのイチをゼロに戻し、新たにイチを築き上げる作業」です。
実は一番難しいのがこの抜本的改革です。
身近で言うと、今マクドナルドが陥っている状況がそれです。
原田泳幸が作り上げたマクドナルドブランドに対して、抜本的改革を求められています。
抜本的改革には強い自覚と途方もない時間とエネルギーが必要です。
解決策としては誠心誠意、信用をコツコツ積み上げるしかないのです。
落とした信用が一発逆転で回復することなどあり得ません。
その成功例が、トヨタ自動車や京セラなどの世界に誇るトップ企業です。
彼らはトップ企業としての自覚を持ち、模範的経営と時代に沿った企業へとマイナーチェンジをすることをいとわないのです。

企業の場合は社会から自覚を促されます。
宗教の場合は宗教法人法に守られてしまい、自覚を促されることもありません。

ですので「意識の領域」では、今以上の信仰を!と熱心にうたいながら、
「無意識の領域」では考えないこと「是」、考えること「否」の習慣が、時代錯誤し現在まで残っているのです。
言い換えましょう。
彼らが「無意識の領域」に持っている感覚は、保身「是」、改革「否」です。

保身のためには入ってくる金が一定でないと困ります。
献金型ビジネスを採用している天理教では、上層部の保身のためには下級層に一定の負担をしてもらわないと困ります。
裕福な生活をされている上層部の方もそれを捨てることもまた「否」なのです。
完全な洗脳をされている教育成功タイプほど「否」を感じます。
諦めタイプにとっては都合の良い話です。口先のトーク力を磨いていれば生きていけますし教団から守られるのですから。
そこまで思考停止しているのが天理教の実態です。

しかし、現代では先に説明した通りあらゆる要因により、信者数は減少の一途です。
信者数が減少すれば、一人当たりの負担額は増えます。

今の年金制度の様ですね。

金集めに必死になっている無様な様子が浮かび上がってきます。
上は保身に必死、下は金集めに必死。
バカバカしい話ではありませんか。
このようにマクロ(広義)の視点から見てもこの教団は現在救いようがありません。

「戦後、カリスマが生んだ画期的献金型ビジネスから脱却できない、頭の悪い惨めな思考停止集団の、
子供の人権を侵害し、神からの借り物である人間本来の能力を否定する、
上層部保身のための、庶民の意思を無視した、
金集め必死教」
通称「天理教」

というイギリスみたいな名前をこの教団に授けます(笑)
最後にどうしても悪意のある批判的なコメントになりました。
すみません。
これもまた「心の泣き声」です。

どちらにせよ、悲劇を避けるためにはこれらを自覚し抜本的改革が求められています。
場当たり的な思考停止状態で、イチかバチかお道を信じて進んでみよう!は破滅しかありません。
必要なのは今以上に良くしようと心を砕く貢献心と、改革を恐れない人格とそのチームです。
無意識下で、考えないこと「是」、としている間は絶っっっ対に!良くなりません!!

道一条、信じて進もう!とリーダーが「意識の領域」で認識した時点でその組織は賞味期限切れです。
食べるな危険。
お腹壊しますよ。



私の目から見て天理教史上一番かわいそうなのは誰か。
それは他でもない教祖、中山みきだと思います。
現代の目から見ると、悩んで悩んで悩みぬいた末に重度の精神疾患にかかり、社会からは糾弾され、
庶民からは助けてくれと慕われ、そもそも愛を放棄されて神に差し出されているのですから。
最悪ですよね。
おそらく中山みき本人を「利用しようとした人」は数多くいても、「本当の意味で助け出そうとした人」は
ほとんどいなかったものと推測されます。
天理教によって助けられたいと願う人は「中山みきを利用しようとしている人」です。
もうそろそろ助けてあげてください。

さて、これを知ってしまうと本当にシラけてしまいますが、中山みきが
「我は元の神、実の神である」と紙の啓示をうけたのも現代の精神医学によって解き明かされてしまいます。
「変性意識状態」「解離性同一性障害」「離人症」を調べてみてください。
全ては精神に変調をきたす現象のことで、脳内で自他を区別する境界がなくなってしまいます。
「神と私は一体となった、私は神である」という体験も現代では説明されてしまうんですね。

今の時代はネット、一世代前なら地域のコミュニティなどがありますが、もし江戸時代の後期に、女性が一人でストレスを溜め込み、相談する人も居らず、うつ症状を発症し、自分が間違っているんじゃないかと自問自答し、

自問自答!自問自答!!自問自答!!!
仕上げにもう一度自問自答!したあげくに精神が異常をきたし「変性意識状態」になり
「解離性同一性障害」にもなり「離人症」にもなる。
そして自分が神になったような全知全能感を味わう状況。
現代に生きる私たちには理解できませんが、色々整っていない時代ですので充分考えられることだと思います。

それが解明されていない時代は「変性意識状態」「解離性同一性障害」「離人症」を
発症してしまった精神異常状態の人間が現れるたびに新宗教が発起していたようですね。
天理教の場合中山みきの「精神の変調」による新宗教の発起と、秀司やそれに続く中山正善らによる
経営者資質が融合した宗教としての成功パターンの一つと考えられます。
大体の新宗教は教祖の「精神の変調」に経営が続かず小規模なものとなります。
それを超越し社会に認められたからこその世界三大宗教であり、遠い未来から見れば
天理教もただ一時代を賑わせた新興宗教の一つと分類される日もそう遠くはありません。
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ここで聞かないで


その場で聞いたらよかったです。

因みに本山に行ってみたほうがいいです。

別の世界が待ってますよ。
会いたいときに会いたい人に会えないことも・・・。
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>入信するときは、なにか手続きとかありますか?


全財産を寄付するみたいですよ。
そして共同生活するみたいですね。
野球もしなくてはならないかもね。
柔道もかな。
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