単二電池

ノンクリスチャンです。

プロテスタントの神学の一つ(のゆるやかな枠組み)にリベラル・自由主義神学というものがあるそうです。ノンクリスチャンにとってはとっつきやすいアプローチではありますが、神学や信仰の基盤とした場合に足場が危ういのではないかと感じました。

聖書理解と信仰について理詰めで考えていくと、どうしても福音派の聖書無誤という立場に落ち着かざるを得ないのではないかというのが素人の感想です。(聖書の中の例え話や寓話的な部分まで文字通りとらなくても、ですよ)

実際に、リベラル・自由主義神学と自称他称される方がいましたら、このあたりの実感を教えていただけますでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

あなたのご希望の信仰には属していませんし、そもそもキリスト者でさえないので、無境界派を標榜する方の意見を以前聞いたときのお話になります。


最初に、プロテスタントと呼ばれるべきかどうかからはじめると、多くの場合エバンゲリズム・聖書主義と呼ぶのが非カソリックの人達の立場で、これは宗教社会学の事実です。
>福音派の聖書無誤という立場に落ち着かざるを得ない
無教会派を外から理詰めで考えるとこう言う結論に落ち着くのは当たり前なのですが、上記の方や他のキリスト教国の方の書物を読んでもそこには到達しない様です。
かえってその立場はカソリック教会が教育を受ける機会のない人達を支配していたとき使われた方法論で、だからこそ各地に生じた大学が反カソリックの拠点としてローマ教皇府から危険視され嫌悪されたと言えます、なぜならそこではラテン語もギリシャ語もヘブライ語も教えられ、学生は個人で聖書を解釈することができる環境を与えられるからです。
同じ事はマルチン・ルターの聖書ドイツ語訳の仕事についても言え、聖職者に独占されてきた「神の言葉」を開放し「日常の文字」が読めれば、神と向かい合える環境を与えたことになるからです。
ご存知の様にこれに最大の寄与をしたのがグーテンベルクの活版印刷術で、最初に刷られたものこそ聖書だったのです。
それ以降、欧州では宗教戦争が経済とペストを巻き込み、同時に大航海時代とルネッサンスが並行します。この時代から聖書主義は延々と続いて来、その枝葉の一つが「リベラル・自由主義神学」だと言えると思います。
ご存知の通り聖書原理主義者は米国で進化論を否定する州憲法を作成し、それが連邦最高裁に蹴られると様々な不思議な疑似科学を提示しています。またムスリム達と核戦争を起したいと思っている富豪達の行動にFBIが神経質になっているのも事実です。1980年代米国留学した私はほとんど新興宗教の様な「テレビ教会」にお目にかかりました。それが一体本当の教会なのか、主催者がどこかの神学校を出ているのか、その様な事はインターネットの無かったその当時知りようがありませんでした。それらが「リベラル・自由主義神学」と無縁かそれともそこに含まれるのか分かりません。
元に戻ると、御質問者がお知りになりたいリベラル・自由主義神学が「福音派の聖書無誤という立場」に落ち込みにくい理由は、その基盤となる信徒のほとんどが非常に高い教育程度を持っていて、だからこそ自分で聖書と向かい合い、時にはグノーシス派の文献まであさってナザレのイエズスの言行に迫りたいという行動様式を採るからのようです。
皮肉に見れば頭が良すぎて既存の解釈を批判的に観るという行動様式にはまっていると言えます、その結果キェルケゴールの様に「不合理なればこそ我信ず」の道へはどうしても行けないということになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

面白いお話ありがとうございます。

入り口、スタート地点の違いですね。

お礼日時:2018/08/04 23:18

学び会「福音派とは何か」 平岡広志


http://www.geocities.jp/hirapyan/fukuinhatohanan …
「福音派とリベラル派」について論じてるので参考にして下さい。

わたし自身で言えば福音派の聖書理解では信仰が持てないので
リベラル・自由主義神学を知ってやっと信仰が持てたという感じです。
奇跡など科学と対立する部分は合理的な解釈をしないと受け入れられないです。
新約聖書には福音書(イエス)と書簡(パウロ)の対立がありますが
わたしはイエスの教えをパウロ神学よりは生きる上では大切にしてますね。
聖書の女性は罪深い存在という男性中心主義や同性愛は自然に反するという考えは
聖書の成立した当時の常識ですが現代のキリスト教では議論すべき問題だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

リンク先、拝見しました。

十全霊感 vs. 部分霊感、そして無謬性(infallibility)vs. 無誤性(inerrancy)というとってもわかりやすい切り口でした。世界が大きく開けた気がします。

一方で、「異象(ミラクル)」と「奇跡(ワンダー)」についての部分は、3回読みましたが完全な理解ができませんでした。折を見て、詳しく調べてみようと思います。

お礼日時:2018/08/04 23:11

聖書理解はノンクリスチャンには一生理解できない、イエスキリストを必要としていない聖霊の働きが宿らない、ノンクリスチャンすなわち神に選ばれない人々。

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以下、ケヴィン・ディヤングという、米国人の、若い神学研究科のブログです。

英語です。リベラル神学の特徴について。リベラリストの主張を分析しています。

https://www.thegospelcoalition.org/blogs/kevin-d …

概略だけ、邦訳しますと、
1.本来の宗教は、教団とは関係ないものである。
リベラルは、現代的・科学的知識を駆使して、従来の迷妄を退けるものである。
2.キリスト教とは、社会を再構築する運動である。
宗教改革とともに、より良い世界をつくってゆくために、貢献しなくてはならない。
3.キリスト教は科学的でなくてはならない。
現代人のの理性や経験に即した、教義・神学であるべきである。
4.シンボリズムへの挑戦
シンボリズムを廃棄して、真実に目を向ける。
5.神学の議論は、言葉遊びに堕せず、真実に目を向けるべき。
どんな言葉を使うかではなく、それが、何を意味するかを重要視すべき。
6.バイブルを、歴史的な事実が書かれていると、鵜呑みにしない。イエスがキリストであったことだけを重要視すべき。
特に、創世記については、シンボリックなものとみる。事実である必要はない。神の救済に、歴史は必要ない。
7.真の救済は、イエスキリストへたどり着くことである。
イエスキリストの言葉は、キリスト教徒一人一人に向けられた教えであり、教義を必要とするものではない。宗教的な統制は不必要である。

以下、セオロジストとしての、彼の結論です。

Conclusion

Liberalism is not a swear word to be thrown around. It is a diverse, but identifiable approach to Christianity, one that differs significantly from historic orthodoxy, not to mention evangelicalism and fundamentalism. Liberals believe they are making Christianity relevant, credible, beneficial, and humane. Evangelicals in the line of J. Gresham Machen believe they are making something other than Christianity. That was the dividing line a century ago, and the division persists.

リベラリズムは、究極的な解決策ではない。軍率割拠する中での、ひとつの考え方である。正統的・保守的ではないが、キリスト教を発展させてゆく上での、はっきりとした概要を持ったアプローチである。福音主義・原理主義などと同じような、ひとつの、方法論である。リベラルは、現代に即したキリスト教(現実的・理解可能・生産的・人権尊重の宗教に変わるべき)であると信じているし、福音派は、リベラルはキリスト教ではないと信じている。もう、一世紀も続いていた、論争である。

+++++

私も、彼と同じ意見です。教義上、不動の正教会があり、その周りを、たくさんの派閥が、惑星のように進化しながら、めぐっているように見えます。

例えば、うちの近所の教会に、ジョエル・オルセンという、牧師さんがいます。彼は信条こそ、保守的ですが、テレビやインターネットを駆使し、リベラルの主張を取り入れて、現代人の生活に即するような、実践的な、礼拝をおこなって、(予備校の授業のようです。。。どうすれば受験に成功するか。。。)毎週、世界中で、七百万人以上の視聴者があります。批判もありますが、無視しています。キリスト教が、現実に即して、変わり続けてきた良い例です。

イエスキリストの教えそのものが、当時のユダヤ人社会からは、異端であり、超リベラルであったことを、考えさせられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ブログも拝見しました。

少し、世界が開けたようです。自由主義神学とエキュメニズムの親和性が高さについても、その理由が分かってきたように思います。

最後の conclusion はこんな意味でしょうか

リベラリズムという言葉は別称ではない(a swear word to be thrown aroundは、こういう意味でしょうかね)。リベラリズムとは、福音主義やキリスト教原理主義はもとより歴史的な(?)正教会とも大きく異なる、多様でありながら十分にカテゴライズ可能なアプローチである。リバラル派は、自分たちがキリスト教を現代に即した宗教(現実的・理解可能・生産的・人権尊重の宗教き)にしていると自認しているが、(J.グレッサムの流れをくむ)福音派は、リベラル派が標榜しているのはキリスト教ではないと考えている。もう、一世紀も続いていた、論争である。

「福音派は、リベラル派が標榜しているのはキリスト教ではないと考えている」っていうのが、私の質問のもとですね。

なるほど信仰としては成り立つ気がします。

貴重な回答ありがとうございます。

お礼日時:2018/07/30 04:42

神学や信仰の基盤とした場合に足場が


危ういのではないかと感じました。
  ↑
それはありますが、逆に原理主義では
もはや少数派止まりになるだけでしょう。




実際に、リベラル・自由主義神学と自称他称される方がいましたら、
このあたりの実感を教えていただけますでしょうか。
  ↑
自称でも他称でもありませんが。

キリスト教を千年信じてやってきたが一向に
良くならない。
それどころか、十字軍は失敗するし、ペストには
無力だし、教会は免罪符事件まで起こす。

それでルネッサンスが興った訳ですが、
宗教が力を失ったのは、信仰していても
結果がついて行かなかったからです。

だから、宗教も現実に合わせて
修正せざるをえず、自由主義神学になったのです。

これをやめたら、キリスト教は一気に信者を
減らすと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかに現代に合わせてアップデートした結果なのだと思いますが、むしろその折衷っぷりだと福音派に比べて新規信者が期待できないようにも思うんですね。

福音派はある意味ではわかりやすい、完全無欠の一字一句が誤りのない神の言葉。リベラルは、(度合いも薄い方から濃い方まで多様なグラデーションがあるようなのですが)、一方では現代的・科学的な解釈をして、もう一方では信仰的な解釈をしていく、という一貫性のない態度に"見える”ような気がするので。。。

hisyaさんの紹介してくれたリンク先がとてもわかりやすかったです。

お礼日時:2018/08/04 23:21

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