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30代独身男性です。
お釈迦様によると、人生が苦であるそうですが、苦であると分かっている人生おいて、子供を産むべきなのでしょうか?
子供にしてみれば、「苦であると分かっているなら産まないで欲しい」と言われそうです。
一般人には難しい「苦を離れて解脱する」方法を説かれても、初めから生まれなければ苦そのものが無いのではと思って悩んでいます。
結局は親のエゴで産むのでしょうか?
人類の存続の為に産むと言われても、他の生態に比べて問題の多い人類の存続がそれほど大切なものとは思えません。 皆さんどうお考えでしょうか?

A 回答 (36件中21~30件)

No.14の方が申されているように、私は別に釈尊論が前提で子どもを産まないことを選択したのではありません。

仏陀に子どもがいようといまいと、私の中にある原罪への畏れのようなものから、子孫を残さないと罪という事実もまたありならば、形而上的なことを考慮すると、それとの葛藤もあり、また形而下的なことも直視するとそれとの葛藤もある、ということだけです。

問題2の「プロパー」というのは「正規」という意味です。「正社員」のことです。託児所がない会社は中小企業を中心にしてまだまだ多いのが現状です。(薬品会社が託児所が完備しているとは初めて知りました)

問題3は憲法通りの「国民主権」が理想ですが、実際「主権」と「主導」する立場の矛盾がありますよね(それこそ「政治」といわれれば仕方がないが)。

問題4についてはわかりかねますが、要するに大学を出たならば親業についての定義はつまるところ、誰でも親になる義務がある、つまり女は子どもを産む義務もあると捉えていますが。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
補足説明ありがとうございました。
難しい言葉がいろいろありますね。

お礼日時:2004/12/16 23:09

#9です。


少々、釈尊論に引っ張られすぎかな?と思い
再度回答させて頂きます。

人生が苦であるなら、という仮説が
子供を産むか/否かを考える際に
そんなに高いプライオリティを持つものなのでしょうか?

実は私は40歳にもなって子供もいなければ結婚もしていません。
私は、自分の人生の目的が、子孫をつくることだとは思っていませんし
子作りが人生の必須科目だとも思っていません。
そんな自分の価値観を正当化するためでしょうか?
確かに以前はHamletさんのように
>苦であると分かっている人生おいて、子供を産むべきか?
みたいなことを悩んでいました。

でも詰まるところ、実は
・この女性と子供をつくって育てたい、とか
・子供をつくり/育てていくのに適した将来展望が開けてきた、といった
いわゆる「縁」に恵まれないという「現実」が先にあって
自分にとって「人生が苦であるなら」という問いかけは
単なる視点のすり替え/屁理屈でしかないのは?と
最近は思っていたりします。

Hamletさんの場合は如何ですか?

この回答への補足

もし、人生が本当に素晴らしいものであるなら、自分の大切な人(自分の子供)にも、この素晴らしい人生を体験させてあげたい。
でも、もし人生が苦であるなら。。。自分の大切な子供に経験させるのはかわいそうでは?
という思いがあったので、この質問を立ち上げました。
でもCUE009さんの仰ることが実は正しいのかなぁと思ったりします。仮に人生が苦だとしても、「私に任せろ!たとえ人生が苦であろうが、何としてでもお前(子供)を立派に育てて幸せにしてやる!!」
という自信と覚悟があれば、良いのかもしれませんね。
あと「ご縁」も大事ですね。

補足日時:2004/12/16 22:53
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この回答へのお礼

御礼が遅くなり申し訳ありません。
回答ありがとうございます。
「おっと、鋭い。 痛いところを突かれた」という気持ちです。

お礼日時:2004/12/16 23:01

問題1、出産は、自分の力のみで出来ず。

(40歳超えると日本の医学を持ってしても初産は、難しい)
初児自然出産適齢年齢25歳。排卵誘発剤やら人口受精など施せば、まあ40歳、あとは、世界中から養子縁組(もちろん日本人OK)

問題2、病院は院内保育所、化粧品販売会社も社内保育所があるのに、プロパーって薬品会社のことだと思うけど、どうして社内保育所が無いの?(日本の法律では、保育所や幼稚園を会社が持つべき、として、初めて国会にも保育所ができたが。

問題3、社会は議員や総理が作るものにあらず。主権在民。

問題4、実子をもつ、持たないに、かかわらず親業という科目は、成人の勉強する科目である。
親業って科目。履修しましたか。大学でてから。。。???

#13さんの意見を見て、子を産むという外見にとらわれた釈尊論になっていますので、どうかな?
と、思いました。
釈迦自身は、ラーフラという子供をもっています。
ラーフラとは、「要らない子」と訳します。

でも、彼は、釈迦の弟子に自分からなりたいと言って、弟子になっています。釈迦の弟子は、仏教全体の僧の数ですから、ものすごい数ですね。釈迦は子供=弟子と捉えている文面があります。どうなんでしょうか?
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。
補足説明ありがとうございました。
「親業」ですか、、なかなか難しそうな科目ですね。

お礼日時:2004/12/16 22:51

私は30代女性なのですが、すでに出産適齢期(らしい)です。


でも結婚も出産も考えていません。それは親から愛されなかったせいかもしれませんし、心のケアができていないからかもしれない。それにまず、人としての普通の生活や幸福も得ないとならない。
仮に産むとしても、世間で言う適齢期と、個人の人生事情との接点が噛み合わない。
つまり準備不足なのです。そんな私が周囲の声や世間の尺度に従って産んだとしてもまず私自身が納得いかないでしょう。この大きな役割を担うには、やはり母胎自体がしっかりしていないとなりません。またそう思っている女性は私だけではないはずです。

仏教説など様々な測度からの見解がありますね。私も輪廻やカルマなどの仏教での真理は、知っている宗教の中では最も信頼する教えですし、その存在自体信じています。
そういう世界を感じるとき、産まないのはやはり「罪」なのかなあと「今の意志」に対して自信がなくなったりします。

けれども、実際問題、産むのは女でありそれも私であります。世帯にもう一人増えればお金は足りなくなる。その分のお金を稼ぐために、母親も仕事をしたくなる。しかしいったんプロパーの仕事を辞めて家庭に入った女性のほとんどが「パート」という形態に頼らざるを得ない現状。保育所や託児所の不足、閉鎖的な環境での子育てによる育児ノイローゼや、虐待の連鎖等・・・。「産む」ことは簡単でも、「育てる」環境が乏しいこの日本の現状を考えれば、出産どころか結婚さえ躊躇してしまうのが現在の「結婚・出産白書」です。
「適齢期」という名で脅したり、「白書」にあるような本人の意思や、また産みたくても産めない身体をを考慮しないで、最も身近なところからだと母親などが「産めよ」と叫び続けます。その声に押されて産んでも行政レベルからして充分なケアが足りない。

それに私的にはテロや殺人や環境破壊、教育、青少年問題問題うんぬん山積の、ひどい有様のこの世の中に大事な子を産み落としたくはありません。もっと大きな意味で考えると私のその子ども(こそ)が、汚いこの世でも、まだ残されている希少な「美しい世界」を踏みにじる存在かもしれません。親の愛情や教育でも為せないものが、その本質にあるかもしれないですから。そんな子どもならその世界のためにも産みたくないです。子どもを自分とは違う他人と考えたらの話です。とかく地球にとっては人類は、環境を荒らすだけの嵐のようなものですから・・・。
この言葉をさらに別の意味で考えると、血の繋がりが真の愛情に直結するのではないという考えもあります。ということは果たして「血」がすべて?とも思える。

以上のような事情から、産む側やその背景としての現状が「産まない」「産ませない」ような有様は「エゴ」だと思います。また輪廻転生の螺旋を繰り返さすためそれ自体の体現者を生産させるために、人に子を産ませるシステムを与えることはすでに神の「エゴ」でしょう。だとしたら私は神様に挑戦しているのかもしれません(笑)。神様がいずれこれに飽きたら、どこかのSF映画で見たように、飽和状態になった人類は今度は優秀なDNAだけ残すためのシステムを考えることになるかもしれませんよね。

No.6の方が、生まれたての赤ん坊は危険を乗り越え、何事もなく産まれたから泣くとおっしゃっていますよね。
私は逆に、シェイクスピアのある作品で「泣くのは過酷な世の中に産み落とされたからだ」というセリフがあったことを思い出します。赤ちゃんの気持ちはわかりませんが、私自身が生まれた瞬間の気持ちを思い出すことができたらきっとこちらの方だったと思います。

最近1歳になったばかりの姪っ子が可愛い盛りで、彼女の成長振りなどを見ているとやはり女としての「焦り」をふと感じるときもありますが、ああこれも母性本能というシステムのなせるワザか、と努めて考えるようにしています。いずれにしろ今は猫の育児で手一杯(笑)。

この回答への補足

「子ども(こそ)が、汚いこの世でも、まだ残されている希少な「美しい世界」を踏みにじる存在かもしれません」
→おお、鋭い。確かにおっしゃる通りですね。
そうなんですよね。環境破壊とか、この世の有様とか、理性で考えると、子供を生むべきなのだろうか?と悩んでしまうのですよね。
この質問を立ち上げた理由の一つがそれです。

補足日時:2004/12/16 22:15
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この回答へのお礼

御礼が遅くなってすいません。
回答ありがとうございます。周りからの言葉が辛いですね。子供の有無に関して世の中あまりデリカシーが無いですね。
frauさんの仰ること分かります。
「本当にこの世の中はダメで、生まれないほうが良い」という答えでは悲しいので、皆さんのご意見はどうかな?と思ってこの質問を立ち上げた次第です。 事実を客観的に見れば、frauさんの言う事も筋が通っていると思いますが、その答えに納得されているのかなぁと思ってしまいました。

お礼日時:2004/12/16 22:47

最終的には、み~んなが悟りを開いて解脱して、


人類が滅びるのが仏教の本来の理想なのかも知れません。


私は仏教はネット中毒からの回復を説いているようなものだと思うんです。

ネット中毒から回復するには、クリックしないのが一番なんです。
パソコンを捨ててしまうか、電源を切ってしまうのが一番なんです。
そのためには、一切の執着から離れることなんです。

「スッタニバータ」という最も古い経典の一つと言われているものにも「子を欲するなかれ」とあります。子どもだけでなく、論争も避けろ、仲間・親友、娯楽、財宝も持つな、ただ独り犀の角のように歩めとあります。


普通の人は「いかに上手にネットを楽しむか?」「いかにしてネット社会で生きていくか?」を考えるんですが、お釈迦さまは『ネットは「苦界」であるから、二度と参加しなくていいように全ての執着を捨て去れ、そうすれば中毒の輪廻からも離れられるんだ』と教えていたんだと思います。


ですから、普通の人がネットを楽しみにしたり、仲間を作ったり、子どもを作りたいと思うのは、普通のことだと思いますが、ネットが苦界であることと、苦界から脱する方法を悟ってしまったお釈迦さまにとっては愚かなことだったのかも知れません。


ネットをこの世界に置き換えて考えてみると、やはりお釈迦さまの悟りは真理だと思います。

この回答への補足

「ネットをこの世界に置き換えて考えてみると、やはりお釈迦さまの悟りは真理だと思います。」
となると、われわれは存続しない方が、良いということでしょうか?

私もこんな質問をしていますが、苦労の多い(と思われる)ネット(人生)ではありますが、実は苦労に見合うだけのすばらしいものであれば良いなぁと思いながらの質問です。
ですが、その望みに確信を持ちたくでも、今までの生活では、やっぱり苦界なのかなぁ?という感じがしてしまいます。
それでは悲しいので、皆さんのご意見をうかがってっているところです。

補足日時:2004/12/12 23:39
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすいません。
回答ありがとうございました。ネットにたとえた説明、わかりやすいですね。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/12/12 23:46

こんにちは、私は一時的に仏教の本を読みあさり、軽薄な知識で回答してみることを質問者様と他の回答者様に・・ごめんなさい(__)



・・ということで回答させていただきます。
>お釈迦様によると、人生が苦で・・子供を産むべき・・
これは単純に出家修行者と在家修行者のもつ考え方を取り違えているものと思われます。

たとえば、他国の仏教出家修行の場合、高い世界への転生や解脱に到達するためには”苦しむ結果になる”とわかっている場合はそれを小乗では否定、大乗では”超越する”、”タントラ??”では省略・・といわれています。

で、質問者様は出家修行者ではないと思いますので、たとえば在家の仏教信者の戒律『邪淫』は単純に『結婚したら、心において浮気はしない(少し厳しい)、愛のないSEXをしない(他の女の子とのHは×)、独身の場合意はぁ、省略』・・です。
これは在家の五戒のうちのひとつです。
そして『子供を生むこと』これは仏教の本には記載がなかったようなぁ・・気がします(__)

したがって結婚して、お互いの愛情の結果、結晶として生むのは特に問題はなく、それよりは育て方について心は広く、慈愛、哀れみ、平等心など(大乗の一部)ように成長するように接することが大事と・・私は思います(__)
(仏教を背景とした考えをお持ちの場合は(__))

仏教とは関係ありませんけど(__)
アメリカでは子供の出産の瞬間、『ウェルカム=いらっしゃい』の言葉を話すと以前、本で読みました。
将来、結婚して子供ができたら”祝福”して向かえましょう!もしかしたら天使の使いかもしれませんよ??

以上、長くてごめんなさい(__)
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この回答へのお礼

御礼が遅くなってすいません。
仏教の解説ありがとうございます。
私も子供を授かったら、「祝福」と「感謝」で迎えたいと思います。

お礼日時:2004/12/12 23:37

不邪淫戒は、奥さん以外の人とは駄目ですよ。

という意味です。
不淫戒は、セックスそのものが駄目と言うことです。

日本仏教は、大乗仏教で、不淫戒を旨としておりません。

小乗仏教のタイ国でも、男性は一生に一度、坊さんになる必要があるのですが、その期間のみ、不淫戒です。

そうしなければ、タイ国も日本国も、子供が居なくなっちゃうよ。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすいません。
なるほど、「不邪淫戒」と「不淫戒」ですか。
補足説明ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/12 23:34

聞きかじり程度の知識で恐縮ですが


私は『本来の仏教は「本質」も「霊」も「輪廻」も
想定しない』と学びました。

本来の仏教は、あくまで生きていく「己」の苦を滅するための
非常にプラグマティックな方法論であって
子供を生むべきか/否か?といった観念的な問題には
触れていない筈です。

ともあれ、人生を苦と見なすのは「仏教」の前提であって
絶対的な普遍的な「真理」でない筈です。
少なくとも仏教は絶対的な普遍的な真理を設定しません。
親が人生を苦と捉え、仏教に共感→信仰するのは親の自由でしょうが
子が人生を苦と捉えるか?そして仏教を信仰するか?は
子の自由であり、親が押し付ける価値観ではないのではないでしょうか?

ちなみに、仏門に入ると本来は結婚も性交も禁じられてしまうので
子供は物理的につくれない筈だと思います。

とはいえ、今日の日本の仏僧は結婚している人も
たくさんいるんですよね。
仏教はキリスト教のように正教/正典を定めていませんから
まあ、何でもありっていっちゃえばアリなんだそうですが。

この回答への補足

『本来の仏教は「本質」も「霊」も「輪廻」も
想定しない』と学びました。
→私も聞いたことがあります。

人生を苦と見なすのは「仏教」の前提
→「仏教」が必ずしも正しいというわけではないという、新鮮な考えですね。

補足日時:2004/12/12 23:00
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この回答へのお礼

御礼が遅くなってすいません。
回答ありがとうございました。
「子が人生を苦と捉えるか?そして仏教を信仰するか?は子の自由であり、親が押し付ける価値観ではないのではないでしょうか?」
ごもっともです。自分の子供が、人生を楽しいものと思ってくれればそれに越したことはありません。
ですが人は自分の経験から、他人の考えを推定しますよね。たとえば、火に触ると(私は)熱い。だから他の人も熱いと思う。
そんな風に人生は大変だなと思うと、自分の子供も大変って思ってしまうのでは?と心配になってしまいました。

お礼日時:2004/12/12 23:22

苦がなければ楽もない、と言うことだと思います。



空腹感がなければ食事のありがたみも分からないし、
暑さ寒さがなければ快適さがわからないし、
眠くならなければ睡眠の安らぎもありませんし。

赤ちゃんはひとしきり泣いた後、
ほんとうにやすらかにあなたの腕の中で眠ることでしょう。

人間に限らずあらゆる生命がそうなのですから、
この世の苦痛を全て無くすぞとモクロめば
地球の一瞬にしての破壊しかありません。

それこそがエゴだと思いますが。

この回答への補足

「苦がなければ楽もない」
時々聞く言葉ですね。楽のために、喜んで苦を受け入れることは、極端な言い方かもしれませんが、SMの「M」のような気がしてしまいます。
苦を条件とした、相対的な楽もありますが、私が夢見る(夢なのかなぁ)のは、何があっても揺るがない幸福を夢見てしまいます。
空腹の中でも、寒さ暑さの中でも感じることのできる幸福というものは、本当に夢物語なのでしょうか。

「地球の一瞬にしての破壊」
この疑問に決着がついて、人生が苦であるということが、どうしても疑いようがないことで、人生が本当に割に合わないものであるなら、選択肢の一つとして「地球の一瞬の破壊」もありかな?と思いましたが、確かに自分の価値観、考え方で相手を殺してしまう危険な考えですね。反省。

補足日時:2004/12/12 22:46
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この回答へのお礼

御礼が遅くなってすいません。
回答ありがとうございます。補足にも書きましたが、私の反省すべき点がありました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/12/12 22:58

「この人の隣に一生いたい」という異性がいて、家庭をつくり、子供ができればわかることだと思います。



そもそもあなたにとっての人生は「苦」なんですか?どうったことが苦ですか?お釈迦様の「苦」をどのように捉えているんえしょう???「結局は親のエゴで産むのでしょうか?」←こういう疑問がでてくる時点で、たしかにあなたが子供をつくることはエゴであり、その子にとっても生きることは大変不幸かもしれません。

私には「死んでほしくない」と心から思う人がいて、死んでからもその人のことを思い出す人がいて、きっと私が死んでからも私のことを思いだしてくれる人、涙を流してくれる人がいます。

生きることそのもの、それは苦なんでしょうね。でもその苦の裏側にはそれと同じだけの無情ともいえる幸福があるんですよ。キレイゴトにきこえるかもしれないけど、それが「愛」でしょう。無条件にむけられるいわゆる「無償の愛」ってやつはきっと旦那さんと子供にしか向けられないものだろうなーーーって思いますよ。それこそ人間として生きてることの醍醐味。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とてもよくある内容の話ですが、なんとなく、やっぱりそこが答えなのかなぁとも思ったりもします。pico2ponさんにとって大切な人は、信頼できる相思相愛の方なのですね。すばらしい。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2004/11/17 23:59

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