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阿弥陀仏様が菩薩だった時の名称は何ですか?

A 回答 (4件)

そもそも発端は、私たちが、


果てしない遠い過去から生まれ変わり死に変わり苦しみ悩み続けていたことにあります。
生まれがたい人間に生まれても、
「人間に生まれてよかった」という生命の歓喜がなく、
どれだけお金があっても、どれだけやりたいことをやっても、
心からの安心も満足もなく、一時的な楽しみは、はかなく消え失せ、
次から次とやってくる苦しみにあえぎながら、
苦しみ悩みの人生を送っています。
そして、この先も永遠に苦しみ迷いの旅を続けなければなりません。

そんな過去久遠の昔、53の仏が世に出られ、
54番目に、世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏が現れられました。
その時、1人の国王があって、
世自在王仏の説法を聞いて、深く喜び、
国も王様の地位もなげうって出家され、
「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」と名乗られました。
これが阿弥陀仏の菩薩のときの名前です。

ある日、法蔵菩薩が世自在王仏の前に手をついて、
「お師匠さま、今日はお願いがあって参りました」
「なんじゃ法蔵。どうしたのじゃ」
「はい、すべての人のありさまを見ておりますと、
何のために生まれてきたのか分からず、
どう生きるかばかり考えて苦しんでいます。
このままでは、どんなに頑張っても
永遠に苦しみから離れることができません。
あまりにかわいそうで、とても見ていることができませんので
どうか助けさせてください」

「なんじゃ法蔵、そのことか。
そなたも知っての通り、かつて我々三世の諸仏も、
すべての人を助けようと一度は立ち上がったのだ。
しかし、すべての人は、煩悩の塊で、
あまりに罪が重く、とても助けることはできないと、
さじをなげてしまったのだ」

これは、『悲華経』に
「煩悩多き衆生は賢劫の一千四仏が放捨する所」
と説かれています。
「賢劫(けんごう)」とは、現在のことです。
現在の一千四仏には、お釈迦さまも含まれています。
お釈迦さまも含むたくさんの仏様に捨てられているのです。
『不空羂索神変真言経』には
「十方三世の一切の諸仏菩薩摩訶薩の常に棄捨する所」
とも説かれています。
大宇宙の過去、現在、未来のすべての諸仏からも菩薩からも
捨てられているということです。

「お師匠さま、それはじゅうじゅう存じております。
しかし、それならなおさら、私が助けなければ、
すべての人は絶対助かりません。
どうか助けさせてください」
「それはな、法蔵。そなたの願いは尊いのだが、
すべての人は、金輪際助かる縁手がかりのない者なのだ。
そなたに無駄な苦労はさせたくない、やめておけ」
「それはよく存じております。
存じておりますが、できるかできないかよりも、
かわいそうでじっとしておれないのです。
たとえできなくて、どんな苦しみの中に終わっても、
決して後悔はいたしません。
どうか助けさせてください」
「いや、やつらは金輪際幸せとは無縁なのだ、
無駄な苦労はやめておけ」

このような
「助けさせてください」
「やめておけ」
「助けさせてください」
「やめておけ」
という押し問答が、
何度も何度も繰り返されたあと、
ついに世自在王仏は、
「法蔵菩薩よ、たとえ大海の水でも、わずか一人の人間がますでくみ取って、
何億年とも知れない長い間ながい間続けるなら、
ついには底までくみほして、海底の珍しい宝を手に入れることができるように
まごころこめて一心不乱に道を求めて止まぬなら、
必ず、その目的を果たしとげ、
どんな願いでも成就せぬことはないであろう」
と仰せられたのです。

喜ばれた法蔵菩薩は、煩悩の塊で永遠に助かる縁手がかりのない者を
どのように助けるか、五劫という長期間考え抜かれ、
48の本願をおこされました。
これを「阿弥陀仏の四十八願」といいます。
その四十八願の中でも、
18番目の本願である十八願に本心がお約束されています。
その十八願が、
「どんな人も、苦しみの根本を抜き、絶対の幸福にする」
と誓われた
「阿弥陀仏の本願」です。

これは、大宇宙の仏方が、一仏もおこすことのできない
とてつもない内容の本願でした。
そして、兆載永劫のご修行をなされ、
ついに法蔵菩薩は本願を成就して、十劫という遠い昔に仏のさとりを開かれ、
阿弥陀如来となられたのです。
それで、大宇宙の仏方はみな、
「ものすごい仏様だ」、
「さすがはわれらの先生だ」と
口をそろえてほめたたえておられます。

そのことをお釈迦さまはこのように説かれています。
「我今その光明を称するのみにあらず、
一切の諸仏・声聞・縁覚・諸菩薩衆も、
ことごとく嘆誉したまうこと、またまたかくの如し」
(大無量寿経)
阿弥陀如来のお力を、お釈迦さまだけでなく、
大宇宙のすべての諸仏も菩薩も称讃されているのです。
こうして、苦しみの根元を抜き、
絶対の幸福に救う法は完成していますので
あとはそれを受け取るだけです。

http://true-buddhism.com/character/amitabha/
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此処で聞いても 色んな回答が付くだけ・・



その回答を質問者のあなたの独断で振り分ける・・

ならば 本当の事を あなた自身が知らないと振り分ける事も出来ないのでは?

そうであるなら 言えるのは あなた次第で 答えが変わる・・と 言う事だけ・・
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阿弥陀如来も法蔵菩薩も本来の仏教とはなんら関係ないことです


後世の僧侶が後付の勝手な解釈でこじつけたものに意味を求める事に価値が有るのか解りません。

そこをあえて答えるなら、真言宗てきに法蔵菩薩かもしれません。

阿弥陀如来は確か浄土宗が本尊として祀ってますよね
鎌倉の大仏も阿弥陀如来だったと記憶しています。
真言宗てきより浄土宗がどうみてるかを調べると良いと思います。

ワタシ的に
お釈迦様は偶像崇拝などしてません。
ただ私達がどう生きれば暮らしやすくなるかということです。
なんの努力もせず南無阿弥陀仏と阿弥陀様に唱えれば報われる
なんてお釈迦様の精神に反すると、私は思います。
まぁ阿弥陀様はお釈迦様ではないので良しとするのかな?・・・
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真言宗では阿弥陀が「法蔵菩薩」であったとき・・・とありますし、真宗でも「法蔵菩薩」について記述しています。


http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/shoshing …
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