プロが教えるわが家の防犯対策術!

伝統文化は尊重すべきですか?
それとも伝統を守ったために起きた障害をなくすべきですか?

例えば、鯨食文化です。日本は文化として鯨を食べる人がいます。しかし、鯨は現在絶滅危惧種であり生態系が崩れてしまうため、鯨食文化を反対する人もいます。

どちらがより現在大切だと思いますか?また、鯨食文化の他に例があれば教えて欲しいです。(犬食文化もですね)

A 回答 (7件)

伝統文化は尊重すべきですか?


 ↑
原則、尊重すべきです。

人間には理性があるから、理性に従って
判断すればよい。
だから、理性に反する伝統など無視、廃棄すれば
よい、としたのが社会主義です。
その社会主義がどうなったか、説明するまでも
無いでしょう。

人間の理性など信用出来ない。
試行錯誤の結果である伝統を大切にすべきだ
という主張は、実は合理的なのです。




それとも伝統を守ったために起きた障害をなくすべきですか?
  ↑
その障害によります。
インドのように、未亡人を火に投げ込むなんて
伝統は首を傾げます。



例えば、鯨食文化です。日本は文化として鯨を食べる人がいます。
しかし、鯨は現在絶滅危惧種であり生態系が崩れてしまうため、
鯨食文化を反対する人もいます。
  ↑
日本の調査では鯨は増えております。
そもそも、鯨を資源問題にしたのは
鯨油確保のために、欧米が乱獲したからです。
その欧米は、石油が出たので、手の平を返しました。
こんな勝手を許してよいのですか。



どちらがより現在大切だと思いますか?
  ↑
この場合は伝統です。
反対している欧米は、ろくな調査もしないで
絶滅だ、と騒いでいるだけです。



また、鯨食文化の他に例があれば教えて欲しいです。(犬食文化もですね)
 ↑
天皇制などがそうですね。
何の役に立つのか、税金の無駄使いでは
ないのか、
そもそも民主的で無い、
なんて議論もあります。

アラブの春を見てください。
シリア、リビア、チュニジア、エジプト、みな共和制国家ですが、
大混乱です。
これに対し、モロッコ、カタール、バーレーン、オマーンなどの
王政国家はみな安定しています。

伝統には、こうした力があるのです。
無碍に廃止するのは問題です。
    • good
    • 1

それが新しい世代も本心から肯定できるものだったら良いのでは。


歴史や技能を継承していくため必要なものもありますし、祭りとなって地元民の娯楽や経済効果などの恩恵があったりします。

その一方で、体育会系のシゴキのように自分が受けた苦しみを次の世代も味わって貰わないと納得いかないなんて悲しい物もあります。
女性を虐げる行為の継承をほかならぬ女性が次の世代に押し付けるケースも。
当事者は、『これが困難を耐え抜く強さを培った』などと言いますが、そうやって自分を慰めないとやっていけなかったのだと思います。
『自分が上の世代になったら後輩にやってやる』なんて情けない理由で苦難を耐え抜く手合いもいるようですし。
これはパワハラの元凶となる思考だったりします。

若者が定着せず過疎になる村もそれだけの理由があり、いわゆる『伝統』と称して若者に苦痛を強いたり搾取することを肯定する姿勢があると思います。
    • good
    • 0

昔は西洋人が日本近海でクジラを乱獲していましたけど、全滅などしませんでしたよ。


クジラから鯨油だけ取って後は捨てていたらしいですから酷いもんです、その子孫が何を言っているんだか。
日本は骨の髄まで食したり利用していましたし、供養もちゃんとしていましたよ。
日本近海でクジラが沢山居過ぎると餌として矢鱈食べますからね、漁獲量が減ってしまうんです。
今迄の伝統というより必要な事ですね、訳の分らん奴らに何も言われたくないです。
牛、豚、鳥、魚、貝、何でも絶滅するって言ってたら食えないし増えすぎます、自分達だけ捕鯨辞めれば良い事ですよ。
日本人だけで取り切れませんから、心配しなさんな。
    • good
    • 0

>絶滅危惧種


学術的には大して減っていないことが分かっています。増えすぎるとイワシが減って他の魚類が圧迫されるので簡単な問題ではありません。
これは伝統文化とはあまり関係無いでしょう、魚の生食も日本食ブームで二十年程で行き渡ってしまいました、理由は文化では無く文明で氷冷ができる様になったから。
伝統文化のうち問題なのは無形文化財のたぐい、一子相伝の芸術の継承を保護するのは楽ですが、日本建築を保護するのは巨大な建築会社をまるごと保護するのは結構大変。
現在景気に問題が少ないのでこれらは無視状態ですが、大恐慌になったら問題化するでしょう。
    • good
    • 0

個人的には、「伝統文化を守る」というのは、何を残して、何を捨てて、何を変えるかを決めることしかないでしょう。


たとえば、捕鯨文化・鯨食文化といっても、古来はそんな遠方まで船を出して捕鯨することはなかったはずです。
捕鯨について詳しくないのでいつ頃から始まったのかわかりませんが、少なくとも動力船(蒸気船など)ができるまではおそらく沿岸漁しかできなかったのではと思います。
したがって、捕鯨が文化だといっても、捕鯨自体が変わってきているのは否めないでしょう。

鯨食についても物流や冷蔵・冷凍技術の発達していない時代であれば、おそらく一部に地域以外では食せなかったと思います。
それをまるで日本全国で昔から鯨を食べていたかのように論じることには無理があるのではと思っています。

食文化に限らず、伝統行事や伝統芸能などでも時代の変遷とともに少なからず変化しています。
その上で、今後とも伝統文化を残すとすれば、どのような変化の元に残していくかを考えることが重要ではと思います。

余談ですが、文化というのは元来合理的ではないものです。とはいえ、合理的ではないことを続けることには一定の合理性があることだと思います。
したがって、合理的ではないから伝統文化をなくすというのは本末転倒ではと思っています。
たとえば、各種のお祭りなどというのは、豊作祈願だったり豊作への感謝などとして行われているものが多いですが、作物の出来不出来がそれによって祭の有無で左右されるものではないことは多くの人がわかっていることでしょう。
ですが、やはり多少の形態の変化はあっても続けることには一定の意味があるのではと思います。
    • good
    • 0

人を食うとかじゃない限りは文化は守ったほうがいいんじゃないかと思う。


犬食も鯨食も根っこは同じで、その国が育てた文化であり、安易に外部がとやかくいうものじゃない。
可哀想だからとか頭がいいからだめとかは、わかりやすいヒステリー。
鯨って特定の品種が絶滅しそうみたいなことは聞いたことがあるけど、鯨の全種が絶滅しそうなの?
    • good
    • 1

伝統文化は、それと関わりのある人が尊重して行けばそれでよい、外部の部外者につべこべ言われる筋合いはないと思う。


鯨食は、伝統であって、文化ではない、単なる習慣である。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!