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業(ごう)とは?
ネットで調べてもよくわかりませんでした。
わかりやすく説明して下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

私がこうではないかと思っていることの羅列であり、説明ではないので恐縮ですが、カルマ、業とは、人間の行為の帰趨というものではないでしょうか。



その時は善い事を為したつもりでも、後になって悔いるような結果を得たならば、その善いと思って為した事は実は悪かったのだと後付けで知られる事になります。
またその逆も然り。

この様に、人間の行為の帰趨はその果を得た時に初めて明らかになるものであり、前もって知る事はできません。善悪の判別はつくようになっても、善行がどのような形で善果をもたらし、悪行がどのような形で悪果をもたらすかは前もっては分からないようです。しかも、今自分が苦しんでいるのは何故なのか、過去の行いに目を配っても簡単には分からない場合もあります。それで、なんで自分がこのような憂き目にあわねばならぬのか、と言った怨みも生じることがあります。

自分の過去の行いを省みて、その時自分は何者であったかを知るならば、果と因を結びつけ特定する事はできないとしても、悪しきカルマ、業を積んだのだと知る事はでき、などとそれに類する悪しき事はせぬと自分に約束する事はできるのです。また、自分の為した善行、積んだ善業は、忘れてしまうくらいがちょうど良く、もし善行に執著をを起こすならそれは善行ではなくなってしまうものだと思っておくと良いでしょう。もし、自分の人生がどうも明るくないなと思い始めた時には、かつて自分が為した善行、その時の心構えを思い出す程度で良いと思います。こころ穏やかに過ごせていた頃の自分の心の、良い部分を思い出すという事です。そして、悪しき部分は矯めるのです。

総論すれば、カルマ、業とは、かつての自分を知ることで、現在何を為すべきか、何を為さざるべきかを知る事できる、人生の流れの一端を表現した言葉である、という事なのではないでしょうか。

カルマもダルマも、一切世に遍く行き渡っています。何故ならそれは自らの生が紡ぎ出した流れであるから、どこに行こうとも必ず付いて回るのです。自らの悪しきカルマを知り、自己を矯めて、正しい人生の流れを見出した人は、ダルマに乗る人であると言えるでしょう。そして善業を積むよりも、悪業を積まないことの方が優れていると言われます。何故なら、善業は悪業を無かったことにはできず、決定的な悪業をつんでしまえば、いくら善業を積み、福徳豊かな暮らしをしていても、突然それは悲惨な形で終わる事になるからです。故に、悪業を止める徳、これを福徳と区別して功徳と呼び、安らぎのある人生を求める人には、福徳よりも功徳を積む事が勧められるのです。


さて、ここまでカルマについて述べてきましたが、そもそも、人は何故悪業を積んでしまうのか、(知らずに)悪を行ってしまうのか、という疑問が生じます。
それはおそらく、正しさにではなく快さによって行為の善し悪しを判じてしまう習性があるからではないか。
自分が善い事をする人間だと思い込めば快さを感じます。善い事を言っていると思い込めば快さを感じます。
しかし実際にそれが善い事であるかどうかは後になって結果を見なければわからない。故に行為や語りを為す時には、それを為すかどうかは善悪や快不快によって判じるのではなく、それが後悔しない本心であるかどうかで判じると良いと思われます。
それが当然になれば、人生に後悔する事はなくなるのではないでしょうか。
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いわゆる”しがらみ”です。


例えば私は視力が弱いので、一生眼鏡をかけて生きてゆかねばならないという業を背負っています。
とゆーか業のない人間なんていないのです。

この業は人が現世で与えられた課題であり、それを乗り越えて成長する人もいればコンプレックスにまみれ潰れてしまう人もいます。
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魂の癖みたいなもの、かなあ

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なんか今日は意味がw化rに煽り尾日ですね。


香川輝幸が無視だとかなんだtかそんな感じでh層化。
別人でしたとかそんなわつぃしがいの市外か
民さんは下キンdスネ。
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前世のカルマ(宿命)や因縁です、良しにつき悪しきにつき前世で残した課題・使命みたいなものです。

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昔と今、恐らく今後では意味が変わってくると思いますね。


業とはサンスクリット語ではカルマ
カルマとは本来行動そのもののことを表しています。
今ではそこから更に意味を広げていって、選択した行動と出た答え、つまり因果と結果と考えられていると思えばいいでしょうか。
もっとオカルト的な、運命論と結びつけるような考え方もありますし、もしかすると、そっちの方がだんだん主流になっていくかもしれないですね。
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チャトアプリで知りあいになりました

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業をにやす・・・・「業(ごう)」は仏教語で、人間の身体・言語・心によって行われる行為を意味し、この場合は心の動きを表す。

「煮やす」は火にかけ熱することから、怒りなどの気持ちを激しくすることをいい、平静であった心の動きが怒りで激しくなることを「業を煮やす」といった。

つまり、心の事です、それも本能に近い部分かな〜!!
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