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先日おそらく日本最大のブログランキングで、「哲学」カテゴリーで不断の1位を維持しているブログを読んでいて考えたことです。

様々な作家や評論家が、現代を憂いていることに対して、彼とその取り巻きは、

「昔はよかったという手垢のついたテンプレ」

「赤とんぼが飛んでいた原っぱと高層ビルの乱立を比べて世を嘆くという鉄板のテンプレ」

「スマホで遊ぶ子供よりも虫を追いかけていた子供がより自然だったという繰り言」

「彼らはみな年寄りだ。そして現状を批判し過去を懐かしむことがまるで高尚なことのように考えている。何故彼ら年寄りは『現状を肯定する哲学』というものをいつまでも持てないでいるのだろう?彼らの子供のころは川で遊んだり虫を追いかけていたかもしれない。しかし、スマホで遊ぶ子供たちを憂い顔で眺める傲慢さ。今の子供たちにとっては、高層ビル群とスマホこそが生れた時からそこにある「自然」なのだ。」

と年寄りの批評家、作家たちを一刀両断にしていましたが、

「過去を美化することほど簡単なことはない。それはありふれたテンプレであり、考えることをしない者の言葉だ。「現在を肯定」しなければならない。今の子供たちのために」

「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」

と書いていました。

みなさんはどう考えますか?

質問者からの補足コメント

  • 訂正

    「「哲学」カテゴリーで不断の1位」×
    「「哲学」カテゴリーで不動の1位」○

    そのブログを読んで、「彼」が言いたいのは、
    「今の子供たちを可哀想だなどと言うな。昔の子供たちの方が貧しくともこころが豊かだったなどというありきたりなテンプレを使うな。スマホやオンラインゲームが今の子供たちの赤とんぼでありカブトムシなのだから」ということかなと感じました。そもそも比較できないものを比較する愚かな老人たち、と。


    ところで「テンプレ」って何でしょうか?この言葉を使って批判するのはずいぶん楽そうだなぁと感じました。

      補足日時:2019/01/31 04:20
  • すみません。質問の仕方を変えます。

    以下の質問にお答えください。

    1、彼の主張に賛成する

    2、まあ大体賛成する

    3、そうは思わない

    それぞれ理由を添えてお答えください。

      補足日時:2019/01/31 05:29
  • 取り急ぎ。

    1、お礼返信が遅れて申し訳ありません。PCの頻繁なフリーズにより、満足な書き込みができません。遅れても必ずお礼お返事をするつもりですので、ご容赦ください。

    2、この質問で参照したブログの筆者はこの投稿を見ています。その質は問わず、彼は巨大ブログランキングサイトで、圧倒的なPVを誇っています。つまり私の回答は、場合によっては彼のブログ上で、数百数千の目に晒されることが考えられます。
    しかしそれ以上に、そもそも「彼ら」(彼と取り巻き)と私の世界観は対極にあります。私は彼らにとっては道理の通じない「泣く子」であり彼らは私にとっては泣く子も黙る哲学ブログの横綱です。

    この質問の意図は、反対者と対立することではなく、やはり彼の主張は1位の名に恥じず、多くの人に支持されるものなのか、逆に私の主張=反進歩・反成長は、古びた異端に過ぎないのかという確認のためでもあるのです。

      補足日時:2019/02/02 06:19
  • やっと一部の方にお礼ができました。ゆっくり行きます。

    私はここで、件のブログの「間違い」乃至「過ち」を糾弾しようなどという気持ちは持ち合わせていません。へんな言い方ですが、「彼の主張の正しさ」は最初からわかっています。私は異端邪説を好みます。彼が哲学ブログの横綱であるのは、それだけ多くの支持者がいるからです。しかし異端邪説を志向するものは、むしろ多数派の支持を、そして自らが多数派であることを嫌います。

    私は正しくなくていいのです。というよりも、正しいことを言う必要も感じていないのです。
    私は「正しくあること」はできません。私は私であることしかできないし、それ以外を望みません。

    すでに軍配は彼に上がっています。それは彼にも承知しておいてもらいたい。そしてそのことを踏まえたうえで、私は繰言をいい、皆さんの考えを聞かせてもらっています。

      補足日時:2019/02/03 06:18
  • お礼より続きます。

    >歴史を引継ぎ今後も生きる人がそれをするのは、自分や自分の先祖や自分の子孫に対して「責任放棄」をして「逃げた人(勝手に自死した人)」という印象を持ちます。

    歴史を引き継ぐ?ふむ。ではその引き継ぐべき「歴史」って、わかりやすくいうとどういうことですか?
    多くの「くたばりぞこない」たちが嘆いているのは、後世に伝えるべき歴史も、文化も、また景観も、更に目で見ることのできない情緒情感、美意識が、また端的な歴史的な事実が、ものすごい勢いで埋め立てられ更地にされてしまっていることではないのかと私は思うのです。
    「くたばりぞこない」の私たちが正味にくたばったとき、歴史ってじゃあどこに残されていると思いますか?


    追伸

    PCの具合が悪く、15分の作業を1時間かけてやっています。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/04 04:16
  • 捕捉1

    今回の質問で、得るところは大きかったと思っています。失ったものは、わたしと、回答者の時間だけ。

    第一に、ブログランキング「哲学」カテゴリー不動のNo.1は「伊達ではなかった」ということ。即ち支持されるに足る資質を備えているということが判明したこと。
    同時に、「長く精神科医やってるけど、あなたのような患者は診たことがない」と言った現在(おそらく24人目)の主治医が、「あなた(=Takeo)と話が合うのは千人に一人」と断言し、私は、「甘いな」と感じたことが、実証されたこと。


    第二に、過去十二年間、ネット上ではあったが、「友だち」であった人との縁がスッパリと切れたこと。つまり「お互いの本性」が判ったという点。


    第三に、日ごろの主張のように、神でさえ、わたしを愛することはできないということ。仮に神がヨセフ・メンゲレに対し「赦し」を与え得たとしても。

      補足日時:2019/02/12 04:10
  • 捕捉2

    第四、青梗菜なるものが「引きこもり」を「罪人」と呼び、

    外に出ることができないことを、何らかの「罰」であると明言したこと。

    喧嘩で負けそうになったとき、あるいは支持者に囲まれて、「自分はどこへ行っても愛される」と何やらうっとりと自己陶酔して居る時、人は迂闊にも最後の言葉を口にする。

    「へ。とっとと逃げろ。お前は障害者だ。引きこもりだ!それは罪であり天罰だ!」と。

    無論天下無敵の彼を咎める者はおろか眉を顰める者もいないことは端からわかっている。

    ただ、「私に対して」この言葉を引き出せたことは大きな収穫であったと思っている。

      補足日時:2019/02/12 04:23
  • まあどこまでも思いあがった自己陶酔男にこれ以上何を言っても無駄だろう。

    いずれにしても、ほぼ(?)全員が青梗菜支持・・・とはいわぬまでも、批判者はただの一人も現れなかったということ。つまりここは最早私の居場所ではないということ。

    切るべき人間は切ったし。

    そして一番の収穫は。

    『青梗菜は、10年たっても、同じ感想を言うと思うよ。

    40年も引きこもっている、というのは、
    人生に対する罪であり、
    同時に、終身刑という罰だね。』

    という差別発言を青梗菜なるナルシストから引き出せたことだ。

    これだけで十分。

    さようなら。

      補足日時:2019/02/13 02:33

A 回答 (100件中41~50件)

年寄りの繰り言が転じて、批判精神と成る。


そうして議論が始まる。

議論は価値観の違いとなって現れる。
価値観の違いに優劣はあるのだろうか。

両者に一長一短があるならば、それならばどうするのが良いのかを模索する。
そうなってこそ“議論”に意味が生じるように思う。

キサラギさんや、cyototu氏、他にもtanzouさんとかが、これに係わるような回答を寄せていて、だから上記のようなことを思いました。

ブラジュロンヌさんの“話し合い”もこうした意味合いがあるのでしょう。

そうすると、思考力の極論は未来予測になる。
d_y_nさん、そうですよね?
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この回答へのお礼

yy8さん。回答No.58に対して

>ありがとうございます。
やれやれ、やっと、No.57にして、
初めてですよ、
青梗菜が書いた文章に対してのご批判は。

・・・わかりますか?

今少しでもわたしに共感しているように見られると、今後ここでやりにくくなります。

今までいろいろとありがとうございました。

お礼日時:2019/02/12 11:09

お二人とも 勇み足があったり 誤解があったりしているけれど



中身のあるよいおケンカではないですか。人間性があふれ出ていて

元気をくれます。


それにくらべ いかに中身のとぼしいご議論がつらねられていることか。

《中身》っていうことばは 死語になっちゃったんだろうか。

――って書くと 昔はよかった談義になっちゃうんかいな。
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bragelloneさん、こんにちは。



はい、ご覧のとおり、詩ですから。
論理的であるわけもなく、
逐一つっこみを入れる価値もない文章です。

>全体として 暇つぶしの文章では?
そういわれれば、そうなのですけど。
たしかに、30分くらいは暇がつぶせました。
そんなに暇でもないのですけど。

>それを 子どもの問題に移し替えて これもちょっとした落ちをこしらえただけぢゃん。
はははw、確かに!
みもふたもないなぁ。

ありがとうございます。
やれやれ、やっと、No.57にして、
初めてですよ、
青梗菜が書いた文章に対してのご批判は。
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◆(№48 遅れて来た者たち 第三段落)



興味の好みは明確で、
不思議で、いかがわしくて、
弱くて、そして小さいもの。

☆ それが 百パーセントそうだかは分からないはずだが そうだとして。

◆ だったら探さなくても、
それは、子供ではないのか?
記憶にある風景なんかよりも。

☆ 極論に走りたいのだろうか。話題を絞りたいのか? それはそれとして。


◆ 失ったものは、子供の視点で、
代わりに得たものは、もの知りで、
博覧強記な、大人の視点だ。

☆ 極端だなぁ。赤とんぼやかぶと虫は ぜんぜんいなくなったわけではな
いだろうに。

物知りでない子どもと物知りな大人を比べるのは その大人も子どもの時代
を経て来ているのだから 無理がある。

博覧強記は そうだからと言って まだ中身のある話は始まっていない。



◆ それは、高層ビルと駄菓子屋を対立させて、
弱くて小さいものがよいとする、
使い古されたテンプレ。

☆ なおまだ そのようにちょっと言ってみたかったというだけのことでは
ないだろうか。

◆ あるいは、昔はよかった、という、
鉄板で作られたテンプレ。
考える、ということを知らないトレース。

☆ ベルエポックというもの(時代)は 誰にも或る程度は 持たれている
のではないか? それを口に出してみただけ。

だから 《考える》ことをしているか・いないかは 別の話だ。

それよりも 《考える、ということを知らない》のは 紋切型がどうのこう
のと言わなくても 大方の大人の日本人に当てはまるのではないか。


◆ それにしても、吉田兼好も、松山巖も、
自分が何を言っているのか、
まるで分かってないらしい。

☆ それにしても 極端な言い方をするんだなぁ。



◆ よかった昔を、よくない今に、
変えたのは誰だ?
今どきの子供が変えたのか?

☆ 《よかった昔》というふうに 相手の言い分になぜ同調するのか? た
だ相手の言い方を引用しただけか?

世の中の動きや移り変わりについて おれのチカラだ おれたちの努力によ
るのだとか かんたんにその主犯が決まるのか?



◆ 嫌いとか、醜いとか、
免罪符に書き込んで、子供たちには、
原罪のように背負わせる。

☆ 子どもたちだって 高層ビルのどこかの隙間に駄菓子屋がひっそりとし
た佇まいでいることを知っているかも知れない。

子どもたちだって ビルの乱立状態が 醜い・嫌いだと言う話を聞いたら
それぞれ自分で考えるだろうよ。そうかも知れないとか もしほんとうにそ
うだとしたら そうではない都市をあらたに造ればよいではないかとか。

《原罪を背負わされた》ところで どうってことないよ。ただの文学・ただ
の修辞学。


◆ ~~~~~~~~~~
 >種村さん、見ないでよかったよ。

何を言っているのだろう。
子供たちは、生まれたときから、

毎日、見ているのに。
~~~~~~~~~~
☆ 種村さんの気持ちを忖度しただけなんだから。しかも 極論をここまで
引っ張って来て そのつてでちょっと形式的に落ちをつくったに過ぎない。
と松山さん(?)は 知っているはず。

それを 子どもの問題に移し替えて これもちょっとした落ちをこしらえた
だけぢゃん。


全体として 暇つぶしの文章では?
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ニャンポコリン2さん、ごていねいにありがとうございます。



>それらのことを一気に解決しようとする「企画力」を彼は持っていると思います。
>このことが、質問者さんが、このような質問を立て、青梗菜さんの言い分を一切聞かず、不可思議な論理で自分の行動を正当化している理由であると、考えざるを得ないと思っています。
はい、「企画力」に期待いたします。

>単純な線引きで「是」「非」というデジタル的思考ですね。
>決めつけです。うんざりです。
はい、なにかと単線的です。
二極に単純化して考えると、「是」と「非」が迫(せ)り上がってきて、
拮抗するように思えてくるけれど、
「是」と「非」の多くは、矛盾しているわけではありません。
二項対立させてみても、二律背反になるわけではない。

こちらこそ、ニャンポコリン2さんと知り合えてよかった!
いつか、近いうちに、
出会いをやり直しましょう!
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汽笛さん、お気づかいありがとうございます!



ある人は、Blueと呼び、
ある人は、Nicoと呼び、
ある人は、Takeoと呼び、
今は、水車と名乗っていて、
青梗菜に怒りを向けている質問者を、
汽笛さんは、よくご存知なんだ。

僕は、どこでも”青梗菜”で、
先日、取ったばかりのここのIDも”qinggengcai”です。
ブログのurlも貼っているし、
コメント欄も開けたままです。
無防備で、純朴な、お人好しの、
馬鹿正直としか思えない♪w

だから、いやなんですよ、
弱いから、小さいからって言い訳をしながら、
姑息なことをされるのが。

>問題の文章は、この件に付いてのNicoさんの思いが言葉になってしまった、のでしょう。
思いが言葉になっても構いません。
それは、まだ愚考ではありません。
自分の内側にある愚かな考えなんて、僕にはいくらでもあります。
愚考は、外側に表現してしまうことで愚考になります。
愚考は、表現してしまうことを許すことです。
僕ならそれを許しません。
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青梗菜さんへ



私は質問者さんとはやり取りの経験があって、その経験から言えば、あなたの
文章を理解する感性は彼は十分に持っていると思う。
要はあなたと喧嘩したわけですよね?それと、ここで(goo)質問者さんが傷つ
いたであろう場面を見ています。そのうちの一つは私が意図せずしてかかわっ
てしまった、と思っています。

それらのことを一気に解決しようとする「企画力」を彼は持っていると思います。

このことが、質問者さんが、このような質問を立て、青梗菜さんの言い分を一切
聞かず、不可思議な論理で自分の行動を正当化している理由であると、考えざる
を得ないと思っています。

回答者というものは、私もそうですが、自分の意見を述べることがまず頭にある
ものです。
しかし、この質問の場合、回答が増え、議論がなされるほどに青梗菜さんが傷つ
いてしまう。一種の苛めになると思います。

そういう状況を設定した質問者さんを、私は許せなくて何度も投稿しています。

私が、青梗菜さんの文章をどれだけ理解したかは難しい問題ですが(笑)、質問文
にあるようなペラペラなことを言っているのではないことだけは分かります。

私は年寄りではありませんが、大人の世代です。昭和は良いと思っています。現
代は好きになれません。
でも、それを「古いものがいい」とか「懐古趣味」などと言われることが多いの
ですが、それは間違いです。

私は、自然なもの、無邪気なもの、人間らしいもの、庶民が好きなのです。また、
これらのものが、便利で快適な物質文明と全く共存できないとも思っていません。

今は頭固い人が多いと思う(笑)。単純な線引きで「是」「非」というデジタル的思
考ですね。
決めつけです。うんざりです。

あなたは、そんなことはないようですし、若い世代の感性をよくご存じのようなの
で、こんな形でしたが知り合えてよかったと思っています。
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Nicoさん、質問の仕方がよくなかった様ですね。


どこの誰だかが分かる様な書き方になっているのではないでしょうか。
質問の動機は青梗菜氏への怒りから、の様に思えます。

問題の文章は、この件に付いてのNicoさんの思いが言葉になってしまった、のでしょう。

青梗菜氏にとっては、御自身が批判の対象になってしまっている質問だから、見過ごせない訳ですが、多くの回答は特定の人を定めず、一般論的な意見になっている様に思います。

後半の部分で、事実関係に触れた回答が寄せられて来ていますが、No.50、キサラギさんの回答がこの質問への好ましい姿勢を教えてくれています。

青梗菜さん、どうか怒りを静めて下さい。
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hakobuluさん、ご理解ありがとうございます。



>先日おそらく日本最大のブログランキングで、
ブログ村、です。

>「哲学」カテゴリーで不断の1位を維持しているブログを読んでいて考えたことです。
PVにおいて1位です。

ブログ村で、PV1位の者は、
こんなところに引きずり出して、
公開処刑をしてもいい。
そんな道理がありますか?
青梗菜が気づかなければ、欠席裁判です。

「昔はよかったという手垢のついたテンプレ」
から、
「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
まで、
青梗菜の名を騙った独自の創作でありながら、
その創作を下敷きにして、
>そのブログを読んで、「彼」が言いたいのは、
>「今の子供たちを可哀想だなどと言うな。昔の子供たちの方が貧しくともこころが豊かだったなどというありきたりなテンプレを使うな。スマホやオンラインゲームが今の子供たちの赤とんぼでありカブトムシなのだから」ということかなと感じました。そもそも比較できないものを比較する愚かな老人たち、と。
などと、さらにミスリードに誘う、
そんなことが許されますか?

皆さんは、自分が書いた憶えのない文章が、
自分の名前で書かれているのを見つけたときに、
削除や訂正を求めませんか?

青梗菜は、削除も訂正も謝罪も根拠も何も求めていません。
青梗菜は、書いていない、
それだけを認めろという要求です。

それとも、
>すでに軍配は彼に上がっています。それは彼にも承知しておいてもらいたい。
こんな返答で満足できますか?
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何か歯痒いですね。



>「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
と書いていました。

これは事実ですか?
当人が違うと言っているのだから、「そうでしたか、失礼しました」で済むのでは?
なぜそれをお認めにならないのか、非常に不思議な気がします。
なぜですか?
その理由は?
「そのように解釈したから」としか考えられませんが、本人が否定しているのになお「そのように解釈したから」というだけの理由では通用しないでしょう。
つまり、なぜそのように解釈したのか?という根拠を最低限明らかにする必要があります。
それをせずに一方的に決めつけるだけなら、【泣く子と地頭には勝てない】の典型例のひとつになってしまう。
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この回答へのお礼

ハコブルさんに質問します。

例によって、まだ大人の常識というものを持たない小学校3年生にもわかるように、解説していただければ幸いです。

1、質問者はブログ名、その筆者名を明かして(特定して)いません。ただ、おそらく「日本最大のブログランキング」ー「哲学カテゴリー不動のNo.1」ーそして質問文を見れば、おそらくある程度特定可能かなとは考えていました。しかし、私の主意は、「日本でトップクラスの哲学ブログ」に「このような(趣旨のことが)書かれていたが、皆はどう思うか?」ということで、そこに「フィクション」が混じることの一体何が問題なのでしょう?
「以上、青梗菜という人の何月何日の投稿に『このように』書いてあった」といって、記されていないことを書いていたということは「該当ブログの記事の事実」に反します。けれども、この場合、「該当の記事」はどこに存在していますか?虚実織り交ぜてはいても、決して彼の大筋の主張を歪曲したつもりはありません。
「わたしは彼の文章を読み、自分の判断を以て文脈・文意を変えない程度に文言を変えました。」しかし、それは「本当に実在する記事を故意に改編・改竄」したといえるのでしょうか?そうであるとしたら、どのような理由で?


2、一方これとは正反対に、回答No.10に対し、私が返信したこと。このことに関しては、まったく誰からも、一言も問題にされないのは何故でしょうか?それはそもそも「そんなことは問題にならない」からでしょうか?どのような理由で?

最後に、

>「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」を含む上記の質問文は、ハコブルさんもご覧になったであろう彼の言う「原文」と、それほどまでに、文意、発言の趣旨、彼の主張・価値観と乖離していますか?つまり青梗菜が「白」と書いているものを、質問者が「黒」とすり替えたに等しいと?


私はこの質問に対して、ハコブルさんが、(無論公平な立場から)私にびた一文有利(?)になるようなお答えを期待してはいません。蛇足ではありますがそのことを付け加えておきます。私には、大事なことですので。

またいかなるお答えであっても、異を唱えるつもりはありませんのでご安心ください。

お礼日時:2019/02/12 11:02
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