

先日おそらく日本最大のブログランキングで、「哲学」カテゴリーで不断の1位を維持しているブログを読んでいて考えたことです。
様々な作家や評論家が、現代を憂いていることに対して、彼とその取り巻きは、
「昔はよかったという手垢のついたテンプレ」
「赤とんぼが飛んでいた原っぱと高層ビルの乱立を比べて世を嘆くという鉄板のテンプレ」
「スマホで遊ぶ子供よりも虫を追いかけていた子供がより自然だったという繰り言」
「彼らはみな年寄りだ。そして現状を批判し過去を懐かしむことがまるで高尚なことのように考えている。何故彼ら年寄りは『現状を肯定する哲学』というものをいつまでも持てないでいるのだろう?彼らの子供のころは川で遊んだり虫を追いかけていたかもしれない。しかし、スマホで遊ぶ子供たちを憂い顔で眺める傲慢さ。今の子供たちにとっては、高層ビル群とスマホこそが生れた時からそこにある「自然」なのだ。」
と年寄りの批評家、作家たちを一刀両断にしていましたが、
「過去を美化することほど簡単なことはない。それはありふれたテンプレであり、考えることをしない者の言葉だ。「現在を肯定」しなければならない。今の子供たちのために」
「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
と書いていました。
みなさんはどう考えますか?
A 回答 (100件中51~60件)
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No.50
- 回答日時:
お礼、大変そうですが頑張って下さい。
全ての論点に応えると長くなり、お礼が大変になるので、事物の一般化について少しだけ言及します。他の論点についても話したい場合は、仰ってください。時間と相談の上考慮します。
一般性のある事実についてはこれを一般的に記し、特殊性のある事実についてはこれを特殊に記す、このことは別に不思議のない妥当なことだと思われます。そして、ある事実が一般的であるか特殊であるかを知るためには、統計を取るなどして知る他に、共理解が得られるかと言う術もあるでしょう。この共理解と言う点からこの件を見た場合、どちらの意見、つまり過去を美化するのも、現在を肯定するのも、理解出来るものです。どちらも特殊では無いと思います。昔(戦時)は悲惨だった、今(平和)は何をしても楽しいと言うあるお婆さんの意見についても、理解するのは難しく無いでしょう。また、現代日本の時事問題を見て、なんとかせねばと思うことについても、理解できます。
追伸:青梗菜さんのブログでの主張と、この質問は関係が無いものとして受け取ることとしました。私はもとより、誰が言ったかではなく、何が言われたかに注視して話をするタイプです。以前にブログの方で色々やり取りがあったのかも知れませんが、それは考慮しません。
No.48
- 回答日時:
遅れて来た者たち
種村季弘さんが亡くなってちょうど一年になる。
とてつもない物知りで、博覧強記という言葉がぴったりの人だったが、興味の好みは明確で、不思議なもの、いかがわしいもの、弱いもの、そして「小さいもの」であった。
亡くなる半年ほど前に、『江戸東京≪奇想≫徘徊記』を著した。
気の向くまま東京のあちこちを歩きながら、江戸随筆を渉猟し、記憶も重ねて、それぞれの土地に伝わる不思議な物語を解読してゆく。
池袋に生まれ、東京だけでも十回は引っ越した種村さんならではの著作だった。
ところがかつて住んでいた土地を訪ねはじめると、記述に慨嘆が多くなる。
なにしろ記憶にある風景は消え、高層ビル群に変わってしまった場所ばかりだからだ。
だからこそ両国界隈で、覚えていた駄菓子屋がまだ健在で、子供たちが近くで遊んでいると大いに喜ぶ。
そして以来、種村さんは「小さいものへと目が行きがちになる」のだ。
しかし結局小さなものはなかなか見当たらず「もう成長はいい加減たくさん」と嘆くのである。
さて、現在の状況はさらに凄い。
八月の日曜日、私は都市計画を学ぶ若い友人たちと都心を三時間ほど歩き、超高層ビルと巨大ビルの乱立状態を見て回った。
これらはなじみの風景を消しただけではない。
巨大投資の産物だから百年二百年は醜くとも残る。
未来をも喰っているのだ。
種村さん、見ないでよかったよ。
―― 本を読む。―― 松山巖書評集
松山巖 著、2018、西田書店
なるほど、種村さんは、
不思議なもの、いかがわしいもの、
弱いもの、そして小さいものが好きだった。
だからといって、当然に、
公明正大なものが嫌い、
なんて措定はできないけれど、
種村さんは、明瞭なもの、健全なもの、
強いもの、そして大きいものが嫌いだった、
と短絡しておこう。
しかし、とてつもない物知りで、
博覧強記という言葉がぴったりなら、
大きいものだって嫌わないと思う。
>種村さん、見ないでよかったよ。
見ないでよかった、と思うのは松山巖であるが、
種村さんも、きっと、そう思うに違いない。
乱立状態、醜くとも残る、未来を喰う、
松山巖によって選ばれた言葉は、
きっと、種村さんの気持ちにも添うのだろう。
種村さんには、駄菓子屋に限らず、
例えば、ビルの1階に入ったコンビニの近くでも、
子供が遊んでいるだけで喜んでほしかった。
コンビニの近くでも、子供たちは、
小さいものを見つけるんだ。
大人が探しても見つからないものを。
いつの時代でも、子供は、
不思議で、いかがわしくて、
弱くて、そして小さいから。
--------------------------------------------------------------------------------
>種村さん、見ないでよかったよ。
種村さんが見ないでよかったのか、
種村さん、って呼びかけて、
見ることがなかった種村さんを、
松山巖が羨んでいるのか、
読み手は、自分が読みたいように読むけれど、
いずれにしても、昔はよかった、ってことだ。
駄菓子屋があって、子供たちが遊んでいた。
不思議なもの、いかがわしいもの、
弱いもの、小さいものがすぐに見つかって、
街に共存することが許されていた。
それに引き替え、現在は。
なに事も、古き世のみぞしたはしき。
今様は無下にいやしくこそなりゆくめれ。
文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、
昔の反古(ほうご)どもはいみじき。
ただ言ふ言葉も口をしうこそなりもとゆくなれ。
―― 徒然草、第二十二段
何ごとも、昔はよかった。
現在は、むやみに下品になっていく。
手紙の言葉なども、
昔の手紙は立派だった。
ふだんの話し言葉も、
失望を感じるようになっていく。
って、吉田兼好が、
鎌倉時代に書いているのは、
種村さんなら、当然、知っていただろう。
--------------------------------------------------------------------------------
興味の好みは明確で、
不思議で、いかがわしくて、
弱くて、そして小さいもの。
だったら探さなくても、
それは、子供ではないのか?
記憶にある風景なんかよりも。
失ったものは、子供の視点で、
代わりに得たものは、もの知りで、
博覧強記な、大人の視点だ。
それは、高層ビルと駄菓子屋を対立させて、
弱くて小さいものがよいとする、
使い古されたテンプレ。
あるいは、昔はよかった、という、
鉄板で作られたテンプレ。
考える、ということを知らないトレース。
それにしても、吉田兼好も、松山巖も、
自分が何を言っているのか、
まるで分かってないらしい。
よかった昔を、よくない今に、
変えたのは誰だ?
今どきの子供が変えたのか?
嫌いとか、醜いとか、
免罪符に書き込んで、子供たちには、
原罪のように背負わせる。
>種村さん、見ないでよかったよ。
何を言っているのだろう。
子供たちは、生まれたときから、
毎日、見ているのに。
No.47
- 回答日時:
批判にさらされているブログの作者、"青梗菜" です。
wellowさん、ごもっとも。了解です。
ありがとうございます。
>私はここで、件のブログの「間違い」乃至「過ち」を糾弾しようなどという気持ちは持ち合わせていません。
はぁ??
質問者は、青梗菜の質問が分かっていない。
青梗菜は、松山巖と吉田兼好と槇原敬之を引いてるね。
ぜんぶコピペで貼りつけたよ。
引用だからね、文字列として、何も考えずに貼るんだ。
質問者も、青梗菜のテキストをコピーすればいいのに、
なぜ改ざんを加えて、
似ても似つかない文章に書き換えて、
>「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
>と書いていました。
なんて晒しものにしているわけ?
青梗菜は、書いていないことを、書いていない、と言っているだけだ。
青梗菜は、書いていない、
それだけを認めろ。
自分が書いたことなら、「間違い」を指摘されても、
「過ち」を糾弾されても許容できる。
もとより、1日、2日で、それぞれ30分くらいで書き投げたものだ。
間違えたって、次は、より良いものに書き直せる。
>私はここで、件のブログの「間違い」乃至「過ち」を糾弾しようなどという気持ちは持ち合わせていません。
当たりまえだ。
質問者が書いたんだから。
No.46
- 回答日時:
#39です。
質問者:水車の質問文に対する回答です。故に「質問者:水車の言い分は100%正しい」という前提に回答しています。
回答者: qinggengcaiの回答によれば、「書いていません」、「名を騙った自らの主張」とのことなので、「回答者: qinggengcaiの言い分は100%正しい」という前提に基けば、#39の回答にある「彼」は「質問者:水車」ということになります。
すいませんが、暈した原典を探るまでの情熱はありませんし、ここの主張の正当性まで比較検討検証する積もりはありません。
ちなみに、これが技術論文なら、原典を暈している時点で「根拠無し」の判定をしますし、主張の比較検討検証はします。
というわけで、後は勝手に白黒をつけて下さい。
とはいえ、自分のリビドーを発露するがために、実在の人を巻き込んだ作り話をしているなら、質問自体なかったことにした方が、多少は安全だと思います(「何が?」は察してください)。
No.45
- 回答日時:
#5です。
おれいありがとうございます。>>なぜなら「過去を賛美しても、今のあなたは進化したいろいろなものを甘受している」
>そうでしょうか?
>私は彼と対立するほどの人間です。50代ですが心は老人です。
私もアラフィフですが、自分のスタンスだけで若者を批判するのはやめようと考えています。
携帯の例を出されていますが、自分で取捨選択できるものだけを取り上げるのは不公平だと思います。たとえば私たち50代世代が子供の頃は、電車にクーラーも無ければ、駅や店舗のバリアフリーもありませんでした。
もう少し年をとって「足腰が痛いので、バリアフリー設備を使いながら若者に『昔は良かった』と説教する」ようなことが「進化したいろいろなモノを甘受している」と言う部分の本質です。もし「昔は良かった」というなら、クーラーのついた電車は避けられないとしても、せめて「歩いて階段を上ってから言え」と私は思います。
>今の私たちが、いろいろなものを失った、という視点はやはり年寄りの戯言でしょうか?
戯言ではありません。失っているのも事実だからです。ただそれだけを理由に「若者に『昔は良かった』と説教する」のは違うだろう、と私は考えます。
No.44
- 回答日時:
批判にさらされているブログの作者、"青梗菜" です。
あ~、貼り損ねた、
かっこ悪いなw。
とにかく、皆さんに判断していただくしかないのです。
青梗菜は、そんなことを書いていない、ってことは。
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1812 …
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1813 …
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1814 …
No.43
- 回答日時:
批判にさらされているブログの作者、"青梗菜" です。
>やっと一部の方にお礼ができました。ゆっくり行きます。
それはよかった。
さて、
「昔はよかったという手垢のついたテンプレ」
から、
「今を否定し過去を美化することは単に子供たちのみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
に至るまで、
質問内容で引用しているようなことは、
青梗菜は書いていません。
質問者は、直ちに、
質問内容で引用した青梗菜が書いたとされる記述は、
青梗菜の名を騙った自らの主張であり、
青梗菜とは何ら関係がない、
と認めなさい。
青梗菜は、自分が書いていないことについて、
ここまで馬鹿だと救いがない、なんて評されている。
自分が書いていないことだから、
それについて、反論もできない。
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1812 …
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1813 …
http://qinggengcai.blog2.fc2.com/blog-entry-1814 …

No.42
- 回答日時:
やっぱりNicoさんは私にとって貴重な存在です。
Nicoさんのブログを通してのお付き合いは、三年ぐらいになるでしょうか?。何か学ぶものがあると思っての事ですが、今回も色々な考えに接する事ができて、とてもラッキーです。
私なんぞは個々の意見に、いちいち成る程と思ってしまうので、だから自分には“答え”がありません。
ただ、cyototu氏の視点(No.40)は大所高所に立った意見の様に思えて、私の一番好きな“見方”ですね。
Nicoさん、ありがとう。
No.41
- 回答日時:
◆ (趣旨説明欄) 「今を否定し過去を美化することは単に子供たち
のみならず、今この時を生きるすべての人間への侮辱である」
☆ どうして この種の発言が 議論として・ましてや哲学になじむ自
己表現としてみとめられるのか?
容易に反論が成り立ちます。
○ 《〈今を否定し過去を美化すること〉は 単に子供たちのみならず
今この時を生きるすべての人間》が 過去・現在そして未来をふくむ今
を生き 互いによりよい共生のあり方を問い求めるためのよすがとすれ
ばよい。
○ ひとつの角度からする全面的な《一刀両断》は 批判者たち自身に
しても 本意ではあるまい。
○ 本意であるとしたらそれは あらゆる人間への侮辱である。
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訂正
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「「哲学」カテゴリーで不動の1位」○
そのブログを読んで、「彼」が言いたいのは、
「今の子供たちを可哀想だなどと言うな。昔の子供たちの方が貧しくともこころが豊かだったなどというありきたりなテンプレを使うな。スマホやオンラインゲームが今の子供たちの赤とんぼでありカブトムシなのだから」ということかなと感じました。そもそも比較できないものを比較する愚かな老人たち、と。
ところで「テンプレ」って何でしょうか?この言葉を使って批判するのはずいぶん楽そうだなぁと感じました。
すみません。質問の仕方を変えます。
以下の質問にお答えください。
1、彼の主張に賛成する
2、まあ大体賛成する
3、そうは思わない
それぞれ理由を添えてお答えください。
取り急ぎ。
1、お礼返信が遅れて申し訳ありません。PCの頻繁なフリーズにより、満足な書き込みができません。遅れても必ずお礼お返事をするつもりですので、ご容赦ください。
2、この質問で参照したブログの筆者はこの投稿を見ています。その質は問わず、彼は巨大ブログランキングサイトで、圧倒的なPVを誇っています。つまり私の回答は、場合によっては彼のブログ上で、数百数千の目に晒されることが考えられます。
しかしそれ以上に、そもそも「彼ら」(彼と取り巻き)と私の世界観は対極にあります。私は彼らにとっては道理の通じない「泣く子」であり彼らは私にとっては泣く子も黙る哲学ブログの横綱です。
この質問の意図は、反対者と対立することではなく、やはり彼の主張は1位の名に恥じず、多くの人に支持されるものなのか、逆に私の主張=反進歩・反成長は、古びた異端に過ぎないのかという確認のためでもあるのです。
やっと一部の方にお礼ができました。ゆっくり行きます。
私はここで、件のブログの「間違い」乃至「過ち」を糾弾しようなどという気持ちは持ち合わせていません。へんな言い方ですが、「彼の主張の正しさ」は最初からわかっています。私は異端邪説を好みます。彼が哲学ブログの横綱であるのは、それだけ多くの支持者がいるからです。しかし異端邪説を志向するものは、むしろ多数派の支持を、そして自らが多数派であることを嫌います。
私は正しくなくていいのです。というよりも、正しいことを言う必要も感じていないのです。
私は「正しくあること」はできません。私は私であることしかできないし、それ以外を望みません。
すでに軍配は彼に上がっています。それは彼にも承知しておいてもらいたい。そしてそのことを踏まえたうえで、私は繰言をいい、皆さんの考えを聞かせてもらっています。
お礼より続きます。
>歴史を引継ぎ今後も生きる人がそれをするのは、自分や自分の先祖や自分の子孫に対して「責任放棄」をして「逃げた人(勝手に自死した人)」という印象を持ちます。
歴史を引き継ぐ?ふむ。ではその引き継ぐべき「歴史」って、わかりやすくいうとどういうことですか?
多くの「くたばりぞこない」たちが嘆いているのは、後世に伝えるべき歴史も、文化も、また景観も、更に目で見ることのできない情緒情感、美意識が、また端的な歴史的な事実が、ものすごい勢いで埋め立てられ更地にされてしまっていることではないのかと私は思うのです。
「くたばりぞこない」の私たちが正味にくたばったとき、歴史ってじゃあどこに残されていると思いますか?
追伸
PCの具合が悪く、15分の作業を1時間かけてやっています。
捕捉1
今回の質問で、得るところは大きかったと思っています。失ったものは、わたしと、回答者の時間だけ。
第一に、ブログランキング「哲学」カテゴリー不動のNo.1は「伊達ではなかった」ということ。即ち支持されるに足る資質を備えているということが判明したこと。
同時に、「長く精神科医やってるけど、あなたのような患者は診たことがない」と言った現在(おそらく24人目)の主治医が、「あなた(=Takeo)と話が合うのは千人に一人」と断言し、私は、「甘いな」と感じたことが、実証されたこと。
第二に、過去十二年間、ネット上ではあったが、「友だち」であった人との縁がスッパリと切れたこと。つまり「お互いの本性」が判ったという点。
第三に、日ごろの主張のように、神でさえ、わたしを愛することはできないということ。仮に神がヨセフ・メンゲレに対し「赦し」を与え得たとしても。
捕捉2
第四、青梗菜なるものが「引きこもり」を「罪人」と呼び、
外に出ることができないことを、何らかの「罰」であると明言したこと。
喧嘩で負けそうになったとき、あるいは支持者に囲まれて、「自分はどこへ行っても愛される」と何やらうっとりと自己陶酔して居る時、人は迂闊にも最後の言葉を口にする。
「へ。とっとと逃げろ。お前は障害者だ。引きこもりだ!それは罪であり天罰だ!」と。
無論天下無敵の彼を咎める者はおろか眉を顰める者もいないことは端からわかっている。
ただ、「私に対して」この言葉を引き出せたことは大きな収穫であったと思っている。
まあどこまでも思いあがった自己陶酔男にこれ以上何を言っても無駄だろう。
いずれにしても、ほぼ(?)全員が青梗菜支持・・・とはいわぬまでも、批判者はただの一人も現れなかったということ。つまりここは最早私の居場所ではないということ。
切るべき人間は切ったし。
そして一番の収穫は。
『青梗菜は、10年たっても、同じ感想を言うと思うよ。
40年も引きこもっている、というのは、
人生に対する罪であり、
同時に、終身刑という罰だね。』
という差別発言を青梗菜なるナルシストから引き出せたことだ。
これだけで十分。
さようなら。