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キリストを神と心から認めないとみんな地獄に行くというのは本当ですか?

A 回答 (11件中11~11件)

そんなことはありません。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2019/02/04 14:24

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Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Qクリスチャンではない日本人の意識について 私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行き

クリスチャンではない日本人の意識について

私はクリスチャンではないのですが、よくさまざまな教会へ行きます。
教会によって違った特徴があるのでそれを目的に見に行っているといってもいいかもしれません。

今回は旅行先の沖縄で日曜礼拝に参加しました。
そこは観光地なので、会う人達に「今日はどこへ行ったの?」と聞かれるので、普通に礼拝に行ってきました。と伝えると、ワンテンポおいてから「へぇ、、、」みたいな返事になってました。(その後で、クリスチャンだったんか…と影で言われました)また、その教会の道中、道を聞いたりすると地元民でも「ちょっとそこはよくわからないかな」といって濁されてる感がありました。

私は宗教関係は特に何も意識することはないのですが、日本人的には気にしちゃうのでしょうか?地域差とかあるのでしょうか?もしかして、タブーだったりするのでしょうか?

沖縄は教会が多いイメージがあって、他の県より抵抗みたいなのが少ないと思っていたのですが、そんなことはなかったみたいです。

詳しい方教えていただきたいです。

Aベストアンサー

私は沖縄県民ですがキリスト教だけが偏見があるのでは無く、布教活動のある宗教に良い印象が無いと思います
私は歴史的な寺社仏閣を巡る事は私も好きですし、遺産的な価値のあるイタリアの教会には憧れもあるので貴女の気持ちはわかります。
しかし信仰心もマナーも無くパワースポットと呼ばれる場所へ行けばご利益があると勘違いした有象無象の観光客と一括りにされると嫌だなとも思っています。
日本だと人の信仰は自由だけど関わりたくないと思うのが大多数かと思いますが、そ
私は沖縄県民ですがキリスト教だけに偏見があるのでは無く、布教活動のある宗教に良い印象が無いのだと思います
日本では他人の信仰は否定しないけど勧誘してくる宗教には関わり合いたくないのが一般的ではないでしょうか?
単純に沖縄は戦争で死体がゴロゴロあったので死体置き場の後にアメリカ人が建てた教会が結果的にゴロゴロあるだけだと思います。
なので慰霊碑的な宗教施設だと思うんですね。礼拝は洗礼を受けた家族が習慣で通うようなイメージです。

Qあなたは幸せですか?

人間お金を沢山持ってても幸せと思わない人も居ます

宝くじで1等を引いた人の95%の人は不幸になるそうです

人生を幸せと思うかは個人個人それぞれで お金はなくても幸せと思う人も居ます。

ずばり あなたは幸せですか?

Aベストアンサー

お金がないと言っても、「全然ない」「あまりない」「普通にない」
「商売で資金が足りない」…色々あると思いますが、要は「必要」ということ、
を基準に考えています。

消費はキリがない部分がありますし、所有欲も同じでしょう。

プーチン氏は200兆円の資産があるそうです。
ジンギスカンは人類で唯一「京」の単位の資産を持っていたという説があります。

昔の知り合いで「超ドケチ」の金持ちがいましたが、それって貧乏と同じかなと思
いました。

自分のやりたいことに使う金を「必要」と考えます。そのために「稼ぐ」ことは大
いに結構で、しかし、それで終わってしまっては、やはり、貧しいと言えると思い
ます。

mokuzoさんが若い時に頑張って、今お金が使えるというのは、立派なことです。

金を使えるのも、「アクティブ」さの一つで、幸せである状態だと思います。その
点私は、まだまだで、これから今の30倍はできると思う。

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Q何らかの宗教を信仰されている方に質問です。私の親がクリスチャンであったことから、私は幼い頃からキリス

何らかの宗教を信仰されている方に質問です。私の親がクリスチャンであったことから、私は幼い頃からキリスト教の教会に通ったりしていた為か宗教についての偏見は全くありません。新興宗教、比較的新しい宗教についても同様にあまり抵抗はありません。オウムは宗教ではなく、LSDという薬物によって狂ったリーダーによってテロ組織と化してしまった真相も知っています。ある近しい人が「日本の無教養な人たちが宗教と聞いただけで恐怖や嫌悪感を催す現状云々」という話をしているのを耳にしました。それが、本当ならば、なぜ日本の一部の人たちは、宗教に対して不安を抱くのでしょうか?ご意見ありましたら聞かせて下さいませんか?

Aベストアンサー

もともと日本に宗教的風土は希薄です。

土着の信仰はありました。
しかしそれ以上のものは民衆レベルではありません。
人口密度が高い分世間の縛りが厳しかったので、民衆のレベルではそれだけで十分だったのです。

仏教は鎌倉時代に初めて民衆レベルに降りてきましたし、
神道も明治の国家神道までは宮中にとどまっていました。

それが一気に転換し、
江戸時代に仏教に帰依することが求められ、(宗門人別改帳)
明治以降神道への帰依が求められます。(国家神道)
いわばそういう宗教は上からの押し付けだったのであり、
しかもその歴史が積み重ならないうちに、敗戦というまたしてもの大転換が起こります。

そういう押し付けへの反発があったのに加え、
もともと宗教的風土が希薄なのですから宗教のことを学ぶ機会もありません。
となると、宗教について知るのはほとんどニュースのみとなり、そのニュースは事件に重きを置いて報道します。
宗教がどういう色づけになっていくかは明白です。

私は宗教は
「個人と社会(私以外のその他大勢)がともに幸せに生きる道しるべ」
だと思っており、その道しるべが構成員の共通基盤になっている、例えば西欧のような社会はやはり品格があると感じます。
これは私が仏教とは何を語る宗教かを学習し、そしてそれがキリスト教とかなりの共通要素を持つと気づいたときに、初めて感じたことです。

もともと日本に宗教的風土は希薄です。

土着の信仰はありました。
しかしそれ以上のものは民衆レベルではありません。
人口密度が高い分世間の縛りが厳しかったので、民衆のレベルではそれだけで十分だったのです。

仏教は鎌倉時代に初めて民衆レベルに降りてきましたし、
神道も明治の国家神道までは宮中にとどまっていました。

それが一気に転換し、
江戸時代に仏教に帰依することが求められ、(宗門人別改帳)
明治以降神道への帰依が求められます。(国家神道)
いわばそういう宗教は上からの押し付けだっ...続きを読む

Qもし、日本にキリスト教がもっと普及していたら?

アメリカでは、人口の70%がキリスト教徒だそうです。
日本では、キリスト教徒は人口の1%です。その割には、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンなどキリスト教の行事が盛んですが。
それはさておき、
もし、日本に、キリスト教が、もっと普及していたら、日本は変わっていたと思いますか?日本の社会や国民性は変わっていたと思いますか?もしそうなら、どのように変わっていたと思いますか?

Aベストアンサー

日本は「宣教師の墓場」といわれていたくらいで、西洋では知識階層の宣教師の論法が日本の農民に論破されるくらいですから、普及することはあり得ないと思いますよ。ザビエルが日本を撤退するとき、「ほとほと疲れた」と書いています。

インドが200年イギリスに支配されてもキリスト教が布教できなかったり、中国にも景教以外のキリスト教はほとんど入っていません。アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)に対抗できる精神的風土を持つ国にはキリスト教は進入できませんでした。持っていなかった韓国のキリスト教はカトリックやプロテスタントではなく、カルト教会が大部分で、代表が統一神霊協会です。

Qキリスト教ってどー思いますか?

キリスト教ってどー思いますか?

Aベストアンサー

キリスト教ってどうしても日本人に馴染まない宗教なんですね。一向に信者の数が増えない。だから、日本人は西洋の書物を読んでも、西洋人とは全く別な解釈をしながら読んでいるんでしょうね。多分、日本の教会で語られていることを西洋人が聞いたら、「おいおい、それって俺たちのキリスト教じゃないよ」って言うんじゃなかしら。

もう数百年経つと、多くのお寺に鳥居があるように、日本の教会にも鳥居があるって言う世の中になるんじゃないでしょうか。

Qよく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠が

よく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠があって言う場合はまだしも、
大した根拠も無いのに言うのは、それは勉強とかが出来る博識な人に対する、嫉妬や退屈しのぎによる中傷に過ぎないですよね?

本当の、学問が好きとか読書が好きとか言うのは、知識を身に付けながらも自分でも色々な事を考えるのが、本当の学問好き、読書好きだと思いますし、また、機知と英知は別物であり、
文学者や哲学者や文学博士や医師や弁護士が、病院や介護施設や工事現場や飲食店とかの慣れない所に急に勤めても、現場で咄嗟に機転を利かせたり出来るかと言うとそうとも限らず、その分、裏でのデータ分析とかは得意だったりするのではないかと。

脳トレで身に付くのは、英知よりは機知だとは思いますが、経験や知識から得られる物は英知ですね。

学は無くても手際良く物を作れる職人さんもいたり、料理や工作は苦手な文学者や弁護士や総理大臣とかもいますね。

人には得手不得手がありますから、欠点・短所を指摘し合って謗り合うなど、それこそ馬鹿げていると私は思いますが皆さんは如何でしょうか?

よく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠があって言う場合はまだしも、
大した根拠も無いのに言うのは、それは勉強とかが出来る博識な人に対する、嫉妬や退屈しのぎによる中傷に過ぎないですよね?

本当の、学問が好きとか読書が好きとか言うのは、知識を身に付けながらも自分でも色々な事を考えるのが、本当の学問好き、読書好きだと思いますし、また、機知と英知は別物であり、
文学者や哲学者や文学博士や医師や弁護士が、病院や介護施設や工事現...続きを読む

Aベストアンサー

知識って常に過去を向いているけど、知恵って未来を見ているんですよ。だから、いくら知識を積んだところで、今まで誰も気づかなかった新しい世界を見つけるとこはできない。それを見つけるのが知恵だ。

でも、新しい世界ってまだ誰も見たことがないもんだから、知恵のある人がその新しい世界の門を開いても、始めのうちは皆怖がって、その門の中を外側から遠巻きに見ているだけだ。

そんな時に、知識のあるものが役に立つ。実際、新しい世界の発見は誰にでもできるわけではないが、それを発見したと誰かが言い出した時に、今までの経験、すなわち過去の知識に照らし合わせて、それの成否の判断をするのは、それを発見するよりも桁違いに易しい。だから、知識(すなわち過去を向いている思考力)のある人に、その新しい知恵の成否を判断してもらうことは、それなりに有益なことです。

一般的な傾向として、知識のある人は過去の論法のそれなりの説得力を知り過ぎており、その結果、新しい提案をすることがほとんどできなくなっています。別な言い方をすると知識があればあるほど思考が保守的になって、斬新な知恵を出すことができなくなっているのが普通です。

例えば、自然科学の世界での重要な発見のほとんどが未熟な若者たちによってなされているのであり、決して、知識豊富な年寄りによってなされてるのではないという事実があります。新しい世界の発見がもし知識によってなされているならば、圧倒的に年寄りの方が有利になっているはずなのに、現実はそうではない。多分、知識と知恵は反比例な関係になっているのでしょう。

でも誤解なさらないように。上で述べたように、知恵のある若者が新しい世界を提示した時に、年季を積んだ年寄りの知識はその成否の判断に役割を演じており、その年寄りの知識によって若者を勇気付け、後押ししてくれるです。だから、知識は知恵を縁の下から支えてくれているのです。

知識って常に過去を向いているけど、知恵って未来を見ているんですよ。だから、いくら知識を積んだところで、今まで誰も気づかなかった新しい世界を見つけるとこはできない。それを見つけるのが知恵だ。

でも、新しい世界ってまだ誰も見たことがないもんだから、知恵のある人がその新しい世界の門を開いても、始めのうちは皆怖がって、その門の中を外側から遠巻きに見ているだけだ。

そんな時に、知識のあるものが役に立つ。実際、新しい世界の発見は誰にでもできるわけではないが、それを発見したと誰かが言い...続きを読む

Qモーゼの十戒って カトリックとその他では 内容が少し違うのですが なぜ?

モーゼの十戒って
カトリックとその他では
内容が少し違うのですが

なぜ?

Aベストアンサー

モーゼの十戒自体は、旧約聖書に書かれている内容としては、同じです。
キリスト教徒の十戒として、整理した際に、旧約聖書に書かれている項目が、10項目より多いので、一部をまとめたと言う事です。(なお、新約聖書においても、「偶像崇拝の禁止」は、記載されています)
「出エジプト記」と、「申命記」に書かれている、モーゼの十戒は、順番などに相違がありますが、偶像崇拝の禁止は両方に記載されています。
カトリックが採用している十戒は、アウグスティヌスによる分類ですが、「偶像崇拝の禁止」は、第一戒に含まれるとして、第二戒としていません。(代わりに、第九戒に、「他人の妻を欲してはならない」を入れています)
プロテスタントなどの場合は、第二戒に「偶像崇拝の禁止」を入れて、その代わりに、「他人の妻を欲してはならない」を第十戒に含めています。(ユダヤ教のトーラーの十戒とほぼ同じ)
したがって、カトリックでも偶像崇拝は禁止ですよ。(現在のローマ教皇も、講話などで、偶像崇拝の禁止は、話しています)
聖像に関しては、偶像では無いとしていますから、カトリックとしては、「偶像崇拝の禁止」には、含まれないとしていますから、カトリックの十戒とは、無関係です。
聖像禁止令は、ビザンツ帝国により726年に公布されましたが、この段階ですでに、西方教会(カトリック)の十戒は、アウグスティヌスの分類になっています。
もし、カトリックの十戒で、「偶像崇拝の禁止」が除外されていれば、これで対抗したはずですが、そのような事はありません。(聖像に関しては、偶像では無いと言う事で、カトリックにおいても、「偶像崇拝」とは見なされていません)
また、正教会においても、聖像(イコン)は使用されていますから、聖像自体は、「偶像崇拝の禁止」とは、無関係です。正教会における聖像は、平面に限られますが、「偶像崇拝の禁止」は、一切の偶像(平面も含む)を対象としているので、聖像は、偶像では無いとしています。(正教会においては、843年の公会議で、正式に聖像は偶像では無いとされました)
プロテスタントに関しては、カトリックに対抗する為に、聖像破壊運動を行っていますから、むしろ、カトリックの十戒の分類では不十分として、第二戒と第九戒を変えたと言う事ではないでしょうか?(プロテスタントとして、カトリックから分かれるまでは、カトリックの十戒を使っていたはずだからです)
なお、プロテスタントは、ルター派などの一部を除いて、聖像は使用しません。

モーゼの十戒自体は、旧約聖書に書かれている内容としては、同じです。
キリスト教徒の十戒として、整理した際に、旧約聖書に書かれている項目が、10項目より多いので、一部をまとめたと言う事です。(なお、新約聖書においても、「偶像崇拝の禁止」は、記載されています)
「出エジプト記」と、「申命記」に書かれている、モーゼの十戒は、順番などに相違がありますが、偶像崇拝の禁止は両方に記載されています。
カトリックが採用している十戒は、アウグスティヌスによる分類ですが、「偶像崇拝の禁止」は、第一...続きを読む

Q国家とは? 国民とは? 何ですか? 深く考えても答えが出ません!

国家とは?
国民とは?
何ですか?
深く考えても答えが出ません!

Aベストアンサー

国家とは部族の延長。
これではざっくりしすぎ?


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