マンガでよめる痔のこと・薬のこと

シェークスピアの好きな方に質問です。私はこれまでにほとんどシェークスピアの作品を読んだことがありません。でも、死ぬまでには必ず読みたいと思っています。シェークスピアの魅力って何ですか?

A 回答 (4件)

戯曲を読みなれるには、時間がかかるというか、好き嫌いがはっきりと分かれます。

ですから、映画を何本か観てごらんになったらどうかなぁ、と思います。

昔のものですが、黒澤明の”蜘蛛の巣城”は、マクベスが下敷きになっています。三船敏郎・山田五十鈴、という、豪華な配役です。それから、マクベスを読むと、面白いかもしれません。二人とも、すごい迫力です。

ハムレットやロミオとジュリエットは、何度も映画になっていますのが、私は、古い映画のほうが良いように思います。一般的に、ローレンス・オリヴィエが出ているものなら、間違いはないです。(ハムレット・オセロ・リア王・ベニスの商人・リチャード三世・ヘンリー五世)

シェークスピアの作品が、いつまでも色あせないのは、いつの世にも存在する、根源的な人間の業を描いているからでしょう。自分のエゴに囚われて、どうしようもない境遇に追いやられてしまった人々の悲劇を、美しい修辞を持ちいながら、本人たちに心情を吐露させるところが、残酷であり、素晴らしくもあります。
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この回答へのお礼

ああ、なるほど。今、感じているのは、シェークスピアを読んだ時、頭に浮かぶものが舞台なんだろうか、現実の風景なんだろうかということなんですが、頭がごちゃごちゃになりそうで、不安です。

お礼日時:2019/02/27 02:34

読まない方が良いです。

シェークスピアの天才は三島由紀夫そっくりで歴史的事実と実在人物を用いて歴史的事実とは縁もゆかりも無いが、話しとしてはとても面白い脚色をするところです。
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この回答へのお礼

有り難うございます。

お礼日時:2019/02/28 02:31

マックシェイクよりもハッピーになれること。

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この回答へのお礼

良い思い付きを有り難うございます。

お礼日時:2019/02/27 02:13

演劇用に書かれたものだから、登場人物が少なく、わかりやすいストーリー。


比較的、短いし。
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この回答へのお礼

有り難うございます。

お礼日時:2019/02/27 02:13

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Aベストアンサー

欧米文学の特徴のように思えます。

本筋とは無関係なことを、延々と何ページにも
渡って展開する、というのは欧米の小説に
よく見られる手法です。

人物描写にしても、物語の展開の過程で
紹介すればよさそうなものを、
これまた数ページにわたって、こういう性格
なんだ、人物なんだ、と紹介しているのは
うんざりします。

一説には、ページが多くなればなるほど、
作家も出版社も儲かるからだそうです。

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作家や漫画家や文学者でも、精神を病んだりして最悪で自殺に至る人と、
精神をあまり病まず自殺も犯罪もしない人は、どのように分かれるのか?ですが。

やはり、文学とか漫画以外にも色々と多趣味、多才であったりと、
時々、運動、スポーツや武道、筋トレをしたりで身体も鍛えたり、
偏らずに様々な分野の本を読んだり、
仲が良い友人や知り合いと遊びに出掛けたり、でしょうか?
サルトルなら政治活動とかもしていましたね。

因みに、私も私の友人S氏も、社会人(会社員)11年目で、S氏は作家志望ではありますが、普段は人の書いた色々な本を読んだり映画やドラマをDVDで観たり、身体を鍛えたり、書道やデトックスヨガや自力整体とかを習っていたりと、多趣味に色々と楽しむ日々で、このところ、自分でパソコンにより執筆や投稿はなかなかせず、
某アプリには毎日のように随筆や色々なポエムを書いたりはしているみたいです。

また身体も鍛えてますから、身体を鍛える事の楽しさや喜びについても書いたりしているみたいで私は感心します。
また、どうしても作家になれないならなれないで、それもまた良い、と、作家はなれても尚且つ自分で何とかしていかないといけない仕事が作家とかだから、経験とか知識とか叡知とか蓄えも必要だから遅咲きでも良い、とは言っています。

因みに、S氏が読むのは今でなら、ドストエフスキーやガルシアマルケス、安部公房や川端康成、夏目漱石、サルトルやゲーテやトルストイ等、なかなか深い内容の物が多く、他には色々、心理学や倫理学や自己啓発本を読んだりしているみたいです。

絶対、なろうと考えながら、しかし、なれない場合でも仕方が無いと考えるのがS氏だそうですが、私はそれで良いとは思っています。
作家は早くなれてもそれはまた大変ではないかと思いますが皆さんは如何でしょうか?

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やはり、文学とか漫画以外にも色々と多趣味、多才であったりと、
時々、運動、スポーツや武道、筋トレをしたりで身体も鍛えたり、
偏らずに様々な分野の本を読んだり、
仲が良い友人や知り合いと遊びに出掛けたり、でしょうか?
サルトルなら政治活動とかもしていましたね。

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「質問という体で問いかけしてるが
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欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

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>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
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顕著ですね。
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どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

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欲しいだけなんとちゃうかな」
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顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
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例えばエスカレーターを降りてすぐ立ち止まる人はどういう感覚なんですか?

後ろから来る人とぶつかるということも想像する力がないんですかね。


そういう人たちはまあ言わずもがなですが中国人に多いです。


これ一つとってもヒトのレベルに達していないサルにしか見えないのですが、もうこの辺は理解しようと思わない方がいいのでしょうか。

Aベストアンサー

こんど見かけたら直接聞いてみてください。

Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を...続きを読む

Aベストアンサー

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

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Q専門書 というのは、何で抽象的な文章が多いのでしょうか? 抽象的にならざるを得ない理由でもあるんです

専門書 

というのは、何で抽象的な文章が多いのでしょうか?

抽象的にならざるを得ない理由でもあるんですか?

Aベストアンサー

方言どうしで話していては 分かり合えないことが出て来ます。

共通語が必要になります。

共通語は なぜ抽象的になるのか?

互いに共通の意味をもった言葉を求めて 日常生活で使っていない
ような言葉をも採用するにようになるからです。

Q※カタカナ言葉は本当に何とかしてほしいですね。

明治時代の日本人は西洋の文化を学んだときに、漢文の知識を活用して西洋の新しい概念を漢語にして翻訳しました。
現代は漢文の読み書きができる人がいないために安易にカタカナで外来語を増やしていますが、本当にやめてもらいたいですね。
中国語の文章を翻訳していたら“内容産業”という言葉が出てきたんですが、意味を検索したら「コンテンツ産業」でした。
外来語はなるべく使いたくないんですが、現代日本語にするためには使わざるを得ないことがあります。
カタカナ言葉は昔から溢れていましたが、IT時代に入って その勢いは増すばかりですが、
みなさんは 現代日本語のこんな風潮をどう思いますか?

Aベストアンサー

日本語で表見した方が言葉数も少なく且つ適切に伝わる言葉も多いのにカタカナ語をわざわざ使う理由が解りませんね。
カタカナ語の方が定着して居て日本語にすると固いと言う言葉もありますし、そこはカタカナ語でも良いとは思いますが、何でも
カタカナ語にしたがる。
特に国のお偉い人達が使いたがるし、今の行政のトップは最も使いたがる。
それが偉い賢いと思い込んで居るのでしょうが。
自ら国の文化を壊していると言うのに一方では文化を守るなどと何の説得力も無いし。
多様性に満ちていると言えば良いと言う風潮も有るみたいですが、それは多様性じゃ無く「かぶれ」だろうとツッコミを入れたくも
なりますが。(笑)

Qよく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠が

よく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠があって言う場合はまだしも、
大した根拠も無いのに言うのは、それは勉強とかが出来る博識な人に対する、嫉妬や退屈しのぎによる中傷に過ぎないですよね?

本当の、学問が好きとか読書が好きとか言うのは、知識を身に付けながらも自分でも色々な事を考えるのが、本当の学問好き、読書好きだと思いますし、また、機知と英知は別物であり、
文学者や哲学者や文学博士や医師や弁護士が、病院や介護施設や工事現場や飲食店とかの慣れない所に急に勤めても、現場で咄嗟に機転を利かせたり出来るかと言うとそうとも限らず、その分、裏でのデータ分析とかは得意だったりするのではないかと。

脳トレで身に付くのは、英知よりは機知だとは思いますが、経験や知識から得られる物は英知ですね。

学は無くても手際良く物を作れる職人さんもいたり、料理や工作は苦手な文学者や弁護士や総理大臣とかもいますね。

人には得手不得手がありますから、欠点・短所を指摘し合って謗り合うなど、それこそ馬鹿げていると私は思いますが皆さんは如何でしょうか?

よく、勉学優秀な人や読書家の事を、「知識ばかりで知恵が無い」だのと謗るのを聞きますが、ちゃんと根拠があって言う場合はまだしも、
大した根拠も無いのに言うのは、それは勉強とかが出来る博識な人に対する、嫉妬や退屈しのぎによる中傷に過ぎないですよね?

本当の、学問が好きとか読書が好きとか言うのは、知識を身に付けながらも自分でも色々な事を考えるのが、本当の学問好き、読書好きだと思いますし、また、機知と英知は別物であり、
文学者や哲学者や文学博士や医師や弁護士が、病院や介護施設や工事現...続きを読む

Aベストアンサー

知識って常に過去を向いているけど、知恵って未来を見ているんですよ。だから、いくら知識を積んだところで、今まで誰も気づかなかった新しい世界を見つけるとこはできない。それを見つけるのが知恵だ。

でも、新しい世界ってまだ誰も見たことがないもんだから、知恵のある人がその新しい世界の門を開いても、始めのうちは皆怖がって、その門の中を外側から遠巻きに見ているだけだ。

そんな時に、知識のあるものが役に立つ。実際、新しい世界の発見は誰にでもできるわけではないが、それを発見したと誰かが言い出した時に、今までの経験、すなわち過去の知識に照らし合わせて、それの成否の判断をするのは、それを発見するよりも桁違いに易しい。だから、知識(すなわち過去を向いている思考力)のある人に、その新しい知恵の成否を判断してもらうことは、それなりに有益なことです。

一般的な傾向として、知識のある人は過去の論法のそれなりの説得力を知り過ぎており、その結果、新しい提案をすることがほとんどできなくなっています。別な言い方をすると知識があればあるほど思考が保守的になって、斬新な知恵を出すことができなくなっているのが普通です。

例えば、自然科学の世界での重要な発見のほとんどが未熟な若者たちによってなされているのであり、決して、知識豊富な年寄りによってなされてるのではないという事実があります。新しい世界の発見がもし知識によってなされているならば、圧倒的に年寄りの方が有利になっているはずなのに、現実はそうではない。多分、知識と知恵は反比例な関係になっているのでしょう。

でも誤解なさらないように。上で述べたように、知恵のある若者が新しい世界を提示した時に、年季を積んだ年寄りの知識はその成否の判断に役割を演じており、その年寄りの知識によって若者を勇気付け、後押ししてくれるです。だから、知識は知恵を縁の下から支えてくれているのです。

知識って常に過去を向いているけど、知恵って未来を見ているんですよ。だから、いくら知識を積んだところで、今まで誰も気づかなかった新しい世界を見つけるとこはできない。それを見つけるのが知恵だ。

でも、新しい世界ってまだ誰も見たことがないもんだから、知恵のある人がその新しい世界の門を開いても、始めのうちは皆怖がって、その門の中を外側から遠巻きに見ているだけだ。

そんな時に、知識のあるものが役に立つ。実際、新しい世界の発見は誰にでもできるわけではないが、それを発見したと誰かが言い...続きを読む

Q英語の意味が分かりません

Native peoples knew it by several names, but it’s the one that explorer John Wesley Powell gave it in 1869 that stuck: the Grand Canyon.

この英語の和訳を教えてください。
the oneとはどう訳せばいいのか分からす困ってます。。
that stuckとは冒険家が立ち尽くしたという意味でしょうか?

Aベストアンサー

先程の訂正です「関係代名詞以外」→「関係代名詞以下」です。
 それから、補足で仰ってる「『接続詞that』の後には完全な文が来る」は全く正しいですよ。高校生だとしたらよく勉強されてますね。私が言った「完璧に見分けられる」の一つの根拠です。


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