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すべては公(みんな)の為にあると私は主張しています。“人に関する”ありとあらゆるものは公(みんな)の為にあるのです。勿論、善もそうです。怒り、嫉妬、愛など、免疫機能、神経、脳などもそうです、すべては公の為にあります。あらゆる社会的問題も公の為にあります。公の為でないものはありません。
公の為とは種族(群れ、民族)保存の為ということです。または社会の安寧秩序を守る為、みんなの幸せを守る為つまり公(みんな)の為ということです。簡潔に言えばすべては種族(群れ、民族)保存の為にあると言うことです。それは自然界を見れば自明のことではないでしょうか。

また公とは仲間を言います。安心して暮らしていけるように協力している人たちを仲間と言います。小さくは家族、少し大きければ村の仲間です。そして最大の仲間とは日本でいえば日本国民を言います。安心して暮らせるように自衛隊が守っている人々のことです。ゆえに他国は基本的に仲間ではありません。日本人を拉致したり日本人を憎悪していたりする近隣諸国や日本をいつまでも縛り付け日本人が稼いだ金をむしり取ろうとするアメリカや白人国家など仲間ではありません。

まあ、それでも世界は今では敵とまでは言えませんので、多少の援助など許されます。しかし敵に思いやりをやれば種族保存はできません。敵である中国などに思いやりをやった為、日本は中国から侵略されかかっています。そんなことをやるのはバカな日本人ぐらいなものです。本当に日本の知識人たちはバカの極致です、国会や官僚や企業人、知識人、マスコミを見てごらんなさい、バカの見本市です。

すべては公の為、群れの仲間の為にあります。ゆえに善も本来仲間の為に出来たのです。ですから他の群れの為には善は使えません。善は仲間の為に作られ、仲間の為にあると言うのは少し考えれば自明のことではないでしょうか。ですからあらゆる社会的問題も公の為にあります。
そして正しさは問題の為にあります。何も問題がなければ正しい、正しくないなど必要ありません。ゆえに正しいとは問題に対する言葉なのです。問題の為に正しいはあるのです。
私は文章を書くのは苦手なので、言いたいことが分かりにくいかもしれませんが、何一つ間違ったことは言っていないつもりです。しかし皆さんに分かってもらう為にはもっと論理的な文章を書かなければと思っています。

では分かり易い文章の書き方とは何でしょうか。勿論「すべては公(みんな)の為にある」は人に関する真理と思いますから、これを応用すれば最もうまくいく答えが見つかるのです。文章もまたみんなの為にあるのです。それでは公の為に最も正しい文章の書き方、方法とは何か、それは「私よりも公を優先すること」です。分かり易く言えば「私欲を抑え公の為と考えて行うこと」です。ですから正しい文章の書き方とはまず私欲を抑えることです。自分は偉いんだ、とかそういう誇りたいと言う私欲を抑えなければいい文章は書けません。難しい語彙なども使ってはなりません。そして次は公の為と考える、公の為とはみんなに分かってもらい、みんなの人生の為になるようにという気持ちをもって書くと言うことです。そしてまた公の為と考えると言うことはみんなのトップの立場に立って考えると言うことであり、強い責任感を持つと言うことです。つまり文章を書くにも公の為になるようにと強い責任感をもって書くと言うことです。このような思いをもって文章を書けばやがて分かり易い文章が書けるようになるでしょう。でも私はまだまだ書けませんw

私は絶対善は種族保存であり、社会の安寧秩序であり、その為に最も正しい方法、行為は「私より公を優先すること」とであると言っています。ですから人に関するあらゆる問題も絶対善をもって考えれば最もうまくいく方法が見つかるはずです。死刑問題も長らく議論されていますがまだまだ決着はつかないようです。しかし善の定義をもって考えればやがて決着するでしょう。ヘーゲルの正反合など知っていても何か役に立ちましたか? 議論の仕方というのはどちらが公の為に合致しているのかと議論するのが正しい議論の仕方なのです。

すべては公の為にある、これは人に関する真理とは言えないでしょうか、皆さんのご意見を賜りたいです。

A 回答 (5件)

実際は自分の為だと思います。


自分の為であればいくらでも最善を尽くすことが出来ます。
人の為と言う理由では手を抜くことだってできます。強制力もありません。
人の為だけにどこまで本気でやれる理由を見つける事が出来るのか?
やるのは自分なんですから自分を犠牲にしてでもやれる理由になるのか?
人の為ならタダで働くことも出来るのか?
自分の為と言うのが前提にあり、人の為に行動する事で自分の利益にもなる。
それが本来であり、この社会の基礎ではないでしょうか。
人を見ていてもそこに真実があるとは限りません。
自分の為に自分に出来る事をやる。これが最も賢いと思います。
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公の中にも弱肉強食の世界は存在する。


新たな物が作られれば旧式のものは淘汰される。
しかし、公は最も利益になる物を求める。
たとえ損があったとしてもそれを上回る利益があれば公の為になる。
公の為とは仲間の最大利益の事である。
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>分かり易い文章の書き方とは何でしょうか


これこそ哲学的な人の欠点です。安易なことを難解な言葉で語ろうとする。
言葉という者は相手に伝わらなければ意味が無い。
仏教は素人には理解できない「お経」を読む。新興宗教はわかりやすい言葉で伝える。だから信者は増える。
正しいことを伝えるには同じ目線の言葉が必要ということ。
難解な哲学的な文章を書きたがる → 自分を上位に置きたがる。自己満足。伝わらなければ意味は無い。
「公」にも様々な価値観の人がいる。誰にでも通用する言葉を使って欲しい。
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公の為とは種族(群れ、民族)保存の為ということです。

または社会の安寧秩序を守る為、みんなの幸せを守る為つまり公(みんな)の為ということです。簡潔に言えばすべては種族(群れ、民族)保存の為にあると言うことです。
それは自然界を見れば自明のことではないでしょうか。
 ↑
生物学的事実として、その指摘は正しいと
思います。
死ですら、種の為にあるのです。
個体が死ぬことによって、種全体の老化、つまり衰退を
防いでいるのです。



他国は基本的に仲間ではありません。
 ↑
国家、というものがあり、国際間は弱肉強食だ
という現実を考えれば、この指摘も正しいです。
外国は総て仮想敵国です。



まあ、それでも世界は今では敵とまでは言えませんので、多少の援助など許されます。
 ↑
援助するのは、それが結局自国の利益になる
からです。
自国の利益にならない援助はすべきではありません。



しかし敵に思いやりをやれば種族保存はできません。敵である中国などに
思いやりをやった為、日本は中国から侵略されかかっています。
 ↑
天安門事件で欧米諸国は中国を制裁しましたが
日本だけは加わりませんでした。
しかし、中国はこの事件で敵の必要性を認識し、
反日政策をとるようになりました。



そんなことをやるのはバカな日本人ぐらいなものです。本当に日本の知識人たちはバカの極致です、国会や官僚や企業人、知識人、マスコミを見てごらんなさい、バカの見本市です。
  ↑
知識人やマスコミは反日なのです。
政治家や官僚は、平和ぼけした外交音痴なのです。
企業人は儲かれば何でも良いのです。




すべては公の為、群れの仲間の為にあります。ゆえに善も本来仲間の為に出来たのです。ですから他の群れの為には善は使えません。善は仲間の為に作られ、仲間の為にあると言うのは少し考えれば自明のことではないでしょうか。
 ↑
その通りです。
仲間の利益になることを「善」と名付けたのです。



その為に最も正しい方法、行為は「私より公を優先すること」とであると言っています。
  ↑
人間は利己的な動物ですから、私よりも公を
優先するぐらいで、ちょうど良いのです。
しかし、優先しすぎるのも問題です。



死刑問題も長らく議論されていますがまだまだ決着はつかないようです。
しかし善の定義をもって考えればやがて決着するでしょう。
 ↑
死刑の是非は人権云々から導出すべきではなく、
威嚇力があるのか否かから導出すべきです。
そして威嚇力があるか否かはまだよく判っていません。
調査が進めば判明するでしょう。



すべては公の為にある、これは人に関する真理とは言えないでしょうか
  ↑
それは正しいと思いますが、あまりに公を
重視すると、時の政権に利用されるおそれが
あります。
現実の社会に当てはめて適切か、ということは
常に念頭に置くべきです。

今の日本は私ばかりが優先しているようで
もう少し公のことを考えた方が良い、と思っています。
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この回答へのお礼

tanzou2さん  嬉しいコメントありがとうございます。少しは私の言いたいことを分かってくれましたね。ここ数年間であなたが二人目ですw

しかし私が言っているのは絶対善を見つけたと言っているわけです。これにはまだ賛成してくれる人はいません。絶対的に正しいことは種族保存というのは皆さん分かってらっしゃる人もいますが、種族保存の為に最も正しい方法、行為(絶対善)が「私より公を優先すること」と見つけたのが私の成果でしょう。私はあまり知性はありませんので、直感のひらめきで勝負するしかありません。その直感で絶対善を見つけたのです。

簡単に言えば群れ社会が一番うまくいくのは「私欲を抑えて公の為とみんなで考えること、つまり愛や思いやりなのだよ」と言っているのです。
あらゆる社会的問題は「私より公を優先すること、つまり愛や思いやり」で考えれば、社会が一番うまくいく答えが見つけられるよ、ということです。それを今回は文章の書き方にも応用してみたのです。

>援助するのは、それが結局自国の利益になるからです。自国の利益にならない援助はすべきではありません。<

自国の利益にならなくても敵でないなら自然と助けたくなるのが本能、人情なのです。


>死刑の是非は人権云々から導出すべきではなく、威嚇力があるのか否かから導出すべきです。そして威嚇力があるか否かはまだよく判っていません。調査が進めば判明するでしょう。<

威嚇力ですか、どのような考えが含まれているのか分かりませんが、あらゆる社会的問題の答え、根拠は「社会の安寧秩序です」これに合致するように考えていけば正しい答えが出るでしょう。人権や感情論を根拠にしてはなりません。


>それは正しいと思いますが、あまりに公を重視すると、時の政権に利用されるおそれがあります。現実の社会に当てはめて適切か、ということは常に念頭に置くべきです。<

絶対善を知ったならば賢くなり、ヒトラーなどの意見に対して「それは正しいのか?」と皆さんが疑問をもてます。勿論、やりすぎはいけません、中庸は大切です。


>今の日本は私ばかりが優先しているようでもう少し公のことを考えた方が良い、と思っています。<

~した方が良いと言うのではなく「私より公を優先すること」が正しいのですから、常にそのようでなければならないのです。

お礼日時:2019/03/15 19:33

あなたの主張は概ね分かりました。

そして、哲学として鋭い結論であると思っています。

しかしながら、正直に申し上げますと、説得力がない、と言うことと、独善的(上から目線)
であるということをとても残念に思っています。

分かりやすい文章を書くことも当然重要ですが、例えば…

>本当に日本の知識人たちはバカの極致です、国会や官僚や企業人、知識人、マスコミを見
てごらんなさい、バカの見本市です

この態度ですね、バカもいれば、バカでない人もいます。しかし、こう表現したら皆バカに
なってしまいます。
バカにされれば、議論はケンカ腰になるでしょうし、対話もする気にもならないのが人情と
いうものです。

また、バカというモノの重要な一面は、目的観が低いと言うことだと思っています。その低
い目的観を「引き上げること」が「説得力」だと考えます。

あなたが、説得をしたいという目的をお持ちならば、この点を考えるべきかと思います。

まあ、偉そうなことを言いましたが、何故かと言えば、「良い対話」ができたら価値が生まれ
るかも知れない、と思ったということです。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>バカにされれば、議論はケンカ腰になるでしょうし、対話もする気にもならないのが人情というものです。あなたが、説得をしたいという目的をお持ちならば、この点を考えるべきかと思います。まあ、偉そうなことを言いましたが、何故かと言えば、「良い対話」ができたら価値が生まれ
るかも知れない、と思ったということです。<

あなたはあいつらがどれほどの間抜けがご存じない、その怒りがつい出たのです。別にあなた達をバカにしてはいませんよ。
数年間絶対善を説いてきましたが皆さんバカにするばかりでまともな返信がなかったものでイライラ感があるのです。まあ、皆さんに理解していただけるよう頑張ります。

お礼日時:2019/03/15 19:31

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