A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
補足です。
> ・・ちょっとケガしてしまったので中断します。かわらの破片や土台が見つかるかもしれません。日を改めてみます。
お大事に。
なお、現地調査の他、石の調査の他、石碑の調査の他に、地域の歴史をお調べになってはいかがでしょうか。
私も、文字の理解を間違えているような気になってきました。
もしかすると、半エ門、甚六は、願主や造立主のようなものではなくて、「半エ門・甚六に奉る」というのかもしれないと思いました。 半エ門、甚六って名前は、俗名というか、それも階層の低いものみたいで、奉るというのにはなんかふさわしくない感じなので、禁断の男色関係という想像をたくましくしたのですが、 「半エ門・甚六に奉る」と読むという方向で想像をたくましくすると、大勢の人が力を合わせてそこそこに大きな石に文字を刻み、山腹に運んで設置するには、「半エ門・甚六」がなしたことを感謝する人々がいたということではなかったのかと、想像するようになります。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regional …
どうも政治や行政の影響で、小さな地域でもさらに小区ごとの住民対立は強くあった地域のようです。直接的な闘争やいざこざなどもあったでしょうし、過激な事態に至ってしまい残念なことに落命した人もいたとか、それを生き残った人々が落命した人の功績に感謝して「嘉永二年 奉 甚六 半エ門」と刻んで、高い場所に運んで顕彰と感謝の気持ちを表したということもあるのかなぁ なんて想像しました。
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regional …
「領民間の対立」というのは、この時代、具体的にはどんな様子だったのでしょう。
伊能忠敬の測量の当時も、松山と大洲の藩領、天領とに3分割されていたようですかね。?商用の海上交通の安全を確保しようとする天領が間に入り、監視しあっていたのだとの予測です。水軍島ですから場合によっては過酷な争いごともあったような話なども
地図が完成した後に急ピッチで整えられる事といえば、海上交通を含む、地域開発や各領間の交流だとの推測で、その際に、この地の有力者(出資者なのかも)ですが、この2名が貢献したのではないかと思っていたところです。
少し掘ってみた実感では、堆積した腐葉土20cmの下にあった、まさ土は、確かに一度組成が崩れて再び固まったもののように思いました。その中に粘土層も散在しているようなので、山表層のり面が、その地下のシルト層がすべり面となり、150年ほど前の土砂災害、土石流で、今の位置に流されてきたものとの予測です。
以前に見つけていた柱状の石や野面積みの石、五輪塔や、点在する祠や地形から、過去の宮跡の可能性もありそうに思えてまして・・そこはまだ不明のまま。
この地の昔話をまとめた書籍が配られてたのですが、ゆっくり読んだことも無くて、何かの手がかり探さなければいけないので読み直してみる予定です。
回答有難う御座いました。
No.5
- 回答日時:
前の回答を全部撤回します。
花崗岩かもしれません。
気温の変動による膨張縮小の物理的影響を受けて風化が進んだのかもしれません。
(たまねぎ風化のようには思えませんが)
ただ、刻まれた文字がとても不思議です。
普通は、奉という一字だけ刻むということはないのだ思っていました。
たてまつる対象というか内容、行為のようなものとセットで刻むものだと思っていました。
なにを考えてこうしたものを造ったのでしょうね。
底の部分が一番平坦なようで、しかも平坦面を底にすると座りが良く、字を刻んでいる面?が姿良く見えるらしいので、ここに文字を刻むのは分かる気がします。しかし、字が大きすぎのように思います。永と半と刻んだところから下の部分だけでも、文字を刻むには十分な広さがありそうなのに、嘉と奉の字は斜面のようなところに刻まれているようです。斜め上方から眺めた場合には良いのでしょうが、そういう刻み方をするものなのか、ちょっと疑問に思います。
半エ門と甚六が願主のようなものだとすると、刻んである位置がちょっと妙です。 下に願主の名を刻むときには、一段と小さく刻むもののように思っていました。
嘉永二年と半エ門、甚六を、奉の左右に少し小さく刻んで、うまく配置すると、バランスよく、かつ、イイ面に造れただろうという気がします。
右側面から撮った写真をみると、文字を刻んだ面の裏面の方が、平面になっているように見えます。平面を正面にするのは好ましくない・球面に見える方を正面にして文字を刻んでいるのであれば、球形の丸石ということに意味や価値を認めていたのかもしれません。でも、玉垣や丸石にそうした文字を刻んだ例とか、五輪塔の球形・水輪に奉や歳や名前を刻んだ例とかあるのでしょうか。
もとは瓦葺きの祠、小祠、小堂も造っていたのかもしれませんが、そうだとすると、ますます、見かけないもののように思ってしまいます。
疑問ばかり大きくなって、私にはさっぱり見当がつきません。
この時代、忽那諸島には3つの軍事境界があったようで、商用の海上交通の安全や、他、様々な目的で、松山と大洲の藩領の一部を天領として没収し、江戸幕府が、この地域を直接監視していたのだろうと思えてます。両名は、この地の松山藩側と大洲藩側の代表ではないかと、地図完成後の地域開発で確約を結ばされた証か、その功績を讃えて設置されたモニュメントではないかと・・
ただその後震災や豪雨災害で破壊されたまま150年間も放置されていた理由についての疑問が続いてまして、担がれたと思ったか、再び衝突が起こったかで、不破になったとか、今に至ってそれ程栄えた様子も伺えないですし、幕府の力で、陸上交通の利便性が良くなったから、有用視されなくなってきたとも
No.4
- 回答日時:
> 文化財保護法に抵触するとまずいので、届出ておくべきかななんて検討中ですけど、
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t1998092 …
届け出が必要とは思いません。
> ほぼ球形の花崗岩
写真では安山岩のように見えます。
http://kateikyousi.doorblog.jp/archives/54769776 …
> 7kmほど離れた石切り場(松山市に近い別の島)から運んできたとすると、
> (標高30mくらいの場所)元々この付近にあった石の可能性とかもあるのか
石切場で切り取った石にしては、球状になりすぎです。加工して球状にしたにしては、側面も、文字を刻んだ面も、納得しにくいです。
形状からすると、水や波、岩と石が擦れ合って角がとれた感じです。 海岸部、流れのあるところで出来たものでしょう。 より標高の高いところから転がり落ちて発見ヶ所に落ち着いたとしても、そうした上方にこのような丸い石が自然にあるとは思いにくいです。
> 巨石みたいなのが、山斜面にあるものを数箇所
磐座などに見立てる岩が山腹にあることもありますが、それらとも形や大きさが違いすぎます。 この程度の大きさの大きな石、岩としか言えないような大きな石が、山腹のある場所にだけごろごろとあるのも、時々見かけるものです。石底の写真程度なら見かけますが、側面の写真の下部にある餅のような丸い形は、水流と砂石の作用で出来たのではないかと思います。 海岸部、流れのあるところで出来た丸い石を見つけて、平面に近い部分に素朴に線彫りしたと見えます。 直径30cmではないことは分かりました。 一文字が10cm前後もありますから、彫るのは大変です。 それにしては、素朴な線彫りで、文字も、「嘉永二年 奉 半エ門 甚六」だけだというのは、不思議な感じです。何を思って、そう刻んだのでしょう。また、山に運び上げて急斜面に置いたのであれば、それも不思議です。 転がり落ちてきた可能性はあるように思います。 最初に設置したのは、もっと標高の高いところだったのかもしれないし、その場所になにか特別の意味があるのかもしれないです。
回答有難う御座います。
四国川の石切場のスタート地点、白石の鼻や石についてのホムペです。
ttp://blog.livedoor.jp/gentarou8-genta2/archives/cat_1306822.html
この場所は、年号当時は道も無かったとの予測なので、思いつくことは、道が出来てから移動させられたものが、グラマンと零戦や紫電改かな? ドッグファイトがあったエリアなので、空襲で無残な姿にっていう予測も出来なくはないです。
瓦の破片が1枚出てきました。小さな祠の可能性もあるように思ってます。
レジュームとかの巨石、詳しく分かりませんが安山岩や花崗岩などだと思います。・・も、山の中に埋まっていて、土砂崩れとかで表面化してるのを何個も見てます。ぽつりぽつりと、まさ土の土壌の中にあるんですよね~、時々。レアメタルとかも多そうな予感です。
風化状況は確かにかなり古い感じなので、もっと文字も彫れなった頃に何かに使われていた石かもしれませんよね。でも近くのお宮にもこれくらいの風化状況の柱状の石はありますけど、単に加工が荒かっただけとも思えてます。種類も似かよったものかと
No.3
- 回答日時:
文字が刻んである面の大きさが分かりませんが、かなり大きな字なのでしょうか。
線刻でも、大きな文字を安山岩に刻むのは簡単にはできません。
80cm×60cm×50cmの石柱のようなものだとして、640kgくらいです。
300kgもあると、腕と脚腰だけで持ち上げるのは大変です。
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/ka …
木ぞりのような道具を使えば、人力でも、なんとか坂を上げることは可能だと思います。
木の葉の大きさが分かりませんが、ミカン類だとして、長さ6cmくらいでしょうか。
男の成人2名の連名というのが、どうにも、事情の推定が難しいです。
写真からすれば、明らかにただの自然石だから、たぶん、海岸付近で見つけたものでしょう。水軍のあったような地域では、丸石に特に価値を認めていたようですが、名前を線刻するという風習があるとは知りませんでした。
回答有難う御座います。不思議ですよね~。これって埋蔵文化財でしょうか。?
補足写真も追加してます。
標高30mくらいの場所ですが、7kmほど離れた石切り場(松山市に近い別の島)から運んできたとすると、縦と横に4本の丸太で抱えても当時20人前後の人夫は必要だったのではって思えてます。元々この付近にあった石の可能性とかもあるのかなぁと・・
周りの木の葉は、ヤシャブシとかクヌギとかクリとかウバメガシ、ヤマザクラなど、あと植林は、サツキやツツジ、ソメイヨシノなどが主・・
No.2
- 回答日時:
> 奉が苗字でないとすると「たてまつる」なのでしょうけど、この2人の名は、農民か町民ということなるのですが、なのに、こうして碑になっていてると言う矛盾は、あり得るのでしょうか?
「たてまつる」と読むのでしょう。二人は、半エ門、甚六という名前かもしれません。
なんとなく農民ぽい名前ですが、身分や職種までわからないと思います。
https://ka-ju.co.jp/column/myoji
碑になっているというか、半エ門、甚六の二人が誰かに依頼して刻んでもらって、どこかに奉納したということなのでしょう。
山道に転がっていた、上下が逆さまだったとしても、もともと設置された場所が、そこだったのか、もっと高いところだったのか、はたまたまったく違うところに設置された石が誰かに運ばれたのかは分かりません。
嘉永二年 奉 半エ門 甚六 しか刻んでいないとすれば、丸石に名前さえ刻んで奉納すれば、その奉納の意味・主旨が明確ということなのでしょう。子を授かったお礼に奉納する丸石にしては、男の成人の名前が2つはおかしいですから、奉納の主旨は子宝には関係がないのでしょう。 山梨の方には丸石を奉納?する例は多いようですが、名前や奉納の歳を刻んだりはしないのが普通のようです。
https://isizumi.exblog.jp/23795914/
月や日の記載がないのも、面白いです。
大きさも、直径30cmはなさそうですし、重量や力に関する刻みもないのなら力石ではない。 そもそもこの程度の石に二人の名前を刻む事情が見えてこない。 制作にコストがかかりそうなのならば、連名も分かるけれど。
書かれているようにそこらで探せば見つかりそうな自然石であって、丸く研磨したりや滑らかな面を造る加工がさほどなされていないとなると、専門職の石工に刻んでもらったのではなく、自分たちで刻んだのではないかという想像もできる、そうだとしたら、、、、
ゲイの関係にある二人がいつまでも丸く一体でいたいと願って刻み、人目のつかない山の中にこっそりと置いた、、、 誰かに見つかっても、豊作祈願、災害の起きないことの祈願だと言い抜けようと配慮した、、
そうならば、碑ではなく、特別の日でもないから月日は刻まないで、「奉 半エ門 甚六 嘉永二年」だけ、、、 もちろん、通行人や山に作業に行く人がいつもみるところには置かないで、 二人には分かる特別の場所に、、、 ( どこかの陰になる壁面に二人の名前を書いて、上に傘マークの代わりに、奉を書いた )嘉永年間にどこかの山里で二人の男が、、、 二人には、妻や子がいたのだろうか。 次男や三男、六男で、嫁をとれる状態ではなく、作男、下男などとたいして変わらない暮らしだったので、、、、何か、小説になりませんか、、
空想もここまでいくと、大変なものです。
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奉が苗字でないとすると「たてまつる」なのでしょうけど、この2人の名は、農民か町民ということなるのですが、なのに、こうして碑になっていてると言う矛盾は、あり得るのでしょうか?
回答2の補足です。いろいろと有難う御座います。
テルマエ・ロマエにも見る男色説もスゴイ発想だと思いますが、こちら瀬戸の忽那諸島(戦国期は海賊島)のひとつの島で、文献が無いので予測ですけど、江戸時代後期の人口は数十~多くても百人足らずではないかと考えてます。市のホムペで1808年 伊能忠敬により測量という記載みつけました。その後、降雨や地震による激甚災害もあったようです。石はもう少し大きいです。広いところで80cmくらい、重さ1トン以上の予想。追加写真upしますが、底が平らに均されている加工跡があるので台座の石が見つかれば元の位置も分かるかも知れません。この場所、薄暗かったのですが、最近の傾斜面の雑木林の伐採で少し明るくなってます。戦後施工だと思いますが、柑橘軽トラ用の農道が通ってます。
回答有難う御座います。
直径80cm以上のほぼ球形の花崗岩と底部に一部、せきえい? みたいな感じの石だと思えてきてます。
スケール写真も追加しときます。
30cmくらい掘ってみましたけど、樹木の根が多くなってきて進め難くなりました。他に文字は無い模様。
こちらの島、標高200mくらいの山々からなっていますが、カルスト台地の草原にポツリポツリとある石灰岩の巨石みたいなのが、山斜面にあるものを数箇所で目撃しています。数トンもあるような巨石で人が運んだとは考え難い急傾斜面です。文字はこれ以外見た事ありませんがやや置き方が不自然な感じはしているものもあります。単なる道しるべなのか古墳かななんて疑うくらい。
こちらは、そろそろ埋蔵(埋蔵文化財)物ではないかと思うのですが、文化財保護法に抵触するとまずいので、届出ておくべきかななんて検討中ですけど、まだ何とも分からないままなので・・
せきえい訂正です。たぶん長石かな
石の種類詳しく分かりませんでした。
五輪等の場合は、丸石は、自然界の「水」を表すものとありました。水軍島なので瀬戸内海かなぁって思いますけど、忽那諸島エリアでは球形の石の例を見た事がありませんし?!
・・ちょっとケガしてしまったので中断します。かわらの破片や土台が見つかるかもしれません。日を改めてみます。
回答者の皆様、ご意見感謝いたします。
既に個人では行き詰ってますので、まとめて市にお知らせしてみようと検討しています。何か前進があったらブログにまとめてみますので、こちらは、このままで終了します。いろいろと有難う御座いました。