限定しりとり

◆ (或る質問の補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1. 大きな善の前には非情でも殺さなければならないのです。

2. 生き残るためには苦渋であるが姥捨ても子供の間引きもしなければならな
いのです。
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3. ☆ 言葉の綾つまり単なる表現の問題になりかねない視点ですが 《人殺
し》は それこそ〔強調表現としての〕《絶対悪》なのではないのですか?

4. 《姥捨ても子どもの間引きも》 やむを得ないわざであるとみとめたとし
ても それは 《善》ではなく《悪》なのではないですか?


すなわち:
◆ (同上の趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5. 私の善の定義によれば

「公の為であればすべて善であり、公の為でなければすべて悪である」

です。
6. ですから答えは

 「人を殺すのが公の為(正当防衛や戦争など)ならば善であり、公の為になら
ない(一般の殺人)ならば悪である」

となります。
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7.☆ という定義について見るならば・結論をすでに先に述べますが 次のよ
うではないか?:

人の意志を踏みにじり・果てはその存在(いのち)を抹殺することは―― 《公
(みんな)》が 例外なくどのひとりの存在をもふくむとするからには―― 善
ではあり得ず 悪である。

8. だから答えは: 

《やむを得ない情況において 大善〔と言うのでしょうか〕を優先させなければ
ならない場合には ひとごろしという悪をもえらびそれをおこなうことがある》

となるのではないですか? 

9. 《悪》であるなら けっして:
◆ (1) 非情
◆ (2) 苦渋
☆ といった気持ちや感情の問題〔だけ〕で規定するのでは 普遍性を問い求め
る哲学の要請にふさわしくない・・・のではないでしょうか?



10. だからこそ 飢饉のつづく厳寒の冬を村が生き延びるため〔という公の
前〕には 子どもの間引きという選択肢を選ばざるを得なかった。そのとき 人
びとは その《子消し》なる《苦渋の選択》をのちのちにまで伝えのこすために
そのすがた(人形)をもこしらえ遺した。のでは?

11. けっして村の人びとは 《大善の前にやむを得ずおこなう選択は 善で
ある》と考えてはいない。

12. 間引きしたそのからだを やむなく川に流した。けれども その子ども
への愛は 人びとに消えてはいない。善であったというふうな慰めもましてやそ
の正当化をも人びとは けっしておこなっていない。

13. だからこそ 間引きした振りをして子を家の中に隠して育てていた場合
もある。つまり ざしきわらし(座敷童)である。

14. 実際に川に流してしまったなら それが悪であるともちろん親たちは知
っていたしそれを恥ぢていた。だからこそ 川を眺めれば そこに活き活きとし
た《かはわらは(河童)》が心の眼に見えた。 


15. すでに飢えること・飢え死にすることから わたしたちは自由になって
いますが おそらくこのような時代を迎えることが出来たのは その後去って行
った子どもたちが どこからかその親たちに向かって おとうさん おかあさん 
もういいよ 恨んでいないよ こけしや河童の物語で ぼくは(わたしは) い
ま心がやすらかになっているよと声をかけて来てからであったはずだ。

16. 大善・大悪も小善・小悪もないはずだ。善は善。悪は悪である。――の
ではないか?

A 回答 (1件)

善悪を論じている時点で、稚拙。



「これからの正義の話しをしよう」でも読んで、わからないことを論じる意識高い系を目指せば良し。
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この回答へのお礼

★ 善悪を論じている
☆ 議論に対して どう対応するか? こういう問題として出発して
いる。――という場合です。

趣旨説明からお分かりのことと思うのですが?




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/03/24 20:25

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