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ご覧いただきありがとうございます.

タイトル通り,未来のデザインに関する質問です.
未来に関するデザインに関する資料を探していると,それがどの年代に作成された未来予想図なのか・どれぐらい先の未来予想図なのか,に関わらず,非装飾的で・透明で・流線型で…といった決まったデザインのような気がします.
これは,何故なのでしょうか?
何か,元となる「刷り込まれた未来像」の原点があるのではないか,と探しています.
工学的な利点がある(流線形にすると空気抵抗が減る)要素に関しては,科学技術の発展した合理的な未来として納得できなくもないのですが,純粋にデザイン要素の部分に関しては,多くの方が同じ未来像を思い描くのが不思議です.
つきましては,
・非装飾的な未来のデザインについて言及している書籍/資料
・上記のようなデザインを「未来的だ」と感じるようになった原点があるとしたらその資料
・もしくは,いま現在,非装飾的だと未来的だと感じてしまう,と言及してい資料
・装飾的な未来予想図を展開している書籍/資料
等をご存知でしたら,お教えいただければ幸いです.

何卒宜しくお願いいたします.

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    色々なご意見・雑感等いただきありがとうございます.
    体系的・専門的に学びたいと考えており,出典として明記できるような形の書籍・論文等をご存じでしたら,お教えいただければ幸いです.

      補足日時:2019/06/03 16:29

A 回答 (4件)

前近代において、人類が具体的にイメージしてきた「未来」というのは、宗教的なものであったかと思います。

わかりやすいところでいえば、ユダヤ教やキリスト教の預言や予言。「ヨハネの黙示録」や「ノストラダムスの予言」で語られる「世界の終末」です。日本人に身近なところだと、仏教での輪廻転生や「あの世」の概念は、一種の「未来図」です。
こうした前近代でイメージされる「未来」は、絵画においては、描かれた時代と同時代の服装や道具+宗教的な表現で描かれています。

そういう「宗教的な未来予想図」から「科学的な未来予想図」への転換は、ヨーロッパにおける産業革命以降であろうと推測します。
それまで人間の力ではどうにもできなかったことが、科学、そして工業製品(発明品)の力で実現できるようになった。当然、人類の未来は科学と工業製品が支配するもの、と考えるようになるでしょう。
工業製品の「実用性」を突き詰めれば、装飾過多なものよりも、装飾の少ない形へと行き着きます。力学的な理由も大きいでしょうが、単純に、装飾の多いものはコストがかかる職人技である、ということもあるでしょう。産業革命=大量生産・大量消費=効率性の追求だからです。
19世紀末のヨーロッパで流行したアールヌーヴォーは、装飾過多で、本来ならば大量生産とは相反する性質のものです。少量生産の職人技と大量生産の工業製品の融合、そして過渡期だったのが、アールヌーヴォーだと、私は思います。その後、より実用性と合理性を追求し、デザインとしては非常にシンプルな印象を受けるアール・デコが流行しました。現代に至る工業デザインは(アール・ヌーヴォーではなく)アール・デコの系統を受け継いでいると思います。
さらに、現代での「未来」のイメージは、「人類の宇宙進出」と密接な関係があると思います。宇宙開発の機器は、実用最優先で、装飾なんて施す余地はありませんよね。それが「未来っぽい」となるのではないかという、個人的な感想です。

面白いのは、19世紀末頃のヨーロッパの「未来予想図」を見てみると、使っている道具(飛行用の道具など)は装飾を排除したデザインなのに、それを使っている人々の服装は19世紀末当時の服装のままなんですよね。
現代でも、宇宙開発が盛んになった頃から描かれるようになった、典型的な「未来の服装のイメージ」は、案外、60~70年代の流行ファッションが原型にあるような気がします(ミニスカートとかパンタロンとか)。一見「未来っぽい」デザインでも、実はその時代の最先端の流行がベースにあるのではないかと。
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No.2&3です。


追加で思いついたのですが、CiNiiやネット検索で論考を探す際に、「ユートピア」というキーワードで探すのも有効かと思います。
単なる「未来」ではなく、「人類が目指す幸福な未来」=「ユートピア」で描かれるデザイン、という観点です。
「デザイン」+「ユートピア」の論考は、学術論文からネット上の評論、コラム的なものまで、結構たくさん見つかります。
ユートピアがどのような思想や手段によって実現されるべきか、という予想や希望が、デザインとして表れるはずです。技術革新と工業製品によるユートピアなら、高度な技術が必要な流線型のデザインが「未来的なもの」の象徴になるでしょう。逆に、その反動で、工業から自然に帰れという思想なら、ナチュラル系、あるいは装飾の多い前近代的なデザインがその象徴となると予想します。
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No.2です。


その分野の専門家ではないので、的外れかもしれませんが、デザインとSF(サイエンス・フィクション、Sci-Fi)の関係について言及した論文がいくつかあるようですので、まずそのあたりを手がかりに、芋づる式に参考文献を辿ってみてはいかがでしょうか。
CiNiiで「デザイン Sci-fi」「デザイン 未来的」等、関連しそうなキーワードで検索すれば、関連する論文が見つかるかと思います。
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この回答へのお礼

補足情報,ありがとうございます.
CiNiiでは検索していましたが,「SF」というワードに発想が至っていませんでした.ありがとうございます.
現在のところベストアンサーですが,他にもご存じの方がいらっしゃるかもしれないので,閉じるのはもう少しお待ちください.

お礼日時:2019/06/04 10:06

透明な素材、流線型のデザイン・・・というのは単純に、高い技術力が求められるからでは。

多くの人は「未来は、より技術が進む」と考えます(そうとも限らないのに)から、「未来のデザイン」というイメージを求められた時にスケルトンや流線型を多く用いればそれっぽくなると考えるのでは。「原点がある」というよりも、そういう原点になったことも必然。
他に未来的なイメージとして、極めて電化されたキラキラした社会とか、合成樹脂なんかの新しい素材なんかもそうですね。どれも近代以降の新技術のイメージがあるから、未来を描くのに積極的に用いられる。

非装飾的なのはなんででしょうね。
1つ言えるのは、有名な古典SFは殆どヨーロッパで生まれています。
ヨーロッパで古典的なデザインというと、古代ギリシャからゴシックからロココからアールヌーボー至るまで、非常にコッテリした装飾的なものが基本となります。近代以降のデザインや芸術というのは、その反動もあるでしょうし、王族・貴族のような道楽が減少し労働者中心の社会になったこともあるでしょう、やはり従来より削ぎ落とされた機能的なものが多いです。そこから「非装飾的・機能的=未来的」といったイメージになっていったのではないでしょうか。
日本は室町から江戸に至る文化の中で削ぎ落とされたごくシンプルなデザインが当たり前に人気ありました。そこが大陸文化との大きな違いで、欧米人は日本の伝統的なデザインに新時代とか未来的な感覚を覚えるようです。もし日本人が未来のフィクションを世界に先駆けて発信していたら、逆に非常に装飾的な未来を描いていたのかもしれません。

資料でなくてすみませんが、ある程度想像がつく部分もあると思います。


ちなみに欧米の「装飾的な未来」を描くフィクションというのは大抵、「結局世の中のセンスが古典に回帰した」という設定です。その世界の設定の中で古典ブームのようなものが起こったのかもしれません(現実世界でも古いデザインというのはいつでも人気がありますから)し、一度地球が壊滅状態になって技術や文化が失われ古典的な社会になったというパターンもありますね。
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