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日本人は空気というか雰囲気を第1に考えて動くような風習があるように思うのですが(もう古いのかも?
)、外国では集団というものがないのでしょうか?

一人、一人の性格が個別化する現代社会、集団というものは消えてしまうのでしょうか?

それについて私はどう変化していったらいいのでしょうか・・・?


「集団と同調について」を哲学の目線で教えて下さい。よろしくお願いします。

カテ違いでしたらごめんなさい。

A 回答 (5件)

日本人が集団に基準を置きやすいのは、単一民族だからという分析があります。

多民族の集団では、価値観をまとめるために宗教が発達しています。
現代は、個人主義が行きすぎた時代と言うと、反論される方も多いと思いますが、これにはいくつか理由があります。人間は食べ物や水が十分に得られないような過酷な環境では、集団で協力して生き延びようとしますが、恵まれた環境では、多様性を重視するようになります。つまり個人主義に偏りやすくなるんですね。生物学を学んだ人なら分かると思いますが、厳しい環境では適応を重視し、快適な環境では多様性(将来の環境の変化への対応)を重視するようになります。もう一つは1953年のDNAの発見が大きな影響を与えていると思います。人間の性質を個々の遺伝子に還元して考えていくという発想です。これに対して1990年以降、一般に複雑適応系の理論が浸透してきました。これによって、人間は遺伝子だけでなく(人間の他者を含めた)環境の影響を非常に強く受けていることが認識されます。
これらのことから言えることは、人間は(利己的)遺伝子(=個人)だけによって決まっているのではなく、他者との関係(環境=社会)によっても強く影響されている事です。ですから、個人と集団とはバランスを取って行くべきもので、どちらに偏ってしまうのも間違いと言えるでしょう。
以上を踏まえて、例えば国際政治などを考えた時、21世紀において重要なのは、国連のような国際協調と国家のアイデンティティーの両方であると言われています。世界の統一(個がなくなる)でも、国家主義(個中心)でもなく、コスモポリタニズムとナショナリズムのバランスが重要だと言うことです。

人間が自分の価値観だけでなく、周囲の人の価値観によっても決まると言うことが理解して戴けたら、独立性・独自性と協調性・同調のバランスを取って行かれると良いと思います。
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お礼ありがとうございます。


前回の補足を書きます。

「メイクも自分の顔から離れたらきれいだと思っている。」と前回書きました。
あくまでメイクをしたことのない男の視点からの意見ですが、
みんな同じように、眉を剃り、まつ毛を貼り付け、目の周りを黒く塗って同じような顔に仕上がっています。もちろん、一人一人違うのですが…。また、そのメイクを落とした顔を見て男性はギョッとすることもあります。

もっと、自分の顔を活かしたら輝くと思うのですが。もちろん、全ての女性がそうと言うわけではなく、中には魅力を感じる「顔」をした方もいらっしゃいます。個性を潰すメイクでなく、逆に個性を活かしたメイクをすればいいのにと思います。

>なんだかいつも輪から抜けていたと思います。つまり同調するのが苦しかったのです。
僕は、父の仕事の都合上、2年に1度転校してました。なので故郷もないし、幼馴染もいないし、そういう環境で育ったせいか、人間関係も希薄です。毎回友達を作ったり、その学校の流行に合わせたりするのが苦痛でした。振り返ると孤独な思い出がほとんどです。
別に人が恋しいわけではなく、みんな仲良ししていると、そこから抜け出したい衝撃にかられるんです。みんな一緒がいやなんです。

転校するたびにイジメの危機があります。そこではっきりノーと意思表示すればイジメられることはありませんでした。友人関係も恋愛もいつもストレートな僕は、いつも一人で空回りしている感じです。空気は読めますが、それに従うのが嫌で、逆に壊したくなります。
日本だと、何か本当のことを言うのがタブーな気がしてなりません。それよりも、冗談を言い合ってふざけている方が【安全】です。何か、お互い五分五分ぐらいでしか付き合っていない感じがするのです。
お酒の席だとそれがなくなり、なんでも話すのですが、お酒が入っているので記憶があるのかどうか微妙です。(笑)

あと、このように匿名だと本音が言えちゃいます。それが本心なのに、いざ人の前に立つと心を閉ざして愛想笑い。そういうのって疲れます。自分がぶれているからそうなるのであって、ストレートに生きていれば、ストレスなんてほとんどなく、気持ちいいですよ。^^v

同調についてですが、同調や調和などという一般常識に疑問を持ちます。日本とアメリカの関係はまさにアメリカに合わせている同調だと思います。依存している関係では、本当の調和はありえない。そうでなく、お互いが自律していて、フェアにぶつかり合うからこそ、調和が保たれるのです。なのに、多くの人はぶつかり合うのを避けます。お互い妥協し合い、堕落して、そういう不明朗さ、ずるさ、倦怠さに腹が立ちます。猛烈にぶつかり合い、その中でお互いに平気でふくらんでいけばいいと思うのです。

岡本太郎の言葉で、「大体、みんな個性的であることをおそれる。そのくせ、ちょっとひねって、自分をいささか生かそうとする。だから、萎縮しながらお互いが殺しあってしまうのだ」とあります。

もしよかったら、この本を読んでみてはいかがでしょう?
「自分の中に毒を持て」岡本太郎 青春文庫467円+税
僕はこの本で、人生変わりました。
この本を読むまで、ひっそりと孤独に、自分の個性を守っていたのですが、この本を読んで「僕と同じだ!」と驚きました。書いてあることが僕の心の中を読み取ったかのように、著者の意志と同じだったのです。まるで知己に出会ったような気分でした。その出会いから、僕は個性を守るのでなく、押し出すことを学びました。

まさに!集団や同調について書いてあります。例えば「日本という国では、オリジナリティーを持つことが許されない。」とか、「あまりにも独自であるということは極めてケシカラヌことであり、恥ずべきことのように扱われる。」とか、その理由を歴史の中から、「あえて独自な表現や不協和な主張をして村の安定秩序を乱すやつは村八分にされ…」という具合に、日本の集団について書いてあります。「誰だって、つい周囲の状況に甘えて生きていくほうが楽だから…」とか他にも恋愛についてとか、とにかく凄いですよ!常識にとらわれていたら理解できないので、覚悟して読んでください。(笑)

それではまた!
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こんにちは!


僕もこのような疑問に悩みました。^^

今でも多くの人が個性を潰し、社会に依存していると思いますよ。僕は、個性を潰す社会ではなく、個性の集まりである社会を望みます。

確かに昔に比べて、これほど自由で個性を尊ぶ時代はなかったでしょう。しかし、自由になればなるほど、自律しなければならない。そこには、孤独との闘いがあるし、みんなと一緒の方が楽で安心もできます。現状多くの人が、個性的でありたいと望んでいても、結局、個性を潰す結果になっています。学歴社会もそうだし、メイクやファッションにしてもみんな同じだと思います。ファッションなんて制服と同じでつまらないとジョン・ライドンは言っています。どこにいっても流行。メイクも自分の顔から離れたらきれいだと思っている。サラリーマンなんて、みんな同じ風にしか見えない。個性を失った顔ばかり。全然魅力的じゃない。

日本は、歴史、地理的にそのような状態にあります。日本の歴史は、輸入でなりたっていて、豆腐も洋服も呉服も全部中国や西洋からの輸入品です。日本の古都とされる京都や奈良も、平安時代あたりの、中国からの輸入です。地理的に狭く島国で、長く鎖国をしていたこともあって、今もなお、日本人の意識は世界でなく世間です。常に他人の目を気にしてます。お互いが監視しあっているのです。


人間は、本能的に社会的な存在だと思います。一人暮らしをして、自分のために料理をして、食事をしてみて下さい。何か虚しく感じませんか?その料理を恋人のためや友達のためとなれば楽しく、そしておいしく感じます。
どの仕事にしたって、直接的、間接的に関わらず、必ず人のためにやっています。それが、人間が社会を形成し仕事をする理由だと思います。
なので、個性を重視する社会になっても、社会という形態はなくならないと思います。

人間は、母から産まれ、親なしには生きることもできません。やがて自我が芽生え、一人で遊んでいたのが、友達と遊ぶようになって、社会を意識します。おそらくそこで、自分を知るんだと思います。(他人が存在しなければ自分を認識することができないと思います。)
小学校辺りから社会のルールが明確に存在します。(校則など)そのように集団生活をして、お互いが学び合い、人間関係のあり方や常識を身につけるのだと思います。
そして、思春期。異性を意識するようになって、若者の精神は混沌とします。恋愛を通してそこでまた、他人と出会って自分を確立するように、異性と出会って、そこに自分を発見するのだと実感します。
やがて社会に出て、仕事をして自立していくのですが、そこでまた、強大な社会と個性の自我とのぶつかりがあります。そうやって人間は成長していくのだと思います。
つまり、自分以外の他人と激しくぶつかることによって、個性が成り立つと思います。ですから、山にとじこもり、俗世から離れ、仙人のように孤立して生活することは、孤独では孤立です。自分の狭い世界だけにとじこもり、それが純粋であると錯覚しているのだと思います。僕は逆に、社会に強烈に自分をぶつけていってこそ、自分というものが純粋でありえると思います。

長くなってすみません。書き出すとキリがなくて…。
仕事をするにいたって、我慢しなければならないことがたくさんあります。思ってもいないのに、いらっしゃいませ。謝りたくもないのに、頭を下げたり、尊敬もしてないのに、上司を敬ったり…。そうやって、ストレスをためて自己疎外になっていくのです。誤魔化しあいの社会だと思います。日本は礼儀正しい国と言われますが、心のない礼儀ほど無礼なことはないと思います。その点、海外はさっぱりしていて、コンビニに行っても、店員は携帯で話しながらレジをしたりいたって無愛想です。しかし日本人である僕が、わざと日本語っぽいイントネーションの英語で注文したら爆笑してました。自分に素直だと思います。

「同調について」の解答ですが、
冒頭に書いたように、どちらかといえば、日本は個性を潰す社会*で、海外は個性の集まりの社会だと思います。

本当はもっともっと書きたいのですが、あまりに長いので、また機会があったらよろしくお願いします。


*個性を潰す社会というより、個性を生かさない、認めない社会だと思う。
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この回答へのお礼

お返事どうもありがとうございます≦(._.)≧

>メイクも自分の顔から離れたらきれいだと思っている。

私自身の理解が足りないので、ここの部分をもう少し詳しく教えて頂きたいです。

>日本人の意識は世界でなく世間です。常に他人の目を気にしてます。お互いが監視しあっているのです。

これは私も共感しています。

<小学校辺りから社会のルールが明確に存在します。(校則など)そのように集団生活をして、お互いが学び合い、人間関係のあり方や常識を身につけるのだと思います。そして、思春期。異性を意識するようになって、若者の精神は混沌とします。恋愛を通してそこでまた、他人と出会って自分を確立するように、異性と出会って、そこに自分を発見するのだと実感します。

集団生活に置いて、今考えると
私自身は、学校などで人間関係のあり方を学べませんでした。なんだかいつも輪から抜けていたと思います。つまり同調するのが苦しかったのです。
私事ですみませんでした。

>海外はさっぱりしていて、コンビニに行っても、店員は携帯で話しながらレジをしたりいたって無愛想です。しかし日本人である僕が、わざと日本語っぽいイントネーションの英語で注文したら爆笑してました。自分に素直だと思います。

やはり海外と日本の文化は少し違うみたいなのですね。素直に感情を表に出したり、言葉にしたりする事って素敵な事(表現間違っているかも)なのに日本人はどうしてそういう事がなくなってきているのでしょうね。そうするとストレスが溜まる一方なのに・・。

また、機会があればご意見を伺いたいです。
参考になります。

お礼日時:2004/12/09 06:03

失礼しました。

変換ミス訂正します。
これらが何も社会って→これらが何もない社会って
未来の理想系とし→未来の理想系として
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>外国では集団というものがないのでしょうか



ないわけありません。集団の在り方はさまざまに変化するでしょうが、人がたくさんいれば、絶対に集団はできます。たとえば「家族」「会社」「学校」も集団です。これらが何も社会って、ちょっと想像できませんよね。

>一人、一人の性格が個別化する現代社会、集団というものは消えてしまうのでしょうか

上記の通り、まず消えません。ただ、その在り方が変化するだけです。

哲学ではなく社会学になってしまいますが、たとえば…テンニースという人によると、近代化によって集団のあり方はゲマインシャフト(自然に発生して感情的に繋がった集団)からゲゼルシャフト(契約などで発生した理性的な集団)へと移行してきたとされています。
http://www.mirai-city.org/data/sociology.html

テンニースによると、未来の理想系とし「ゲノッセンシャフト」という集団が挙げられています。個が確立されたからこそ、互いに尊重しあって生活できるような新しい共同体のことです。可能かどうかは別として、一つの目標としてこのような集団を創る努力はやってみても無駄ではないと思います。

この回答への補足

URLの所はまた改めてじっくり読ませて頂きたいと思います。

補足日時:2004/12/09 05:44
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この回答へのお礼

お返事どうもありがとうございます≦(._.)≧

>哲学ではなく社会学になってしまいますが、たとえば…テンニースという人によると、・・・・

よく考えれば社会学でしたね^^;
哲学は難しい所ですね・・。

>個が確立されたからこそ、互いに尊重しあって生活できるような新しい共同体のことです。可能かどうかは別として、一つの目標としてこのような集団を創る努力はやってみても無駄ではないと思います。

暖かいアドバイスありがとうございます。
でも、言葉を返すと、日本人の考え方(特に古い世代の方)は未だ古い考えをお持ちで、個を確立する事に対して拒絶すると思います。その考えが若者との考えの違いで反感を買ったり買われたりする事になると思います(特に女性に関して)。

お礼日時:2004/12/09 05:42

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