プロが教えるわが家の防犯対策術!

ハバーマスの公共性論についてですが、彼の言いたいことが完璧にわかりません。公共圏という個人が自分の意見を他人に主張?もしくは伝えることができ、意見や情報を交換できる社会の場があって私たちはコミュニケーションがうまくできるようになっていると主張しているのでしょうか?読んでいてもわからないので自分なりに想像をふくらましながら自分なりに解釈しました。でもこれは当たり前のことにしか思えないし、誰もが思っていることだと思うのですがどうなんでしょうか?公共性という概念をただ説明しているだけなのでしょうか?奥深く追及するまでもないのか。。。公共性という概念の根本・重要性・論点・問題は何か?それが現代にもたらしていることは?またメディア・コミュニケーション・政治といった分野にどうのようにして関連しているのか公共性に関して具体例・事例があればおしえていただきたいです。質問が多すぎてすいません;;よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

> 公共圏という個人が自分の意見を他人に主張?もしくは伝えることができ、意見や情報を交換できる社会の場があって私たちはコミュニケーションがうまくできるようになっていると主張しているのでしょうか?



うーん、そういうことではありません。

ハバーマス(「ハバーマス」の表記に関してはいろいろあるんですが、わたしは最初に教わった「ハバーマス」を使います)に関しては、中岡成文『現代思想の冒険者たち27 ハーバーマス コミュニケーション行為』がわかりやすくまとまっています。

ここではそれに依拠しながら説明していきます。

---(p.50)---
『公共性の構造転換』は、十八世紀および十九世紀初頭のイギリス・フランス・ドイツで市民的公共圏が、つまり「小さいが、批判的に討議をおこなう公共圏」が形成されたと主張する。ドイツでは「普遍的な読書する公衆」が、フランスでは社交界のサロンが、イギリスでは喫茶店(コーヒー・ハウス)が舞台となって、「印刷物をつうじて文化、情報、娯楽」が伝達され、「多かれ少なかれ討議のかたちで論争がたたかわされる」。そこから、市民的公共性が発達して、政府当局に統制される公共性と対抗する。ところが、政治にかかわる活動的な公衆、「文化を論議する公衆」は、私生活中心主義的な「文化を消費する」公衆に変質し(つまり「構造転換」し)、市民的公共性は崩壊してしまう。
-----

ここで言われている「小さいが、批判的に討議をおこなう公共圏」に、ハバーマスは市民的公共性の理念を見るのです。
なぜそのような「討議」が可能だったのか。
ハバーマスは「文芸的な公共圏」にはこのような基準があったといいます。
第一に「そもそも社会的地位を度外視するような社交様式」「対等性の作法」
第二に「それまで問題なく通用していた領域を問題化すること」要は、公式の解釈に対して、ちがった見方を提示し、それをもとに議論したわけです。
第三に「万人がその討論に参加しうること」従って、現実の特定の共同体とは結びつかないこと。

ここで重要なのは、この市民的公共圏は、単に歴史的な理念であるだけでなく、現実のわたしたちの社会における「理念」でもありうる、ということです。
のちにこれは「理想的発話状況」とも関連していきますので、ここで少し先取りして見ておきます。

現実には自由で理性的な主体が集まって討議する完全に開かれた「市民的公共圏」がどこかにある(あった)わけではありません。けれども、その参加者が、あたかも現実にそこがそうであるかのように振る舞う(演じる)ことは可能です。

そうして討議によって合意を形成していくとします。その合意はあくまで暫定的なものでしかありません。ひとつの合意は、またつぎの合意へと受け継がれていきます。
そうして、その過程では、つねに現実には未だ実現していない状況が「先取り」されています。そうしたプロセスを経て、「理念」である「理想的発話状況」は「現実のもの」となっていくのです。

ハバーマスのいう「公共圏」は、コミュニケーションを可能にする公共的な言論の空間とまとめることができるでしょう。

後半は課題みたいですから、自分で調べてみてください。とりあえず花田達朗の『公共圏という名の社会空間――公共圏、メディア、市民社会』(木鐸社)とか『メディアと公共圏のポリティクス』(東京大学出版会)あたりが参考になると思います。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

回答遅れました。大変わかりやすく説明してもらってありがとうございあます。参考書もあさってみたいと思います。

お礼日時:2008/08/20 23:54

解釈の「手がかり」という形で一言。



日本では、公共と言う言葉はよく(西洋風の研究をしてきた)社会学者・教育学者・文学者たちによって取り沙汰されるようです。(純粋なマルクス主義者でなければ、基本的にはその対案としてのフランクフルト学派に影響を受けた人が多いようです。日本でヘンな主流派を形成) 

極論すると、ホルクハイマー・アドルノとその仲間は、(学ぶ為の)コストが高いばっかりで得るものはありません。

組織論に焦点をすえた背景的説明を試みますと・・・

res publica
西洋には、古典期から公共(res publica)の伝統があり、最近は、共和国/共和制とも訳せるこの単語を「共同体」という意味で解釈する傾向があります。

日本の大学でよく問題とされる内容には、主流派(ドイツに起源を発する政治学的組織論・それに対応して定番の問題提起+模範回答)が形成されています。

また、ハーバーマスの視点の背景には、ハナ・アーレント(Vita Activa: eng. the human condition)の問題提起があります。

ハーバーマスは、最近になってコミュニストからモラリストへの宗旨替え(これまでの自分が間違っていたと認めるニュアンスのある)論文を新聞に発表し、「彼を巡る/学問的ではないセンセーショナルな」議論が絶えません。ハーバーマス的公共論は、破綻しつつあります。アレーントに則って解釈し、種明かしをすると基本的に全ての抜け道は、「主観」・「相対論」・「愛情の重視」。

大まかにまとめると=
「公私の分離」が実際に存在するか/可能か?
「人間社会」が、個人の(主体的/政治的)行動にどのような影響を与えるか?
(アテナイを含む)古典的政治形態の諸条件(かつての民主主義)が、
現代社会の「今」に有効・有用に/時事的に取り込むことができるのか?
等の問題意識です。

組織レベル=コミュニケーションの場 (単なる「公共性」の読み替え)
(Sphaereスフェーレ:と訳されているようです。)

国家間組織 国際世論の形成と戦争

国家 (組織VS組織)
国政と党派の形成

個人 (個人VS個人)
たとえば、裁判と法 
(たとえば、法廷に立つ個人と他者との関係をNo1さんの提示する条件に沿ってシミュレーションしてみてください。)

個々の主張(コミュニケーションによる意見の媒介)と判定・裁量(正当性を伴う決定プロセス)

アテナイのポリス社会・ローマ共和制については、Bleickenや桜井万里子「ソークラテース隣人たち」参照のこと
どんな社会であっても組織には、歴史的に、多かれ少なかれ、下記の3つの側面が交錯しあって成り立っています。

1) 家父長社会の側面 (fide・religio父権VS母権議論 支配と継承) 

前提条件として忠誠と庇護が存在。この二つが崩壊したとき組織が崩壊。

2) 協働社会の側面 (平等論)
res publica 政治参加による平等
前提条件
公:組織的能力(生産性)と分配(政治) 私:個人能力向上と財の生産

3)グループ社会の側面 (国家内国家の問題 組織目的論=プロジェクト中心主義) 

情報化社会における組織のあり方は、究極的に「組織と目的」の問題となるでしょう。

いずれにしても、ハーバーマスの議論は、当時の欧州政治事情に即した発言が多いので「バラエティー性」は、十分あるかもしれませんが、一過性が高く、後世の人が読んでもわからない(肯けない)部分が多いと思います。

ジャン=リュック・ナンシー (Jean-Luc Nancy) を参照すると幸せになれるかも?
彼の視点は、他者及び組織による「個」の形成という視点

http://www.saysibon.com/yoriai_sub/jinbutsuarchi …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答遅れてすいません;回答ありがとうございます。ご説明してもらったのですが、私には少し難しいようで理解できてない部分がありました。もっと勉強します。

お礼日時:2008/08/20 23:57

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qポスト構造主義・ポストモダンとはどういう意味??

ポスト構造主義とかポストモダンという言葉をよく目にするのですが、簡単に言うとどういうことなのでしょうか?又、両者は同義なのでしょうか?

Aベストアンサー

> 簡単に言うとどういうことなのでしょうか?
短く簡単に述べると抽象的になり
簡単かつ具体的に述べると非常に長くなり、と
実は非常に難しいご質問です。
でも、頑張ります。

「ポスト」はラテン語で「後に来る」とか「次の」といった意味です。
「ポストモダン」とは「モダン(モダニズム=近代主義)の次の」という意味で
思想・哲学・建築・文学の分野で使われる用語ですが
ここでは思想・哲学に限定しましょう。

西洋史上、「近代」は概ねルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代
特に市民社会と資本主義を特徴とする時代を指します。
そういう意味では現代も「近代」の延長上にありますが
1900年代後半から近代主義を批判する文化上の運動が活発化し
これ以降の時代を「ポストモダン」と呼びます。

思想・哲学史上における「ポストモダン」の代表的なモノに
1960年代に流行った「構造主義」があり
構造主義の流行が去った後の、構造主義の成果や反省を踏まえた次世代の思想を
「ポスト構造主義」と呼びます。
ちなみに現代は思想史上では「ポスト構造主義」時代にあたります。

このように、ポスト構造主義とかポストモダンというのは
時代区分の一種であって、その流れに属す思想は実はいろいろあります。
それゆえに一言で言うのは難しいのですが
共通する特徴として
●近代の行詰りを克服すべく、近代をいろいろな角度から反省している
●なかでも「形而上学」を反省しようとする態度が大きい
といったことが挙げられると思います。
ちなみに、ポストモダンの条件』を著した哲学者リオタールによれば
「ポストモダンとは大きな物語の終焉」だそうです。
何のことやら、よく分かりません。

形而上学というのは西洋哲学の主流の思想で
古くは古代ギリシャのアリストテレスによって始まり
「我思う故に我あり」で有名なデカルトによって一旦の完成を見た
(と教科書で教えられた筈の)ものです。

さて、以下、大胆に自己流に解釈します。
形而上学とはぶっちゃけ「理性」を武器に「絶対的に正しいものは何か?」を
言葉によって問うて来ました。
その到達点が「我思う、故に我あり」から始まる難解な思想なのですが
19世紀も終わり頃になると、まあ世界大戦勃発だの何だのと暗い世紀末だったので
思想的にも大反省期に入る訳です。
その中でも、大きくメスが入ったのが「言葉」で
ソシュールの「記号論」なんかが有名ですが
簡単に言えば「人間は言葉でしか物事を考えられないが
言葉には限界があり、よって思考にも限界がある」といったことを訴えたのですね。
これは例えば「日本語しかしゃべれない日本人は日本語でしか物事を考えられないので
日本語にない概念については語ることが出来ない」と言えば
何となくお分かり頂けると思います>翻訳できない言葉とかって結構ありますよね。
このように言葉の構造を探ることで言葉の限界を考察したのが記号論ですが
この記号論を発展させて、思考やら文化やらの構造を考察したのが「構造主義」で
メルロ=ポンティなんて人が有名です。

OKWaveにも「○○って、どういうことなのでしょうか?」といった質問が沢山寄せられますが
このように「ひとつの正解に還元できる」という考え方は実は非常に形而上学的な発想で
構造主義的に答えると「ひとそれぞれ、いろいろな考え方があります」
みたいな発想から入り、それぞれの偏見みたいなことを考えていきます。
なので、ときに「相対主義」だと批判されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

> 簡単に言うとどういうことなのでしょうか?
短く簡単に述べると抽象的になり
簡単かつ具体的に述べると非常に長くなり、と
実は非常に難しいご質問です。
でも、頑張ります。

「ポスト」はラテン語で「後に来る」とか「次の」といった意味です。
「ポストモダン」とは「モダン(モダニズム=近代主義)の次の」という意味で
思想・哲学・建築・文学の分野で使われる用語ですが
ここでは思想・哲学に限定しましょう。

西洋史上、「近代」は概ねルネサンス、大航海、宗教改革以降の時代
特に市民社会...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「ご連絡いたします」は敬語として正しい?

連絡するのは、自分なのだから、「ご」を付けるのは
おかしいのではないか、と思うのですが。
「ご連絡いたします。」「ご報告します。」
ていうのは正しい敬語なのでしょうか?

Aベストアンサー

「お(ご)~する(いたす)」は、自分側の動作をへりくだる謙譲語です。
「ご連絡致します」も「ご報告致します」も、正しいです。

文法上は参考URLをご覧ください。

参考URL:http://www.nihongokyoshi.co.jp/manbou_data/a5524170.html

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q社会学的なものの考え方ってなんですか?

社会学的にものを見たり考えたりするとは具体的にはどういうことなんですか?
普通のものの考え方とはどこが違うのですか?
社会学的なものの考え方について教えてください。お願いします!

Aベストアンサー

社会学的にものを見るとは、
(1)あらゆるものの中に「社会性」を見いだすということである。
(2)では、社会性の「社会」とは何か、というと、「個人と個人、集団と個人、個人と集団との関係」ということであると一応定義しよう。
(3)「社会性」とは(2)の「関係性」と言い換えることができる。
(4)蛇足的に付け加えれば、人間が関係するもの、あらゆるものの中に社会性を見いだすことができる。これを社会学的にものを見るということである。

例えば、夫婦喧嘩を例にしてみよう。

(1)夫婦は「夫」という役割、「妻」という社会的役割をになっている。
(2)具体的に原因が夫の「浮気」であるとするならば、「浮気」が社会的になぜいけないのか、「浮気」が社会的にどいういう意味を持つのか、ということを、まず考えることが必要である。すると、妻は「浮気」が「社会的に許されていない」「一夫一婦制」という社会的規範に従い、そのような社会的価値観を有しているということが分かる。このように社会学的に物事を見ると、「浮気は許せない」という個人的「感情」の前に、つまり「妻」個人を見るのではなく、「妻」という社会的規範(価値観)を身につけた「妻」の社会的役割をも見るということになる。これが社会学的にものをみるというときの一例である。

つまり、社会学的ものの見方とは、個人的に見えることをも「社会的な流れの中」から見るというものの切り口のことを言う。おわかりいただけたでしょうか?

ちなみに、質問者の方は社会学を学ぶ学生さんでしょうか?それとも、良く言われるような、「○○○の社会学」などという時に「社会学」ってなんだろう?と思われたのでしょうか?教えて下さると私も勉強になります。よろしく。

社会学的にものを見るとは、
(1)あらゆるものの中に「社会性」を見いだすということである。
(2)では、社会性の「社会」とは何か、というと、「個人と個人、集団と個人、個人と集団との関係」ということであると一応定義しよう。
(3)「社会性」とは(2)の「関係性」と言い換えることができる。
(4)蛇足的に付け加えれば、人間が関係するもの、あらゆるものの中に社会性を見いだすことができる。これを社会学的にものを見るということである。

例えば、夫婦喧嘩を例にしてみよう。

(1)夫婦は「夫」という...続きを読む

Qわざと単位を残して大学を留年した場合・・・

今大学4年生なんですが、必修科目をあと一つだけ残っています。卒論ももう書いたのですが、趣味のほうで真剣にしたいことがあり、わざと1科目のみを残して留年しようと考えているのですが、1科目だけ残した場合でも学費は年100万ぐらい払う必要があるのでしょうか??

Aベストアンサー

残してある単位は、通年ですか、それとも半期ですか。

 例えば、後期だけの科目なら、前期は休学すれば学費は安くなるはずです。これは、大学によって扱いがちがいますが。本学では、休学は在籍料と考えて大幅に下げました。
 ただ、授業料は、1科目でも100科目でも同じです。どこかの大学では、1科目いくら、という噂を聞いたこともありますが。

 やりたいことがハッキリしていれば、好意的に扱います。4年生なら指導教員がいるはずなので、ご相談されてはいがですか。

Q国家公務員と地方公務員の違い(転勤の有無と給料の違い)

国家公務員と地方公務員ってどう違うのかわかりません。
国家公務員は省庁の本部が東京にあるから東京に転勤になる事が多いのですか?

地方公務員はその地方に配属されてるから転勤にはならないのでしょうか?

それから、給料はどちらが多いのですか?

ちなみに30代前半の男性(国家公務員)の方で年収900万ある方っていらっしゃるのですか?

Aベストアンサー

 簡単に言えば、国家公務員は国の機関の職員です。国会議員をはじめとして、各省庁(本省)やその出先機関の職員ということです。一方、地方公務員は地方自治体の機関に所属する職員です。市役所や市立図書館、消防署員などが該当します。

 転勤については、地方公務員は文字通り、その地方自治体の職員ですから、その自治体以外への地域へ転勤することはまずないでしょう。あったとしても短期間(長くて半年くらい?)研修を行う程度だと思います。

 それに対して、国家公務員は国の職員ですから、守備範囲は全国区となるので、各地方へ転勤する事も少なくありません。特に昇格(係長次席から係長、係長から課長補佐など)する前に、一旦約2年間地方の出先機関へ転勤し、戻ってくると1つ上の役職に昇格するというパターンが多くなっているようです。

 給料については、一般的には地方公務員の方が国家公務員に対してやや多い傾向にあると思いますが、省庁や配属先にもよるでしょう。

>30代前半の男性(国家公務員)の方で年収900万ある方っていらっしゃるのですか

 私は、約10年前(30代半ば)で家の事情により国家公務員を辞めましたが、その時の年収は税込みで約750万円でした。
 キャリア組や技術のある技官ならば、900万円ある人も多くはないでしょうが、いると思いますよ。

 余計なお世話かもしれませんが、お見合いということなら、地方公務員の方をおすすめします。
 理由は、国家公務員は、結構帰りが遅くなることが多いからです。これも人に(というより配属先)によりますが、国会開催中などは、待機が命ぜられることや、予算審議の時期になると、毎日終電で帰ることも珍しくありません。
 家庭を大事にし、子供とのふれあい等を重視するなら、国家公務員より地方公務員の方がいいと思います。

 ただし、重複しますが公務員といえども、地方も国家も定時に出勤・退勤できるところは少ないですし、世間で思われてるほど楽な仕事では無いということは事実です。

 簡単に言えば、国家公務員は国の機関の職員です。国会議員をはじめとして、各省庁(本省)やその出先機関の職員ということです。一方、地方公務員は地方自治体の機関に所属する職員です。市役所や市立図書館、消防署員などが該当します。

 転勤については、地方公務員は文字通り、その地方自治体の職員ですから、その自治体以外への地域へ転勤することはまずないでしょう。あったとしても短期間(長くて半年くらい?)研修を行う程度だと思います。

 それに対して、国家公務員は国の職員ですから、守備...続きを読む

Q通学定期の経路変更はどういうとき可能ですか?

今年から大学に通うのですが、最寄り駅から大学駅までいくつか経路があります。そのうちの2つまで絞ったのですが、どちらがいいのかわかりません。片方は時間がかかるのですが安い、片方は早いですが高いです。どちらも経路としては可能ということです。

そこで質問ですが、経済的理由などで年度途中に安いほうの経路に変更は可能でしょうか?

Aベストアンサー

通学定期券は自宅最寄り駅相当から学校最寄り駅相当まで「合理的な経路」に限って発売されます。(最短に限りません。)
距離的最短・時間的最短・料金最安・乗り継ぎ等の利便性などで判断されることが多いようです。

学校に許可を取る必要は爪の先もありませんよ。「通学証明」さえあれば通学定期券は買えますので、学校で「通学証明」を発行してもらえば、あとは希望の経路の定期券を(もちろん発売条件に適合していれば)買うことが出来ます。

私は鉄道会社に正社員として勤めたことがありませんから一般人として回答しています。

Q好気呼吸と嫌気呼吸の違い

好気呼吸と嫌気呼吸の違いってどんなものなのでしょうか?また「発酵」反応の種類ってどんなものがあるんでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

好気呼吸とは我々が行う呼吸の事で、
有機物(グルコース:ブドウ糖とか)を酸素を使って分解しエネルギーを取り出します。
好気呼吸の特徴は有機物を水と二酸化炭素まで完全に分解できることで、
有機物1g当たりで得られるエネルギーが大きいです。

嫌気呼吸とは酸素を使わず有機物を分解する代謝で、
有機物を完全に分解することは出来ません。
従ってエネルギーの効率が悪く老廃物として有機物が残ります。

発酵とは微生物(細菌orカビ)の行う呼吸のことで、ほぼ「腐敗」と同義語です。
一般的には人間の役に立つ微生物の呼吸を発酵、
人間の役に立たない微生物の呼吸を腐敗と呼びます。

発酵は一般的に人間の役に立つ物質を生産しますから、
生産する物質の名前を取って、アルコール発酵などと呼ばれます。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング