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ハバーマスの公共性論についてですが、彼の言いたいことが完璧にわかりません。公共圏という個人が自分の意見を他人に主張?もしくは伝えることができ、意見や情報を交換できる社会の場があって私たちはコミュニケーションがうまくできるようになっていると主張しているのでしょうか?読んでいてもわからないので自分なりに想像をふくらましながら自分なりに解釈しました。でもこれは当たり前のことにしか思えないし、誰もが思っていることだと思うのですがどうなんでしょうか?公共性という概念をただ説明しているだけなのでしょうか?奥深く追及するまでもないのか。。。公共性という概念の根本・重要性・論点・問題は何か?それが現代にもたらしていることは?またメディア・コミュニケーション・政治といった分野にどうのようにして関連しているのか公共性に関して具体例・事例があればおしえていただきたいです。質問が多すぎてすいません;;よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

> 公共圏という個人が自分の意見を他人に主張?もしくは伝えることができ、意見や情報を交換できる社会の場があって私たちはコミュニケーションがうまくできるようになっていると主張しているのでしょうか?



うーん、そういうことではありません。

ハバーマス(「ハバーマス」の表記に関してはいろいろあるんですが、わたしは最初に教わった「ハバーマス」を使います)に関しては、中岡成文『現代思想の冒険者たち27 ハーバーマス コミュニケーション行為』がわかりやすくまとまっています。

ここではそれに依拠しながら説明していきます。

---(p.50)---
『公共性の構造転換』は、十八世紀および十九世紀初頭のイギリス・フランス・ドイツで市民的公共圏が、つまり「小さいが、批判的に討議をおこなう公共圏」が形成されたと主張する。ドイツでは「普遍的な読書する公衆」が、フランスでは社交界のサロンが、イギリスでは喫茶店(コーヒー・ハウス)が舞台となって、「印刷物をつうじて文化、情報、娯楽」が伝達され、「多かれ少なかれ討議のかたちで論争がたたかわされる」。そこから、市民的公共性が発達して、政府当局に統制される公共性と対抗する。ところが、政治にかかわる活動的な公衆、「文化を論議する公衆」は、私生活中心主義的な「文化を消費する」公衆に変質し(つまり「構造転換」し)、市民的公共性は崩壊してしまう。
-----

ここで言われている「小さいが、批判的に討議をおこなう公共圏」に、ハバーマスは市民的公共性の理念を見るのです。
なぜそのような「討議」が可能だったのか。
ハバーマスは「文芸的な公共圏」にはこのような基準があったといいます。
第一に「そもそも社会的地位を度外視するような社交様式」「対等性の作法」
第二に「それまで問題なく通用していた領域を問題化すること」要は、公式の解釈に対して、ちがった見方を提示し、それをもとに議論したわけです。
第三に「万人がその討論に参加しうること」従って、現実の特定の共同体とは結びつかないこと。

ここで重要なのは、この市民的公共圏は、単に歴史的な理念であるだけでなく、現実のわたしたちの社会における「理念」でもありうる、ということです。
のちにこれは「理想的発話状況」とも関連していきますので、ここで少し先取りして見ておきます。

現実には自由で理性的な主体が集まって討議する完全に開かれた「市民的公共圏」がどこかにある(あった)わけではありません。けれども、その参加者が、あたかも現実にそこがそうであるかのように振る舞う(演じる)ことは可能です。

そうして討議によって合意を形成していくとします。その合意はあくまで暫定的なものでしかありません。ひとつの合意は、またつぎの合意へと受け継がれていきます。
そうして、その過程では、つねに現実には未だ実現していない状況が「先取り」されています。そうしたプロセスを経て、「理念」である「理想的発話状況」は「現実のもの」となっていくのです。

ハバーマスのいう「公共圏」は、コミュニケーションを可能にする公共的な言論の空間とまとめることができるでしょう。

後半は課題みたいですから、自分で調べてみてください。とりあえず花田達朗の『公共圏という名の社会空間――公共圏、メディア、市民社会』(木鐸社)とか『メディアと公共圏のポリティクス』(東京大学出版会)あたりが参考になると思います。
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この回答へのお礼

回答遅れました。大変わかりやすく説明してもらってありがとうございあます。参考書もあさってみたいと思います。

お礼日時:2008/08/20 23:54

解釈の「手がかり」という形で一言。



日本では、公共と言う言葉はよく(西洋風の研究をしてきた)社会学者・教育学者・文学者たちによって取り沙汰されるようです。(純粋なマルクス主義者でなければ、基本的にはその対案としてのフランクフルト学派に影響を受けた人が多いようです。日本でヘンな主流派を形成) 

極論すると、ホルクハイマー・アドルノとその仲間は、(学ぶ為の)コストが高いばっかりで得るものはありません。

組織論に焦点をすえた背景的説明を試みますと・・・

res publica
西洋には、古典期から公共(res publica)の伝統があり、最近は、共和国/共和制とも訳せるこの単語を「共同体」という意味で解釈する傾向があります。

日本の大学でよく問題とされる内容には、主流派(ドイツに起源を発する政治学的組織論・それに対応して定番の問題提起+模範回答)が形成されています。

また、ハーバーマスの視点の背景には、ハナ・アーレント(Vita Activa: eng. the human condition)の問題提起があります。

ハーバーマスは、最近になってコミュニストからモラリストへの宗旨替え(これまでの自分が間違っていたと認めるニュアンスのある)論文を新聞に発表し、「彼を巡る/学問的ではないセンセーショナルな」議論が絶えません。ハーバーマス的公共論は、破綻しつつあります。アレーントに則って解釈し、種明かしをすると基本的に全ての抜け道は、「主観」・「相対論」・「愛情の重視」。

大まかにまとめると=
「公私の分離」が実際に存在するか/可能か?
「人間社会」が、個人の(主体的/政治的)行動にどのような影響を与えるか?
(アテナイを含む)古典的政治形態の諸条件(かつての民主主義)が、
現代社会の「今」に有効・有用に/時事的に取り込むことができるのか?
等の問題意識です。

組織レベル=コミュニケーションの場 (単なる「公共性」の読み替え)
(Sphaereスフェーレ:と訳されているようです。)

国家間組織 国際世論の形成と戦争

国家 (組織VS組織)
国政と党派の形成

個人 (個人VS個人)
たとえば、裁判と法 
(たとえば、法廷に立つ個人と他者との関係をNo1さんの提示する条件に沿ってシミュレーションしてみてください。)

個々の主張(コミュニケーションによる意見の媒介)と判定・裁量(正当性を伴う決定プロセス)

アテナイのポリス社会・ローマ共和制については、Bleickenや桜井万里子「ソークラテース隣人たち」参照のこと
どんな社会であっても組織には、歴史的に、多かれ少なかれ、下記の3つの側面が交錯しあって成り立っています。

1) 家父長社会の側面 (fide・religio父権VS母権議論 支配と継承) 

前提条件として忠誠と庇護が存在。この二つが崩壊したとき組織が崩壊。

2) 協働社会の側面 (平等論)
res publica 政治参加による平等
前提条件
公:組織的能力(生産性)と分配(政治) 私:個人能力向上と財の生産

3)グループ社会の側面 (国家内国家の問題 組織目的論=プロジェクト中心主義) 

情報化社会における組織のあり方は、究極的に「組織と目的」の問題となるでしょう。

いずれにしても、ハーバーマスの議論は、当時の欧州政治事情に即した発言が多いので「バラエティー性」は、十分あるかもしれませんが、一過性が高く、後世の人が読んでもわからない(肯けない)部分が多いと思います。

ジャン=リュック・ナンシー (Jean-Luc Nancy) を参照すると幸せになれるかも?
彼の視点は、他者及び組織による「個」の形成という視点

http://www.saysibon.com/yoriai_sub/jinbutsuarchi …
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この回答へのお礼

回答遅れてすいません;回答ありがとうございます。ご説明してもらったのですが、私には少し難しいようで理解できてない部分がありました。もっと勉強します。

お礼日時:2008/08/20 23:57

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