電子書籍の厳選無料作品が豊富!

どこのカテゴリーでこの質問しようか迷ったのですが、結局のところ哲学かなと思いましたので質問をここでさせて頂きたいと思います。

コミュニティについてなんですが、この教えて!gooはヴァーチャルコミュニティと呼ぶ事ができるでしょうか?このサイトはいろいろと制約があり、また質問以外の投稿は禁止されていますし、自分自身をなかなか表現できない場になっていると思います。ゴールドフィールドという人だったと思いますが、彼は幾つかのコミュニティについての定義を提起しています。コミュニティとは感情やsocail cultural values のシェアだとしているんですが、これはこのサイトには当てはまらないような気がしますが... そこでこの疑問が生まれたのです。また社会とコミュニティの違いとはなんでしょうか? 社会という母体にコミュニティが散在するんでしょうか?

A 回答 (3件)

 最近有名なジェラード・デランティのコミュニティを読むと良いでしょう。



 ある程度理解をお持ちだと思いますが、コミュニティの理論はきわめて歴史的なものです。もともとは前近代から近代への社会集団の歴史的変容を説明するために用いられていました。マッキヴァーはコミュニティとアソシエーションという2つの概念を用いました。コミュニティが前近代的な集団(血縁的あるいは地縁的な集団)、アソシエーション(目的指向の集団)です。強引にいえば、前者が縄文時代の社会集団、後者が今の会社といったところでしょう。

 もちろん今日ではコミュニティの概念は拡張されています。ヴァーチャルコミュニティもその1つです。

 社会societyは、本来は前近代的なコミュニティ観とは根本的に対立した概念としてあらわれます。社会は「親しみのない無意味な世界」と考えられ、コミュニティは「自然な生活態度(ハビトゥス)」を意味しました。ようするに社会は近代的産物だというわけです。

 ただもちろんこの古典的な社会学的発想にはいくらか問題がありました。1つは前近代から近代への連続性の問題があります。古典的社会学者たちは潜在的には気づいていたとも言われますが、結局近代とは何なのかということについてあまり明確な答えが出せませんでした。したがって、このモダニティ論が20世紀後半の社会学を席巻したわけです。ウルリッヒ・ベックや、アンソニーギデンズはこの巨大な問題に取り組みました。

 もちろん現代的な意味では、社会もコミュニティも実質的には用法も意味もほとんど同じです。概念的には少々違いもでるでしょうが。

 gooは完全なヴァーチャルコミュニティですよ。ゴールドフィールドという人物はしりませんが、ここでは感情や社会文化的価値のシェアがあるといえます。カテゴリーによりますが、きわめて感情的なものも、社会的文化的なものも「コミュニケーション」交換というかたちのみでなされています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼遅れてすみません。ジェラード・デランティは是非読まさせていただきます。コミュニティの定義をマッキヴァーのアソシエーション(目的指向の集団)に当てはめ、この場を目的指向集団、つまり質問者の目的と回答者の目的という目線でみれば、そうですね確かにここはコミュニティと言えるんでしょうね。私はよく英語のカテで質問したり回答したり他の人達の回答質問を読んだりしていますが、よく目につくのが”あなたの質問には回答できません”というフレーズです。これは質問者が度力を怠ったり(英訳、翻訳の丸投げ等)した時に良くある光景なのでが。。。これはカテによってコミュニケーションが違ってるからなんですかね。

社会は「親しみのない無意味な世界」ですか。学校では社会は”場”だとレクチャーが言ってましたが、これが全くしっくり来ないんですよね。社会は確かに目にみる事はできない透明な存在ですし、やっぱり”無意味な世界”なんですかね。ウルリッヒ・ベック、アンソニーギデンズは社会学者ですか?回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/26 04:31

コミュニティーという概念の定義は、米国の社会学者R.Mマッキーパーが学問的に使用して以後、様々な研究者が様々な定義づけを行ってきました。


で、今も盛んに再定義されている言葉ですね。

手元の電子辞書所蔵のブリタニカによると、「地域社会という生活の場において共通の目的意識や帰属意識、共通利害などで結びついた集団体系の一つ」と(強引にという但し書き付きで)定義付けていますね。
日本では、地方の活性化や過疎化に歯止めをかけるためにコミュニティーに期待してるようです。
http://www.soumu.go.jp/singi/pdf/No27_senmon27_0 …
(総務省ホームページ内の関連PDFファイルです)

>社会という母体にコミュニティが散在するんでしょうか?

上記のファイルを読み解くと、答えは「はい」となりますね。
そして、個人は一生に必ずなんらかのコミュニティーに参加する(させられる)ことになります。
複数のコミュニティーに参加しながら、社会生活を営むと言うことになるでしょうか。
コミュニティーは大小様々であり、また必ずしも明確に組織化されているとは限りません。
近所付き合いや、友達の仲良しグループなんかも立派なコミュニティーといえるかもしれません。(もっとも、明確な定義が無い以上、思想的・学問的立場では否定する人もいるでしょうが)

少々強引に定義するなら、社会は大きく漠然とした概念であるのに対し、コミュニティーは小さなコミュニケーション集団と言えるかもしれません。

ネット世界においては、「不特定人数の参加者と自由に会話を楽しみ、交流し、情報交換のできるウェブサイト(#1さんの参照URL先のWikiより)」という事なので、教えてgooやOKWaveは立派なコミュニティー・サイトでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありませんでした。コミュニティには明確な定義がないですか。確かにコミュニティとは#2さんが言うように目的(アソシエーション)、そこでコミュを一種のグループと考え、情報の交換、新しい言葉を生み出したりもす”場”だとすればやはり目的もグループの数だけ存在し定義するのは難しいのかもしれませんね。やはり教えてgooは立派なコミュといえるんですかね。これからここでの意見を参考にし、もう少し勉強して自分なりの定義を見つけたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/27 13:19

コミュニティの定義は人それぞれ色々な認識の違いがあると思いますが、


私はどんな制約があっても関係なく、コミュニケーションが取れ、個人個人が関わり合っていればそれはコミュニティだと思っています。

逆にあなたの定義はどういったものか、
果たしてその理想のヴァーチャルコミュニティは実在するのか、(制約・禁止事項はどんなコミュニティにも多少はあると思う)
探してみると面白いかもしれませんね

一般的には↓のようです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありません。私のコミュニティの定義は、そうですね表現の自由というかシェアというか、お互いの関係がオンラインとはいえ身近かに感じる事ですかね。このコミュニティではお互いに同じ共通の言語を使い、またその言葉遣いから親しみを感じる事確かにあります。んー難しいな。またコミュニティの中ににおいて制約は必要不可欠ではあります。ただ一方で表現が制約され自己制御を強いられたり、関係を深めるには難しいようなきがします。まぁ当然と言えば当然ですけどここは質問/回答を目的にしていますからね。 回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/26 04:13

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!