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日本は農村社会だった頃、助け合いの文化(地縁)がありました。そうしないと食べていけなかったからです。ところが高度経済成長期に台頭した「企業」が、日本の産業構造を変えて地縁のコミュニティを破壊しました。
今現在、日本ではあまり地縁を感じることができません。日々がなんとなく「もやもや」しています。
みなさんは、豊かさと引き換えに失ったものとは何だと思いますか?

A 回答 (5件)

企業で働いていても、定時5時に帰れば、地域の会合に寄ってちょっと活動してから


夕食を食べるなんて生活スタイルも可能だと思います。
問題なのは高度成長期に平日はサービス残業で終電帰宅、
休日は家でグッタリな労働環境が当たり前になってしまったことですね。
これでは地縁は生まれませんよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
そうか、夜遅くまで働いているという日本のサラリーマンの特異点を無視していました。

お礼日時:2012/12/21 16:31

日本文化の根底をなす(ジャポニカ米)稲作農耕文化は、


その労働集約的(しかも季節に合わせて協調した)作業
において、地域コミュニティによる労働慣習が発達した。

近代の工業化において会社員となり、地域コミュニティと
職場は分離し、職住近接は断たれて生活の基盤と地域は
無関係になって地域コミュニティは希薄化し、また大都市
への人口集中において核家族化して、家庭教育は劣化し、
地域コミュニティも希薄化した。

そこにおいて、地域コミュニティや大家族制の家庭教育に
よりなされていた、世代間の文化的伝承(意識の社会性)
は崩壊し、学校教育に全てを託すようになった。
ところが、学校教育の方は受験戦争によって詰め込み
教育に堕して、「意識の社会性」どころか点取り競争の
自己チュー化を促進したのだ。

一方で工業化に付随した貨幣制の浸透により、本来助け
合うために集まっている社会(分業=助け合い)において、
その“馬車馬の目の前のニンジン”で他律的に社会行動を
とらされるようになった(社会生命として生きる事(根源的
充足)そのものである労働が、お金をもらうためにイヤイヤ
働くものになった)。
助け合う喜びと安心に満ちるべき社会が、目先のお金を
奪い合う弱肉強食の擬似ジャングルになってしまったのだ。
実際には、結果的に助け合っていながら(無意識=非充足)。
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高度経済成長は政府が打ち出した政策であり、企業や国民が一体化して目指した方向です。


産業構造の変化は、企業だけが望んで作ったものではないと思います。

物の豊かさを国民が享受することを目指した訳ですが
物が豊かだと生きていけるから地縁が破壊されると言うのは極端ではないでしょうか。


「物を多く所持することや消費すること=幸せ」と人々は勘違いをし
物を追ってしまったのが、今の日本の形だと思います。

物の豊かさとは、物があること(見る・使うなどにより)で
人の心がより豊かになるのが本質ではないでしょうか。

その物を享受する本質を見失ったまま走り続けると
人間が本来本質として持っている「人との繋がりが無いと生きていけない」を満たせず
物はあふれているのに幸せじゃない状態になってしまいます。


助け合いの文化は、元々が分かち合いの文化です。
地縁コミュニティは、生きていくことの楽しさや嬉しさを人の繋がりの中で
分かち合う精神があれば、今でも自らがかかわりを持ってやって行けると思います。

問題が生じた場合、すべてにおいて他責で悪者探しをするのではなく
自ら動き創り上げる精神的成熟が求められているのが、今の日本の実情ではないでしょうか。


物質的な豊かさと引き換えに失ったものは、本当に大切なものを見分ける眼でしょうか。
それとも大切なものを大切にする心でしょうか。
それとも自分自身でしょうか。多くありそうですべてを想像できないです。

物欲を主として生きると、現在進行形で大切なものを失い続けるし
それに気がつくには、何らかの状況で物をすべてを失った時でしょうね。

精神的成長や成熟は、人類としての命題だと思いますから
目の前にある状況を、個々が乗り越えていくだけかと思います。
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>「企業」が、日本の産業構造を変えて地縁のコミュニティを破壊しました。



企業が破壊したという認識は他責であって、自分の住む地域に対する責任感が欠如していますね。
あるいは、当事者では無くて、評論家の視点でしょうか。

いまでも、農村は農村社会ですよ。
そして、農村社会を牛耳っているのは農協です。
これも、あたなの言うところの「企業」でしょうか。

世界的な大企業で働いている人でも、地域で集まって、盆踊りをしたり、子供の自然観察会をしたり、地縁を大切にしていますよ。

昔の地縁と異なるのは、就職先を決めるとか、嫁ぎ先を決めるとか、人生の重大事では地縁に依存することなく、自由に選択できて、そのうえで盆踊りや餅つきや写生会などの交流では地縁を活用するようになったことでしょう。
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「企業」とは。



それは、やっぱり、「人のため」
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