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・・・自助でもない、他力でもない。


それは、なんですか?

A 回答 (5件)

 こんにちは。




 自助が 基軸です。
 誤解をおそれずに言えば 利己がひとつの推進力になります。
 じっさいに ボランティアとて 利己のためもしくは自己によいことと思って それをおこなっています。

 利己志向がなければ 生活は・そしてその社会的な共同は 成り立ちません。
 〔と たとえば アフリカの生活困難者にはきちんとつたえるべきです〕。

 〔あるいはまた 利己主義の行動と利他主義の行動とが社会にはあって 両方とも必要だなどという議論ではありません。利己志向をひとはのがれることはできません。利他は 自分の存在や人生にとって利他をおこなうことがよいと考えた結果そう意志しおこなう自己の実存行為です。実存には 自己のためになるという意味での利己は 避けられません。自死行為でさえ あやまってですが 利己だと思っておこなうものでしょう〕。

 隣人を その利己志向のわれが自分自身を思いやるのと同じように思いやること これが 自助の精神とその実践からは生まれて来るのではないでしょうか。
 そのような者たちを天もがたすけましょう。


 待ったなしの助け合いも むろん ありますが。
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この回答へのお礼

bragelonne様、ご回答ありがとうございます。


>「自助が 基軸です。
 誤解をおそれずに言えば 利己がひとつの推進力になります。
 じっさいに ボランティアとて 利己のためもしくは自己によいことと思って それをおこなっています。」

ま、そうですね。「余力」ですよね。


>「隣人を その利己志向のわれが自分自身を思いやるのと同じように思いやること これが 自助の精神とその実践からは生まれて来るのではないでしょうか。
 そのような者たちを天もがたすけましょう」

あー、それはですね。また次元が違うと思います。
ですが、仰ることは、判るように思います。

「利他」が、実は「利己」であること・・・この理(コトワリ)は、
あるレベル以上でなければ、チンプンカンプンでしょうね


>「待ったなしの助け合いも むろん ありますが。」

いやはや。

お礼日時:2014/03/01 23:58

>優劣や上下は無い、にしても、もう少し、「遊び」があっても、いいのでは・・・(というのは、どうしても「上下」を意識、するからか)



私のp雪兄貴は、きっと「あなたが少し誤解している」と思うことでしょう。その理由は、日本語のある漢字を分解して、解釈すれば、説明がつくと思う。その漢字は「競争」で、そこから見える真実とは【我々人間は、互いに能力の熟練度(スキル)を競いこそすれ(=会社での取引や生産、あるいは、スポーツなども含め、スキルは大いに競いあうべきだ、というポジティブな意味)、争う必要は無い(富の奪い合い的な、ビジネス・出世競争、そして戦争も含み、他者を憎んで喧嘩する必要は無い、というネガティブイメージの否定を意味する)】という事です。

仕事の現場で、仕事をうまく回すには、AさんとBさんで、どちらに任せるべきか? というとき、雪兄貴さえ、当然比較しますよ、まるで、青果店で、どちらのバナナがよりおいしいか?と比べるのと同じように。

つまり、そうした第三者的視点では、比較対象は、ごく自然な行為であり、否定のしようが無い。しかしながら、彼の言う文面には、重要ポイントがある。それは【己と他者を比較したり、して優劣を想像する必要は全く無い。決してすべきではない】という点で、言い換えれば【他者に勝とう!などと思うから、負けが生まれてヘコむのであって、最初から他人に勝とう!などと思わなければ、それは既に勝っている事を意味する」のです。だから、自他的視点では(第三者的視点と異なり)、敗者という概念を完全に否定する方が、平和的で、とても自然な感じがするでしょう?

社会生命として貿易などで既に一体化した現代の人類は、現状が自他の損得勘定に終始しているが、本来の理想は上記のような【日本語で「競争」という言葉があるが、そこから見える真実とは、競いこそすれ、争う必要は無い】というシンプルな思想である。

命がけの、F1レースドライバーや、ボクサーならば、闘士を燃やす事が生命力の強さ比べであり【=スキル比べ】であり、決して争っている訳じゃない事を知っているはずだ。戦士には上下とか優劣とか考えている暇は無い。私もあなたも、ただただ純粋にスキルの闘いを互いにやれば、闘争本能さえ上手く発露できるし、良い事なのだ。ここまで説明すれば、My dear big brother である、p兄貴の意図が読めるだろうか・・・。^^/



https://www.youtube.com/watch?v=FzTGEwn0Onw
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この回答へのお礼

OtamaFJWR様、ご回答ありがとうございます。


>「その漢字は「競争」で、そこから見える真実とは【我々人間は、互いに能力の熟練度(スキル)を競いこそすれ(=会社での取引や生産、あるいは、スポーツなども含め、スキルは大いに競いあうべきだ、というポジティブな意味)、争う必要は無い(富の奪い合い的な、ビジネス・出世競争、そして戦争も含み、他者を憎んで喧嘩する必要は無い、というネガティブイメージの否定を意味する)】という事です。」

「競う」はアリでも、「争う」はナシでね、
ま、「近代民法では、自力救済は禁止されている」くらいに、しましょうか。


>「仕事の現場で、仕事をうまく回すには、AさんとBさんで、どちらに任せるべきか? というとき、雪兄貴さえ、当然比較しますよ、まるで、青果店で、どちらのバナナがよりおいしいか?と比べるのと同じように。

つまり、そうした第三者的視点では、比較対象は、ごく自然な行為であり、否定のしようが無い。しかしながら、彼の言う文面には、重要ポイントがある。それは【己と他者を比較したり、して優劣を想像する必要は全く無い。決してすべきではない】という点で、言い換えれば【他者に勝とう!などと思うから、負けが生まれてヘコむのであって、最初から他人に勝とう!などと思わなければ、それは既に勝っている事を意味する」のです。だから、自他的視点では(第三者的視点と異なり)、敗者という概念を完全に否定する方が、平和的で、とても自然な感じがするでしょう?」

いや、psytex様のご回答から、そこまでを読み取ることは、私では無理なのかもしれませんが、


「「優劣」とは「勝ち負け」の問題ではない」
そして「敗者という概念を完全に否定する」のが、『自然』ですか
・・・判りませんね。



>「社会生命として貿易などで既に一体化した現代の人類は、現状が自他の損得勘定に終始しているが、本来の理想は上記のような【日本語で「競争」という言葉があるが、そこから見える真実とは、競いこそすれ、争う必要は無い】というシンプルな思想である。」

「「競いこそすれ、争う必要は無い」というシンプルな思想」
TPPですか


>「命がけの、F1レースドライバーや、ボクサーならば、闘士を燃やす事が生命力の強さ比べであり【=スキル比べ】であり、決して争っている訳じゃない事を知っているはずだ。戦士には上下とか優劣とか考えている暇は無い。私もあなたも、ただただ純粋にスキルの闘いを互いにやれば、闘争本能さえ上手く発露できるし、良い事なのだ。ここまで説明すれば、My dear big brother である、p兄貴の意図が読めるだろうか・・・。^^/」

ほほう。
>「戦士には上下とか優劣とか考えている暇は無い。私もあなたも、ただただ純粋にスキルの闘いを互いにやれば、闘争本能さえ上手く発露できるし、良い事なのだ。」
・・・これは、「人権侵害(的発想)」じゃないですかね。
仰るところからは、ローマの「闘技場」しか連想出来ませんでした。
そして、それがpsytexさんの意図、ですか。

お礼日時:2014/03/06 22:48

体を構成する細胞も、かつては個々の細胞が、


摂食・移動・感受など生きるための一揃いの機能を
持って、単独で生きていた。
今、体を構成する細胞に、優劣や上下はあるだろうか?
「筋肉は脳からの指令で動いているから下等だ」などと
言うことに意味はない。
筋肉がなければ脳も存続し得ないのだ。
唯一の判断基準は、「個体全体が最大限の生存可能
性を発揮する」という目的であり、脳が多くのカロリーを
消費するにしても、それは脳が偉いからではなく、より
活発に活動する事で、個体全体が有効に活動できる
からに他ならない。

利己でも利他でもない、他我(社会生命化=その自覚
による愛による自律的社会行動)の状態がある。
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この回答へのお礼

psytex様、ありがとうございます。


>「利己でも利他でもない、他我(社会生命化=その自覚
による愛による自律的社会行動)の状態がある」

優劣や上下は無い、にしても、
もう少し、「遊び」があっても、いいのでは・・・
(というのは、どうしても「上下」を意識、するからか)

お礼日時:2014/03/01 23:46

人は他の動物に比べ、個体差が大きいようです。


兄弟でさえ、随分考えが違います。

周りの人々が、得意な力を出し合って、大きな事を成し遂げる。
という事です。

なので
各人それぞれ得意な分野を極める。
協力するとき対価を求めない。

これに積極的な人々が優秀だと言えます。


日本は、プレート移動で隆起した島で、
鉱山、石灰石、温泉、などの恵みが多いのですが、
災害も多く、それを共助で乗り越えてきました。

復興は共助でなければならないのに、
公助を要求してばかり、いやな国民になり下がってしまいました。
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この回答へのお礼

omi3_様、ご回答ありがとうございます。


>「人は他の動物に比べ、個体差が大きいようです。
兄弟でさえ、随分考えが違います」

社会が複雑で、分業の幅が広い、というようには思います。


>「各人それぞれ得意な分野を極める。
協力するとき対価を求めない。
これに積極的な人々が優秀だと言えます」

それは、どうでしょうか。
「協力しよう(ボランティア)」で、対価を求めないのは判りますけれど、
それは「優秀か、どうか」という問題ではないと思います。
(マンガですが、「ブラックジャック」という天才外科医が、
「通常は、法外な報酬を要求する」というのも、ありましたか)


>「復興は共助でなければならないのに、
公助を要求してばかり、いやな国民になり下がってしまいました」

なるほど。
「共助でなければならない」、そこまではどうか、とも思いますけれど、
例えば、身の程を知らずに「徒手空拳」で行ったとしても、
かえって足手纏いとなってしまう、という事情もあるようです。


>「周りの人々が、得意な力を出し合って、大きな事を成し遂げる」

「共助」については、そういうことでしょうか。

お礼日時:2014/03/01 23:39

自分で答えでないものをわかるか?

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この回答へのお礼

19740様、ご回答ありがとうございます!


>「自分で答えでないものをわかるか?」

「質問」とは、なんでしょうね。


少なくとも、ここで有意義なやりとりを、
させて頂いていると思います。

お礼日時:2014/02/28 01:34

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