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1. 和文と英文とを その〔文の成り立ちをめぐる〕発想のあり方にかんして
くらべてみたい。

2. まづ和文の特徴を述べます。

  ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。

あるいは

  ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。

3. これらのハ格およびガ格のはたらきについて捉えようとするのですが そ
こには《非線形》の構造が横たわる。という見方です。

4. そうして仮りに英文が:

  ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。
  ( b-1-E ): Elephant's nose is long.

  ( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。
  ( b-2-E ): An elephant has a long nose.

のごとく表わされるとしたら これらの文型は いわゆる《 S-V-O 》などとし
ての一本の線形の論理で固められている。と見られます。
 
5. ぎゃくに和文は ( b )の文例が ( b-1 )にも( b-2 )にも相転移し
得て その元の文が 非線形の構造を有していると推し測られます。





6. 和文の《A‐ハ B‐ガ C》なる構文(α)と英文の《 S-V-O 》文型(ω)
との比較対照として 次のような仮説になります。――これを問います。





7. 文(≒思想)をめぐる発想ないし始原的な自己表出について。

  (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま繰り出すことにおいて ひ
とは始原的な自己表出をおこなっているのではないか?

   ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ
   ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い

8. これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につう
じており それは むしろ人びとを言わば理性ないし論理の一辺倒に落ち入る
罠からすくっている。――のではないか?
 


9. これは 言ってみれば《聖なる甘え》という現象ではないか?
 
10. 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるの
は あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。

10-1. ハ格やガ格やヲ格といった格活用をしていない《無格》の語のあ
りさまを 絶対格に活用していると見なす。

11. つまり ハ格やガ格は 取り消しても 絶対格によるいわゆる主題提
示によって あたかも文を作り得る。か?

11-1. つまり( a-0 )や( b-0 )の文例のごとく 格活用の標識がな
くても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。

12. そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて 

   (ω) 論理的な意味連絡

をも示すことが出来る。

12-1. そこから 相転移した意味として

  《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。




13.  まとめて次のようです。

   ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。

について見れば:
    
   ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純
      に表出され推し出された恰好である。
      

13-1. つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。
      

14. ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の
判断があり意味がある。

14-1. すなわち 次のような文意を示すことも出来る。

   ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として:

   ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。
   ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。
   ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。
          (⇒ いわゆる S-V-O の文型)

15. すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》
構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を含み得ていてそれを
そのまま示す仕組みにも成っている。

15-1. 相転移の起こり得るかのように構造的におのづから同時にそう成って
いるというところが ミソである。

16. 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも 自己の中に
ふくみ持っている。
 



17. ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)のように線形
による論理を示すような〔ほぼ〕意味連絡のみを示すかたちに成っている。

18. 欧米諸語の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の
羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。

19. これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラハシの始めにおいて
じんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなの
ではないか?


     *


補遺

20. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせな
がら重ねて行くような姿を言う。
 


21. こうして成った《A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。》の基本構文が 英文
の示す文型に同じ《S-V-O 》という線形形式の意味連絡を潜在から顕在化させ 非
線形のみづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。

21-1. (α)構文の絶対格による羅列といったアソビと(ω)文型の論理的な
筋道の含意とを同時にふくみ持つ。


22.. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)
――は その非論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。笛の音の
ひと鳴りごとにつくられて行く。

 
23. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と
継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられ
て行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでむす
んだ。

24. 英文では すでに発想の初めから その論理のきづなは こしらえられて
いるでのあろうか? 線形のごとき S-V-O文型は 窮屈ではないだろうか?

質問者からの補足コメント

  • ★ (回答№1) 言語表現が形式論理ではなく、弁証法の論理に基づいて
    いるのは明かで、主体的表現の語と客体的表現の語という対立する詞と辞の
    組合わせであることにも注意が必要です。

    ☆ (あ) 時間過程ないし歴史過程について ひとつの見方として――も
    のごとをめぐるいわゆる二項対立が起きるからには―― 弁証法の方程式が
    当てはまるのは 当然です。

    (い) 《詞と辞の区別とそれらの組み合わせ》説については 吉本隆明が
    つとに説明しています。

    (う) それとしても じつは 《形式》なのです。《主体的表現》という
    のは 用言の法活用(判断の意思表示)でまかなうのですが それも 不定
    法や条件法等々といった内容を じつに活用組織を成す活用形式で示すので
    す。

    (助動詞や助詞も 活用をふくめて 語の形式として決まっているのです)。



    ☆ 形式が内容だという所以でしょう。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/02 08:15

A 回答 (3件)

What kind of did you have questions or logics about English and Japanese both languages?



English is an European language and same as Japanese is a far eastern language, then if you have want to discussions about same group languages probably I will be able to understand about that however both are very difference languages don’t you think so?

In the English language has one thousand years or more over history. And the Japanese language has same too.

And you’ed mistaken in your logics which same as one was,
>( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。
>( b-2-E ): An elephant has a long nose.

I think that “( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。” is mistake then correct to “像の鼻は長い”, same as your mistake is “( b-2-E ): An elephant has a long nose.”, it correct to “Elephants have long trunks.”.

BTW What is your question? Could you explain easy Japanese or English? I’m sorry I didn’t get good educations then I couldn’t understand your highest Japanese.

Thank you so much in deed for read my poor English.
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ What kind of did you have questions or logics about English and
Japanese both languages?
☆ そうですね。

まづ:
☆☆ ~~~~~~~
( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。
( b-2-E ): An elephant has a long nose.
~~~~~~~~~
☆ この英文例は 英文じたいにかんしては 次のように直すのがよいで
しょう。同意します。
★ “Elephants have long trunks.”.




そして:
★ English is an European language and same as Japanese is a far
eastern language・・・
however both are very difference languages don’t you think so?
☆ 同じ言語家族の中の言語どうしを《比較》するのではなく 単純に
言語と言語とを《対照》させるものです。

そして 言語類型論の視点からその分析をおこなっています。これは ふ
つうのことだと思います。歴史を超えて そのことは可能だと思います。




★ BTW What is your question?
☆ 次が 主題(あるいは 目的)です。
☆☆ (趣旨説明欄) 6. 和文の《A‐ハ B‐ガ C》なる構文(α)
と英文の《 S-V-O 》文型(ω)との比較対照

☆ そしてその説明には むしろ次のわたしの質問のほうが よいかと思
います。
【Q:ハ格・ガ格問題を中心として 日本語は どういう言語か?――言語類
型論の視点から――】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11268433.html

☆ こちらのほうが くわしいと思います。ので ごらんになってみてく
ださいませんか?

お礼日時:2019/09/05 13:35

早速の応答をありがとうございます。



正しく、
現象の否定的な方面 すなわち非独立的で変転的な方面は 自己へ反省しない形式である。それは無関係的な 外的な形式
である。

ということです。

 吉本隆明は指示表出と自己表出に区分しており、次元が異なります。

なお、活用とは次に続く語による形の変化でしかなく、「形容動詞という誤り No.2」」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11229304.html
を参照下さい。

日英変換については、下記を参照下さい。発想の差異について触れています。
「言語表現体系の違いに着目した日英機械翻訳機能試験項目の構成 」
http://www.kcn-kyoto.jp/~sat/data/publications/1 …

「自然言語処理研究の考え方」
http://unicorn.ike.tottori-u.ac.jp/ikehara/paper …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

なお やり取りをつづけるためには
★★ 当方が<「一方的な主張」というスタンスなので、素直に回答者の見解
を聞けないのだと思います。>というご批判もいただき、不十分な説明をお詫
びするとともに、今一度、説明させていただきたいと思います。
☆ なる意思表示をしっかりと守ってくださるよう《強制》します。


1. 末尾に挙げられた資料は 未読です。

2. ヘーゲルの《形式は内容だ》の引用から一節を抜き出したその心は? 

★★ 不十分な説明をお詫びするとともに、今一度、説明
☆ しなさい。


3. 吉本は――わたしにとって 依拠先なのではありませんが―― 主体的
表現と客体的なそれとの区別を基本的に明らかにしています。

揚げ足を取って焦点をずらし いちゃもんをつけても 話は始まらない。


4. 形容動詞については――くわしい対話をおこなってもいいですが――い
まのところで言えば 品詞の区別としては大勢に影響しないという考えです。


5. 日英変換(以下 12まで)。
⑤ オノマトペの問題。印欧語だって もとは同じで 日本語では古い形態を
保っているというだけ。

・ 【Q:ことばは オノマトペから出来てきた!?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9340449.html

・ 他の方の質問:【Q:オノマトペ考】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9337813.html?pg=4&i …
その回答№8などをどうぞ。

6. ①から⑦までほとんどすべてで 前項の見方が当てはまる。

7. ⑦ 待遇表現も 英国ではじゅうぶん発達している。
《状況論理性と実体論理性》は 重心や力点の置き方の程度差。

8. ①: 日本文は その成分がすべて体言の連続で出来ていると言った人
がいた。(フランス人だったか)。これは 追い追い機会があれば説明します。

9. ②の関係代名詞は 既述。

10. ④の無生物主語。これも 昔からあったことはあったと既説あり。

11. ⑥を受動文の問題として捉えれば やはり英文でも あれっと思うほ
どにはあります。

12. ▼ ③ 日本語は「なる」型の文が多く, 英語は「する」型の文が多

☆ は合っているかと思います。

お礼日時:2019/09/02 09:56

また、いつものお遊びですか。



言語とは何かという本質が置きざれにされ、単に形式を弄んでいるに過ぎないことに無自覚です。

>〔文の成り立ちをめぐる〕【発想】のあり方

はっ‐そう〔‐サウ〕【発想】

[名](スル)
1 物事を考え出すこと。新しい考えや思いつきを得ること。また、その方法や、内容。「発想を切り換える」「先入観を捨てて発想する」
〔大辞林〕

で、文は発想ではなく、表現です。

そして、絵画、音楽のような直接感性的な表現ではなく、概念認識に基づく規範を媒介とした表現です。

この本質を捉えることなく、単に形式や文型を比較しても意味がありません。

文型は発想が生み出すものではありません。

言語表現が形式論理ではなく、弁証法の論理に基づいているのは明かで、主体的表現の語と客体的表現の語という対立する詞と辞の組合わせであることにも注意が必要です。

内容ではなく、形式のみを比較する誤りはヘーゲルが厳しく指摘しています。

 しかし、第一に、論理学がすべての【内容】を捨象するものであって、思考〔思惟〕の内容を問題にせず、その内容の性質を考慮せずに、ただ思考の規則を教えるに過ぎないものだということが、すでにおかしい。(『大論理学』序論)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


▲ (ヘーゲル:形式は内容である) ~~~~~~~~~~~~~
現象の世界を作っている個々別々の現象は 全体として一つの統体を
なしていて 現象の世界の自己関係のうちに全く包含されている。

かくして現象の自己関係は完全に規定されており それは自分自身の
うちに形式を持っている。

しかも それは自己関係という同一性のうちにあるのであるから そ
れは形式を本質的な存立性として持っている。

かくして形式は内容( Inhalt )であり その発展した規定性は 現象
の法則( Gesetz )である。



これに反して 現象の否定的な方面 すなわち非独立的で変転的な方
面は 自己へ反省しない形式である。それは無関係的な 外的な形式
である。
(『小論理学』第二部・B 現象 b 内容と形式 松村一人訳 1962
/ 1978(改版))
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2019/09/01 23:28

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